第18話 渇望と絶望の果てに
「魔獣はまだ2階には来ていないようだな。……しかし何だここは……まるで監獄だ」
これまで紫葉隊基地では門番と屋外訓練しかさせてもらっていないダニーは、初めて2階に足を踏み入れた。窓がなく暗い廊下の両側には、重厚な鉄扉が何枚も続いている。部屋からは呻くような声や扉を殴り付ける音が響いたが、鉄扉には明かり取りもなく、中の様子は伺い知れない。
訝りながらも鉄扉の間を駆け抜け、やがて突き当たりの部屋に辿り着く。金飾りの施された大きな黒檀の両扉……明らかに他と違う特別な部屋だ。ここが王子の部屋であると確信し、ダニーは勢いそのままに扉を開けた。
――バン!
「王子! 侵入者です!」
そこはダニーの予想に反し、何かの実験室のようだった。講堂のようにだだっ広い室内には、壁沿いに薬品棚や手術台などが設えられているが、その壁は魔獣にえぐられたかのように所々激しい爪痕が残っている。部屋の奥は広いバルコニーに繋がっており、外の明かりが眩しい。
部屋の中心はがらんと空いており、そこにはダークブロンドの長髪をなびかせ銀の鎧を纏うガヴリル王子と、純白のロングドレスを着た長い灰髪の女性が立っていた。
「ダニーか。ちょうど良い、今まさに君の話をしていたところだ。とても良い素材だと」
ガヴリルはダニーの慌てた様子を意にも介さず、まるで世間話をするかのように声をかけた。ダニーは部屋の中程、ガブリルのやや手前まで歩み寄る。
「素材……? そちらの女性はどなた――あ、いや、それどころじゃありません! とんでもなく強い魔獣が――」
「≪鱗の男≫だろう? 心配はいらん」
そう言うとガヴリルはダニーの横を通り過ぎ、廊下に威厳溢れる大声で命令を下す。
「行け、一等樹士達よ! ≪鱗の男≫を討て!」
指示を出すなりガヴリルはバタンと扉を閉め、また灰髪の女性の隣へと戻る。扉の向こうからは鉄扉が大きな音を立て次々と開き、ガチャガチャと鎧の鳴る音が聞こえた。
「(一等樹士……? あの監獄のような部屋の中には樹士がいたのか? それに、鱗の男? あれがヒトだって言うのか?)」
ダニーの頭が疑問符で埋め尽くされていく。廊下を通ったとき、鉄扉の中からは、人の声とは思えない魔獣が呻くような声も聞こえていた……何かおかしい。が、王子が閉めた扉を開けることは、ダニーには出来なかった。
「アナタのオモチャじゃ、あのコは討てないわよ」
灰髪の女性が、見下した声でガヴリルに話しかけた。ガヴリルは苛立ちを隠せず唇を一瞬ひくつかせ、挑発する。
「ふん……捨てた子がまだ愛しいか。我が兵がオモチャかどうか見ているが良い。我が隊の秘術は、すでに君から提供を受けた技術を超えている」
「あらあら……私が全て教えたとでも思っているのかしら」
「……何だと? まあいい、それより今はダニーだ」
静かに火花を散らす2人の会話が全く理解出来ないダニーは、突然自分の名が出たことに驚く。
「オレですか!? すいません、何が何やら……」
慌てるダニーのもとに、ガヴリルがツカツカと歩み寄る。手には何やら灰色の≪粉≫が入った小瓶が握られていた。その後ろで、灰髪の女性は興味深そうに様子を見守っている。
「理解せずとも、覚悟さえあれば良い。身を賭してでも望みを為し遂げんとする覚悟が。ダニーよ……力が欲しいか。何者にも負けぬ、特別な力が」
それはダニーにとって、砂漠で差し出された水に等しい魅惑の言葉だった。ダニーが渇望し続けてきた「特別な力」――。自らの命をなげうってでも守りたいものが、自分にはある。だがその力が無いことは、痛いほどにわかっている。
「……欲しいです……オレには、守りたいものがある……!」
だからダニーは、その甘言に取り憑かれた。いくつも疑念があったはずなのに、ガヴリルの差し出す≪粉≫を拒否出来ない。気付けばダニーの右手には、≪粉≫の小瓶が握られていた。
「さあ、その≪粉≫を飲むがいい。それは常人には耐えられぬ特別製だが、類いまれなる魂を持つ君なら勝ち得ると信じている。ヒトの限界を超えた、絶対的な力を……!」
……
……
……
「……!」
ユウリイと共に紫葉隊基地に入った私は、広い通路に何十と転がる樹士達を見て思わず息を飲む。先に突入したニドが蹴散らしたのだろう。鎧兜はひしゃげ苦痛に呻いているものの、みな命はあるようだ。
――オラァアッッ!!
頭上から怒声と剣戟が幾度となく響く。私とユウリイは顔を見合せ頷き合うと、呻く樹士達を避け階段を駆け上った。
「終わりだッ!」
――ゴガァンッ!
2階の廊下に上がると、黒鱗の魔獣と化したニドが最後の樹士を両断したところだった。暗く長い廊下には、鎧を着たまま割れた灰の彫像のごとき死体がゴロゴロと転がっていた。2階の樹士は灰人と化していたらしい……。
「フゥー……」
死体に埋まる廊下のただ中で、ニドは仁王立ちしたまま大剣をだらりと提げ、わずかに息を吐く。さすがのニドも数十もの樹士を相手にするのは堪えたのか、はたまた灰人と化した樹士達を斬り伏せなければならなかったことに想いを馳せているのか……漆黒の鱗に覆われた大きな背中はあちこち傷だらけで、激闘を越えたことを証していた。
「待たせたね」
「ああ、遅え。遅すぎだ」
声をかけるユウリイに、ニドは向こうを向いたまま大剣をブンと背負いながら応える。その「遅すぎ」は、私とユウリイに言うようでいて、ニド自身にも言い聞かせているように聞こえた。
「行くぞ」
ニドは廊下の突き当たり、金飾りの施された黒檀の扉を顎で指した。灰人達は、あの部屋を守っていたに違いない。廊下を抜け扉の前に着くと、右扉にユウリイが、左扉にニドが手をかけ、勢い良く同時に開け突入した。
――カラン……
2人に続いて部屋に入った瞬間、私の足元に空の小瓶が転がってきた。足先から頭まで嫌な予感がゾッとこみ上げ、ニドとユウリイの隙間から部屋を見る。そこにいたのはガブリル王子とルクレイシア、そしてその手前で膝をつき、頭を抱えてうずくまっているのは――!
「――ダニーッ!!」
「ルクレイシアァァッ!!」
「……ガヴリル……!」
私、ニド、ユウリイは同時に叫び、部屋の中心へ駆け出す! が――
――キィ――ンッ!
甲高い金属音が部屋中に鳴ったかと思うと、金縛りにあったかのように私の全身がビタッと強制停止する! 目を動かすことすら出来ないが、視界の両端にニドとユウリイも停止しているのが見える。
「今イイトコなの、邪魔しないでくれる?」
ルクレイシアがこちらに手をかざし、私達3人の時を凍らせた。動こうと必死にもがいても、瞬きひとつすることが出来ない……!
「ぐ……ぐぁあ……!」
床にうずくまるダニーは、体からメキメキと筋骨が軋む音をあげ、苦痛に呻いている。体のあちこちがボコボコと波打つように膨張と凝縮を繰り返し、少しずつ体格が大きくなっていく。
イヤだ、イヤだ、イヤだ……!
似ている――サンテラスで≪粉≫を被ったヒトが灰人と化したあの時と!
足元の空の小瓶は、きっと……!
助けたい、でも動けない……!
このままじゃダニーがダニーじゃなくなっちゃうのに……何も……! 何にも出来ない……ッ!
次の瞬間、私は目を疑った――ダニーの皮膚からざわざわと白銀の羽毛が生え、鎧ごとダニーを取り込むように体を覆っていく――!
「ぐうぅ……ぐあぁあぁあ……!」
頭から足先まで白銀の鋼羽に覆われたダニーの筋骨はますます強く軋み、苦痛に呻く声も大きくなっていく。イヤだ……もうこれ以上見たくないよ……でも、目を瞑ることすら出来ない……!
助けることもッ!
目を背けることもッ!
何一つ出来ない……ッ!
ただただこの悪夢を見続けることしか許されない……ッ!
「――ぐああああっ!!」
突如ダニーが天井を仰ぎ叫び声を上げた。その瞬間、バキバキと筋骨が折れ裂ける音を立て、背中を突き破るように大きな両翼が広がる――天使とも悪魔ともつかぬ、白銀の翼が――……
――その瞬間、私は魂で感じた。
ダニーの魂は今、亡くなったと。
あ、
あ、
あ……
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
――ブツン
声に出来ない叫びに狂う私の中で、大事な何かが切れる音がした。
……
……
……
やがてダニーだったものは、先程までの苦痛が嘘のように静かに立ち上がる。
そこに在るは、白銀の翼人。
その体表は白銀の鋼羽に覆われ、
その筋骨は無駄のない靱やかな肉体美を成し、
その背には堂々たる銀翼が煌めいている。
鋼羽に覆われた白面にダニーの面影はなく、両手に着けた革製の指ぬきグローブと、腰に提げた二振りの曲刀だけが、それがダニーだったことを示していた。
ルクレイシアは、鋭い目付きでその異形を見定めていた。一方ガブリルは狂喜に満ちた笑みを浮かべ、高らかに宣言する。
「ふふ……ふははは! 見たかルクレイシア、これぞ君の秘術を私が改良した集大成だ! 感じるぞ……絶大な力を! この力があれば真の王冠が手に入るッ! ダニー、君の命を賭した覚悟を讃え、特別な称号を与えよう。我が真なる王冠に尽くせ――≪銀翼の樹士≫ダニエル・アミキータよ!! フフ……ハーッハッハッハ……!」
静まり返った部屋にガヴリルの勝ち誇った高笑いが響く。
おう、かん……
王冠だって……?
そんなもののために……ダニーを……?
私の意識が、闇に落ちていく。
……
闇の中、ある少女を象った炎が目の前で蜃気楼のごとく揺れている。私によく似た、赤髪の少女だ。誰だろう……でも今は、どうでもいい……。
向かい合う炎の少女もまた、負に堕ちた目をしていた。少女と私の感情が共鳴し、絶望の種火が徐々に燃え上がっていく――
嫌だ
『燃えてしまえ、何もかも』
もう全部
『迸る炎に焼かれてしまえ』
ガヴリルが、ルクレイシアが、
『この世の全てを灰に帰し』
何よりも
『私も燃えてしまいたい』
何も出来なかった自分が――
気付けば私の体から炎が立ち上っていた。赤髪の少女を象った炎と、私の炎が混じり合い、大きな奔流となって周囲に轟々と渦を巻く。どこまでが私で、どこからが少女なのか――うねり唸る炎の奔流が、2つの絶望を混濁させていった。
赤赤と照らされた闇の中、もうひとつの声が響く。低く唸るような、炎の声が。
『我をもって何を灰とす』
私はこの炎で、何を燃やしたいのだろう。
何を燃やせるつもりでいたのだろう。
誰よりも大切な兄弟も守れず、いったい何を守れるつもりでいたのだろう。
――ああ、もう……惟い、果たすものなど――
炎の問いに、私と少女は応える。
「『何もかも』」
身を包む炎は嗤うように揺れ、火勢を増す。
さながら、世界を喰らう巨龍のように。
『よかろう、ならばお前から』