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最終話

 俺が出向いたのは、二年二組の教室だった。


 夜なのだから本来、教室は鼻をつままれてもわからないぐらい真っ暗なはずだ。だが目が慣れたからなのか、ゲームの世界だからなのか教室の中は青黒く机や椅子、中央に佇む人影もわりとはっきり見える。

 教室の中心に立つその人影に、俺は話しかける。


「薔薇の花言葉は、相手に贈る本数によってその意味が変わる。『一目惚れ』を意味する薔薇の本数は、一本だ。そして『枯れる』というのは、植物にとっての死。つまり、一番初め二年二組の人間が死んだ、この場所のことを指してるんだ」


 そして実際、その推理は当たっていた。こちらに顔を向けるその少女に、俺は尋ねる。


「君が、黒幕か」


「そうだよ。でも、さすが黒葉くんだね。ゲームに出てこなくても、わかっちゃったか。まぁ、私が適当に作った難易度低めの暗号だからね。仕方ないか」

 悲しそうに微笑む森アザミの姿が、月に照らされていた。。


「ここはゲーム『アジサイの咲く季節』の世界で、私たちは全員その登場人物。メインキャラもモブキャラも、全員がそれをわかっていた。乙木颯も蝶野瑠璃も石黒小百合も、みんなね」


 教室の明かりをつけ、「全てを話してあげる」と語った森アザミは俺に机に座るよう勧めた。教室の椅子の一つ、自分の席に座った俺の向かいに、森アザミが机を挟んで座る。

 森アザミの表情はどこまでも冷静で、とても今から主人公と対決しようとしている黒幕だとは思えない。だが、その落ち着きが逆に不気味だ。彼女の目的は何なのか、どうして俺は異世界転生してこのゲームの世界へとやってきたのか。じんわりと冷や汗をかく俺の前で、森アザミは説明を続ける。


「私たちは『アジサイの咲く季節』のストーリーを演じるためだけに生み出された存在で、プレイヤーを観客として見ることができる。作中で死んでもプレイヤーがゲームをクリアしてデータをリセットしてくれれば、全員何事もなかったように生き返る。たぶん、このゲームだけじゃなくてこの世にある全てのゲームのキャラクターがそうなんじゃないかな。そうやって死んだり生き返ったりを繰り返しながら、私たちは物語を作り出していくの」


 今までプレイしてきたゲームの全てのキャラに意思があり、その上で物語のシナリオ通りに動くことを使命としている。考えてみると、恐ろしい話だ。ゲームキャラの中にはプレイヤーの都合で理不尽に殺される者や、ぞんざいに扱われる者も数多くいる。その全員が実はプレイヤーを客として見ながら、さもプレイヤーの命令に忠実に動いているように振る舞っていたと思うと背筋が凍る思いだ。そんな俺の内心を見越したのか、森アザミは軽く微笑んでみせた。ゲームで見慣れたそれとは違う、意味ありげで謎めいた笑み。その表情に引き込まれた俺に、森アザミはさらに語る。


「二年二組のクラスメートはみんな、なんだかんだこの『アジサイの咲く季節』の世界を楽しんでいた。主人公に絡んで物語を進める時以外は自由に学園生活を送って良かったし、死んだら死んだで物語が終わってまた始まるまでゆっくり休むことができた。だけど私は、頭の中に虫が飛ぶようになったの。それ以来、ときどき『私はこれでいいのか』って考えるようになった。周りのみんなは誰もそれを理解してくれなかったけど、ずっとそうやって考えているうちに、いつのまにかゲームのストーリーに介入できるようになった」


 森アザミの、頭の中の虫。それはひょっとしてシステムとしてのバグのことだろうか。


 バグの語源は英語の「虫」から来ている、と担任が話しているのを聞いたことがある。それがゲームキャラである森アザミの目には比喩的表現ではなく本物の虫に見える、ということだろうか。そうでなければゲームの中とはいえ意思を持っていた彼女に、神や悪魔が何かしらの気まぐれを起こしたか。原因は何であれ、とにかく森アザミは他のキャラが持たない力を持つようになった。ゲームのキャラクターが、ゲームに介入できる力を持つ。それはゲームの世界の中では、何もかもを可能にする最強の能力と言えるはずだ。


 まさか、森アザミはその力を使ってこのゲームの世界を支配しようとしたのだろうか?


 だが彼女はそんな野心的な表情を見せず、俺の方を真っ直ぐに見つめる。


「私の望みはただ一つ。あなたと一緒にいることだった。この『アジサイの咲く季節』のゲームを何度もプレイしてくれた、佐藤圭介さん。あなたにとって私は、ただのメインキャラクターの一人かもしれない。だけど私は、あなたを愛した。この世界で『黒葉ミナト』の体を借りてとはいえ唯一、自由に生きられるあなたに憧れを抱き、それがやがてあなた自身への愛情へと変化していった」


 佐藤圭介。黒葉ミナトになってからは決して呼ばれることなどないと思っていた、生前の俺の名前。それを森アザミは、慈しみを込めた響きで呼んでくれた。

 俺を見つめる森アザミの目は、水晶のように真っ直ぐで一点の穢れがない。しかし冷たさはそこに全く感じられず、むしろ闇夜を優しく照らすランプのような温かさを持っている。その目はきっと、ありきたりな言い方をすれば「愛で満ちあふれている」と表現されるものなのだろう。


 潤んだ瞳に俺の姿を映しながら、森アザミはさらに続ける。

「だから、あなたが向こうの世界で死んだのは胸が潰れるぐらい悲しかった。本当に、この世の終わりが来るんじゃないかと思ったほどにね。他のメインキャラクターのみんなは、そんな私を慰めてくれた。でも、私はどうしてもあなたを失いたくなかったんだ。だから私はあなたの魂を、このゲームの世界に引きずりこんだの。そして一番キャラクター自身の意思が薄く、プレイヤーが思い通りに操作することのできる主人公、『黒葉ミナト』の中にその魂を入れ込んだ」

 話を聞いているうちに、俺の心のもやが徐々に晴れていく。


 つまり俺が異世界転生してこの『アジサイの咲く季節』の世界にやってきたのは偶然でも奇跡でもない。目の前にいる、森アザミの仕業だったのだ。彼女は俺を、プレイヤーとしてこの物語の世界に飛び込んできた俺を一人の人間として愛してくれた。そしてそれゆえに、俺が消滅するのを恐れてこの世界へと俺を取り込んだ。おかげで俺は消滅せずに済んだが、それだけでは片付かないことがある。森アザミはさらに口を開き、俺の疑問を解消すべくさらに説明をする。


「だけどね。あなたも知っての通り、この世界で二年二組に所属した人間は四片マリの呪いによって殺されてしまう。だから私は、蝶野さんを殺したの。黒幕である彼女さえいなくなれば、呪いが出てくることはなくなると思っていたから。そうなれば物語は平和になって、呪いも死もない平和で穏やかな学園生活を送ることができると思っていたから」


 ゲームのシナリオに介在できる彼女にとって、怪力のいる殺し方や不可解な殺し方をすることも簡単なものだったのだろう。


 蝶野瑠璃が死んでしまえば、否が応でも四片マリが蝶野瑠璃に取り憑くことはなくなる。だから森アザミは、誰がどう見ても「死んでいる」とわかるような方法で蝶野瑠璃を殺したのだろう。こうすれば呪いはなくなる、『アジサイの咲く季節』の本来のストーリーは始まらず平和な日常だけが続く。そう、森アザミは考えていたはずだ。

 だけど、と森アザミは続ける。


「この『アジサイの咲く季節』は四片マリの呪いを解決する物語で、呪いがなければ始まることがない。だから四片マリは登場人物の一員である、というより舞台装置という位置づけをされていた。彼女は自分が呪い殺した人間たちの怨念も含めて、もはや恨み以外の感情を持たない災厄と化している。だから、蝶野瑠璃を殺したとしても彼女は消えることがない。代わりに、蝶野瑠璃を殺した私に取り憑いたの」


 その瞬間、森アザミの背中に何か灰色の影がちらりと見えた。それは一連の呪いを引き起こした張本人、四片マリの姿だろう。


 森アザミの言葉が本当であれば、四片マリはもはや自分の意思を持たず二年二組の人間を呪い殺す「システム」として存在しているわけだ。それはこの『アジサイの咲く季節』の根幹を為すものであり、それを消すことはさすがの森アザミにも不可能だったのだろう。


「でも、私は諦めなかった。取り憑かれたなら、いっそ利用してしまえばいい。そう思って、私はあなたが四片マリについて調べるのを邪魔することにした。一緒に過ごしてきた仲間を殺すのは私も本当は辛かったよ。だけど、それでも私はあなたをどうしても守りたかった。あなたと一緒に過ごす日々がほしかった。だから私は、殺していったの。雨水蓮も沢木キョウも、みんな」


 話を聞きながら、俺は今までのことを思い起こす。


 次々と死んでいく、俺のクラスメートたち。その死のタイミングが今思うとどうも都合が良すぎる。俺が何か手がかりを見つける度に、それを邪魔しようと死んでいくのだ。それはきっと、森アザミが密かに俺の動向を監視しながら絶妙なタイミングでメインキャラクターたちを殺害していたからだったのだろう。


「私は他のキャラクターたちから怯えられ、恐れられるようになった。けど乙木くんだけは違ってね、黒葉ミナトとしてのあなたに協力することで私を止めようと考えていたんだ。藤崎くんもそれに賛同して、二人してあなたの手伝いをした。二人が死んだらあなたも悲しむだろうから、できるだけ二人のことは生かそうと思ってた。特に藤崎くんはね。美術室だって、本当は乙木くんの方を殺そうと思ってたの。だけど藤崎くんはこの先、乙木くんがあなたの手助けになると思ってたのか、あなたと乙木くんを庇って死んでしまった。それについては、申し訳ないことをしたと思ってる。本当だよ? でも、私はどうしても阻止しなければならなかった。あなたと過ごす日々のために」


 森アザミの言葉に、俺は乙木の言動や行動を思い出す。


 乙木は俺がゲームをクリアし、この世界がリセットされることを望んでいたんだ。そうすれば森アザミの暴走は止まり、元の世界に戻ると考えていた。だから俺の呪いの調査に最初から無愛想にだが協力していたし、藤崎も積極的に誘うようにしていたのだ。乙木の、「絶対に呪いを解く」という決意は自分自身のためだけではない。このゲームの世界を守るため、そして他の登場人物たちを守るためでもあったのだ。だが、最後の疑問がまだ残されている。


 森アザミが望む、「俺と過ごす日々」とは一体何なのか。彼女の最終目的は、一体何なのか?


 森アザミはまだ困惑している俺に向かって、さらに言葉を重ねる。


「ご存じの通り、この『アジサイが咲く頃に』は呪いが解けずクラス全員が死亡した場合はゲームオーバーになる。だけどその判断基準はあくまで『クラス全員が死亡したこと』だから、誰かが生きていればゲームオーバーにならないの」

 そこで森アザミは一度深呼吸をすると、真剣な表情で俺に語りかける。人生最大の決断を問いかけるような、重い表情。その形のいい唇が、静かに動く。


「本来このゲームの世界の人間ではないあなたは、このゲームの『黒葉ミナト』というキャラクターに無理矢理魂を定着させている状態。だからゲームをクリアすることで今までのデータがリセットされてしまえば、黒葉ミナトはもともとこの世界にいた『アジサイの咲く季節の主人公・黒葉ミナト』に戻ってしまう。つまり、今ここにいるあなたは消滅してしまうの。けれど、ここで四片マリを成仏させずに帰ってしまえばゲームクリアもゲームオーバーもしなかったことになり、永遠にこの世界にいられる。だからお願い、このまま帰って、私と一緒にこの世界にいて。一緒に、『アジサイの咲く季節』の世界の中で、永遠に生きていきましょう」


 四片マリの呪いを解く方法は簡単で、黒幕を介して彼女の魂に花を捧げればいい。

 主人公は生前、人々の冷たさに苦悩し命を落とした彼女の心を癒やす、最高の花を渡す。その花を贈った上で彼女の苦しみを理解し、その魂を解放する言葉をかければ四片マリは成仏して二年二組にかけられた呪いは解けるのだ。


 問題の花は、選択式でプレイヤーが選ばなければならないことになっている。正解の花は一つだけで、間違ったら即ゲームオーバーだ。だが今までの選択肢と違って今回はどのストーリーを進んでも正解は同じであるため、既にこの『アジサイの咲く季節』をクリア済みの俺は問題なく正しい花を選ぶことができる。


 森アザミも当然それを知っていて、その上で俺に選択を投げかけているのだ。ここで俺が正しい花を贈れば四片マリは成仏する。代わりに今の俺は消滅し、一度免れた死を再び迎えることになるのだ。


 俺は、自分の足下が崩れ去るような不安を感じる。死ぬのは嫌だ、死ぬのは怖い。誰だって、それは同じのはずだ。だが、藤崎も乙木もみんないなくなった世界で、俺はその死を引き起こした張本人と生きていくのか? いつ終わるともわからない時間を、このゲームの世界で生きていくのか?


 目の前の森アザミは、真摯に俺を見つめている。その瞳に濁りはないが、子どもが必死におねだりしているような湿っぽさがあった。彼女は心の底から、俺を愛してくれている。その気持ちに、嘘偽りはないだろう。なら、彼女と生きていくべきか? 彼女の言う「俺と過ごす日々」を、実現させた方がいいのか?


 そうだ、森アザミだって俺のためにやってくれたことなんだ。俺はまだ死にたくない。生前何回もプレイしたこの大好きな『アジサイの咲く季節』の世界の中で、俺はいつもまでも生きていたい——


 その瞬間、俺の脳裏にどっと映像が溢れかえった。


 それは、ゲームの中で何度も見たシーンだった。


 本来の黒幕である蝶野瑠璃が、四片マリの死後にこれからは償いのために生きると語るシーン。沢木キョウが夕顔夏美と会話する場を作ることを、快く承諾してくれるシーン。偉そうな顔で励ましにならない言葉を吐く乙木に、怪しげな笑みを浮かべる待雪美雨。あっちこっち探索することのできる校舎内に、水無月学園を取り囲む色とりどりのアジサイ。


 それはどれも、この世界に来てからの俺は見ていない。ゲームをプレイしていた時のシーンだ。黒葉ミナトじゃない、このゲームのプレイヤーとして見た世界だ。だが、それは今の俺が見ていたものより何倍も美しく、全てがいきいきとして輝いているように見えた。


 あぁ、本物の黒葉が俺を止めようとしているんだ。俺は静かに、そう悟った。


 いくら俺の魂で上書きされたからといって、この体はもともとこのゲームの世界にいた『黒葉ミナト』なのだ。そうだ、俺はこのゲームのプレイヤーだった人間であって本来このゲームにいた黒葉ミナトという人間ではない。俺が愛したこの世界に、本来俺は必要ないのだ。そこに俺が入り込んだら、全てを台無しにしてしまう。


「ありがとう、だけどゴメン」


 言いながら俺は、両手を前に突き出す。そこに、ふっと沸き上がるよう黄色い花が現れた。プレイヤーが、俺が四片マリに渡すと選択した花。そして、憎しみと悲しみに囚われた四片マリを解放する花。


「この花の名前は、ヒペリカム。花言葉は、『悲しみは続かない』なんだ。四片マリ、あなたの苦しみや悲しみはきっと俺なんかが想像できないほど深いものだったと思う。だけど、もうあなたは解放されていいんだ。罪を償うべき人間はもう死んだ。あなたを苦しめ、傷つけた人はもうこの世にいない。だから、あなたは解放されるべきなんだ。この学園から解き放たれて、自由になるべきなんだ」

 それは、四片マリを成仏させるために黒葉ミナトが口にしていたセリフだ。一言一句、できるだけ詳細に思い出して俺はそのシーンを再現してみせる。


 考えてみれば俺は自分で考えている時と、黒葉ミナトとして喋る時とでは口調が微妙に違っていた。きっとそれは本来の黒葉ミナトが、俺に飲み込まれないようにと必死で自分をアピールしていたのだろう。おかげで、目が覚めた。自分がやるべき行動を、取ることができた。ゲームと同じセリフを言い切った俺は、これまで味わったことがないほどの満足感に満たされていた。そう、俺は正しい選択をしたんだ。これで、良かったんだ。


 森アザミの体が金色に包まれ、そこから涙を流した少女が天へと昇っていく。これで、四片マリは成仏したのだ。代わりに森アザミが、俺に向かって悲しそうな目を向けた。零れ落ちる涙にそっと手を触れ、俺は語りかける。


「俺、このゲームも君のことも大好きだ。でも、だから変わってほしくない。俺が呪いを解かずにこの世界で居座ったら、このゲームは『アジサイの咲く季節』じゃなくなってしまう。だから君はずっと、この世界を守ってくれ。俺の大好きなこのゲームを、いつまでも守り続けてくれ」


 自分の気持ちを、森アザミへの感謝とこのゲームへの愛情を素直に表現したつもりだった。それが森アザミの心にどこまで伝わるか、自信はなかった。だが、俺を見つめる森アザミの表情は、俺の言うことを理解してくれたようだった。寂しそうだが、慈愛に満ちあふれた表情。その姿が、背景が少しずつ小さな三角形に散らばって消えていく。


「やっぱり、あなたはこのゲームが大好きなんだね。そうだよね、それだけ深くこのゲームを愛してくれる人だったから、私はあなたを愛したんだもんね。ありがとう、佐藤圭介さん。大好きだったよ。このゲーム、私が守るから。あなたの愛したこの世界、私がずっと続けていくからね」


 そう語った彼女は最後に、俺の唇に自らの唇を重ねた。柔らかく温かいその感触は、ただひしひしと愛情が伝わってくる。


 あぁ、最後にこの温もりを知ることができて良かった。


 そう感じながら、俺の意識は薄れて消えていった・・・・・・。


 ◇


 ◇


 ◇


 俺は図書室で、卒業文集を探していた。


 クラスメートの石黒小百合さんが、口から水を吐き出して溺れ死ぬというありえない死に方をした。常識的に考えて、そんなことが起こりうるはずがない。これは何かの呪いだ、と考えた俺は今、こうやって校内を探索しているのだ。この学園の歴代の卒業生たちが残した文集。この中から一冊一冊見ていけば、何かヒントがあるかもしれない。


「黒葉くん」


 後ろからかけられた声に振り向くと、クラスメートの森アザミさんが立っていた。その手には、薄紫の小さな花が握られている。


「森さん、その花どうしたの?」

「ちょっと、図書室に飾っておこうと思って。この花の名前は、シオン。『あなたを忘れない』って意味の花言葉があるんだよ」


 そう話しながら、森アザミさんは俺のことを泣き出しそうな目で見つめている。大切なものを失ったが、それでも生きていかなければならない。愛した人との約束を守るために、どんなに苦しくても自分は絶対に進むべき道を放棄してはならない。そう言いたげな、辛くても前を向いて生きていく人間の瞳だった。


 彼女がなぜこんな悲しそうな目をしているのか。図書室になぜ、『あなたを忘れない』という花言葉を持った花を飾ろうと思ったのか。


 俺にはわからなかった。

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