迷いの森
薄暗い森の中。巨木、老木、朽ちた木、倒れた木、様々な姿をした木々が、少しも揺らめくことなく静かな森を構成していた。葉は枯れかけているが、それでも日の光を遮るほどには残っていた。天気が曇りであることも相まって、森の中はまるで日の出前のような薄暗さであった。地面は湿っている。雨上がりなのかもしれなかった。落ち葉が沼を、水溜りを、覆い隠していた。気をつけて歩かなければ、たちまち水浸しとなってしまうだろう。この森がどこなのかは定かでないが、かつて仲間と秋の山登りに行ったときの景色にどこか似ていた。
あるいはこの光景は、私に昔を回想させるためにあるのだろうか?
仕事に敗れ、恋に敗れ、気晴らしにと始めた趣味にも敗れた。変わろうと思い、受けた資格試験にも敗れた。敗者に価値はない。私は徹頭徹尾負け犬であり、持たざるものだった。私なりに努力を重ねてきたつもりではあったが、結果が出なかった以上それを証明することはできない。私はなにも積み上げてこなかった者と同じなのである。しかしそれも仕方のないことだった。全ては己の能力不足が招いたことなのである。この事実が、私をますます追い込んだ。
それでも、前を向くためには何かしなければならない。しかし、今の私になにができるだろう?勝つためには勝利への道筋を描く能力が必要だ。道筋とは仕事ならば出世への道、恋ならば自分を磨く術だ。私は、頑張るつもりはあっても、勝利への道筋が描けない。これは負け癖に他ならなかった。負け癖のついた人間がなにをしても無駄だ。では、何かできることは?思考はいつもそこでループに陥った。
そんなときだった。布団に入った私の枕元に、神が立ち、こう言った。
「お前は敗者だ。敗者は、刑を受けなければならない。」
もっともだ。これ以上なにを奪うつもりなのか知らないが、私は神の言うことが正しいと考えた。
「お前を迷いの森に送る。永遠に、森の中を惑い続けるがいい。」
迷いの森。聞いたことがある。昔やったテレビゲームで聞いた言葉だった。正しい手順を辿らなければ、進むことのできない恐ろしい森。迷い込んだ者は同じところを繰り返し歩き続け、いつか死ぬ。
「お前の行く森に、死の概念はない。永遠に、迷い続けろ。」
神の言葉はこれが最後だった。そして、目が覚めると私は薄暗く、湿った森の中にいた。
そして私は、いま時間感覚もなく、森を彷徨い続けている。茶色い木々のほか、生命を感じさせる音や声は一切ない。もちろん、影もない。私が昔ゲームで見た迷いの森は、生命が豊かだった。それと対比すると、こちらの森は、些か味気なかった。
私はここにきて、落ち葉を踏みしだいて歩きながら、一つのことを考察し続けている。それは、枕元に立った者が本当に神だったのか?ということである。神は(実在するならば)全知全能で、無謬の存在であるも私は考えていた。しかし、だとすると今のこの状況は、矛盾しているのである。
「神様。聞いているならば述べたいが、これは罰でもなんでもないぞ。」
木々の隙間に唱えてみても、返事はない。
私にとって、これは罰でもなんでもなかった。なぜならば、私は人間社会でも迷い続けていたからだ。終わりのない思考のループを繰り返していたからだ。迷う場所が、人間社会なのか迷いの森なのか、それだけの違いだった。その意味で、この罰は私にとっては単なる現状維持である。神罰は、私にプラスもマイナスももたらさなかったのだ。
「神様、ここは今までの迷いの森よりもずっといい。学校も、電車の中も、会社も、家も、私の人生はどこもかしこも迷いの森だった。この森は、考えなくていい。ただ歩くだけでいい。あなたの罰は、失敗に終わったぞ。」
やはり、返事はない。
私が神に向けて話しかけたのは、それが最後だった。




