第32話 身に覚えのある痛み
二人して顔を真っ赤にしつつ、手を繋いでよっこいしょと立ち上がる。
拘束されたスサンナさんも騎士たちに促されて立ち上がった。
ナイフはもちろん取り上げられて両手を背中で縛られ、念のために魔法封じの鎖を首にかけられた彼女はどう見ても連行される犯罪者の姿だというのに、その顔は満足げにみえる。
そしてもう手を繋ぐ必要がないことに気がついてわたわたするアンナとイェルド様の前で、スサンナさんはぴたりと足を止めた。
歩みを止めないようにと咎める騎士たちを意にも介さず、アンナへ深々と頭を下げた。
「少しも傷つける気はなかったのです。だけど私のせいで怖い思いをさせてしまったことを、深くお詫び申し上げます」
頭を下げたままスサンナさんは続けた。
「全てを私の独断で行ったこととするよう、適当な理由を遺書に記して事後に死ぬよう命じられた時……私は正義感よりも自分の胸の痛みを優先させてしまいました。父の言う通りにどれだけ頑張っても、私は誰にも顧みられることなく死ぬだけなのだと……」
彼女の夫であるルンダール伯爵には、スサンナさんの死後にベントソンの一族から魔法を使える女性を後妻によこすという約束で承諾を得た。
息子は役立たずの母の呪縛にとらわれずに自由に生きたいと言っていて、魔法を持って生まれてくるであろう後妻との子供に相続権を譲って音楽家にでもなりたいのだという。
そう聞かされた時にスサンナさんがどれだけ絶望したか、アンナには痛いほどわかった。
身に覚えのある痛みだった。
「何事も起こさず告発しても、きっと父たちは私のせいにして言い逃れるでしょう。ましてニーマン侯爵に捜査の手など届かない。ならば実際に、聖女様の監禁と殺害未遂の現行犯で捕らえられるしかないと思いました。そうすれば厳しく追及されるだろうと」
ふいっと頭を上げたスサンナさんはアンナと目が合うと、栗色の瞳を大きく歪めて笑った。
「私だけが、こんなにも……つらくて虚しい思いをするのなら、いっそ、全員道連れに……そう思ったのです」
アンナに話したベントソン侯爵家とニーマン侯爵と邪神教徒との関係を、彼女はこれからの取り調べでもっと詳細に語るだろう。
スサンナさんの父親が娘をどう評価していようとも、彼女は王城の侍女頭を務め、第三王子殿下の乳母にまでなった人だ。抜かりなく証拠を集めているに違いない。
魔法を持たない娘を一族の落ちこぼれとしてみていた父親と、妻を目下の存在として扱っていた彼女の夫。父や祖父から軽んじられたことを、全部母親のせいにして逃げようとする息子。
彼らはスサンナさんの命を懸けた強烈な一撃に対して、何を思いどう感じるのだろうか。
「……家族に対して冷たいかしら……でも、そうね……そんなふうに血が繋がった人達の破滅を願う私はきっと、終末を願う邪神教徒と違いはないのかもしれない。だから私も、本当に邪神教徒の考えを歓迎した家族を含めて私たちは全員、邪神教徒なんだわ」
スサンナさんは近衛騎士たちに聞こえるようにはっきりと言いきった。
自分や家族が邪神教徒だと騎士たちの前で言葉にすることで、家族の罪がうやむやにならないように念を押したのだろう。捜査がきちんとされるためのきっかけを作ったのだ。
呪いのことを知っているスサンナさんは、我が国だけでなく諸外国の邪神教徒への嫌悪感もよく知っている。
邪神を崇める教団の中核を担う信徒は世を乱すものとして厳罰に処されていて、一族全員の死刑もあり得る。
まして呪いの中心部分で起こった事件なのだ。
邪神教徒ではないと捜査ではっきり分かったとしても、ベントソン侯爵とニーマン侯爵、その関係者たちへの罰はより厳しいものになるに違いない。
きっとスサンナさんはベントソン侯爵家とニーマン侯爵家の血を引く者全ての処刑が確定しても動じないだろうし、笑顔で自分の首を処刑人へさらすに違いない。
その覚悟に対して、アンナと手を繋いだままスサンナさんに相対していたイェルド様がゆっくりと息を吐いた。暗い覚悟だとアンナも思った。
「アンナさん」
この場でやるべきことを全てやりきった顔をして、スサンナさんがアンナを呼んだ。
「私のようにはならないでください。どうかあなたには、あなたを尊重してくれる人と一緒に生きてほしい」
栗色の瞳をイェルド様に向けて、微笑んだ。
「与えられることがない愛情を乞うために人生を潰してしまうのはあまりに惨めで、痛ましいことだと思います。アンナさんが差し出した愛と献身を踏みつけて平気な人たちとは、縁を切ったほうがいい」
もっと自分が努力したら、もしかして……そう思ってずるずると耐え続けた結果が、これです。
そう言って、スサンナさんはもう一度深く頭を下げた。
「家族の愛を乞うて縋りつくのではなく、お互いに愛を与え合うことができる人と家族になるべきです」
アンナは彼女の言葉の意味を正確に理解した。
そのうえで、理解できてしまったことが悲しかった。




