第47話 始まりの記憶
◆――……
これは、炎に揺らめく1000年前の記憶。
≪炎の百日≫より前、まだ大陸が緑に溢れていた頃。世は現代以上に魔獣が蔓延り、人々は散り散りになってひっそりと暮らしていた。
全てはウォール山脈の最北端≪死神の釜≫の岩窟、17歳の少年少女達の物語から始まる――
……――◆
「まーた昔の本読んでるの? ゼノヴァ」
岩山を掘った洞穴の一室で、灰髪の少女が銀髪の少年の背に声をかける。少年は机に向かったまま、ろうそくの灯りで橙に照らされた本から目を離さない。ゴツゴツした岩壁沿いには、幾年前からそこにあるのかわからないほど古びた本がうず高く積まれていた。
「サンドラか。そ、今大事なところなんだ。タナトス神話と器の容量について――」
「あーストップストップ、朝食にオムレツ作ったから呼びに来たんだけど」
言われてみれば、部屋の外から美味しそうな香りが漂う。銀髪の少年――ゼノヴァは重くカビ臭い本をバタンと閉め、立ち上がった。
……
「よう、先にいただいてるぜ。さっすがサンドラのミートソースオムレツ、絶品絶品」
サンドラとゼノヴァが食堂用の大きな洞穴部屋に入ると、食卓に座る茶髪の少年がモグモグしながら2人に声をかける。周囲には生気の無い大人達が黙々と食事を取っていた。
「あーっ、それゼノヴァの! ウィルのはあっちだったのに。あんたはどーせかっこむんだから」
サンドラが指差す先には、やや崩れたオムレツが皿に盛られていた。ゼノヴァは構わずその席に座り、合掌する。
「僕は構わないよ。美味しそうだ」
「そう? ありがと!」
ゼノヴァが微笑みかけると、サンドラは正面に座り、頬を真っ赤にしながら満面の笑みで返した。オムレツを一気にかきこんだ茶髪の少年――ウィルは、2人の空気に当て付けるようにバンと手を合わせ、席を立つ。
「ごっそーさん! おいゼノヴァ、今日は負けねーかんな、食ったらすぐ≪釜≫に来いよ!」
ウィルはゼノヴァの返事も聞かず、太刀を片手に駆け出していった。ゼノヴァは「わかってるよ」と軽く手を振り、オムレツを口に運ぶ。サンドラはゼノヴァが食べ終わるまで、嬉しそうにずっと見つめていた。
……
「だーっ、負けた!」
大穴に突き出た平らな岩盤の上で、ウィルは汗だくになって大の字に倒れ込んだ。仰げば天頂の陽が眩しく射している。そばには細剣を構えたゼノヴァが、息を整えながら立っていた。
「君は力任せ過ぎる。もっと頭を使わなきゃ」
「そーいうのは苦手なんだよなあ」
ゼノヴァは細剣を納めて片手を差し出し、ウィルを起こした。
「苦手とか言ってる場合じゃないだろ?」
「……ああ」
2人は、岩盤の先に立つサンドラの後ろ姿を見ながら、低い声で話す。
「ここもいつ魔獣に襲われるかわからない。大人達は生きることを諦めきってるけど、僕達は違う」
「強くなって、魔獣どもをぶっ倒す!」
「散った人々を集めて、強い国を作る」
「あいつの夢を叶えてやるんだ。この狭い岩窟を出て、平和な世界を自由に旅するって」
「……。もっと、圧倒的な力が必要だ……」
サンドラは2人の視線に気付いたのか、くるりと振り返った。長い灰髪がふわりとなびき、陽を浴びて銀に煌めく。
「なに、2人してこっち見て。何の話?」
「内緒だよ」
「お前には教えてやんねー」
「えー、ずるい」
会話しながら2人はサンドラのそばに歩み寄り、一緒に大穴を覗いた。高い崖に囲まれた大穴の底には、轟々と炎が燃え盛っている。
「また、炎の声?」
ゼノヴァの問いに、サンドラは少し恥ずかしそうにこくりと頷いた。
サンドラは、幼い頃から自分だけ炎の声が聞こえ、大人達から気味悪がられていた。それでもゼノヴァとウィルだけは最初から少しも疑わず接してくれる。だからサンドラは、2人のことをいつも特別に思っていた。
「うん、『何を焼きたいか』って」
「何て答えた?」
今度はウィルが聞くと、サンドラは少し黙ってから、にひっと笑って答える。
「……オムレツ!」
「だはっ、それ最高!」
サンドラとウィルは顔を上げて爆笑した。が、ゼノヴァだけは笑えずに、じっと炎を見ていた。その様子に気付いたウィルは、笑いを止めて問う。
「どーしたよ」
「……神話と同じだ。やはり……いや、しかし……」
口に手を当て、ぶつぶつと考えるゼノヴァ。ウィルはまたいつもの独り言が始まったとばかりに追求を止めたが、サンドラは今朝の出来事を思い出し、気になって聞いた。
「神話って、今朝言ってたタナトス神話?」
「……うん。少し長くなるけど、聞いてほしい。特に、サンドラには」
それからゼノヴァは、2人にわかりやすいよう噛み砕いてタナトス神話を説明した――
◆――……
昔々、神々が世界を創っている頃。
神の一柱である巨大な竜≪タナトス≫が、世界に火を落とした。
火は風を呼び、雨を降らせ、地を育んだ。
世界を回す流れの源――即ち、≪流転の炎≫。
熱を帯びた世界は、多様な本質を持つ生命を産んだ。雨を呼ぶ鳥、地を割る大猿、魂喰らう黒龍――そして生まれた灰髪の原初の人間は、謀をもって神のもたらした火を我が物にする。
火は闇を退け、餓えと冷えを退けた。子孫を増やし繁栄した人間は、やがて互いに火の力で争い合う。
火は、多くの死を生んだ。
神々はこれを憂い、生命に器の枷を嵌め、力を抑え込んだ。責を問われたタナトスは、死神の烙印を捺され、原初の人間と共に奈落へ落とされる。タナトスは自らを責め、自身を炎で燃やした。
ついには炎そのものと化したタナトスは、今も人間に問い続けていると言う。
『我をもって何を灰とす』と。
……――◆
「……それが、この釜に燃える炎だってのか?」
ウィルはゼノヴァの説明を自分なりに落とし込みながら質問した。ゼノヴァはこくりと頷く。
「神典がこの岩窟にあったのは偶然じゃない。ずっと昔の誰かが神話を研究して、この釜の炎こそが流転の炎だと考えたんだ。だが誰も信じなかった。声が聞こえなかったから。でも、サンドラは――」
サンドラが心配そうに聞き入るのを見て、ゼノヴァは口をつぐみ、続きをためらった。伝えていいものか。伝えれば、いざという時、彼女は……。いや、それを決めるのは僕じゃない。彼女自身だ。
ゼノヴァが口を開こうとしたその時――
――ブモオオオオオッ!
突如洞穴内から獣の咆哮が轟く!
「何だ!?」
ウィルは慌てて太刀を拾い洞穴の入り口へ向かう。が、入り口の手前で足を止めた。中から大人達の阿鼻叫喚が響き、複数の獣の声、何かが砕け裂ける音が響く。入ったらヤバい――本能的にウィルの身体は強張った。全身の震えを振り払うように、洞穴に向かい太刀を構えて吠える。
「サンドラ、こっち来んな! 魔獣だ! ゼノヴァ……『いつ』が来たぜ。逃げ場はねえ。やるぞ、俺達でッ!」
太刀を握り締める手は汗ばみ、頬を一滴の冷や汗が伝う。やがて悲鳴と咆哮が静まり、ウィルの眼前、暗闇からのしのしと足音が迫る。
闇に赤い眼が光ったかと思うと、巨大な猪の魔獣が突進し、灰色の巨駆がウィルを急襲した。
――ドガァッ!
「――ッ!!」
ウィルは猪のぶちかましを咄嗟に太刀で受けながら後方へ跳び、衝撃を流した。太刀を握る両手がビリビリと痺れる。
一発でもまともに食らえばひとたまりもない。ウィルが気を引き締め太刀を握り直すと、魔獣の後ろの洞穴からぞろぞろと猪の群れが這い出した。殺気に満ちた獣が視野いっぱいに溢れ、否応なく気圧される。
「……!」
勝てるのか……? 気後れし身体が硬直した瞬間、再び巨猪がぶちかまし、ウィルはまともに吹っ飛ばされた。一撃で肋骨がイカれ、岩盤に全身を打ち付けられて立つことも出来ない。
「ぐはあッ! がはっ、ごぼっ」
大量の吐血。猪の群れは、血だらけで仰向けに倒れたウィルをゆっくりと囲み始める。
「くそッ……ゼノヴァ……頼……」
ウィルは辛うじて首を動かし、血に霞む視界越しにゼノヴァとサンドラを見た。
サンドラは炎の大穴を背に岩盤の先に立ち、ゼノヴァに何か話しかけている。照れた仕草で一言告げると――
サンドラはゼノヴァに刹那のキスをして――
――微笑みながら自ら倒れるように大穴へ落ちていった。
「な――――!」
大量出血で薄れていた意識が覚醒する。しかし満身創痍で起きようにも起き上がれない。ウィルが這いつくばって大穴のもとへ行こうとしたその時――
――ドォォォオオオオンッ!
突如大穴の炎が噴き出した。
それはまるで天を衝く御柱の様に、太く高く、大穴いっぱいに凄まじい勢いで噴き上げた。
「! …ドラ……サンドラぁッ!!」
ウィルは這いずりながら炎の御柱を見上げ叫んだ。猪の魔獣達が噴炎を警戒し後ずさる中、ウィルはずりずりとサンドラの落ちた地点――ゼノヴァのもとへ這い寄る。
ようやく足元まで這い、ゼノヴァの顔を見上げてみれば、その頬には一筋の涙が流れていた。ゼノヴァは黙って、強い意思を持った眼差しで炎を見つめていた。
「おい、ゼノヴァ――」
「黙って見てて。これはサンドラの覚悟だ。僕は見届けなきゃいけない。僕が、受け止めなきゃいけない」
「……」
ウィルは意味がわからなかった。
なぜサンドラが落ちたのか、なぜ急に炎が噴き上げたのか、ゼノヴァが何を言っているのか。
何も、何もわからなかった。
やがて炎は、吸い込まれるように一点へ収束していく。
中空に浮かぶ人影へと。
「あ……!」
ウィルはその影が何かすぐわかった。
その背からは炎の両翼が伸び、髪は燃えるように赤く染まり天にたなびく。しかし紛れもなくその影は、サンドラそのものだった。ウィルは驚きながら声をかける。
「サンドラ! 生きてたのか!」
サンドラの表情は冷たく、ウィルに見向きもせずゆっくりと岩盤の先に降り立った。ウィル達を無視して間を通り過ぎると、猪の魔獣に向けて軽く手を払った。瞬間、魔獣達は悲鳴を上げる間もなく豪炎に包まれ、灰と散る。炎の両翼は煙となって立ち消え、たなびいていた赤い長髪がパサと落ちた。
「……! サン……ドラ……? サンドラ、おい、サンドラ!」
目の前で起きたことが信じられず、ウィルはサンドラの背に何度も声をかけた。が、反応は無い。するとゼノヴァがサンドラの横に歩み、サンドラの顔を見た。その顔は仮面が張り付いたかのように、何の心も感じられなかった。ゼノヴァは俯いて首を振る。
「おい……ゼノヴァ。どうしたよ、何か言えよ!」
ウィルは太刀を杖代わりによろよろと立ち上がり、苛ついた声でゼノヴァに呼び掛けた。ゼノヴァはギリギリと拳を握り締めながら、ゆっくりと口を開く。
「……サンドラは、≪流転の炎≫を……魂を犠牲に……」
「ハッキリ言えよ! わかんねえんだよ、何も……!」
ウィルは太刀を突き足を引きずりながらゼノヴァのもとへ寄り、眼前に立って睨み付けた。ゼノヴァは視線をそらし、低い声で答える。
「サンドラは僕達を助けるため、自ら炎に落ちタナトスと交渉した。そして≪流転の炎≫を手にしたんだ。……」
「黙るな、続きを言えよ。サンドラはどうなった、明らかにおかしいだろうがッ!」
ゼノヴァはキッとウィルを睨み返し、叫ぶ。
「《《魂が壊れた》》んだよッ!!」
ゼノヴァの迫力にウィルは気圧された。いつも冷静なゼノヴァが声を荒げるのを見たのは、初めてのことだった。ゼノヴァはハアハアと息を吐き、冷静に努めようと声を抑える。
「神の炎は、僕ら人間の≪器≫に収まらない。声が聞けるサンドラは適性があったから辛うじて人の形を保っているけど、≪魂≫は耐えられなかったんだ」
ウィルはしばらく黙ってから、口を開く。
「……なんでてめえはわかる? いや、わかってたんだな? 理解ってて! サンドラに言いやがったのか、炎に落ちろってッ!」
「言うわけないだろ、そんなことッ!!」
ゼノヴァは再びウィルに叫び返した。もう声を抑えることは出来なかった。
「サンドラは全部自分でわかってた! ずっと前からタナトスと会話してたんだよ。オムレツが焼きたいなんて冗談言ってさ――僕達にも黙ってたんだ、気を遣って! ……君の苛立ちを僕にぶつけるな! 僕だって、僕だって……!」
「……ッ! それでもッ! 俺だったらふん捕まえてでも落とさねえ! サンドラが壊れちまうなんてわかってたら……!」
「それじゃあ皆死んでただろ! 魔獣に一撃でやられたのは君じゃないか!」
怒鳴り合う2人が本当に苛ついていたのは、互いに自分自身に対してだった。自らの弱さが、サンドラを炎に飛び込ませた。自身の剣が魔獣を斬れていれば、サンドラの魂は犠牲になることはなかった。
「……ちくしょうッ!」
互いに悔しさを噛み締め、わずかな沈黙が流れる。やがてウィルは、忘れていた痛みに全身を襲われ、ずるずるとその場に座り込んだ。ゼノヴァはサンドラの手を取り、洞穴へ連れ歩きだす。
「……どこ行く気だ」
「責任を果たしに」
「責任……?」
ゼノヴァは背を向けたまま足を止め、答える。
「平和な世を築くんだ。サンドラの力で魔獣を退け、強い国を作る」
「ふざけんなよ、そんな状態のサンドラをまだ利用しようってのか」
「……サンドラの力は、活かさなきゃいけない。君はサンドラの覚悟を無駄にしたいのか」
ウィルはぎりりと歯噛みしてから、俯きがちにポツリと問いかける。
「……ひとつ、教えてくれ。サンドラは最期に、何て言った」
ゼノヴァはサンドラの手を引いて洞穴へ歩き出しながら、静かに答える。
「『大好き』……だよ」
その答えだけ残し、ゼノヴァとサンドラは岩窟の闇に消えた。ひとり岩盤に残ったウィルは、ずるりとその場に倒れ込む。
「……ちくしょう……ちくしょ……う……」
ウィルは涙を流しながら、弱々しく地面を拳で叩いた。出血で薄れ行く意識の中、2人の消えた闇を見つめて――……。
◆――……
これは、始まりの記憶。
≪流転の炎≫を宿したサンドラと、
後に英雄となるゼノヴァとウィルの始まり。
記憶は、≪炎の百日≫へと続いていく――
……――◆





