第56話 皇帝バーディス
「アーシャ!」
ダニーは力を解き、アーシャの浮かぶ炎のもとへ駆ける。白銀の鋼毛は走る勢いのままに散り、人の姿へと戻った。トルネードもまた炎のもとへ駆ける。
巨大な炎の中心は、とても手が届きそうにない。2人は炎の前で立ち止まった。炎は熱く、火花を散らし接触を拒む。
「さっき投げたナイフが跡形も無く溶けた。入ることは出来ん」
「じゃあどうするってんだよ! おい、アーシャッ! 大丈夫かッ!」
観察し思考するトルネード。ダニーは焦り、呼び掛ける。アーシャは炎の中心に立ったまま眠ったように浮かび、ぴくりとも動かない。
その時、頭上から何かが迫る音が響き、トルネードは上を見上げた。
――ゴォォォォオオオオ……
「――来る。ダニー、構えろ」
「え?! 何が? アーシャはどうすんだよ!」
「いま考えてる。が、まずは俺達が死なないことだ」
トルネードは両脚から3本ずつ投げナイフを抜き、20m離れたドーム壁にある扉を注視する。ダニーはトルネードの緊迫感に圧され、慌てて両手に曲刀を構えた。トルネードが、死なないようにだって? 一体どんな奴が来るってんだ……!
――ガコン……
昇降機が到着し、鉄扉が軋む音をあげながら開く。鉄箱から登場したのは、ひとりの男。
後ろに流した銀の長髪に、初老とは思えぬほど若々しく、自信と威厳溢れる顔立ち。漆黒の鎧とマントを纏うその男は、恐ろしく冷たい目と声で、言を放つ。
「退け」
――……!
瞬間、闇夜が広がり吹雪が吹き付けるような圧がダニーを襲う。20mも先からのただの一言に、ダニーは身震いした。一瞬で心の奥底まで凍りつくような恐怖と威圧……! 間違いねえ、アイツが――
「≪皇帝≫、バーディス……!」
一方トルネードはガープに想いを馳せ、両手のナイフを強く握る。敗れたか……だが、ガープはそう簡単に倒れる男じゃない。今は生きていることを信じるしかない――。
緊迫する2人と対照的に、バーディスは細剣を提げ悠然と歩を進める。
――カツ、カツ、カツ……
ダニーは皇帝が一歩近付くたび、圧が強まるのを感じた。体格はトルネードと同格だが、カラダ以上にデカく見える……! 怖がってるのか、オレは……!
恐怖を振り払うように力を込め、メキメキと白銀の鋼毛を生やす。強張る顔を隠すように白面が覆い、背から銀翼が伸びる。
巨大な炎がドームを赤々と照らし、熱する。
炎を背にしたダニーもまた、その白銀の鋼毛を赤く輝かせ、迫る皇帝の圧に抗う。
その距離、わずか10m。
先に動いたのは、トルネードだった。
トルネードが目にも止まらぬ速さで旋回すると、あまりの速度に竜巻のごとく背の炎を巻き込んでいく! 龍のように絡む炎を投げナイフに纏わせ、回転の勢いのままに放つ。計6本の銀刃は絡み合う6匹の炎龍となって、皇帝のもとへ飛翔する――!
さらにトルネードは腰から二刀を抜き、炎龍の後を追って皇帝のもとへ駆ける。即座に次刃を振るうために。空を焼く炎龍が皇帝に迫るその時――
――皇帝は呆れたように、短く息を漏らす。
「相変わらず小賢しい」
刹那、炎龍が皇帝の放つ圧に霧散した。あらわになったナイフは宙に一瞬停止し、虚しい音を響かせて地に落ちる。
「――ッ!」
駆けていたトルネードはすぐさま地を蹴って後ろに跳び退いた。瞬間、トルネードの前身から血が噴き出す!
「――ぐっ!」
たまらず膝を着くトルネードのもとへ、ダニーは慌てて駆け寄った。一体何が起きた!?!? トルネードがとんでもない凄技を放ったと思ったら、炎が皇帝の目の前でブワっと激しく散って――それで何でトルネードの方が血だらけになってんだ……!
ダニーが悠然と立つ皇帝に目をやると、その右手に提げた細剣から血が滴っていた。まさか、今の一瞬で斬られたってのか!?
「……ッ」
トルネードは口から滴る血を拭い、冷静に思考する。このままでは――勝てない。
トルネードには、見えていた。
六炎龍が皇帝に迫った瞬間、皇帝は細剣でナイフの剣先を六連突きし、全て止めて見せた。6本のナイフをほぼ同時に突き、剣風で炎をかき消す恐ろしい剣速。弾くでもなく止める、一分の無駄もない人間離れした精度。さらには、俺の全身を蜂の巣にせんとする多段突き。ギリギリ跳び下がって前身をわずかに突かれただけに抑えたが、それでもこの威力――!
皇帝は細剣から血を滴らせながら、再び歩を進める。まるでトルネードとダニーのことなど見えていないかのように横を通り過ぎ、悠然と炎の前に立つ。
ダニーは、動けなかった。トルネードが膝を着いたまま動かないのもあるが、まるで敵う気がしなかった。2人の戦いに全く着いていけてない……これがトルネードが見据えてた≪強者≫……!
炎に赤々と照らされた皇帝が、アーシャを見上げ呟く。
「……よく似ている。憎らしい程に」
「……何だと」
皇帝の言葉にトルネードが疑念を抱いたその時――
――ゴガァァンッ!!
昇降機の扉奥から轟音が響き、扉の隙間から灰煙が漏れる。遥か高みから飛び降りて鉄製の昇降機を踏み潰し、扉をこじ開けて現れるは、黒鱗の剣士。
「≪鱗の男≫か」
皇帝は昇降機に背を向けたままその名を発した。
「てめえがルクレイシアの親玉だな」
ニドは堂々とトルネードのもとに歩みながら、場を理解する。――血だらけで膝を着く英雄に、ビビって動けねえ小僧。ルクレイシアは見当たらねえ。アーシャは……炎の中か。皇帝を無視して連れ出すってわけにゃあ行かねえな。
「あんたでも勝てねえのか」
ニドの問いかけに、トルネードはゆっくりと立ち上がり二刀を構えると、気を整えるよう息を吐いた。
「ああ。俺だけでは」
「だったら――」
ニドは背の大剣の柄を強く握り締め、皇帝を睨み付ける。
「――闘ろうぜ」





