第21話 残酷な希望
ユウリイがアーシャとレイニー=バードを樹都に連れ帰ったその日、樹教国と帝国の国境を成すウォール山脈では、大戦の幕が切って落とされていた。
帝下四仙将の一人、≪地神≫ダラライが万の軍勢を率いて国境砦に進攻してきたのだ。深緑の聖女エメラダは、帝都に潜ませたある人物から進軍情報を事前に掴んでいたため、樹士団を率い万全の備えをもって抗戦。戦況を有利に運び、防衛に成功すると思われた。
しかし突如、樹教国中に灰人が出現する。帝国の魔女ルクレイシアの≪粉≫は、大樹の陰でひっそりと蔓延していたのだ。
深緑の聖女エメラダは枝とゲコヨモギ薬をもって灰人の沈静化に努めるも、地神ダラライの進攻に押され、苦しい局面を余儀無く迎えていた。
そんな中、緑十字教会の諜報部≪根≫の副頭ティエラは、紫葉隊への寄付者を追い情報を集めることで、ついにルクレイシアの灰人実験施設≪灰園≫の場所を突き止める。その場所とは、ウォール山脈の最北端、≪死神の釜≫と呼ばれる底無しの大カルデラであった。
深緑の聖女エメラダは灰人根絶のため樹士団から橙葉隊を灰園に派遣。しかしそこに待ち受けていたのは、無数の灰人を率いるルクレイシアと堕王子ガヴリル、そして≪銀翼の樹士≫ダニエル・アミキータだった――
……
……
……
「――結果、橙葉隊は返り討ちにあった。国境砦は残る5隊で防戦、そして増え続ける灰人……この国は今、滅亡の危機に瀕している」
ユウリイは声に悔しさを滲ませ、真剣な目で私を見つめる。私が寝ている間に、まさかそんな危機に陥っていたなんて……。
「最優先事項は≪灰園≫の壊滅、灰人を増やすルクレイシアとガヴリルの討伐だ。そのためには、アーシャ……君の力が要る。ルクレイシアの凍結を解く、君の炎の力が」
ユウリイはそう言いながら、包帯に巻かれた私の両手を強く握る。大の大人であるユウリイが、包帯だらけの私に頼み込むその表情は、必死そのものだった。その想いに応えたい、とは思う。国の存亡の危機に立ち上がるべきだとはわかっている。それでも……私の足はベッドの上から動かなかった。
しばらくの沈黙。
重苦しい空気の中、壁にもたれかかったニドが痺れを切らしたのか、口を開いた。
「引っ掛かってんのは、白銀の灰人のことか」
「! うん……」
遠慮なく核心を突くニドの言葉にどきりとして、思わず私は頷いた。するとニドは短くため息を吐き、うつむき加減に言葉を続ける。
「……ヤツを救える可能性は無いわけじゃねえ」
「な、何!? どうすればいいの!?」
私はニドの思わぬ言葉に驚き、前開きの病衣がはだけるのも厭わずベッドを這い出て、ずるずると足を引きずりながらニドにしがみついた。
「教えて……! どうすれば……どうすればダニーを助けられるの!?」
ニドの黒い革服にしがみつき、見上げながら必死に問う私に、ニドはハッキリと言い放つ。
「ヤツを殺す。それだけだ」
「――ふざけないでよッ!!」
――パアンッ!
瞬間、私の右手がニドの頬を張った。私の平手など容易く見切れるはずのニドは、受けも躱しもせず、ただ哀れみの目で私を見下ろしていた。
「……ふざけちゃいねえよ。一か八かだがな」
「どういうこと……?」
問いすがる私に、ニドは苦々しげに語り始める。
「昔の話はしたくねぇんだが……仕方無え。教えてやる。灰人と化した俺が、どうやってヒトの魂を取り戻したのか」
……
……
……
「私の可愛いコ達……さあ、今日も魔獣を殺しなさい」
永劫変わらぬ美貌の魔女が、身も心も凍るような冷たい声で言い放つ。魔女の名はルクレイシア――黒い短髪の少年Xは、窓の無い石造りの施設≪灰園≫で、ルクレイシアに飼われていた。
少年Xは物心着く前から灰園で育ち、外の世界を知らなかった。故に、灰色の石壁に囲まれた大部屋で毎日魔獣を大剣で切り捨てる日々が彼の日常であり、人生の全てだった。
灰園には、少年Xのほかにも同じ年頃の少年少女が百人以上飼われており、皆同じ大部屋で魔獣と戦う日々を強制されていた。魔獣は人型で全身を硬い灰色の鱗に覆われており、その強靭な力で少年少女に襲い掛かってきた。
なぜ魔獣を殺し続けなければいけないのか?
魔獣は毎日どこから現れるのか?
当然抱くべきそれらの疑問は、毎日飲む灰色の≪粉≫が忘れさせていった。≪粉≫は、意識の混濁と引き換えに少年少女達に魔獣と戦う力を与えた。それを飲むことだけが、少年少女達が生き残る唯一の術だった。
粉を飲む。
殺す。
粉を飲む。
殺す……
繰り返すうち、少年少女の数は段々と減っていった。魔獣に殺されたものもいれば、ある日突然いなくなる者もいた。ルクレイシアに歯向かった者は、時を凍らせられた末に、灰となって消えた。
やがて少年Xが15歳を迎えた時、百人以上いた少年少女達は、ついに少年Xと少女Yの2人を残すのみとなっていた。2人はヒトとしての意識が薄れ行く中、確かに信頼の絆で結ばれていた。少年Xは圧倒的な怪力で鉄塊のごとき大剣を振るい、少女Yは目にも止まらぬ身のこなしで薙刀を凪ぎ、互いに背を預けて魔獣と戦い続けていく。
戦いの日々の中、いつしか2人の体は変化していた。少年Xの首から下は黒い鱗に覆われ、少女Yの背中は金の鱗に覆われていた。その鱗は、色こそ違えど、これまで殺してきた魔獣のものと同じものだった。
2人は自分達の行く末を覚悟し、互いにある誓いを交わす。自分が魔獣になった時には、躊躇せず殺してくれと。
そしてついに運命の日が訪れる。
少年Xが≪粉≫を飲んだその瞬間――少年Xは首から上も全て黒い鋼の鱗に覆われ、ヒトとしての意識を完全に亡くした。
それからしばらくの間に何が起きていたのか、少年Xは知らない。次に意識を取り戻した時、少年Xは絶望する。
いつもの灰色の石壁に囲まれた大部屋。
全身を黒鋼の鱗に覆われた少年Xは、首から下を黄金の鱗に覆われた少女Yの薙刀で胸を貫かれていた。そして少女Yの胸もまた、少年Xの大剣に貫かれている。溢れる血と血が、互いに致命傷であることを示していた。
少年Xの鱗は徐々に剥がれ、ヒトとしての意識と姿を取り戻していく。
その時、少女Yは吐血しながら呟いた。
「ニド……ごふっ……ごめ、んね……」
「ヨナ! なぜ……なぜ躱さなかった! お前なら俺の剣など――」
「私の心…ある内に……あなたに…してほしかったから……がふっ……ありがとう……ニド」
少女ヨナはその言葉を最後に、立ったまま絶命した。少年ニドは胸の内で怒りと哀しみが激しく渦を巻く中、失血によりそこで意識を失った。
……
「起きなさい、ニド」
少年ニドが目を覚ますと、そこは灰園ではなくどこかの灰野だった。地面に横たわる少年ニドを見下ろして立つルクレイシアの右手には、霊薬の空瓶が握られていた。
「がっかりね。アナタなら成れると見込んでいたのに。でも≪色付き≫が特定条件下で死を乗り越えると、ヒトの魂を取り戻すことがわかったのは収穫だったわ」
少年ニドは怒りに心が震え、体を起こそうとしたがびくとも動かない。ニドの体は、ルクレイシアにより時を凍らせられていた。
「アナタにひとつだけ、役割を与えてあげる。私が憎いなら、強くなりなさい。その魂を怒りと憎しみに染め抜き、灰人を超える真の力を手に入れなさい。それが出来たら私を殺しにお出で、ニド。可愛い私のコ……」
ルクレイシアはそう言うと、くるりと踵を返し立ち去っていった。
こうして少年ニドはルクレイシアへの復讐を誓い、修羅の道を歩んでいくこととなった――
……
……
……
「ごめんなさい……私、叩いたりして」
「てめえの平手なんざ、痛くも痒くもねえ」
ニドの話は、壮絶なものだった。一体どれだけの憎しみがニドの心に渦巻いているのか想像もつかないほどに。ニドの革服に必死にしがみついていた私の両手は、いつの間にかほとんど力が抜けていた。ユウリイとローエンも、驚きを隠せず呆然としている。
「あれから20年……ルクレイシアを追う中で、俺は何人もの灰人の魂を地に還してやった」
しがみつく私の手を払い、ニドが言う。
「結果、ヒトに戻ったヤツは一人もいねえ。世界樹の雫で蘇生させても、灰人のままだった。灰色に飲まれた低級の灰人≪色無し≫は、ヒトの魂を取り戻すことはねえ。だがヤツは白銀――俺と同じ≪色付き≫だ。可能性はある」
「……」
ニドは鋭い眼差しで、黙り込む私の目の奥を覗き込んだ。
「お前が殺れ。俺がヤツなら、そう望む。その結果、ヒトに戻れようが戻れまいがな」
「私が、ダニーを……」
共に育ったダニーを、私の手で殺す。
そんなことなど、もちろん今まで欠片も考えたことはなかった。考えなければいけない日が来ることなど、思いもしなかった。その場面を想像するだけで、涙が溢れてくる。
ダニーの魂は今どこで、何を想っているんだろう。ニドの言う様に、あの体の中か、あるいはどこか遠い場所で、私に殺してほしいと望んでいるのだろうか……?
「……違う」
「何?」
私はニドの目をキッと見つめ返し、声高に叫ぶ。溢れる涙を拭いもせずに。
「私に殺してほしいだって? ダニーはそんなこと言わない! ダニーは、私に殺させるくらいなら自ら死を選ぶ。いっつもそう、あの日から、自分のことじゃなくて私のことばっかり考えて……! 死なせてなんかやるもんか! 絶対……絶対救ってみせる――私の手でッ!!」
ママを焼いてしまったあの日から、いつも私を守ろうとしてくれたダニー。今は私が守る番だ。必ず、ダニーの魂を取り戻す……!
私の叫びを受け止めたニドは、もたれていた壁から背を離すと、はあはあと息を切らす私の肩をすれ違い様にぽんと叩き、部屋の出口へ向かった。
「決まりだな」
ニドの言葉を受け、ユウリイも丸椅子から立ち上がり部屋の出口へ向かう。
「決まりだね」
私は涙を拭ってニドとユウリイのもとへ駆け寄る。気付けば窓から柔らかな世界樹の葉光が差し、私の灰髪を銀に照らしていた。
「行こう――≪灰園≫へ!!」
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