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7R お好きな馬はどの子?

 年に二回開催される天皇賞のうち、春の方。GⅠで最も長い距離を走る天皇賞(春)。圧倒的な実力を見せつけてアルテフェリーチェが春の盾を手に入れた。有馬記念、大阪杯に続く勝利であり、勢いそのままに全人未踏の春古馬三冠が見えて来た。そのあまりにも強すぎる姿に、人々は恐れを為した。あの馬に敵う者がいるのだろうか、と。


 そんな現役最強アルテフェリーチェの話題で持ち切りになっている競馬界に、今年もダービーの開催時期が迫って来た。


 五月。毎週GⅠが開催される月。亜由美が衝撃的なダービーを見てから、もう少しで一年になる。


「駒村さん!」


 昼休み。亜由美がお弁当を突いているといつものように香奈がやって来た。うきうきした様子でチラシをデスクに置く。


 香奈が応援しているエイアイバイレは京都新聞杯を制し、ダービーへの出場を決めた。その週明けは非常にテンションが高く、お局的な立ち位置にいる上司が厳しい目で睨み付けてもお構いなしといった様子だった。それに加えて、先日のヴィクトリアマイルでシュクルリーヴルが二着と健闘。三月のドバイ遠征では見知らぬ外国の馬達に囲まれて実力を発揮できなかったが、国内ではやはり強い。初対戦となるマイル実力者の先輩牝馬達との激しい接戦を繰り広げた。つまり、香奈はここ最近ずっと気分が良さそうである。


 デスクに置かれたチラシには『宝塚記念ファン投票』と書かれている。亜由美はチラシから顔を上げ、香奈を見る。


「ファン……投票?」

「来ました。今年も来ました宝塚記念の投票が」

「投票って有馬記念でやってたやつ」

「そうです」

「宝塚記念もそうなんだ」

「有馬の時に教えた気もするんですけど。駒村さんはどの馬に投票します?」


 どの馬……。亜由美は呟きながら再びチラシに目を落とす。ファンからの投票で選ばれた馬に優先出走権が与えられる宝塚記念。「この馬に出てほしい」と言って投票する者もいれば、「距離や日程的にたぶん出ないけど好きだから」と言って投票する者もいる。


 亜由美が知っている馬の名前は、最推し皐月賞馬ムジークヴィント、現役最強馬アルテフェリーチェ、香奈の推しである昨年のオークス馬シュクルリーヴル、そしてダービーでライバルになりそうなエイアイバイレ程度である。


 香奈に言われてムジークヴィントの出走しないレースもいくつか見たが、強く印象に残る馬はまだあまりいなかった。どのレースで勝ったどの馬も立派な存在だ。しかし、亜由美はまだ香奈ほど競馬に熱心なわけではないので、ムジークヴィント以外はまだ「すごく強い馬」以上の認識には至っていない。まだ詳しくないゆえに、何頭も何頭も名前を憶えている余裕がない。


 宝塚記念には三歳の馬も出走できるが、実際に出走する馬はさほど多くはない。ムジークヴィントに投票したところで彼が宝塚記念の舞台に登場することはおそらくないだろう。


「十頭まで選べますけど、別に埋めなきゃいけないわけじゃないですからね。ヴィントくんとか投票すればいいと思いますよ」

「出なさそうな子に入れてもいいのかな」

「全然大丈夫ですよー。わたしダートの子にいれことありますもん」

「えっ、いいのそれ……」

「まあ下の方の順位だったんで別に……。でも、わたし以外にもこんなにたくさんこの子のファンがいるんだなー、っていうのが可視化されててちょっと面白かったですね」


 亜由美はチラシに書かれている説明に目を通す。自分以外にムジークヴィントに投票する人はどれくらいいるのだろうか。少し、気になった。ホープフルステークスと皐月賞を勝っているムジークヴィントは世代最強かもしれないと言われている注目馬だ。ファンは亜由美が思っているよりもずっと多いだろう。


 サンドイッチを食べる香奈と並んで座ってチラシを見ていると、外に昼食を食べに出ていた智司が戻って来た。自分の席に座っている香奈の後ろから覗き込むようにして顔を出す。


「駒村さん、芝崎ちゃん、何か作戦会議?」

「あ! 鞍田さん! 鞍田さんも一緒に考えますか?」

「ちょっと、芝崎さん……」

「何? 本当に作戦会議なの……?」


 香奈は智司に宝塚記念ファン投票のチラシを見せる。


「馬の写真だ! 宝塚……きね、ん……? 投票?」

「鞍田君困ってるよ!」

「駒村さんと芝崎ちゃん、競馬とか見るんだ」


 おじさんみたいって言われたらどうしよう! 香奈に競馬が気になることがバレた時と同じ焦りに、亜由美は襲われる。智司は少し驚いた様子でチラシの説明に目を通している。


 やがて、説明を読み終えた智司が口を開く。「お」の形になっていく口を見て、亜由美は覚悟をした。言われる。おじさんみたいだ、と。


「面白い? 俺、あまり詳しくなくて。二人がいつも盛り上がってたのって競馬だったんだ」

「お、おじさんみたいだって思わない?」

「思わないよ。時代劇好きな若者とかゲーム好きなお年寄りとかもいるし。それでこれは……投票? 好きな馬に投票するの?」

「おぉ! どの子に入れるか考えましょうよ鞍田さん!」

「鞍田君を巻き込んじゃ悪いよ」

「誘われたら気になるな。教えて芝崎ちゃん」

「はい! 教えます!」

「えぇっ!?」


 困惑している亜由美の前で香奈は丁寧な説明をし始めた。智司は興味深そうに話を聞いている。


 このまま智司まで競馬沼に引き摺り込んでしまったらどうしよう。智司には彼女がいるのだから、他の女と仲良くしたり競馬にハマったりしては良くないのではないか。膨らむ不安に押し潰されながら、亜由美は改めてチラシを見る。


 投票できる枠は十個。ある程度知っている馬は数頭しかいない。空欄があっても大丈夫とはいえ、空欄で提出するのはなんとなく嫌だった。小学生の頃から、亜由美はテストの答案をなるべく埋めるようにしている。アンケートなども同様だ。


 全部を埋めるのは難しいかもしれない。それでも、今知っているより少しだけでも多く馬の名前を記入しよう。亜由美はチラシにスマホのカメラを向け、全体を撮影した。





 帰宅後、亜由美はダービーの出馬表を確認した。それから、直近のGⅠの結果を検索する。名前を憶えていない馬達のことを知ろうとしたのに、ついつい皐月賞の映像を繰り返し再生してしまう。


「あぁっと、いけないいけない。……えーと。……アルテフェリーチェが二回出て来るな……」


 大阪杯と天皇賞(春)を見返す。


 アルテフェリーチェの走りからは目が離せない。あまりにも強く、あまりにも美しい。この馬を下した馬が二頭いるという事実に亜由美は震える。


 昨年の皐月賞と菊花賞を検索する。アルテフェリーチェをそれぞれ二着に抑えて優勝した馬のうち、皐月賞馬は今年の初めに怪我で引退してしまった。菊花賞馬は海外転戦中で国内にいる間は休んでいることが多い。宝塚記念に出走することはなさそうだが、投票できるのは菊花賞馬の方だけのようだ。


「名前は……アオハルキネマ……。青春映画ってことかな。爽やかな名前だ」


 アオハルキネマの名前をメモして、次に亜由美が開いたのはついこの間のオークスの結果が表示されているページだ。ムジークヴィントとエイアイバイレの同期である乙女達の戦いの結果である。


 今年のオークス、着順表の一番上に輝く優勝馬の名前はミスフローリア。どこかで見聞きしたような気がして、亜由美はミスフローリアの詳細を調べる。オークスの中継で見たからではない。別のところでその名前を見た気がしたのだ。


 辿り着いたのは、彼女の競争成績である。昨年の七月、ミスフローリアのメイクデビュー。一着になった彼女の名前のすぐ下に二着になった馬の名前が載っていた。


 ムジークヴィント。


 あの日、亜由美がムジークヴィントに視線も意識も心も持って行かれた日。観客に祝福されていた、一着になった馬。それがミスフローリアだった。


「活躍してるんだ、あの時ムジークヴィントに勝った子……」


 初めてのレースで戦ったミスフローリアと再び相見えることはあるのだろうか。今はクラシック三冠と牝馬三冠それぞれのレースを選んでいるのでしばらくは遭遇することがないが、いずれ再戦することはあるかもしれない。


「それこそ……来年の宝塚で当たったりして」


 いつかのリベンジを夢に描きながら、亜由美はミスフローリアの名前もしっかりと書き残した。

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