第38話 世界を変える
聖女任命式はつつがなく終わった。
ちなみにセーデン家とユーン家一同は各界の重鎮たちに顔を見られながら最末席に座り、窒息死寸前のような顔色で息を殺して参加していた。気持ちはわかる。
王都神殿での式は確かに人の少ない静かなものだったが、そのぶん厳選された立会人たちは皆とんでもない覇気を放っていて倒れそうになったアンナである。
アンナにとっては聖女任命式よりも、世界の危機だったにも関わらず解呪のために過ごした約一ヶ月のほうがよほどのんびりとしていたように思う。
魔王の呪いから世界を守り、終末論を掲げる邪神教徒の襲撃からイェルド様の髪を守る。
初めはなぜこんな田舎娘にそんな重責を背負わせるのかと青ざめたけれど、実際はお城の一番良い客室でおいしいご飯と紅茶とおやつを堪能しながら、イェルド様と手を繋いで過ごしていただけであった。
どんなことがあっても必ずイェルド様を守るのだ! と意気込んだわりには、拍子抜けするような毎日だった。
式を終えたのちの控室で恐れ多くもアンナの義理の父となった司祭様にそうこぼしたら、彼は朗らかに笑って言った。
「元より邪神教徒どもからイェルド様を守ってもらうために聖女様をお呼びしたわけではありませんからなあ」
「え!」
聖女様呼びをやめてもらおうと開いた口から、調子外れな声が出た。
では自分はいったい何を期待されて呼ばれたのだろう。
「普通に寝ただけでも枕との摩擦で髪が抜けるかもしれないし、思わず頭をかいたら髪を傷つけてしまうかもしれない……そんな些細なことが世界を滅ぼすことになり得るのです。まともな生活はできません。聖女様に守っていただきたかったのは、イェルド様の穏やかな日常です」
そう言われてみれば確かに、偉いおじさんたちの誰からも「邪神教徒から髪を守れ」とは命じられていなかったことに気がつく。
「日常……」
少し離れたところでエレオノーラ様と話をしているイェルド様を眺めながら、アンナは出会った時の彼の疲れた顔を思い出した。
次の日の朝にまだくまの浮く目元を嬉しそうにほころばせ、「ぐっすり寝られた」とお礼を言ってくれたことも。
平和というのは案外「ぐっすり寝る」というような、そういうなんでもないことの積み重ねなのかもしれない。
そう思ってイェルド様の健康的に輝く金髪を見たら、なんだか急に達成感が胸に募った。
邪神教徒たちやニーマン侯爵が壊したかったのもそうした普通の生活で、それを見事に守りきれたのだとしたら、分不相応な〝聖女〟の肩書も少しは身に馴染むような気もした。
そして願わくばイェルド様とこの先も一緒に、平和な日々を過ごしたいとも思った。
故郷の平和な日常を守ろうと必死なアンナを軽んじる血の繋がった家族ではなく、魔王の呪いが髪に宿っているという異常事態でも人を気遣うことができて、「ありがとう」と言ってくれるイェルド様と。
〝あなたを尊重してくれる人と一緒に生きてほしい〟と、あの時スサンナさんが言った通りに。
そのスサンナさんの目論み通りにあの事件の関係者全員の処刑と、彼女の実家と嫁ぎ先、ニーマン侯爵家の取り潰しが決まった。彼女はそれを聞いてほっとした顔をしたという。
アンナはどうしても自分の境遇によく似たスサンナさんの命をあきらめることができなくて、勇気を振り絞って彼女の助命を陛下に願い出た。
イェルド様たちの加勢を得て、呪いから髪を守るという任務に就く際に陛下がアンナにくださった「この問題において起こった何らかの不備は一切不問とし、アンナ・セーデン男爵令嬢の名誉はアレクサンデル・アベニウスの名において保証される」という言葉の、「この問題において起こった何らかの不備は一切不問とし」の部分を盾に、押しに押して押した。
教会へは〝聖女〟の特権を前借して乱用した。一生滅私奉公覚悟である。
アンナだけではなく、なんと第三王子殿下も王族の特権をぶんぶん振り回して自分の乳母の罪を軽くしようと奮闘した結果、スサンナさんは平民となり神殿預かりになった。
彼女は一生神殿から出られないが、家族の犠牲となって命を散らすよりずっといい。そう言って涙した殿下は、正しくスサンナさんの家族だった。
「家族の愛を乞うて縋りつくのではなく、お互いに愛を与え合うことができる人と家族になるべき」と、そう言ったスサンナさんの言葉の正しさを、アンナは目の当たりにしたのだと思った。
だからあの日イェルド様が言ったように、アンナも自分の身を置く環境を変えるべきなのだろう。
エレオノーラ様がアンナと元家族たちとの間に入ってくれて、良くも悪くもいろいろと話ができた結果、自然とそう思えた。
自分の住む世界を変えるべきなのだ、と。
そしてその世界で、イェルド様と平和な日常を過ごすことができたらいいなと強く思う。
――どうかこれからの時間を、これまでのイェルド様が頑張ってきた人生ごと、私にいただけませんか?
あの日に彼が言ってくれた言葉が頭に浮かぶ。ただし、名前だけはアンナからイェルド様に自然と置き換わっていた。
――あなたに守られ、救われた私の人生は、もちろん全部イェルド様のものです。
気恥ずかしいけれど、思いついた返事をそのままイェルド様に伝えてみよう。
そうぐっと拳を握りしめ、アンナは決意した。
そして彼の手を取りひざまずいて願うのだ。
私と家族になってください、と。
end
――Thank you for reading.




