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プロローグ


 ――怒り。


 それはラスが12歳になって久しく抱いたものだった。

 例えば、空を見上げた時。広々とした青と目を刺すような光を幻視した。

 だがラスはそのようなものを見たことがない、なぜなら空は常に曇天が覆っており、昼間ですら室内だと明かりが必要になるのだから。


 例えば、家にあった本を読んだ時。華々しい冒険と輝かしい英雄達の活躍が想起された。

 だがラスの家にはそのような本はない。なぜなら家にある本はすべて歴史書でどれも陰惨な結末を示している。

 英雄はいた、だがそのどれもが悲惨な末路を辿っていた。


 例えばそれは、街を見た時。

 例えばそれは、人を見た時。

 例えば、例えば……


 ラスは自分ではない何かの記憶が呼び起こされる時、決まって抱く感情は怒りだった。

 生まれてから情緒が育ち、自分で物を考えれるようになった時から、常に己の怒りに身を焦がされた。

 だがラスには唯一怒りを抱かない人がいた。


「ラスー?」


「どうした、具合でも悪いのか?」


 それは両親だった。

 幼い頃から常に怒りに身を窶していたラスを、両親は常に甲斐甲斐しく世話をしてくれていた。

 理由も分からずに癇癪で泣き腫らしていた幼少の頃も。

 歳を重ねて情緒が育った時に突発的に自傷をした時は泣きながら止めてくれた。

 そしてそんなラスでも、この両親がいたからこそ普通の人として生きる事ができるようになっていた。


「大丈夫だよ、お母さん、お父さん」


 お母さんは理由もわからず泣いていた時は優しく抱きしめて心や愛の暖かさを教えてくれた。

 お父さんは理由がわからない怒りに対する感情の向き合い方と生きるための術を教えてくれた。

 傷を癒やす仕事をしていたお母さんも、町の防衛として動いてたお父さんも、いつも大変そうだったがラスの前では疲れた素振りを見せなかった。

 そして、ラスにはいつも無償の愛を注いでくれた。


「そう? なら夜ご飯、できたから食べちゃいなさい」


「今日はラスの誕生日だからな、プレゼントも用意した!」


「お母さんも今日は腕によりをかけて作っちゃった」


 テーブルに並んでいるのは、芋のポタージュに飴色に輝く骨のついた肉。

 そしてデザートに用意された焼き立てのフルーツパイ。

 そのどれもが湯気が立ち上っており鼻腔を擽る。どれもラスの好物だ。

 テーブルの傍らには鋼で作られた直剣と丁寧に装丁された白紙の本、文様が刻まれた木の杖が置かれている。

 これがラスに贈られたプレゼントだろう。


 そしてそんな両親の愛に報いるため、ラスも両親に大きな愛を抱いた。


「わぁ……! お父さん、お母さん。ありがとう、大好きだよ!」


 そうしてラスは両親を抱きしめ、親からは温かく自分よりも大きな手で撫でてもらっていた。

 ラスはこの甘く優しい幻想が長続きすることは無いと知っているが、今はただ、1秒でも長くこの幻想に浸りたかった。






 ――今日はお母さんとお父さんと一緒に寝たい。

 そう言ったラスの我儘に応え、誕生日の夜は両親に挟まれて眠っていた。


 その時、街全体を包み込む、耳を劈くほどの音量で警鐘が鳴り響く。

 高音と低音が不規則に打ち鳴らされる鐘の音。

 天使と悪魔が来たる合図だった。


 その中で早々に目を覚まし、準備を終えたラスとその両親は避難路である乗合馬車に向かって走る。


 だが――遅かった。


 石畳の隙間から滲むように湧き上がるは黒の大波。

 しかしそれをよく見てみると、街灯に照らされたのは人と同じ大きさの眼球の集合体だった。

 角膜は黒く、虹彩が赤く光る。夜に潜む獣の瞳のそれだ。

 地鳴りのような重低音が響き渡り、黒の大波が人々を食らわんと押し寄せる。


「掴まれ! ラス!」


 子供故に足の遅いラスがお父さんに抱えられ速度が一気に上り、お母さんもそれに追従するように速度を上げる。

 だがそれでも、黒の大波からは逃れられない。

 両親の走る速度は常人のそれを優に超えているが、それでも黒の大波が広がる速度のほうが早かった。


「……ッ! くそ、ラスを頼む!!」


 お父さんはラスをお母さんに渡すと足を止めた。


「貴方!? なにをするつもりなの!?」


 お父さんの表情からは決意が見える。命を賭すと決めた悲壮の決意だ。

 ラスは子供ながらにそれがわかってしまった。

 もう二度と会うことはできないと。


「ラス、生きろ。命があればいつか必ず希望に継る一条の光が見える筈だ。そしてマリー、ラスをどうか守ってやってくれ」


 お父さんはラスに向かって笑って見せた。

 ラスはお父さんに手を伸ばす。こんな別れは嫌だと。こんな理不尽は受け入れられないと。

 お母さんは泣きそうな表情をしながらも前を向いて走る。


「待ってよお母さん! お父さんが! お父さああああああん!!」

 

 お母さんは、決して離すまいとラスを抱く腕に力を込める。





「よし、やるか」


 ラスの父親は黒の大波へと振り返る。


「俺の息子は今年で12歳になるんでな、お前らに食わせるわけにはいかないんだよ」


 父親は己の剣を地面に突き刺し、人生最後になるであろう魔法を発動させる。


『炎の守護者よ、来たりて取れ』


 地面に刺された剣を中心に光の粒子が放たれ、周囲に降り注ぐ。

 光る粒子が地面にぶつかると、そこを起点に炎が広がり槍と盾を持つ重装歩兵の姿が形作られる。


『兵よ、槍を取れ。兵よ、盾を取れ。我らは門の守護者也』


 背後には炎に巻かれた石の城門が、大地を裂き天を突く。


『なれば我らは、大軍に屈さぬ精強なる不死の軍勢と成るだろう!』


 ――業火封門の守護者


 その声を最後に、戦場すべてが炎に巻かれていく。門や歩兵の火勢は強くな

り、父親自身も炎で作られた盾と剣を持つ。


「ここは通行止めだ、さっさと土に還ることをおすすめする」


 それを機に炎の守護者と黒の大波、又の名を『瞳の悪魔』の決戦が始まった。






 お母さんは走る、炎の城門を背に。

 炎の城門は見事に黒の大波を堰き止め、ラス達に迫りくる眼球は一つもなかった。


 涙が止まらない。父親を喪ってできた心の穴は、そう簡単に埋まりそうになかった。


 ここで漸く避難路に辿り着く。

 馬車前にはこの街の住民がひしめき合っている。

 危機的状況下によって人間の本性が表れになり、馬車の周囲は阿鼻叫喚の様相を呈していた。


「どけ! 俺が先に乗る!」


 我先にと逃げようとする者。


「役立たずの子供なんざ乗せられるか!」


 差別をする者。


「この馬車は俺が使うものだ! 降りろ!」


 暴力や略奪を行う者。


 言うなれば人が生み出した地獄が、そこには広がっていた。

 だが、ラスのお母さんだけは違った。


「大丈夫……私だけは、お母さんだけはラスの味方だからね……ラスだけは絶対に守るから安心して……」


 ラスを抱きかかえる腕に力が入るのだけは分かった。


 我々は忘れていた。危機を知らせる鐘の音は、なにも悪魔だけを知らせるものではなかった。

 黒の大波という衝撃によって忘れさせられていた。


 ――天使が降臨する。


 背徳と恐怖の美しさが醸し出される。


 ――恐れよ。


 空は赤く染まり、裂けた雲が傷口のように脈動する。


 ――畏怖せよ。


 肉の羽から滴る鮮血が地面へと降り注ぐ。


 ――平伏せよ。


 光輪は無く、代わりに赤く脈打つ肉の輪がその輪郭を縁取る。


 ――さすれば救いは与えられん。


 触れるものすべてを狂わせる神秘が、そこに在った。


「ッ! いけない!」


 お母さんはそう言い、ドアを蹴破って家の中に避難する。


 極光が降り注ぐ。

 あとに残るのは、人の形をした塩の柱だけだった。

 ラスをおろしたお母さんは一呼吸を置いて決意する。


「ごめんね……貴方を一人にして」


 先程見たお父さんと同じ表情をしていた。


「やめてよお母さん……それじゃあまるで……」


 ラスはお母さんが離れてしまわないように抱きつき、どこへも行かせないという意思を見せる。


「言ったでしょう? ラスだけは絶対に守るから」


「嫌だ! 絶対に離さない!」


 理由もわからずお母さんと離れるのは嫌だった、理不尽に失うのは嫌だった。

 せめてお母さんだけでも失わぬようにと、ラスは離すことはなかった。


「聞いて、ラス。私達が渡した剣と本と杖は必ず貴方の力になる。恐れることは無いわ、だって貴方は私達の息子なんだもの!」


 そう元気よく言い放ったお母さんは慈愛の微笑みを浮かべ、懐から枝を取り出しラスの額に当てる。

 枝は崩れ落ち、ラスは急激に眠気に襲われた。


「いや、だ……」


 意識を失う直前のところでお母さんの声が聞こえる。


「生きて、ラス。貴方は強い子なのだから」






「貴方も、こんな気持ちだったのかしらね」


 ラスの母親は外へと行き、塩の柱を避けながら天使へと近づく。


「……でも、そうよね。私達の可愛い一人息子だもの、こいつらなんかにみすみす殺させるわけにもいかないわ」


 母親は天使の前へと躍り出た。


『宣誓する』


 母親は代償と制約によって効力を発揮する呪法を展開させる。

 効力は天使への特攻及び、ラスの守護。


『私は母として、息子を害する者を滅殺する。私は母として、息子を害する者から遠ざける』


 代償は己の命、制約は時間経過による塩化の進行。


『その目的を達成せしその時に、私は塩の柱として即座に砕け散るだろう』


 ――天墜、天護。


 四肢の先から徐々に塩の柱として変質している。

 母親は刺剣を取り出し天使へと向けた。


「さてと、その気色悪い羽、削ぎ落としてあげる」


 この言葉を最後に、刺剣と極光の剣がぶつかりあった。

感想は!

私の!

栄養になりまぁす!!

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ラスの抱える怒りの描写から両親への愛情・・・そして突然訪れる世界の終焉と家族との別れまで感情の起伏が激しく引き込まれました。両親がラスを無償の愛で育む様子や父親が自らを犠牲にしてラスを守るシーンとか母…
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