大嫌いな幼馴染(バツイチ)と結婚することになりました
子爵令嬢のシャロン・アッサムは、自分を見下ろしている黒髪の年の離れた幼馴染の瞳を睨み返していた。
シャロンの碧の瞳がどんなにきつく睨み上げていても、幼馴染のアイザック・セイロンは、平然と言葉を繰り返したのだ。
「シャロン。君は、俺の妻になる以外に道はないんだ。姉である、シェリーが役目を果たせなかったのだから、君が責任を取って、俺の子を産むんだ」
アイザックの上から目線のその物言いにシャロンは、右手を振り上げていた。
アイザックの顔を目がけて平手打ちを繰り出そうとしたが、アイザックには簡単に避けられてしまっていた。
それだけではなく、右手を掴まれて引き寄せられてしまう。
ぐっと腰を引き寄せられたシャロンは、顔を真っ赤にさせて声の限り拒絶の言葉を叫んだのだ。
「嫌ったら嫌よ!! 誰があんたなんかと!」
「ふーん。それなら、シェリーに責任を取ってもらうしかないな。現在は離縁しているが、俺の子をシェリーに産んでもらうしかあるまい」
その言葉に、シャロンは、怒りをあらわにして怒鳴りつける。
「お姉様を襲うつもりなの?! このド変態!」
「君は勘違いをしている。もともと、俺とシェリーの結婚の際の条件は、俺がアッサム子爵家に資金面の援助をすることと、妻であるシェリーが俺の子を産むことが織り込まれている。俺は、今まで結構な額を援助していたのだが?」
「うっ……」
数年前までアッサム子爵家は、莫大な借金があったのだ。
それは、金遣いの荒い父と兄が屑で馬鹿な人でなしの所為で起こったことだった。
アッサム子爵家は、父の代で事業を失敗し借金を負っていたのにもかかわらず、散財に次ぐ散財で借金を重ねていた。
さらには、シャロンの兄である次期当主も馬鹿で屑な人でなしだったことが災いして、とんでもない額になっていたのだ。
そんなとき、幼馴染のアイザックが借金の肩代わりをしてくれたのだ。
その際、シェリーとアイザックで話し合いをした結果、資金援助と後継者問題解決を条件に結婚することになったのだ。
極度のシスコンであるシャロンは、姉の結婚に猛反対したのだ。
大好きな姉が犠牲になるくらいなら、自分があのいけ好かないアイザックと結婚でも何でもしてやると。
しかし、シェリーはそれには頷かなかった。
犠牲になるのは自分でいいのだと。
そのことがあり、元々嫌いだったアイザックのことが大嫌いになったシャロンだったのだ。
そんな騒ぎから二年が経過したある日のことだった。
姉が突然シャロンに手紙を寄こしたのだ。
その内容はとても驚くべきものだった。
手紙には、好きな人と結婚できそうなので、アイザックとは離婚するということ。結婚してから一度もアイザックと関係を持ったことがなく、白い結婚として認められたため、離婚が可能だということ。国を出て愛する人と暮らすということ。そんな内容が書かれていたのだ。
突然、大好きな姉が国外に行ってしまうことにショックを受けていたシャロンだったが、落ち込む暇さえなかったのだ。
シェリーからの手紙を受け取って数日後、アイザックがシャロンの元を訪ねてきたのだ。
そして、今に至るというわけだ。
今まで、馬鹿な父と兄が無駄遣いしないように監視し、シャロンの目を盗んで衝動買いした絵画や彫刻はといった無駄な物はできるだけ高く売ってやりくりをしていたが、またしても借金が出来てしまっていて、さらなる援助なしには立ち行かなくなるのは目に見えていた。
そのため、昨夜、父と兄からシャロンにとある金持ちの老人の後妻になる様にと命じられたばかりだったのだ。
自分の父よりも年上の老人との結婚も嫌だが、大っ嫌いなアイザックとの結婚はもっと嫌だった。
だからこそ、シャロンは強い口調で言ったのだ。
「貴方と結婚するくらいなら、もうすぐ死んじゃいそうなおじいちゃんと結婚した方がましよ! お金だって、おじいちゃんに言って、貴方に返すわよ! それなら―――」
シャロンが勢いに任せてそう口走った時だった。シャロンを見つめていたアイザックの漆黒の瞳が冷たい光を孕んだ次の瞬間にそれは起こった。
強い力で手首を掴まれたシャロンはそのままアイザックに壁際まで追いやられてしまったのだ。
そして、逃げられないようにシャロンの足の間に膝を入れたアイザックは、彼女の両手を一掴みにして壁に縫い付けて言ったのだ。
「君が俺以外と結婚なんて許されない」
そんな身勝手なことを言うアイザックに対して、シャロンは腹が立って仕方がなかった。
最初にシャロンを裏切って、離れて行ったのはアイザックの方だというのに。
そんなシャロンの心中に気が付いていないアイザックは、言葉を続けていた。
「君は、俺と結婚するんだ。それ以外なんて絶対に許さない。どんな手を使ってでも相手を殺して、君を取り戻すからな。君と結ばれる者が無残な最期を遂げるところを見たいというのなら好きにするがいい」
身勝手すぎる脅迫じみた言葉の数々にシャロンも黙ってはいられない。
きっ、とアイザックを見上げるようにして睨みつけたシャロンは怒りに燃える瞳で言うのだ。
「大っ嫌い! 大っ嫌いよ! あんたなんて、あんたなんて!!」
シャロンに「大嫌い」と何度も言われたアイザックは、完全に頭に血が上ってしまっていた。だからこその暴挙に出ていたともいえる。
これ以上、シャロンの口から嫌いという言葉を聞きたくなかったアイザックは、彼女の小さな唇を塞いでいた。
初めて触れたシャロンの唇の甘さにアイザックは夢中になっていた。
息継ぎすら出来ずに苦し気に表情を歪めるシャロンの唇を甘く嚙んだ後にアイザックは、やっとシャロンを解放した。
突然のことについていけないでいるシャロンだったが、遅れてアイザックに貪るような深いキスをされていたという事実に気が付く。
全身を真っ赤に染めたシャロンは、口元を乱暴にごしごしと何度も擦るが、アイザックによってそれは止められてしまった。
「シャロン。すまない……」
何に対しての謝罪なのかと頭にきたシャロンは、アイザックの襟首を引っ掴み怒鳴りつける。
「どういうつもりよ! あんた、もしかして私を襲って無理やり結婚でもするっていうの?! 本当に最低! 昔からそうよ! あの時も、あんたの方が先に私から逃げたくせに! それなのに、なんでまた私に近づいてきたのよ! 嫌い嫌い嫌い嫌い、大っ嫌い!!」
最後には目じりに涙を浮かべてしまっていたシャロン。
そんなシャロンの涙を唇で優しく拭ったアイザックは、もう隠してなどいられないと言葉を紡ぐ。
「俺だって! 君があんなことさえしなければずっと傍に居た! そして時が来たら君に告白をして、結婚を申し込むつもりだったのに! 君が、君が台無しにしたんだ!」
「なっ! 私の所為だって言うの? 信じられない! バカバカ嫌い嫌い!!」
「どう考えても君が悪い!」
「私は何も悪くないもん!」
「じゃあ君の罪を一から順に説明するから、よく聞けよ」
そう言ったアイザックは、十年前のある朝の出来事を思い出す。忌まわしいあの朝の記憶を。
それは、アイザックが十六歳、シャロンが八歳の時のことだった。
当時の二人は、実の兄と妹のようにとても仲のいい幼馴染だったのだ。ただし、アイザックは、八歳年下のシャロンに好意を寄せていた。
当時のシャロンは、ことあるごとに兄のようなアイザックに「将来、お兄様とシャロは結婚するのよ」と言って、アイザックを困らせていた。
ただし、アイザックは、時が来たらきちんと告白し、何れは本当に結婚したいと考えていたのだ。
そんなある日のことだった。
アイザックの屋敷に遊びに来ていたシャロンが、まだ眠っているアイザックのベットに潜り込んだことが事の始まりだった。
ベッドに潜り込んだシャロンは、眠っているアイザックのある部分が腫れていることに気が付いたのだ。
当時のアイザックは、騎士学校に通う学生だったのだ。
アイザックの剣術は、騎士学校でもトップクラスだったが、時には怪我をすることもあったのだ。
そんなアイザックが怪我をしていることに気が付いたシャロンはというと、「大変! こんなに腫れて。早くお兄様の怪我の手当てをしないと!!」という思いで行動していたのだ。
手当てをするために、アイザックの寝間着のズボンを下ろすと、下着を押し上げるようにして、ある部分が腫れあがっていたのだ。さらには、膿も出ているようで下着が汚れていたのだ。
これは大変だと感じたシャロンは、急いで下着も下したのだ。
そして、腫れあがって、膿を出している部分を持っていたハンカチで丁寧に拭うのだ。
それでも、じわじわと膿は出続けて、途方にくれるシャロン。
アイザックの怪我に気を取られているシャロンは気が付いていなかったのだ。
彼が目を覚ましたということに。
アイザックはというと、股間に違和感を覚えて目を覚ましてすぐに、目の前に広がる状況に混乱していた。
泣きながら自分の股間をハンカチで懸命に擦るシャロンに気が付いた時にはすでに、アイザックは爆発寸前だったのだ。
爆発しまいと必死になっていたアイザックだったが、シャロンに手を放すようにと声をかける前に堪えきることができなくなり、何もかもが終わってしまったのだ。
そのことがあってからというもの、思いを寄せる相手の前で惨めにも盛大に粗相をしてしまったという事実から、アイザックは羞恥のあまりシャロンを避けるようになっていた。
当時、あの朝の出来事がどういったことだったのか理解できていないシャロンは、突然大好きなアイザックに避けられることに相当ショックを受けたのだ。
それから、シャロンも意地になり、アイザックを嫌うようになっていったのだ。
当時のことを思い出して、死にたくなったアイザックは恥をかなぐり捨てるようにシャロンに言ったのだ。
「君が俺を襲ったんだ! あの日、俺の寝込みを!」
全く心当たりのないシャロンは、コテンと首を傾げる。その姿が可愛くて、憎くて、アイザックは秘めていた想いをすべて吐き出す。
「あの日、君にあんなことされた俺は、来る日も来る日も君のあられもない姿を妄想して最低なことをしていたんだぞ。まだ初潮も来ていないだろう君を相手に俺は……。それなのに、君は俺に無防備に近づいて! 押し倒さないように必死に我慢している俺を誘惑して! 全部君が悪い、君は俺の初めてを奪った責任があるんだ! だから、俺と結婚するしかないんだ!」
「は? 何言ってるの? あんたばっかじゃないの?」
「君を俺の魔の手から守るためだけに、シェリーから持ち掛けられたしたくもない結婚もしたんだ! だけど、歯止めになっていたシェリーはもういない。俺は、もう自分を偽れない。それなのに、君は祖父ほど年の離れた老人の後妻になるだと? そんなこと絶対に許さない」
大好きな姉との結婚をしたくもない結婚だったとカミングアウトされたシャロンは絶句する。
言葉を失っているシャロンに構うことなく、アイザックは言葉を吐き出し続ける。
「全部全部、君が悪いんだからな? だから、責任取って、俺を貰うしか君には選択肢なんてないんだよ」
そう言ったアイザックは、勢いのままシャロンのすべてを奪っていった。
責めるような口の割に、アイザックはシャロンを優しく、そして甘く蕩けさせる。
すべてが終わった時、アイザックはシャロンの唇に甘いキスをして言ったのだ。
「分かっただろう? 君が俺にした酷いことが何だったのか? だけど、俺は君に酷いことなどしなかっただろう?」
低く、それでいて甘さを含んだアイザックの言葉に、シャロンは当時の自分の無知さを思い知り、死にたくなった。
それでも、アイザックからまっすぐに向けられる想いを知ってしまった今では、もう心を偽ることなどできないかった。シャロンは、アイザックの唇に自らキスをすることで覚悟を決める。
「うん。私が悪かった。だから、責任取って、アイザックを貰ってあげる。末永くよろしくってことでいいかな?」
シャロンのぶっきらぼうなその物言いに、アイザックは笑ってしまっていた。
「ふふ。よろしく、俺の愛しいお嫁様」
「うん。私の愛しい旦那様」
『大嫌いな幼馴染(バツイチ)と結婚することになりました』 おわり
最後までお付き合いいただきありがとうございました。