第20話 震えが止まらない
両親との間にあった、昼の出来事を話した。
自分の婚約者が妹の結婚相手に決まっていたことを突然知らされた驚きと、二人に対する憤り。混乱。悲しみや胸の痛み。
感情があっちへ行ったりこっちへ行ったりしてしまうアンナの話を、イェルド様は頷き、相づちを打ちながら聞いてくれる。
急かさず、邪魔をせず、ただ穏やかに聞いてくれるイェルド様の態度に安心し、アンナは途中からぼろぼろと涙をこぼしてしまった。
結界を張るためとはいえ、手を繋いでベッドに二人並んで寝転びながら、というのもよかったのかもしれない。暗くて、ふかふかのお布団にくるまって、温かくて、お互い以外が誰もいない空間。
人の目を気にしなくてもいいというのは、気を張っていたアンナにとってとても気が楽で居心地が良かった。
なにより涙と同じようにぽろぽろこぼれるアンナの話を遮らずに、うん……うん……と聞いてくれるイェルド様がいることが、やっぱりとても心強かった。
アンナの言葉を何ひとつ聞いてくれずに大事なことを決めてしまった家族との、出会い頭に切られるような会話をしたあとでは特に。
全てを聞き終わったあと、イェルド様は繋いでいたアンナの右手にもう片方の手を添えた。
イェルド様の優しい態度と温かい手が、さらにアンナの涙腺を刺激する。アンナはグズッと鼻をすすった。
「そっかーって、思いました……。私は、婚約者にとって薄情な女で、家族にとっては頼んでもないのに王都に働きに出て全然帰ってこない、恥ずかしい娘で……」
家族やこれから夫婦になろうという人に、そんなふうに思われていたなんて全く知らなかった。気付きもしなかった。
アンナのそういう鈍感さが彼らにとっては恥ずかしく、薄情に思えたのかもしれない。
「けどあの時、私が王都に出稼ぎに来なくちゃ、我が家の財政破綻は間違いなかったんです。でもそれが家族にとって疎ましいことだったなら、私は……っ、私は、どうすればよかったの……?」
そこまでアンナに不満を抱いていたのなら、どうして注意してくれなかったのだろう。
最初に王都に行くと両親に告げた日でもいい。行ってからでも手紙をよこしてくれたら、何か違うことで財政を立て直す方法を家族と一緒に考えただろう。
妹も……アンナの不在で婚約者が一人でいる状況を憂いていたのなら、妹自身が婚約者へ接する前に、そう言ってくれればよかったのだ。
お姉ちゃんの行動ははしたないし、オリヤンさんへの態度はすごく薄情だと思う、と。
だからといって、自分が彼を慰めると堂々宣言されても困ってしまうが、それでも自分の態度を改めようとは思っただろうし、真剣に当事者で話し合いもしただろう。
その結果、場合によってはアンナだって納得して婚約者の変更に頷いただろうに。
もともと婚約者とアンナの間には、幼馴染みの延長線上のような穏やかな情はあっても、妹たちのように婚姻前に子を授かるほどの情熱はなかったのだから。
婚約者だってそうだ。
そんなにアンナと会えないことが不満で、相手をしてくれたという妹に心を移してしまうくらい追いつめられていたのなら、そう告げてくれればよかったのに。
手紙をよこすどころか、アンナが送った手紙やプレゼントの返事すらなかった。
反応が無かったことこそが、アンナへの返事だとは思わなかった。
まさかそのことで全てを察して、〝もしかして心移りしていますか? 私のことを恥ずかしいと思っていますか?〟と、こちらから聞かなくてはいけなかったとでもいうのだろうか。
確かに王都での仕事にはやりがいを感じていたし、友人もできた。
救世の英雄たちの凱旋パレードを見に行ったように、同僚の結婚式などのイベントにも時間とお金をやりくりして顔を出していた。
でもそんなささやかな楽しみなんかより、アンナにとっても領地で家族や婚約者と一緒に過ごす日々のほうが何倍も幸せだということはわかっていた。
「私だってこの五年間ずっと寂しかったわ……。領地がしっかりしていれば私だって、家族と、オリヤンと一緒にいたかったのに……!」
アンナのそうした思いも、頑張った五年間も、家族や婚約者自身に全部否定されてしまった。
ぐっと涙をぬぐった左手で、アンナは顔を覆った。
「それは……」
泣き止みたくて息を整えるアンナの肩を、イェルド様が手を伸ばしてぽんぽんと叩いてくれる。
「とても、虚しかったですよね」
「……っ!」
そうだ。その通りだ。
イェルド様の一言に、アンナは震えるほど衝撃を受けた。
昼間のことは当たり前だが悲しかった、つらかった。
妹と婚約者の不義理に憤りもしたし、その不義理の原因が全部アンナにあると責め立てる両親には腹が立った。
けれど何よりアンナの感情をぐちゃぐちゃにしたのは、アンナの王都での五年間を、両親や家や領地への献身を、よりによってその全てを捧げた家族が無駄で恥ずかしいことだと断じたことだ。
そしてそのせいでアンナの存在自体が、家族にとって無駄で、恥ずべきものになってしまったことだった。
「私の存在は、そんなにも無価値で恥ずかしいものなのかって……思ったら、もう、たまらなく悲しくて……消えてしまいたくて……情けなくて……」
虚しい。
顔を覆った左手の下で、唇とまつ毛の震えが止まらない。
アンナという存在が、アンナとして生きてきた全ての時間が嗚咽や涙にこぼれ出て、なくなってしまえばいいのにとすら思った。




