第33話 金の混じった光に照らされて
騎士たちに挟まれて、満足げな笑みを浮かべたスサンナさんがドアの向こうに消えた。
残されたアンナの表情は強張っていた。彼女が残した言葉が頭の中で繰り返し再生されているからだ。
〝差し出した愛と献身を踏みつけて平気な人たち〟
スサンナさんの言葉を聞いて目の裏に浮かんだのは、自分の家族と元婚約者たちの顔だった。
アンナの成果物全てを受け取りながら、それを得るまでの過程を余計なことだと言い放ち、けれどこれからも結果を要求する家族の顔。
「アンナさん」
イェルド様の声に、アンナは視線を上げた。いつの間にか項垂れていたらしい。
「す、すみません、ぼーっとしちゃいました。邪神教徒の暗躍とか、びっくりするぐらいさらっと呪いが解けたと言われたこととか……いろいろあったのに、スサンナさんの言葉にちょっと、というかけっこう身につまされることがあって……なんか……それしか考えられなくって……」
暗に「家族と縁を切れ」と諭されたことに、反発心が生まれなかったことがショックだった。
「他人から見ても、私は家族にそれほど愛されていないようにみえるんだなって、あらためて思い知らされてしまったことが辛かったっていうか……」
イェルド様の言葉のおかげで、自分の中にあった家族や元婚約者たちへの暗くて嫌な気持ちは残っていなかった。それがなければいつかアンナもスサンナさんのように、死なば諸共と暗い気持ちを拗らせていたかもしれない。
けれどアンナの中に家族への期待がしっかり残っていたことを、スサンナさんにまざまざと突きつけられてしまった。
しばらくして妹たちに子供が生まれたら、子供へは誕生の祝福をしようと思っていた。
おそらくそれがきっかけでたぶん少しは顔を合わせることになるだろう。
そうしたら今まで通りとはいかなくても、緩く付き合いは続いていくはずだ。
本当に困ったことが合ったら助け合えるかもしれない。
アンナの気持ちを、彼らがわかってくれる日がくるかもしれない……我知らず、そんなふうに思っていた。
でもそういう考えはおそらくスサンナさんの言うように、与えられることがない家族の愛に縋りつく行為なのかもしれない。
「それを辛いって思うのなら、スサンナさんの言うように、私は変わるべきなんだろうなって、思って……」
私のようにはならないで、とスサンナさんは言った。
それは自分と同じような境遇にいるアンナへの、心からの言葉だったと思う。
アンナが両親と会った日に、スサンナさんが自分のことのように取り乱して腹を立てていたことを思い出した。
家族のために尽くし、報われたくて努力して、ないがしろにされても許してきたスサンナさんの結末は、まるで終末を望む邪神教徒たちのように自らを含めて家族の破滅を望む酷いものだった。
それなのに清々しささえ感じたスサンナさんの笑顔を、アンナはきっと死ぬまで忘れることができないだろう。
婚約者交代とか、次期当主交代とか、そういう出来事が起こるまでは、この年までのほほんと暮らしてきた。だからアンナの家族は、献身の末に死ねと命じるスサンナさんの家族ほど酷いものではないと思いたい。
けれどアンナが生まれてくる子供に罪はないからと新しい家族の誕生を祝福したとて、そしてそれがきっかけで付き合いが続くとして、それがいったい何になるのか。
迷って、悩んで、身を切るような思いで出した決断を、家族はきっと落ちていた木の実を拾うように簡単に懐に入れて忘れてしまうだろう。
アンナの家族は、そういう人たちなのだ。
彼らは当たり前のようにアンナの祝福を受け取って、〝当事者が子供の誕生を祝っているのだから、自分たちの行いは正当なものだった〟と、周囲に説明し黙らせるのに使うだろう。
スサンナさんの家族が当たり前の顔をして彼女に命を差し出させたように、彼らは……アンナの家族は、アンナからならば何をどれだけ吸い上げてもかまわないと思っている。
不貞行為を窘めることなくむしろ推奨していたことや、黙って次期当主を変えたことだけではない。
今までのアンナに対する態度と行いが、家族に対する不信感を〝違う〟と否定することを強く拒むのだ。
「……アンナさんがそれでも家族を信じようとする姿は、私にはとても眩しく映ります」
冷たくなっていた両手をイェルド様の大きな両手で包み込まれて、アンナはぼんやりした紺色の目を瞬かせた。
「それがアンナさんの優しさなのだと思うし、それがなければ今のアンナさんは存在しない。前にも言いましたが、その優しさがなければあなたは王都にいなかったでしょう。そしてあなたが王都にいなければ、輸送部隊がよこしたポーションは全て割れて、私を含め多くの命が失われていたでしょう」
イェルド様の瞳は薄暗い部屋の中で美しく潤み、艶めいていた。
その美しい宝石のような瞳の中で、スサンナさんとそっくりの歪んだ笑顔を浮かべたアンナが沈黙している。
「あなたが変わる必要はありません。あなたはあなたのままでいい。アンナさんの優しさが私を助けてくれたし、世界を救ったのだから」
優しい言葉だった。
悩むアンナを丸ごと肯定してくれるそんな言葉を、思い返してみても家族や元婚約者にかけてもらったことはない。
そういう言葉をくれたのはいつもイェルド様だ。
アンナの中の優しい記憶は、約一ヶ月というこの期間にぎゅっと詰まっていた。
「自分を変えて家族と縁を切るというよりも、自分の身を置く環境を変えるべきだとは思います。優しさや努力をきちんと理解し、正当に受け取ってくれない人たちと一緒にいるのは私だって辛い。自分を顧みてくれない人のためにする努力は、誰だってしんどいです」
アンナの感じている気持ちは何も後ろめたいものはないのだと言われ、鼻の奥がツンと痛んだ。
涙が生ぬるく頬を伝って落ちていく。
「アンナさんのご家族があなたの努力や優しさをいらないというのなら、必要としている人が手に入れたっていいと思うのですが……アンナさんはどう思いますか?」
目を瞬かせてイェルド様を見たアンナに、彼は真剣な顔をして言った。
「どうかこれからの時間を、これまでのアンナさんが頑張ってきた人生ごと、私にいただけませんか?」
まるでプロポーズのような言葉に、アンナはびっくりして声を詰まらせる。
イェルド様は固まるアンナの両手を持ち上げて、その手の甲に口づけた。
「あなたに守られ、救われた私の人生は、もちろん全部アンナさんのものです」
「な……っ!?」
「気持ちが落ち着いたらでかまいません。あなたの傷や虚しさが癒えたらでいいですから、どうかこれからの人生を私と一緒に歩むことを、考えてもらえませんか?」
そう言いながら、イェルド様は手をそっとアンナの目元に添えた。
「でも……ご存知でしょうけれど、」
キラキラした金色の混じった光が、アンナの涙を拭ったイェルド様の手のひらからあふれ出た。
泣きすぎてひりひりと痛む目頭を、光はふんわりと温かく癒していく。
「私は人を癒すのが得意です。アンナさんのその心に空いた穴や傷は、私が全部、癒す予定でいますので」
金の混じった光に照らされて、イェルド様はそれはそれは美しく微笑んだ。
貰った言葉のあまりの衝撃に、驚くほど近くにいた邪神教徒の存在やそれをうまく使おうとする大貴族の汚さ、スサンナさんとの出来事などがすごい速さで吹っ飛んでいった。
確かにまだ心はすうすうと虚しさを訴えているけれど、それ以上に今はイェルド様の言葉が嬉しいやら気恥ずかしいやらで、アンナは心の中でじたばたと動き回る。
その様子はまるで、空気を入れられてのたうち回る人型の風船のようだった。




