第31話 神炭
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時を遡ること5年。
孤児院を発った英雄トルネードは、深緑の聖女の命により単身でウォール山脈を越え、ノア帝国の首都ヴィハンへ向かった。
「10年振りか、帝国に潜入するのは……相変わらず業深い地だ」
山脈を越えた先、帝国の領土である東エウロパ大陸は、樹教国よりいっそう灰が深く積もり、常に霧のように灰煙が立ち込めている。わずか1km先も見通せないほど視界が悪く、どこから魔獣に襲われるか見えず危険だが、身を隠し忍び込むのには好都合だった。トルネードは無事、深いもやの漂う大灰海に浮かぶ巨大な街――《帝都ヴィハン》に潜入する。
潜入先は、高くそびえる石壁に囲まれた要塞のごとき都……ではなく、その壁を取り囲むように広がるスラム街だった。雨風もしのげぬ簡素な藁小屋が所狭しと建ち並び、たびたび魔獣に襲われては壊された瓦礫がそこかしこに積まれている。
灰煙と死臭漂うこの街で、トルネードは事前に調整していたある人物のもとを訪ねる。その人物は、ホコリの積もる藁小屋の中でゴザに胡座をかき、トルネードに欠けた杯を出しながら感慨深げに話しかけた。
「まさかお前さんと手ぇ組むことになるたぁなあ……≪西の英雄≫トルネードよ」
「真の平和のためなら、俺は誰とでも手を組むさ。たとえ旧敵であってもな、ガープ」
トルネードは破れたゴザの上に腰をおろし、欠けた杯に注がれた酒をくいと飲み干すと、ガープと呼んだ初老の男に酒を注ぎ返した。
その男は、帝国の元将軍ガープ。熊のごとき巨躯に古びた布切れをまとい、傷だらけの顔にはボサボサの白ひげを蓄えている。若き頃のバーディスとともにノア帝国を築き上げた立役者であり、過去には幾度もトルネードと剣を交えていたが、ある時を機に将の座を退いていた。
ガープは注がれた酒をぐいと飲み、ぷはあと哀しみの息を吐く。
「……バーディスは変わっちまった。小国が乱立する東大陸を統一して、魔獣に負けぬ強固な国を作る……そんな大志を持った、でかい器の男だった。樹教国に攻め込むのも、初めは民をより安全な地へ住まわすためだったんだがの」
「でかい器……ね。魔獣に負けぬ国どころか、今や自国の民を灰人兵にしてやがる。ガープ、皇帝バーディスに一体何があった」
トルネードはガープの空いた杯に酒を注ぎながら、声をいっそう低くして問う。ガープは怒りに任せ酒を喉に流し込むと、卓代わりの木箱に杯をダンと置いた。
「奴は魅せられたのよ! この大灰海の底に眠る紅蓮の魔女の置き土産、絶大なエネルギーを秘めた巨大な赤炭――≪神炭≫にな! 帝下四仙将とかいう怪しげな奴等をどこぞより引き連れ、≪神炭≫の力を引き出さんとあらゆる実験を始めた。赤炭の力をヒトに取り込む灰人実験もその一端よ! まるで魂が入れ替わったみてえに力に狂っちまいやがって……以前の奴なら、民を怪物になど絶対にしやしなかったッ!」
「落ち着け、ガープ」
ボロ小屋が軋みパラパラと屋根藁が降るほど、ガープは怒りに打ち震える。
「落ち着いてなどいられるものかッ! 儂の部下も知らぬ間に≪粉≫を飲まされ、灰人にされていたんだぞッ! 儂は今でも夢に見る。部下たちの呻きを……」
トルネードは黙って酒を飲み、ガープの思いの丈を受け止める。ガープは巨体に酒をかっくらいながら怒りと自責の念を語りに語り、酒瓶を5本も空けた所でようやく落ち着きを取り戻した。
「……もはや樹教国侵攻に大義はない。バーディスは力に狂い、争いそのものが目的になっとる。帝下四仙将も狂人揃いだ。戦闘狂のダラライや紅蓮の魔女の狂信者、心無い剣士に、極めつけがあのルクレイシアよ。儂は軍を抜け、自暴自棄になってここに住み着いた。お前さんからの文に目を覚ますまで、儂はカラスについばまれる死骸も同然だった」
「ふ、死にそうな体には見えんが」
「何の、これでもだいぶ筋肉が落ちたわい」
トルネードの茶々にガープは少しだけ笑みを浮かべ、丸太のような腕で力こぶを作った。トルネードはここが機会とばかりに核心に切り込む。
「正さなきゃあならんな、帝国を」
「うむ、儂らの手で」
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こうしてトルネードはガープを旗頭に、反帝組織≪プライド≫を立ち上げた。その名には、かつてバーディスが掲げた「民を魔獣から守る」正しき帝国の誇りを取り戻さんとする、ガープの願いが込められていた。
たった2人から始まった小さな≪プライド≫は、手始めにガープの元部下達を、続いてスラム街の貧民達を巻き込んでいく。5年の歳月をかけて組織は着実に力を増し、今や帝都中に根を張る大きな≪プライド≫に成長していた。
「頃合いだな、トルネード。お前さんとこの助力、期待しとるぞ」
「ああ。協力の証に、王子が来る手はずになってる」
スラム街の一角に建てた丸太小屋――誇りある者達の集う≪プライド≫のアジトで、2人は卓を囲み、再び酒を酌み交わす。
「樹士団の動きに合わせ、蜂起するぞ。――革命の日は近い」
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「――以上が、トルネードから得た帝国の内情だ。我々樹士団は、樹教国民のためのみならず、全大陸民のためにも、≪神炭≫に魅せられた暴君バーディス及び帝下四仙将を討たねばならない」
国境砦の作戦室で、聖女様は帝国の内情を説明した。円卓を囲む隊長達は英雄生存の事実に喜び、帝国との決戦に向けいっそう士気が高揚していた。
もちろん私も冷静じゃいられない。トルネードが生きていたんだ……! 人知れず大陸全土の平和のために動いていたなんて! 私も手伝いたい。私の炎で、出来ることがあるのなら……!
「今日の会議はここまでだ。作戦の詳細は追って伝達する。まずは各隊とも灰人制圧に充てていた隊員を急ぎ召集せよ。解散!」
興奮冷めやらぬ中、聖女様が閉会宣言をし、隊長達はキビキビと退室していく。ユウリイが席を立ち、私とダニーもユウリイに続こうとした所で、聖女様が私達に声をかけた。
「アーシャ、ダニエル。お前達は残れ。少し話がある」
「え、私達ですか!?」
私は思わぬ声がけに浮いた声を上げ、聖女様のもとへ歩み寄る。ダニーもタッと駆け寄った。隊長達が全員退室し、扉がバタンと閉まったところで、聖女様が再び口を開いた。
「アーシャ、≪炎≫の調子はどうだ。何か変わったことはないか? 例えば、そうだな……何かを語りかけてきたりは」
? 決戦に向けた大事な時に、聖女様がなぜわざわざ私の炎の調子を聞くんだろう……?
「……あります。最近は赤髪の少女を象った炎が、色々喋るんです。よくわからないことを」
「! ……そうか」
正直に話すと、聖女様は頷き、ほとんど聞き取れない小さな声で呟き始める。
「……やはりトルネードの見立て通り……≪神炭≫……共鳴か? 危ういな……」
口元に手を当て、思考を巡らせたのち、聖女様はあらためてこちらを向いた。
「すまん、ただの独り言だ。さて、トルネードから、お前達に言伝てがあってな。まったく、この私を伝言板に使うなどあやつぐらいのものよ」
「トルネードから?」
聖女様は葉巻を灰皿に置くと、椅子から立ち上がってこちらを向き、淡々と言い放つ。
「アーシャ、お前は孤児院へ帰れ。ダニエル、アーシャを失いたくなければ、無理矢理にでも孤児院へ連れて行け。――伝言は以上だ。質問は受け付けない」
「!? いきなりそんな、どういうことですか?」
突き放したような伝言に動揺しているうちに、聖女様は深緑のマントを翻し、ゴツゴツと大股で退室していった。
……
広い作戦室にただ2人残された私とダニーは、顔を見合わせる。
「……ねえダニー、どういうことだと思う? 突然孤児院へ帰れなんて。トルネードが生きてるって知って、私も手伝いたいって、そう思ったのに……。何だか急に突き放されて、私戸惑ってる」
「トルネードはお見通しなんだろ」
「……?」
私が首を傾げると、ダニーは思考を整理するように言う。
「トルネードは、自分の事情を知ればアーシャが来たがるってわかってたんだ。だけど、トルネードのいる場所は敵地のど真ん中……危険すぎる。だから先手を打って、帰れって言ったんじゃないか」
「うーん、それだけじゃないような気がするんだけどな……」
さっきの聖女様の様子は、何かもっと別のことを案じていたような……。
「とにかく、オレはお前を孤児院に連れて行くぞ。トルネードが生きてること、ママに早く知らせてあげなくちゃいけないしな」
「あ!! そうだね! ママ、絶対喜ぶよ!」
そうだ、ママはトルネードが帰ってくるのを信じて、ずっと待ってる。生きてるってこと、教えてあげなくっちゃ……! 帝国との決戦のことは色々気になるけど、作戦開始までまだ2週間。孤児院へ行っても、何とか帰ってくる時間はある。
「よし、孤児院に帰るぞ」
「うん!」
こうして私とダニーは国境砦を後にし、大陸円環鉄道に乗って懐かしの孤児院へと向かった――……





