慟哭と決意
目を覚ましたラスは父親が戦った場所へと向かう。
悪魔は居ない。
そこには未だ燃え盛る城門が炎の歩兵に守られていた。ラスは地面に突き刺さった剣を引き抜く。触媒となっていた剣が引き抜かれ、父親が発動していた魔法は完全に消え去った。
傍らには悪魔に食い尽くされ皮だけとなった父親が居た。
ラスは皮だけとなった父親を抱え母親の元へ向かう。
天使の死体を見つける。
恐らくその近傍にある砕けた塩の柱が母親だろう。そして母親が愛用していた刺剣があった。
ラスは両親の亡骸と遺品を抱え蹲る。
「ああ……ああああ……あああああああああああああああ!!」
言葉にならない慟哭が喉の奥から出る。
――なんで? なんで、何故、何故何故何故。
「何故だ! 何故今になって思い出すんだ!!」
そう、ラスは思い出した。
今まで抱えていた怒りの理由を。
ラスが思い出せたのは両親の死が引き金だったのか、それともその死による精神的な衝撃が思い起こさせたのか。
それはわからない。だが転生者として、前世の境遇を比べれば確かにこの世界の惨状は受け入れがたかった。
ただ、ただそれでも両親の愛だけは違った。
「母さん! 父さん! ごめん! 不出来な息子でごめん! 今まで迷惑かけてごめん! 助けられなくて……ごめん……」
早々に記憶を思い出していればなにか変わっただろうか。
世界の現状を早々に悟り、幼い頃から努力を続けていれば。
そうでなくとも、両親に迷惑をかけることもなかっただろうか。
「……巫山戯るな」
怒りの情念が湧き上がる。
生まれてから今まで、12年以上も付き合ってきたものだ。
この炎がそう簡単に消えるわけがなかった。
「気に入らない」
両親に犠牲を強いてしまった己という存在も、両親が死ななければならないような世界も。
「許さない」
諦める理由がない。
もし諦めてしまえば、ラスは死んだも同然だ。両親の遺言を守れなくなる。
「こんな世界、受け入れられない……!」
ならばやらない理由がない。
その一歩を踏み出した時、ラスは初めて両親に親孝行が出来る。
「母さん、父さん、どうか見ていてくれ」
ラスにはもう、進む以外の道を辿るつもりはない。
特別な力など無くとも、天使も悪魔も殺し尽くして見せる。
怒りに燃えた心が、折れる訳など無かった。
「お前が、最後の生き残りか」
背後から男の声がした。
最前線主要都市から来た男、グラートは先程天使及び悪魔に街を襲われたと聞き早馬を走らせてこの街に来た。
街は凄惨なものだった。各所には破壊の跡が残されており、そこに居たであろう人々は惨たらしいものだった。
表皮のみを残した人間、塩の彫刻として残った人間。
そこでグラートは道端に蹲る子供を見つけた。
天使や悪魔に襲われた街にしては珍しく生き残りが居た。
本来天使や悪魔が襲来した街というのは、そこに住んでいた住民は基本的に全滅するものだった。
町の防衛者は基本的に天使や悪魔の下級種族、魔物や使徒を対処するのが仕事であるためだ。
「お前が、最後の生き残りか」
うずくまっていた少年がこちらに振り向きながら応える。少年が抱えているソレは恐らく両親だろう。
その少年にとっては悲惨な出来事かもしれないが、今ではそう珍しくもない出来事である。
「……貴方は」
その少年を見た瞬間、グラートは確信した。
目だ。その目には怒りか、復讐か、それらを混ぜ合わせたかのような苛烈な炎を宿していた。
それに何よりこの少年は諦めの感情が見えない。
「グラートだ。この街に天魔が襲来したという知らせを聞いて来た」
「……天魔は俺の父さんと母さんがもう倒した」
「……なんと」
グラートにとってそれは驚きでしか無かった。
この少年が住んでいた小さな町にそれほどの腕利きがいるとは考えていなかった。
「……お前はどうする」
ラスはグラートと名乗る男と向き合っていた。
その男は赤黒い髪を後ろでまとめており、顔に幾つもの傷を湛えた精悍な顔つきをしていた。
武器は所謂グレートソードと呼ばれる、およそ人間が扱える範疇を超える大きさの大剣を携えている。
「お前はどうする」
そうグラートが問うてきた。
「俺は、その天魔を殺す術を学びたい」
グラートは天魔の襲来を聞いてきたという。
それを聞いたラスは、グラートは天魔を殺せるほどの実力者だということが予想できた。
「そうか」
グラートはそう言って、一瞬悩む素振りを見せた後、ラスを片手で持ち上げ馬の後ろに乗せた。
「その両親はどうする」
「出来るのであれば、然るべき場所に埋葬したい」
「わかった、この町の墓地はどこだ」
「北の方にある」
両親の亡骸を埋葬したラスは、両親から与えられた剣と本、そして杖、更には形見として両親の武器を持ち街を出た。
ラスとグラートは舗装された森の中を馬で駆ける。
本来ならば馬に不必要な負担をかけるため、都市への移動は急ぐ必要はないが……
――ヴゥゥゥゥゥゥゥゥン
虫の羽音が聞こえる。
蜂のそれによく似た、本能的に危機感を煽るような羽音だ。
「……羽音の狩人だ、殲滅してくる。待っていろ」
グラートが馬から降り、魔法の詠唱を始める。
『鳴らせ、鳴らせ、その足跡に爆雷を刻み込め』
グラートの足を囲うように魔法陣が浮かび上がる。
――足跡地雷
グラートが踏みしめた地面に燃えるように紅い魔法陣が生まれる。
そして更にその地面を強く踏み込んだかと思えば――
――ドンッ!!
地面が、爆発した。
ラスは驚いて顔を覆い、土煙が晴れた後グラートの方を向いたが、その姿はどこにも居なかった。
周囲から何度も爆発音が鳴り響き、それに伴って、徐々に羽音の数が減ってきている。
「……爆発を移動用に使うって、マジか……」
数瞬の間、ラスは呆然としていたが気を取り直し、魔法の構築を試みる。
とはいえラス自身、両親から軽く教えてもらっただけで、正直使えるかどうかは分からない。
「ええっと……魔法は確か想像力と解釈によってそれを定め、言葉によって術式に落とし込む、だったか」
基礎的な理力操作や詠唱による術式の構築を父親から習ってはいるが、出たとこ勝負な部分は否めない。
『……襖、障子、暖簾に衝立。その境界は無作法者を許さない』
ラスは馬と自身を囲うように線を引き、四方に木の棒を立て、その間に糸を張る。
――鎮守の葛籠
前世で創作物によく出ていた結界と呼ばれるもの。
害意を無作法と解釈し、その侵入を拒む境界を作り上げた。
「……っ! ゲホッ! カハッ!」
魔法は成功した。地面に引いた線の上に薄い膜が貼られており、少々頼りないが思っていた通りの結果は出せている。
だが、それと同時に強烈な頭痛と激しい吐き気に苛まれた。
理力不足だ。
今まで両親の庇護下にあったラスは禄に魔法を使ったことがなく、突発的に思いついた魔法がどれほど魔力を消費するか理解せぬまま、魔法を発動させてしまった。
本来ならば失敗しても良いくらいには、言葉による術式の構築が甘く、その上詠唱も短い。
だが、創作物と情報で溢れた現代社会の記憶と知識が魔法を強固に定め、無理やり発動した。発動できてしまった。
本来この効果をラスの保持している理力で十全に発揮させようとすれば、意識消失を呼び起こし完全な無防備を晒すことになっていた。
だが、四方に棒を立て、糸を張り、線を引くことで境界を定めた事によって、その儀式的効果が認められ、ラスはギリギリで意識を保っていた。
そのままラスは蹲り、グラートが戻って来るのを待つのであった。