第22話 寝取るほど立派に……
両親との衝撃的な話し合いから、十日経った。
イェルド様の呪いも邪神教徒たちも、どうやら決着に近づきつつあるようだ。
各国の邪神教徒たちは拠点を暴かれ、中心人物が次々と捕縛されている。
時折外で買った庶民向けのお菓子を手土産にやって来るエドガー様が教えてくれた。
邪神教徒たちは着実に消滅へと追い込まれている。
せっかく魔王が滅んで世界が平和へと向かっているというのに、邪神という存在を引っ張り出してきて再び世界を不安に陥れようとする邪神教徒たちの考えが、アンナにはわからない。
いっそ世界など滅べばいいと、そこまで追い詰められている人が多いということなのか。
そういう人たちがすがる邪神という存在は、拠点を潰し主導者を処したとして果たしてこの世から永遠になくなるものなのだろうか。
(私がこんなにつらい思いをしているのだから、いっそみんなも、私と同じように……)
鍋底にこびりついた汚れのようなその考えを、頭を振って追い払う。
自分が大きな闇にのみ込まれそうだった両親との話し合い。あの場面を思い出してしまって、アンナは短く溜め息をついた。
親しい人を亡くしたり故郷を追われたりした人たちが、自分だけが不幸なことが受け入れられないというのは、アンナにもわかる。
だからといってせっかく不幸の元凶が倒されたというのに、また終末を望むことは絶対に違う。
髪の毛といい宝石のようなロゼゴールドの瞳といい、思わず拝みたくなるような美しい顔といい、窓辺にそそぐ日差しのように温かな思考といい、存在自体が光の塊のようなイェルド様が今はアンナの隣にいない。
そのせいでアンナの思考は少し暗くなっているのかもしれない。そしてまぶしさに慣れてきている自分がちょっと怖い。
最近さらにキューティクルが艶々になってきたイェルド様は、今日も別室でエレオノーラ様の解呪を受けている。
イェルド様の左手の代わりにアンナが手にしているのは、両親が置いていった手紙である。
白地に金箔の散ったおめでたい封筒。捨ててしまおうと思ったけれど、できなかった。
家族と婚約者(と、その家族)がアンナにした仕打ち、これからしようとしている仕打ちは第三者から見ても酷いものだと思う。
その場にいたスサンナさんなど、その上品なお顔を鬼のように歪ませるほど怒っていた。
謝ってほしいとか、やっぱりアンナの行動を認めてほしいとか。そういうことを考えなかったわけではないけれど、あの日の夜にイェルド様がそっと癒してくれたから、今はこれまでのことよりこれからのことを考えたいと思うようになった。
話し合いの場でも思ったように、今まで通りに稼いだお金を故郷に送るという選択肢はない。
悔しい気持ちももちろんある。
だけど領地が立ち直り畑からの収入が安定しても、これまで通りアンナのお金をそれに足して予算とするのなら、もしもアンナが何かの拍子に死んだ場合彼らは立ち行かなくなるだろう。それで困るのは領民なのだ。
領地以外からのお金を当てにせずに領地経営を目指すべきだと思う。
両親は元気でまだ代替わりということもないだろうし、妹や婚約者……元婚約者のオリヤンだって次期当主夫婦となるというのなら、立場にふさわしい勉強をこれからするはずだ。
父が危機の際に何もしていなかったというのは気にはなるけれど、魔王は倒されてある程度薬草畑も持ち直している。非常事態というほどのことではないのだから、何もしなくともぼちぼちやっていけるだろう。
アンナが頭を悩ましているのは、この結婚式の招待状をどうしようかということである。
なんだかんだいって血の繋がった妹の結婚式である。
相手が自分の婚約者だった男というのが本当に意味がわからないけれど、〝妹の結婚式〟というだけならば、行って祝福するべきではないのか、と。
新婦の親族である姉が結婚式欠席。
新郎の元婚約者が結婚式に出席。
この場合は、はたしてどちらがマナー違反で非常識だととがめられるのだろうか。悩ましい。
母は「妹の結婚式なのだから出席してほしい」というようなことを言っていたけれど、もしも出席した場合、結婚式ではおそらく招待客のほとんどが顔見知りばかりになるだろう。
セーデン家の親戚、付き合いのある貴族、オリヤンの家族のユーン伯爵家の親戚のこともよーく知っている。
妹の友達だってオリヤンの友達だって、付き合いの濃淡はあれどみんなアンナの友達でもある。
そして彼らはみんな――お互いの領地の領民ですら、妹の結婚相手がアンナの婚約者だったことを知っているのだ。
そこにのこのこと出席して、新婦の姉として祝福し、「お父様、お母様、お姉様、立派に育ててくださってありがとうございました」という新婦のスピーチを聞いて、感動した顔をしなくてはいけない。
それを聞いて出席者のほとんどが「立派に育った結果、姉の婚約者を寝取ったのか……」という感想を持つであろうことは想像に難くない。
そして寝取られたアンナへ注がれるであろう、参加者たちからの憐憫の(もしくは好奇、嘲りの)視線に耐えなくてはいけないのだ。
控えめに言って、けっこうな地獄である。
少し考えただけで胃がむかむかするような居心地の悪さを覚えるというのに、妹やオリヤンは平気なのだろうか。
手に持った招待状は万年金欠の貧乏男爵家にしてはしっかりとした厚手の封筒で、良い紙を使っていた。彼らの本気がうかがえる。
つまり彼らは姉の元婚約者と妹との結婚式を大々的に行おうとしているし、出席者からの祝福を問題なくもらえると、かなり本気で思っている。
「それ以前に席が埋まるかしら……?」
「評判が良い姉が亡くなったわけでもないのに、その姉の婚約者の相手がなぜか妹に変わっている結婚式など厄介ごとの臭いしかしません。わしなら式の参列は使者を送って終わりにしますな」
アンナの独り言を拾って答えたのは、目に眩しい真っ白な祭服を着て温和な笑みを浮かべる司祭様だ。
『髪を守る会』の会員でもある、王都の神殿の司祭様であった。




