第37話 号泣
「ごめんなさいお姉さま!」
号泣。
まだ妹が小さかった頃に、アンナの秘蔵のプリンを食べてしまって怒られた時のように、大声を上げて妹が泣きながら頭を下げた。
「私、知らなくて! お父さまもお母さまもオリヤンも伯爵さまも奥さまも、お姉さまが都会で遊ぶためにうちを捨てて出て行ったって、ずっとそう言ってたから!」
「えー……」
それはまたとんでもない嘘を吹き込んだものだ。
今さらもう、初めて聞かされる事実に胸を痛めはしないけれど驚きはしたし、無言で目をそらす両親たちを心の底から見下げ果てた。
アンナの隣でイェルド様が、その一歩斜め前でエレオノーラ様が、やはりアンナと同じように軽蔑の視線を両親たちに送っている。
「だからお前が次期当主になったから、オリヤンと結婚するんだって言われて、そうなのかしらって。ずっとオリヤンのことを好きだったから、舞い上がっちゃったっていうのもあるけれど、でも、ちゃんとお姉さまに確認のお手紙を出すべきだったわ……ごめんなさい……」
痛みにうめいて床に転がるオリヤンの横にぺたんと座り、しおしおと頭を下げる妹の後頭部が丸い。
プリン事件で大泣きしながらごめんなさいをした時の後頭部も、こんなふうに頼りなく丸かった。
それを思い出して、アンナは溜め息を吐く。
そういえば、妹がプリンを食べてしまったあの時もオリヤンに「アンナが食べていいって言ってた」と嘘をつかれていたことも思い出す。
「今初めてお姉さまが王都で一人頑張ってたって聞いて、私恥ずかしくて……」
「ぐっ」
石でクルミを叩き割ろうとするかのように、妹がオリヤンの後頭部を掴んで床に叩きつけた。
今、確実に見えないクルミが大破した。
「お姉さまに迷惑をかけないように、私が家族にちゃんと言い聞かせます! お金もちゃんと働いて返します! ごめんなさい!」
妹は「だから何かをしてくれ」とアンナに何かを要求することはなかった。
笑顔なのにギラギラした目を向けてくる両親やオリヤンたちの顔つきに比べれば、アンナとよく似た紺色の瞳の奥にはそうした油汚れのようなギラつきが薄いようにも見えた。
だからその後頭部の幼い丸みと相まって、もうそれだけで「しょうがないな」と思ってしまった。
とはいえ、だからといって「許す」とはとても言えないけれど、強張っていた心が「まあいいか」と少しだけほぐれた。
肩の力を抜いたアンナに気がついたのか、イェルド様が微笑んでアンナの手をぽんぽんと叩いてくれる。
床で悶絶するオリヤンと頭を下げ続ける妹から視線を外し、イェルド様が両親たちに向き直って言った。
「聖女という若い希望の花に寄生して養分を吸い上げる、寄生植物のような真似はしないでください。アベニウス王国民でいたいのならば、光合成はご自分で」
必死に頭を下げる妹と、うっと言葉に詰まった両親たちを冷たく見下し、「お兄様の刺す釘は甘いし、抽象的過ぎるのですわ」とエレオノーラ様が聖女のローブの懐から白い扇子を取り出して続けた。
「妹さんの謝罪に免じてこれ以上の追求は致しませんけれど……」と、エレオノーラ様が白いヒールを鳴らして一歩前へと踏み出して続けた。
「いくら元家族であるからといって、まさかアンナさんに迷惑をかけるような真似は、これ以上いたしませんわよね?」
魔王を倒し、魔王の呪いを解呪したエレオノーラ様の圧がすごかった。
もうほんとに、今まさに魔王や呪いと対峙しているかのような迫力が背中から立ち上っている。
そんな覇気あふれるエレオノーラ様が、白い羽根の扇子を顎の下あたりでふわふわさせながら続けた。
「アンナさんへのご用は、ラーゲルブラード公爵家を通してくださる? 王城でも、王都の神殿でもかまわなくってよ。ただし、あなた方のアンナさんへの所業は、勇者を筆頭に我々も、王家も、教会も、すべて把握していることをゆめゆめお忘れなきよう」
エレオノーラ様が身をすくませた両親たちを見据える。
「書類上ではもうすでに縁を切ったはずのあなた方が今日ここに呼ばれたのは、陛下をはじめ式にご出席される方々がその顔を確認したいとおっしゃったからです。――アンナさんをぞんざいに扱う者たちの顔を、一度見てみたいのだとか」
これ以上青くならないだろうと思っていた顔色をさらに青くさせたセーデン家の面々に、エレオノーラ様はフンと鼻を鳴らした。
「あなた方に今後何事かがあっても、そうそう周りの助けなど得られぬことを肝に銘じなさい。だからといって、アンナさんに頼ろうとはしないように。なぜかはわかりますわよね?」
そう言ってセーデン男爵家一同を冷たく見下ろすエレオノーラ様へ、彼らはそろってガクガクと首を縦に振る。
魔王を背負ったエレオノーラ様や無言で自分たちを見つめてくるイェルド様の冷えた態度に対して恐怖から首を振っているだけだとしても、その従順さを引き出した原因のなかには、「所業」と「わかりますわよね?」という言葉に思い当たるものがあるからだということも、その態度から知れた。
アンナへの要求や態度が理不尽であるという自覚が、彼らにも少しはあったのだろう。必要以上に怯える彼らの態度からわかった。
それが悲しかった。
切なくなって思わず溜め息を吐いたら、イェルド様が繋いだ手に力を込めてぎゅっとしてくれた。
たった一ヶ月の間にすっかり馴染んでしまった温かさを、アンナもぎゅっと握り返す。
そして涙が出てしまったのは元家族から透けて見える過去の非情のせいではなくて、イェルド様の手の温かさであったことに、アンナはほっとした。
「ああそれと……妹さん?」
「はっはひぃ!」
「……あなたは、元気な子を産みなさい」
「は、はいいいい!」
「産んだら一応私に連絡なさい」
エレオノーラ様はそう言って、額の痛みにうめきながら青ざめた顔でガクガク震えるオリヤンを見下し、小さく溜め息をついた。
「もしも独りで頑張らざるを得ない事態に陥ったときも、連絡を」
「……っ! あ、ありがとうございます……!」
妹の子供の未来が思ったよりも明るそうなことにも、ほっとした。




