第31話 渾身の壁ドン
「アンナさん!」
ガンッ!
大きな音を立てて乱暴に扉が開き、キラキラ輝く金髪が滑り込んできた。
その後ろから近衛騎士たちが雪崩れ込んでくる。
言わずもがな金髪はイェルド様のもので、気がついたらアンナは彼の腕の中にいた。
刃物を持った人間の前でイェルド様が呪われた頭髪を無防備にさらしていることに、アンナは戦慄した。
「イェルド様!」
運動神経のよくないアンナにしては最速の反射神経でイェルド様の腕の中から抜け出すと、えっ? という顔をした彼の手を取って引き寄せ、同時に魔法を発動させて結界とアンナ自身の腕で彼の頭を包み込んだ。
左腕でイェルド様の頭を抱え、彼の体ごとくるりと反転しアンナとイェルド様の位置を逆転させる。
バランスを崩して二人一緒によろめいた。
尻餅をついてアンナを見上げるイェルド様を押し潰しそうになって、右手を壁につき膝立ちになって踏みとどまる。
スサンナさんからはちょうどアンナの体が盾になって、イェルド様のことは狙えなくなっただろう。
アンナの腕の中で、ぽかんとした顔のイェルド様が見上げてくる。
「なんでここに! 危ないじゃないですか!」
スサンナさんからはアンナを害そうという気配は全く感じなかったが、狙いは最初からアンナではなくイェルド様だったのかもしれない。
アンナを排除せよと指令を受けていたというが、世界の混乱を狙うのならば、アンナではなくイェルド様の黄金に輝く頭髪をチョキンと切ったほうが早いし正確なのだから。
終末を望むニーマン侯爵と、それに追随するしかないベントソン侯爵にはそのほうが都合がいい。
そしてそちらのほうが、スサンナさんにとって褒められる可能性があるだろうと、アンナは思った。
今まで一度も自分の価値を認めてもらったことがないという父親に。
アンナが囮でイェルド様が駆けつけてくるかというと、それは大いに賭けだったとは思うけれど、彼は救世の英雄である。世界を守るために魔王に立ち向かった人たちのうちの一人なのだ。アンナの非常事態を無視して一人だけ逃げるような人ではない。
何かしらのアクションを起こすだろうことは想像に難くない。イェルド様がアンナを探しに来て庇うことを想定していたのかもしれないではないか。
もしかしたら殺る気に満ちたスサンナさんにアクセサリーを引っぺがされてぶすりと刺され、今ごろ虫の息だったかもしれず、探しに来てくれたのは本当に嬉しいし、ありがたい。
だけどそのせいでちょっとでもイェルド様が怪我をしたり、まかり間違って世界が滅んでしまったとしたら、アンナは後悔と絶望で死んでも死にきれない。
「私が絶対に守りますからね! アクセサリーのおかげで私は今、全身結界人間ですので! イェルド様を傷物になんかしませんから!」
震える手を叱咤して、盾になったアンナの体の外にはみ出してしまっているイェルド様の長い足をアンナの肉盾の中に収納する。
膝を三角形に立ててアンナを見上げることになったイェルド様が、どこかあっけにとられたような顔をして言った。
「あ、ありがとうございます……ですが呪いはもう解けましたので、急な毛刈りにあっても世界は無事です」
「え! 解けたんですか?!」
そういわれてみれば艶と輝きが最高値を叩き出しそうなイェルド様の金髪を見つめると、彼は両膝を抱えて座ったままこくこくと頷いた。
「今日の分の解呪を終えて部屋に戻ったらアンナさんがいなかったので……これは何か、よくないことがあったと思って……」
呪いに関わることについては、関係者全員の行動全てを管理されていた。もちろんアンナのことも偉い人たちによって把握されている。
だから解呪を終えて帰ってきたイェルド様をアンナが出迎えない、という時点でおかしいといえるのだ。
徹底的に管理されているので、そこにいるはずの人が――つまりアンナとスサンナさんがいない、というだけで非常事態とみなされる。
「急いでエレオノーラを呼び戻し、あと少しだった解呪を終わらせました。あなたに何かあっても、呪われたままでは守るどころか駆けつけることもできませんから」
予定ではあと数日かかるだろうと聞かされていたのに、ずいぶん無理をしたらしい。
エレオノーラ様は疲れ果てて失神するように眠ってしまったというし、イェルド様自身も体力を消耗しているように見える。
なんの危機感も抱かず、ぽややんとスサンナさんの言う通りに後をついていってしまった自分が情けない。父との面会がすんなりと許可されていたので油断した。
必ず同行するはずの騎士の姿がなかったことに、もっと疑問を持つべきだったのに。
「すみません……私が浅はかな行動をとったばっかりに、無理をさせてしまいました」
後悔にうめくアンナを見上げたイェルド様は、いいえ……と首を振った。
「アンナさんの結界と、二人を探してくれる騎士たちの能力は信じていたのですが、私があなたと一時も離れていたくなくて逸ったのです。結局守るどころか守られてしまったし、……でも、あの……」
アンナの腕の中で、イェルド様の大天使の輪が緩やかに光る。
彼の陶磁器のような白い頬が桃色に染まり、アンナを見上げたロゼゴールドの瞳が彩度を上げて潤んだ。
「すごく、かっこよかったです……」
照れたように小首を傾げて言うイェルド様があまりにも可憐で、アンナは瞬間的に上を向いた。
非常事態だというのに、開けてはいけない扉を開けてしまいそうになったので。




