第陸話
乙木は、一体何を知っているんだ? まさか乙木も、異世界転生してここに来た人間なのか?
考えてみても、答えは出ない。
遺書の内容自体は、ゲームで何度も読んだから知っている。四片マリが自ら死を選ぶに至った経緯を書いたそれは、「そりゃ呪いたくもなるだろう」と言いたくなるような痛ましいものだ。
四片マリには同じクラスに恋人がいたが、その彼氏に横恋慕した女子とそのグループから酷いイジメを受けるようになった。クラスメートは見て見ぬふりをし、学園側も大事にならないようにと保身に走るばかりでイジメはどんどんエスカレートしていく。それでも彼氏だけはなんとか四片マリを慰めようとしていたが、ある日を境に状況は一変した。
その日、四片マリはイジメの首謀者数人に無理矢理アジサイの中へと突き飛ばされた。そのアジサイには「チャドクガの発生中につき立ち入り禁止」という立て看板があったが、イジメグループはそれをわかった上で四片マリの顔に、体にチャドクガの毒針が刺さるようにしたのだ。
チャドクガの毒は強く、四片マリは体中に発疹ができてしまった。しかし見舞いでその姿を見た恋人はあろうことか『キモい。そんな姿見たら冷めた』と吐き捨て、イジメを先導していた女子にあっさり乗り替えてしまったのだ。その裏切りが擦り切っていた四片マリの精神にとどめを刺し、恨みと憎しみを抱えたまま自ら命を絶つという選択肢を選ばせてしまったのだ。
「みんなみんな、絶対に許さない。二年二組の人間は一人残らず、全員地獄に引きずり込んでやる」
遺書の最後はそう、締めくくられている。
ホラーもので呪いを引き起こす人間や霊はだいたい、悲惨な過去を持っているものだ。その過去が残酷なものであればあるほど呪いの力は強まり、プレイヤーに与える恐怖は増す。それでも、ゲームでこの遺書が出る度に俺は何とも言えずやりきれない気持ちになっていたものだ。
乙木もまた、四片マリのようなやりきれない事情や状況があるのだろうか。そして、明日はそれを聞かせてくれるつもりなのだろうか。
遺書の画像を開いたまま、俺は唇を噛みしめながらそう思った。
◇
翌日、朝八時の少し前。現れた乙木は緑のパーカーに、シンプルなデザインのGパンを履いていた。今日は公園だからか、私服を着てくることにしたらしい。
俺は決闘でもするかのように、乙木と正面から向かい合って告げる。
「四片マリが死んでから、アジサイは一度撤去されたんだ。表向きの原因はチャドクガの大量発生だけど、本当の理由はアジサイが四片マリの死の遠因になったから。だけど今年になって新しく、アジサイが植え直された。それが眠っていた四片マリの魂を、呼び起こしてしまったんだ」
言いながら俺は乙木に、水無月学園の公式ホームページの画面を見せる。そこには「チャドクガの大量発生が原因で撤去していたアジサイを、今年から植え直しました!」という明るい文章と共に美しいアジサイの写真が掲載されている。
そう、一度は二年二組の人間を全員呪い殺し、眠っていた四片マリの霊が目覚めてしまった理由の一つはこれだ。でも本当は、あと二つの理由がある。
「それだけじゃないな。かつての二年二組を知る人物が四片マリをネタに『M学園の二年二組は、数年前に自殺した少女の霊に呪われている』という怪談をネットに書き込んだんだ。当の本人はこれもやはり呪いなのか交通事故で亡くなったらしいが、いたずらに自分の名前を語られた四片マリは再び学園に呪いをかけることに決めたんだ。自分がいたのと同じ、二年二組にな」
そう。確かにそれも理由の一つだ。
ゲーム内で水無月学園のホームページを調べる時に、最初の検索結果からもう少し下まで画面をスクロールすると「M学園の呪い」というページが出てくる。その書き込みがあったのは今年の数ヶ月前。最初の死者である石黒小百合の死の一週間ほど前なのだ。そこでまた主人公は、これも四片マリが蘇った理由だと推測することができる。
だが、実際に四片マリ復活の引き金となった要因は三つあるのだ。その三つが組み合わさって相乗効果が出たからこそ、四片マリは復活したのだ。その、最後の一つは。
「蝶野瑠璃は両親の離婚が決まり、精神的に追い詰められた状況にあった。その精神状態が自ら死を選ぶまで追い詰められた四片マリの魂とシンクロしてしまったんだ。加えて蝶野瑠璃はもともと憑依体質だった。そのせいで蝶野瑠璃は、四片マリに取り憑かれてしまったんだ」
淡々と告げる乙木に、俺は言葉を失った。
全ては、乙木の言う通りだ。蝶野瑠璃はもともと心霊に取り憑かれやすい要素があったらしく、ゲーム内で会話しているとその伏線として「幼少時に女の霊に取り憑かれた時、習ってもいないバイオリンを弾けるようになった」というエピソードが語られる。また、両親が離婚していたことも座席表を選択して読むことのできるプロフィールでわかることだ。
だが、なぜ乙木が、そのことを知ってるんだ?
「乙木、乙木は一体、何を知っているんだ?」
俺の問いかけに、乙木は何か覚悟を決めたようにゆっくりと口を開こうとする。
だが、それまでだった。
乙木の首筋が、パペットの口元のようにぱっくりと割れる。あまりに綺麗な切り筋に俺は最初、乙木がチョーカーでもはめたのかと思った。しかしほとばしる血しぶきがそんな俺の考えを否定するかのように、乙木のパーカーを真っ赤に染め上げていく。乙木はその血を抑えようとしながら、酸欠になった金魚のように口をぱくぱくとさせた。
「乙木!? 乙木!?」
助け起こそうとするが、流れ出る乙木の血を前に俺は何もすることができない。返り血に染まっていく俺の腕は、俺の無力さをあざ笑っているようだ。
「黒葉・・・・・・」
虚ろな目になった乙木が、必死で声を絞り出す。混乱しながらも俺はそれに耳を傾けた。乙木が自分の命が尽きる前に、何かを伝えようとしている。呪いの正体か、この世界の真実か。それはとにかく大事なことだ。
乙木が俺の方を見ながら、それでも最後の力を振り絞るように掠れた声を上げる。
「俺は知ってる・・・・・・ここがゲームの世界であることも・・・・・・お前が転生者だということも・・・・・・それは黒幕が・・・・・・」
聞き取ることができたのは、そこまでだった。
やがて眼鏡の奥にある乙木の瞳は、完全に閉じられてしまった。近くを通りがかったらしいオバサンが、俺たちを見て悲鳴を上げる。傍から見たら、俺が乙木を殺したようにでも見えるかもしれない。だが、今の俺はそんなことを考える余裕はなかった。
乙木はここが『アジサイの咲く季節』というゲームの世界であることを知っていた? そして俺が本来、別の世界から来た人間で、一度死んでからここにやってきたということもわかっていた? それは黒幕が絡んだことなのか? 乙木は黒幕が誰なのかを知っていたのか?
乙木の血は俺の体にへばりつき、ずっしりと俺の腕を重くしていた。
警察の事情聴取や学校からの呼び出し。再びかかってきた両親からの電話。
それらを全て上の空で流しているうちに、すっかり日が暮れて自分のマンションに帰ってきたのは夜だった。
だが、俺はこのまま眠るわけにはいかない。もうすぐ、黒幕からのメッセージが届くはずだ。
四片マリ、もといその霊に取り憑かれている黒幕は自分が主人公に追い詰められつつあるとわかると、主人公に直接対決を挑む。主人公に暗号を送りつけ、そこで指定した場所に現れた主人公を迎え撃つのだ。主人公にとって危機的な状況であると同時に、四片マリと彼女に操られた黒幕が現れる物語のクライマックス。俺は息を殺しながらそれが来るのを、待っている。
乙木は死の直前に、俺が転生してこの『アジサイの咲く季節』に来たのは黒幕による介入のためであるかのようなことを言っていた。なぜ黒幕はそんなことをしたのか、なぜ乙木がそれを知っていたのかはわからない。だが、それを俺に語った乙木のことを、黒幕が放っておくことはありえないだろう。四片マリ、及び黒幕がどこまで俺や乙木の動きを把握しているのかは不明だが、きっと俺と何かしらコンタクトを取ろうと動くはずだ。
そして俺が黒幕と対峙した時、残された謎が全て明かされる。
俺が壁を睨んでいると、そこにどす黒い血で文字が浮かび上がり始めた。この暗号の現れ方は、ゲームと同じだ。滲み出てくるように現れたそれは徐々に確かな文字の形となっていき、文章になる。
最も、ここで現れる暗号文は今までのキーワードのように、ストーリーによって何パターンかに分かれていたものだ。だが今、俺の目の前に出てきたそれはゲームでは見たことのない暗号文になっている。
『一目惚れの薔薇が枯れた場所で待つ』
俺はしばらくその文章を見て、考えた。一目惚れの、薔薇。枯れた場所。かつて、ゲームをプレイしていた時にそうしていたように必死で頭を働かせた俺は、「あそこだ」と思いついた。同時に急いで出かける準備をして、玄関を飛び出す。
これから行く場所に、黒幕と四片マリが待っている。
夜の帳は緊張する俺の体を包みこんでいく。暗い道筋は俺のこれからの行き先を暗に示しているかのようだ。だが、俺は行かなければならない。黒幕と四片マリに会って、このゲームを終わらせなければならない。
全ての決着を、つける時が来たのだ。




