第伍話
「藤崎、ちょっと協力してくれるか?」
放課後。俺は藤崎に洗いざらい全ての事情を———自分が異世界転生してきた人間でここが『アジサイの咲く季節』というゲームの世界だ、ということは除いて———話した。
藤崎は最初こそ怪訝な表情をしていたが、実際に四年前の二年二組が全員死亡していることや自分たちのクラスでも五人の死者が出ていること、そして俺が真面目に話しているのを見て一応信じることにしてくれたらしい。
「それで、俺は何をすればいいんだ?」
「問題の二年二組の前後の学年とか、同じ年度の他のクラスのことについて調べてみたいんだ」
俺は藤崎に説明する。
四年前の二年二組の生徒について調べようとしてみても、なかなか情報は得られない。特に接点のない卒業生の情報、ましてそれぞれ非業の死を遂げた先輩の情報を仕入れることはそう簡単なことではないからだ。だが二年二組の全ての生徒が、他の学年やクラスの同級生と無関係であったとは考えにくい。そしてその繋がりは何も兄弟姉妹だけでなく、例えば同じ部活に所属していたとか同じ塾に通っていたとかの小さな繋がりもあるはずだ。そしてどんな小さな繋がりでも、何かしら接点があったのならそこからヒントを得られる可能性はある。
二年二組に関係がありそうなのは、前後の二学年と二組以外のクラス。合計して十七クラス分の名前を調べることになるが、その中に一人だけ名前を選択できる人間がいる。
「夕顔夏美って女子が、二年二組にいた男子と恋人同士だったらしい。だからその夕顔夏美の卒業文集を見つけて、どの部活をしていたかとかを調べたいんだ。そうすれば二年二組のことを聞けるかもしれないから」
夕顔夏美。「罪」の花言葉を持つユウガオからその名をつけられた登場人物だ。夕顔夏美は四片マリのことを、かなり詳しく覚えている。ゲーム内で「四片マリ」の名が明かされるのも実はこの時だ。
だが、夕顔夏美がどの学年の何組かはストーリーによってランダムに変わる。その上、卒業文集には目次がないので面倒でも一クラスずつ調べなければならないのだ。ゲームではボタンを連打すればすぐに調べられるが、現実で一冊一冊の文集を本棚から取り出しそれを一ページずつめくって名前を調べて、なんてするのは時間がかかるし簡単なことではない。加えて卒業文集が図書室外に持ち出せない以上コピーもできないから、情報はアナログに書き写すしかできないのだ。それならせめて、文集のチェックを藤崎に手伝ってもらって少しでも時間を短縮しなければならない。
「わかった。じゃあ明日の昼休みは図書室に行こうぜ」
軽く言ってくれる藤崎に、俺は少し目元が潤む。
藤崎を信頼して話したはいいが、「こんな話を信じてくれるだろうか」という不安はあった。これで信じてもらえなかったらこの『アジサイの咲く季節』の中で俺が心から信用できる人間は一人もいないことになる。呪いに立ち向かうのに、そんな状況だと見せつけられてしまうのは正直心細いし恐ろしかった。
だが藤崎は俺のことを信じ、味方になってくれた。
ありがとう、と口にした俺は少しだけ元気になる。異世界転生とは大概孤独なものだが、俺には藤崎という協力者がいる。「黒葉ミナト」としての協力者ではない、「佐藤圭介」の友だ。その事実は間違いなく俺を奮い立たせ、この状況に立ち向かう強い支えとなっていた。
◇
翌日。藤崎は約束通り、俺と一緒に図書室へ向かってくれた。しかしその最中、俺はある程度覚悟しておかなければならないことがあった。
おそらく、再び図書室に行けばメインキャラクターの誰かと鉢合わせすることになるだろう。その相手が折れにヒントをくれるか、俺の邪魔をするか。それは実際に会ってみるまでわからない。ゲームではどちらのパターンでもあったからだ。俺は腹をくくったつもりでいるが内心それを恐れていて、だから無意識に味方を得ようと藤崎を誘ったのかもしれない。
だが、何はともあれ藤崎は俺についてきてくれた。呪いを解くためには怖かろうが何だろうが、とにかく行動をしなければならない。大丈夫、俺はこのゲームにたった一人というわけではない。自分にそう言い聞かせながら俺は、ひたすら足を動かしていく。
そうやって向かった図書室の文集コーナーには、やはり先客がいた。
「なんだ、君らか」
乙木が自分の鼻を見せつけるように、こちらを見下してくる。その傲慢な態度に藤崎がむっとした表情を見せたが、乙木はそれにかぶせるように俺たちへ話しかけてくる。
「君らも四年前の二年二組が僕たちと同じ呪いを受けたと気がついているんだろう? そしてその法則性を見るために、問題の二年二組を挟む学年と他のクラスの生徒について調べ始めたわけだ。俺も同じだ、ここは一つ協力しないか?」
協力。それは悪くない話ではあるが、同時に疑わしいものでもあった。
乙木はいつ、四年前の二年二組が呪われたと知ったんだ? それに俺と藤崎はキーパーソンが夕顔夏美だと知っているが、コイツはそれを知らないはずだ。なのに二年二組を挟む他の生徒を調べ上げて、一体どうするつもりだったんだ?
「俺はアナログに一人一人の名前をノートに書いていこうと思っている。君たちが調べる人間の目星はついている、というのなら俺がその人物の名前を見つけたら教えてやる。それならお前たち二人の負担はいくらか軽くなるだろう?」
だが、それだと乙木の苦労はほどんど変わらない。自分にメリットのないことを言い出すなんて、正直怪しい。藤崎もそう思ったのか、疑わしげな目つきをしたまま乙木に何か言おうとした。
だが、俺はそれより先に口を開く。
「わかった。俺たちが探している人の名前は、夕顔夏美。見つかったら、教えてくれ」
俺の言葉に藤崎はおろか、乙木も驚いたような表情を見せた。まさかあっさり自分の提案を飲んでくれるとは思わなかった、と言いたげだ。
だが、俺は乙木の案に乗ってみようと思った。
「手がかりが早く見つかるなら、そりゃその方がいいからさ。乙木だって二年二組の呪いを解くために動いてるんだろ? なら、協力しよう」
できるだけ愛想良く、不信感をもたれないよう俺は穏やかにそう話す。しかし乙木は一度頷くような素振りを見せただけで、すぐ文集の方へと向き直った。あくまで無愛想な態度を崩すつもりはないらしい。だが、俺は別にそれを咎めるつもりはない。そんなことを気にするより、今はとにかく前に進まなければならないからだ。
「藤崎、早速探そう」
呆気にとられていた藤崎は、俺の言葉に慌てて頷いた。
◇
それから俺たち三人は山積みの文集を前に机を囲み、それぞれ文集をぱらぱらとめくっていった。
乙木は一人一人の名前を控えているだけあってスピードが遅いがその分、正確なようだ。俺も見落としの無いように一冊ずつ、丁寧にチェックする。
「あった! 夕顔夏美、全員死んだ二年二組の代から見て、一個上の学年だ!」
そう口にしたのは藤崎だった。
文集には夕顔夏美の似顔絵に部活や血液型、誕生日、当時好きだったらしい芸能人の名前などが書かれている。それらを全てメモすると、俺たちの情報収集は終了だ。
「良かったな。俺はまだ他の卒業生を調べるから、お前たちは好きにしろ」
文集から目を上げようともせずに言う乙木は、藤崎は憮然とした表情で見つめている。乙木は、とことん愛想の悪い奴だ。だが、少なくとも今回は俺を助けようとしれくれた。
「ありがとう乙木。それじゃあ、乙木も頑張って」
それだけ言って俺は藤崎を連れて、図書室を出ようとする。
「待て、黒葉」
呼び止められて、振り返ると乙木の視線が俺とぶつかった。
乙木は公式から特別イケメンという扱いを受けているわけではないが、メインキャラということもあってか比較的整った顔立ちをしている。その端正な顔とそこから放たれる威圧感に圧倒されていると、乙木はゆっくりと口を開いた。
「黒葉。たぶん、お前は最後まで死なない。だが、油断はしないことだ。どうなるかわかったものじゃないからな、気をつけろよ」
それだけ言うと乙木は何事も無かったかのように文集とのにらめっこに戻った。藤崎はそんな乙木と俺を、わけがわからないという表情で交互に見つめている。最も、乙木が何を言いたかったのかわからないのは俺も同じだ。
なんとなく釈然としない気分で、俺は藤崎と共に図書室から出て行った。
◇
とはいえ、肝心な情報は手に入れることができた。
夕顔夏美。問題の二年二組の一つ上の学年ということは、卒業したのは四年前。A型の乙女座で、所属は剣道部。それがわかれば、あとは大丈夫だ。
本来、彼女に接触する方法を探すためにプレイヤーは座席表をチェックして二年二組のクラスメート一人一人の情報をチェックしなければならない。だが俺はそんなことをしなくても、夕顔夏美と接点のあるクラスメートを知っている。
「沢木なら、同じ剣道部だから夕顔夏美のこと知ってんじゃねぇのか?」
藤崎の言葉に、俺は頷く。
さっぱりとした短髪に精悍な顔立ち、見るからにスポーツマンといった風情の沢木キョウは、剣道部のエースだ。そんな沢木キョウに接する時にキーワード、夕顔夏美の卒業年度と血液型、星座を口にすれば快く夕顔夏美との会う場をセッティングしてくれる。三つのうち一個でも間違っていればそれは叶わないが、藤崎が見つけてくれたのでそこはばっちりだ。
文集の記述を見る限り、夕顔夏美はそこそこ剣道が強かったらしい。沢木キョウと繋がりがあるのも、同じ強豪選手だったことが関係あるのかもしれない。
いずれにせよ沢木キョウから夕顔夏美に接触するチャンスがあれば、四片マリの大きな手がかりを得ることができる。そうなれば本来のゲームのシナリオから外れて、黒幕になってしまったクラスメートが誰なのかはっきりわかるかもしれないのだ。
「沢木は昼休み、いつも剣道場でメシを食うらしいから剣道場に行こう。あそこなら他の剣道部員もいるから、夕顔夏美のことが確実にわかると思うぞ」
藤崎の言葉に後押しされ、図書室から出た俺たちは走って剣道場に向かう。図書室は二階で、剣道場があるのは別校舎の一階だ。昼休み終了まであと十五分。次の授業の後でもいいが藤崎の言う通り、沢木キョウ以外の剣道部員がいる場の方がより夕顔夏美と出会える確率が高くなるだろう。何よりより有用な情報があるなら、一刻も早く仕入れたい。そう思うと俺も藤崎も、自然と足が速まっていく。
だが、その足は派手な爆発音によって立ち止まることとなった。
校舎中に響き渡る轟音は、間違いなく別校舎から聞こえてきた。だが、映画やドラマに出てくるような業火や煙は見えていない。だが俺と藤崎の両方が聞いているのなら、空耳とは考えにくい。凄まじい音が響いた、ということは確かなのだ。
俺と藤崎は狐につままれたような気分で、顔を見合わせる。だが、心の奥底ではきっとわかっていた。おそらくまた何か良くないこと、二年二組の生徒が命を落とすようなことが起こったのだろう、と。
炭酸飲料のペットボトルにドライアイスと釘。たったそれだけで、人を殺せるほどの簡単な爆弾を作ることができる。だから良い子は絶対に真似をしないように、と言いたいところだがそれを剣道場に投げ入れる前に普通は爆発するはずだ。なぜそんなことができたのかは、わからない。
そんな説明を担任から受けながら、俺と藤崎は俯くことしかできなかった。
沢木キョウは亡くなった。それだけじゃない、一緒に剣道場にいた待雪美雨を初めとする他のクラスメート数人、加えて二年二組以外の学園の生徒にも死者が出た。現場に踏み込んだ教師は、全身に釘が刺さった生徒たちの遺体を見てそのあまりの光景に気を失う者もいたという。
こんな死に方、ゲームには存在しなかった。
それが俺の最初の感想だった。
『アジサイの咲く季節』では二年二組の生徒が様々な死に方をする。だが爆発を使った死に方をするクラスメートは一人もいなかったし、二年二組以外の人間が巻き込まれることだってなかった。
蝶野瑠璃の死によって四片マリの呪いが変化したのか? あるいは四片マリそのものが別の力を持った悪霊になったのか。いずれにせよ、これで二年二組の死者数は一気に八人になってしまった。
「二年二組はしばらく、学級閉鎖になることが決定した。再開日はについては決まり次第、電話連絡網で学校から連絡する。閉鎖中の課題は用意してあるので各自、自宅学習をするように」
担任はそれだけ言うと、逃げるように教室から出て行った。実際「逃げ出したい」というのがその本音だろう。不可解な死が続いてマスコミも騒ぎ始めているし、保護者からの問い合わせも一件や二件じゃないはずだ。
いくらかくたびれた様子の背中が遠ざかっていき、二年二組のクラスメートたちは各々帰りの準備を始める。しかしそこで、教壇に立つ生徒が現れた。
「みんな、俺から提案だ。クラス全員で連絡先を交換しておかないか?」
乙木の言葉で、教室が水を撃ったように静かになる。それは賛成でも反対でもなく、困惑を表す沈黙だった。しかし乙木はそれに構う様子も無く、選挙演説でもするかのように堂々と話す。
「このまま離ればなれになったって、全員不安で仕方ないだろう? それならクラス全員で連絡を取り合って、絶えず情報を共有しておいた方がいいはずだ。もちろん、嫌なら無理にとは言わない。学校からの連絡を待って部屋の隅でびくびく震えているよりは遙かにいいと思うがな。連絡先を交換したい奴は、今すぐスマホを取り出してくれ」
言いながら乙木は制服のポケットから、自らのスマホを取り出す。実用性重視のシンプルな手帳型カバーに包まれたそのスマホは、乙木の人柄を表しているようだった。
しばらくは全員、どうしていいのかわからずキョロキョロと周りの様子を窺っていた。しかし森アザミが自分の可愛らしい花柄のスマホを持って乙木に歩み寄ったのを皮切りに、全員それぞれの連絡先を交換し始めた。
「まぁ、他のクラスメートがどうしてるかわかった方が安心できていいよな」
力なく笑う藤崎を含め、俺の連絡先一覧には二年二組の現時点での生存者が全員、名を連ねることになった。反対に俺の名前も、クラスメートたちのスマホに保存されたわけだ。
この中のうち、何人が生き残ることができるだろう。クラスメートたちの名前を見ながら、俺は頭の中に立ちこめた暗雲を振り払うことができずにいた。
その夜。俺のスマホには早速、メッセージが届いた。
差出人の予想はついている。画面を開くとそこには案の定、「乙木颯」の文字が浮かんでいた。
『四年前の二年二組で最初に死んだ、四片マリの遺書を探したい』
『明日、藤崎と一緒に学校に来い。学級閉鎖になったのは二年二組だけだから、授業中を狙えばこっそり学校に忍び込めるはずだ』
どくん、と心臓が高鳴るのがわかる。
学園に隠蔽されるのを恐れて、四片マリが隠した遺書。その隠し場所は五つ——美術室、音楽室、屋上、使われていない教室のロッカー、図書室——の中から、ストーリーごとにランダムに変更される。この五つのうちどの場所に遺書が隠されているのかは、夕顔夏美との会話の中でヒントが得られることになっていた。だが沢木キョウが亡くなった今、その手は使えないはずだ。仮にキーパーソンが夕顔夏美である、とわかっていたとしてもそこから直接彼女に会いに行くのは難しいはずだ。いきなり「俺はあなたと同じ学園の後輩ですが、あなたの亡くなった元彼や元彼がいたクラスについて教えてください」なんて言って尋ねたら、通報されたっておかしくない。
それなのになぜ、乙木は四片マリの存在や遺書の場所まで知ることができたのか?
『文集に載っていた名前をひたすら検索して、SNSのアカウントを持っている人間を探した』
『アカウントを持っている人間に名前がヒットしなかった人間を名乗って「初めてアカウントを取ったんだけど、俺/私のこと覚えてる?」とダイレクトメッセージを送って情報を聞いたんだ』
・・・・・・恐ろしい手段だ。
だが、同時に俺は乙木の「何としてでも呪いを解いてやる」という石の強さをひしひしと感じた。コイツは黒幕じゃない。それどころか、主人公の俺よりよっぽど固い決意と覚悟で呪いに立ち向かおうとしている。そう思うと、俺も再びやる気が湧いてきた。そうだ、呪いを少しでも早く止めるためには、乙木を見習って俺も根性を見せなければならない。
俺は乙木にメッセージを送り、遺書の場所はどこなのか尋ねる。乙木の返事は、とても早かった。
『美術室だ』
『四片マリは美術部員で、死の直前も美術室に籠もっていたらしい。だから二年二組は彼女に呪われたんだとか、美術室のどこかに彼女の遺書があるだとか、当時から噂になっていたそうだ』
『明日の三時間目はどのクラスでも美術の授業が無い。だからその時間に、美術室へ遺書を探しに行こう』
何を着るかさんざん迷ったが、俺は結局いつもの制服を着ていくことにした。
どうせ忍び込むなら私服にしようかと思ったが、学園はほとんどの人間が基本的に制服を着ている場所だ。そんな所を私服で歩いていたら、どんなに地味な服を着ていてもかなり目立つだろう。それよりは制服を着ていた方が、万が一見つかっても「忘れ物を取りに来ました」とでも言えばそこまで咎められずに済むはずだ。そう考えてカッターシ奴に袖を通した俺は、いつもより遅い電車に乗って学園に向かう。
「遅いぞ黒葉」
既に美術室に辿り着いていた乙木と藤崎が、揃って俺を出迎えた。
この二人も俺と同じことを考えたのか、着ているのはやはり制服だ。俺は短く謝ると、二人と共に美術室の捜索を始める。
図書室には静かなイメージがあるのに対し、美術室はどこか騒がしい印象を持っているのは俺だけだろうか。
誰なのかわからない胸像に、上手いけれどこれと言って特徴の無い油絵。畳三枚分くらいはあろうかという巨大なキャンバスによくわからない物体が描かれた絵もあり、雑然とした雰囲気を醸し出している。各人が個人の独創性や美的センスを炸裂させたら、こんなカオスな空間が生まれるものなのだろうか? そんなことを考えながら俺は、美術資料集の本棚を探る。
四片マリの遺書が美術室にある場合、その隠し場所は胸像の下か用具箱の底、美術資料集の本棚の奥だ。四年の間に美術部員はこれらの場所を見なかったのか? という疑問は浮かぶが、わかりにくすぎる場所に隠すとプレイヤーが見つけにくいという問題が出てくるからたぶんこうするしかなかったのだろう。
それに、四片マリは本来「せっかく遺書を書いてもそれを学園に隠蔽されたら意味が無い」と考えたからこの美術室に遺書を隠したのだ。逆に言えば「隠蔽される前に、誰かに自分の遺書を見てもらいたい」と考えていたのだろうから、あまり込み入った場所に隠すのもそれはそれで矛盾しているのかもしれない。
資料集の間や本棚の奥を覗き込んでみるが、それらしいものは見つからない。どうやらここには無いようだ。なら、次は胸像の下か。そう思って無機質な瞳の並ぶ胸像たちに目を向けると、既に乙木が探している最中だった。
「あったぞ! これだ!」
右から三体目の胸像の周りを探っていた乙木が、珍しく声を張り上げる。その手には「遺書」と大きく書かれた真っ白な封筒が握られていた。
乙木は興奮しながら、しかし慎重に封筒を開けようとする。俺と藤崎もそんな乙木に近寄り、その中身を見ようとした。
その瞬間、俺たちの視界にふっと影が差した。
世界全体がスローモーションになった気がした。あのわけのわからない物を描いた大きすぎる絵が、こちらに向かって倒れ込んでくる。それに引っ張られるような形で、胸像や彫刻刀、画材の入った棚まで俺たちに向かってくる。いや、胸像や画材の棚はどれも絵から離れた場所に設置されていたはずだ。それが一緒にこちらに向かってくるなんて物理的にありえない。だが、実際にそれは起きている。まるで俺たちがブラックホールにでもなったかのように、美術室にある「凶器」となり得るものが全てこちらに向かって飛んできているのだ。
「あぁ、俺は死ぬんだ」とか「ゲームにこんな死に方あったか?」とか、色んな思考が頭を駆け巡った。だが、それは肩のあたりに感じた衝撃で中断された。
床に尻餅をついた俺と乙木が最後に見たのは、こちらに手を向け「頑張れよ」というように微笑みを浮かべる藤崎の姿。それはやがてたくさんの美術品や画材に押し潰されて、見えなくなってしまった。
◇
親しい友人を亡くしたキャラがとる行動は、だいたい三パターンに分かれると思う。
一つ目は、普通に泣くパターン。堪えきれずに涙が一筋頬を伝う、というものから滝のように溢れ出る滂沱まで、その泣き方はキャラの個性が表れるところだ。
二つ目は、「なんで先に死にやがった」とか「俺との約束はどうなるんだだ」とか言って遺体や遺影に拳を振り上げるパターン。ただしこれは基本的に血の気の多い男キャラ限定だ、一つ目の泣くパターンの亜種のようなものだし、見る回数は少なめと言えるだろう。
俺がとったのは、三つ目の現実が受け入れられず茫然自失、というパターンだ。目の前の悲劇があまりに唐突すぎて、感情の整理が追いつかない。頭の中に何も言葉が思い浮かばないまま、ただ深い喪失感と虚無感だけが張りついている。
藤崎は、俺と乙木を庇って死んだ。
そう理解したのは乙木と共に教員たちに取り囲まれ、一体美術室で何をしていたのかと尋問されていた時だ。乙木が「三人で遊びに行くついでに、美術室の忘れ物を取りに行くのについてきてもらった」とか言っていたような気がするが、その辺りの記憶は曖昧だ。狂ったように泣きわめく藤崎の両親の姿、学校から連絡を受けたらしい俺の両親からの電話、そんなことが祭りのように過ぎ去って俺は今、部屋に一人でうずくまっている。
ゲームでは描かれることのなかった黒葉ミナトの部屋。机があって本棚があって、汚い部屋ではないが整理整頓が行き届いているというわけでもない。そんな部屋のベッドの上で俺は一人、世界の全てを拒絶するかのように背中を丸めて座っていた。
蝶野瑠璃の死体を見てしまった俺を、労ってくれた藤崎。荒唐無稽な呪いの話を信じ、協力すると言ってくれた藤崎。今週のジャンプはどうだったとか、英語の課題がだるいとか、そんな他愛もない話をしては笑い合った藤崎。そんな藤崎との様々な記憶をフラッシュバックする度に、俺は呆然とするしかできなくなる。森アザミは心配するようなメッセージを送ってくれたし、担任も何かとフォローをしてくれた。だが、今の俺はとても立ち上がる気力が湧いてこない。できればこのまま世界の終わりまで、ずっと部屋に閉じこもっていたい。そんな鬱屈とした気持ちを抱えたまま、俺はただ溜め息をつくしかできなかった。
その時、俺のスマホが震え始めた。しつこく振動を続けているところを見ると、メッセージの類いではなく電話がかかってきているらしい。のそのそとスマホの画面を見てみると、表示されているのは乙木の名前だった。
正直、電話に出るのなんて嫌な気分だった。だが「出ないなんて許さないぞ」と言いたげにスマホは何度も、バイブレーションを繰り返している。仕方なく電話に出てみると開口一番、乙木は俺がどこにいるのかを尋ねてきた。
「もう、俺は無理だよ。呪いを解くなんてできない。できっこない。やるなら乙木が一人で、どうにかしてくれよ。もう俺には、どうしようもないんだ」
自分の居場所を答える代わりに、俺は投げやりにそう告げる。
藤崎が死んだことで、俺の中の何かが切れてしまった。今まで主人公になったから、このゲームの世界もメインキャラクターも好きだから、と色々努力はしてきた。だが、もうそんな気力がどこからも出てこない。藤崎はこの『アジサイの咲く季節』の世界ではモブキャラだ。ゲームの中で主人公・黒葉ミナトと顔を合わせるシーンなど一度も描かれていない。だが、俺にとっては間違いなく親友だった。何か共通の夢を追っていたとか、一緒に困難を乗り越えたことがあるとか、そんな熱いエピソードがあるわけではない。だが、そこにいるのが当たり前だと思っていた、かけがえのない親友だった。きっとこれから卒業して別々の進路に行ったとしても会えば軽く手を挙げて挨拶し、近況について話の花が咲くようなそんな関係が続けられると思っていた。それが、ぶつりと断ち切られてしまったのだ。俺の目の前で、俺を庇って、という最悪の形で。
不規則になった呼吸で、自分が泣いているのだと気がついた。ずっと麻痺していた自分の心が、乙木の電話で急に現実へと戻ってきてしまった。電話の向こうにいる乙木は、何も言わない。しかし数秒ほど沈黙の後に、乙木は「逃げるのか」と口にした。
「藤崎はクラスを、お前を助けるために犠牲になったんだ。お前はそれを、何とも思わないのか? 藤崎だけじゃない、今まで死んでいった奴らに、これから死ぬ奴ら。お前はそれを、黙って見過ごせるのか? このまま四片マリの恨みのままにみんな殺され続けるなんて、悔しいと思わないのか?」
責めるような口調の乙木に、今度はこちらが押し黙る。ただそれは乙木の言葉に説得され、感じるところがあったからではない。『アジサイの咲く季節』本編の中で、聞いたことのあるセリフだったからだ。
ゲーム終盤でもやはり主人公が挫けそうになった時、乙木はこうやって何もしない黒葉ミナトを咎めるのだ。最もその時は電話越しの今と違って乙木の悲しそうな、悔しそうな顔を見ることができた。だからプレイヤーはその言葉が乙木の励ましだと受け取ることができたし、再び立ち上がって呪いと戦うことができた。だが、今の俺には乙木がゲームの進行を押しつけようとしているようにしか聞こえない。乙木はあくまでサブキャラであって、主人公は俺だ。だから乙木は、俺に呪いを解かせようと躍起になっているんじゃないか。自分じゃどうしようもないから、俺にその役目を無理強いしようとしているんじゃないのか。そんな邪推の言葉ばかりが、頭の中で溢れ出てきていた。
「黒葉。俺はもうすぐ死ぬ、逃れられない」
腐っていく俺の気持ちを遮るように、唐突に乙木がそう告げる。俺の思考は一旦停止した後、混乱と共にすぐ動き始めた。
そういえば、乙木が主人公を応援するような言動をするのは物語がクライマックスに近づいてからだ。
主人公と乙木は四片マリについて調べていく中で確かな絆を育んでいくが、その矢先に乙木は命を落とす。なのでいきなり俺を鼓舞し始めた乙木がもうすぐ死ぬかもしれない、というのはかなり現実味のある話なのだ。
しかし、乙木はなぜそれを知っているのだろう。俺の目の前で死んだ藤崎や石黒小百合は、自らの死の前兆を感じ取ってしまったような素振りは見られなかった。乙木だけがイレギュラーなのだろうか? しかし、そんなことが起きた理由がわからない。乙木だってあくまでメインキャラクターの一人だ、今までに死んだメインキャラクターたちと乙木の何が違うと言うのだ?
涙が止まった俺の様子を察したのか、乙木が再び言葉を紡ぐ。
「今からお前に、四片マリの遺書をパソコンでスキャンした画像を送る。それを読んで明日までに何か呪いのヒントが見つけられたなら、その時に俺が何を知ってるのか教えてやる」
強引にそう捲し立てた乙木は、俺の返答を聞かず一方的に電話を切ってしまった。その直後に、宣言通り乙木から画像が送られる。そのアイコンを眺めたまま、俺はしばらくスマホを操作することができなかった。
四片マリの遺書の画像。そして、それと共に送られてきた「明日の朝八時に、学園近くの公園で待つ」という乙木のメッセージ。その二つを前に、俺は考え込んでいた。




