実践訓練
毎日が地獄だった。
ラスは走るのが一番マシだという事実に気付くのには1日も掛からなかった。
素振りは基本腕が上がらなくなるまで振らされ。
木剣を持ったグラートと打ち合っても一方的にやられるのはラスの方で。
受け身の練習の一環で打ち合いの最中に吹き飛ばされて。
最後には素振りで追い込まれる。
それらが終われば食事を取って、風呂に入り、寝る前には魔法を使って激しい頭痛と吐き気を伴いながら理力を使い切り気絶する。
この生活は生傷が絶えないがグラートが呼んできた法術医師により傷も不調も完璧に治されている。
怪我を理由に逃げられそうもない。
「いや死ぬかも……」
そんな生活が1週間続いたラスの言である。
座学なんてものは初日だけで次の日から朝から晩まで訓練漬けである。
最近走っても走っても一周が終わらず、導火線の火が首輪にたどり着く夢を何度も見ている。
夢に見るほどトラウマになっていたのである。
その所為かおかげか何度も何度も夜中に目を覚ますため、その度に理力を使い切って気絶していた。
なので理力総量に関しては、それなりの速度で増えてきているのが分かった。
「まあなまっちょろい訓練で勝てる相手じゃないのは分かるが……」
なんかこうもう少し段階を踏んでくれないかなぁ!? と考えているラスであった。
最近ではその訓練風景が噂になってきており、食堂などで声を掛けられる事が増えてきた。
一言目は大抵挨拶だが、二言目にはだいたい同情的な言葉を掛けられる。
中でもグラートの訓練を味わったことがある人もいるらしく、大抵は初日で逃げ出すそうだ。
確かにその気持はラスも痛いほどよく分かる。死にはしないが死ぬ程追い込まれる。
もしラスが普通の人生を送っていたのならば絶対に逃げていた。
それだけははっきり言える。
そんなラスも2週目初日の朝を迎えるのであった。
場所は訓練場。グラートは所要があり遅れてくるとのことで、やることもないため準備運動がてら素振りを行っている。
そんなラスも一週間も立ってふと思うことがあった。
「慣れてきた自分がいるのも怖いな」
そう、ラスは順応した。
きついことには変わりないが耐性が出来てきたのだ。
「ほう、ならば強度を上げても問題無さそうだな」
背後にはグラートが立っており、ラスの呟きを完全に聞いていたようだ。
「も、戻ってきてたのか、え、なに? 強度上げるの? 結構限界だよ?」
音もなく立っていたグラートに困惑しながらも、グラートの声は聞き逃さなかった。
「だが、慣れてきたのだろう」
「いや慣れたと言ってもそんな……」
恐らく所要というのは都市の外にあったのだろう。普段の訓練時は身につけていなかったグレートソードを背中から引き抜き、ラスに向けた。
「丁度いい、こいつを使う」
それを聞いたラスは即座に身を翻し、走って逃げた。他の自主練をしていた法術使いも蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
「走力訓練も兼ねるか、良いだろう」
重量の差が大きいはずなのに、徐々に距離を詰められているのが足音で分かった。
「やばいやばいやばいやばい!!」
この調子だとすぐ追いつかれることを理解したラスは走りながら魔法を詠唱する。
『唸れ骨肉 満ちよ鮮血 際限なき心肺と溢れ出る剛力がその身に宿る 限界の扉へ手を伸ばし 神秘の最奥へと深まれ肉体』
――充足する神秘の肉体
溢れ出る全能感と共に足に力を込め、一時的に距離を離すと、今度は呪法を発動させる。
『規則制定 たとえそれが信念無き戦いだとしても 敬意を忘れる者に戦う資格無し』
――開戦礼、改
ラスはお辞儀をしながら詠唱を終わらせる。
グラートは見覚えのある呪法に即座に対応し、ラスと同様お辞儀を行う。
その隙にラスは次なる魔法を発動させる。
『狂えよ肉体 痺れよ肉体 先駆の雷足は自由なる肉体を許さない』
――瞬雷
一筋の雷光が迸り、グラートに直撃した。
絡みつくように帯電し筋肉が硬直する。
そしてラスは。
「チェストオオオオオオ!!」
強化された肉体を用いて、グラートに飛び蹴りをかました。
子供ゆえに体重が軽くとも、魔法によって人間の速さを容易に超えた人体の質量攻撃は、グラートが相手でも有効だろうと考えた。
だが……
「素晴らしい、あの一回の授業でよくぞここまで詠唱を改善したものだ」
「まじかよ……」
無傷のグラートがそこに立っていた。
肋や胸骨を折る勢いで飛び蹴りをしたにもかかわらず、蹴った感触が金属の塊だった。
「法術は自由に使うと良い、特に制限をかけるつもりはない」
「いや、これが駄目ならもう全部駄目なんだが」
「手札の切り方を学ぶのも訓練だ」
今日も地獄が始まった。
今日も今日とてズタボロにされたラスは、なんとか地獄から生還し食堂へとやってきた。
食事中であろうベテランの風格を持つ組合員が声を掛けてきた。
「よう、今日も散々だったみてぇじゃねぇか」
疲労が極限であったラスは会話をする余裕が無く、一言だけこう返した。
「死にそう」
「お、おう」
ラスはふらふらと食事を取りに行く。
皿の上には山のように積み重なった肉と野菜とパンが置かれている。
「……多くねぇか」
「食わないと死ぬ」
「……それはそうか」
無造作に積み上がった料理を黙々と食べ進める。
周囲からラスに対する噂話が聞こえてくる。
「あの年齢でよくやるもんだよ」
「組合長からも一目置かれてるらしいな」
「可哀想に……」
「今日は実践訓練で転がされてたな」
「まじかよ!?」
「やべぇなあいつ、主に頭が」
スパルタで有名なグラートの訓練を1週間も耐え抜いているラスは非常に噂になる。
時折頭のおかしいやつ扱いをされるのは気に入らない、気に入らないが反論する気力も沸かない。
食事を終えたラスがそのまま浴場で身を清め、部屋に帰る。
両親の武器を手に取り物思いにふける。
もし己が記憶を早々に取り戻していたらどうなっていたであろうか。
両親は死ななかったのか、町は滅ばなかったのか。無理をして死んでいたのか。
考えれば考えるほどわからなくなる。
いまラスを動かしているのは怒りだ。この狂った世界に対して、両親を殺した天魔に対して。
もしこの怒りがなくなれば己はどうなるのだろう。
「……やめよう」
たらればなんぞ考えても意味がないと悟ったラスは思考を止め、理力の消費を行った。
『羽ばたく光輝の蝶 飛び回り 皆を照らし希望を与える 閉ざされた世界を切り開き 一条の光と成れ』
――光の施し
掌から光り輝く蝶が生まれる。見ているだけで安心感を覚える光の暖かさ与える蝶は次々と生み出され、部屋の中を照らしていく。
最終的には理力が限界となり、ラスは気絶するように眠った。