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顔に書いてある

作者: 村崎羯諦

 私の彼氏は、いつも私がして欲しいことを察してくれない。でも、だからといって、わざわざ自分からあれをして欲しいとか、これをして欲しいとかって言うのはなんだか負けたような気がして嫌。そういうわけで私は、自分のして欲しいことはあらかじめ黒のペンで顔に書いておくことにした。


「今度の連休だけどさ、美奈子はどこに行きたい?」

「たっくんが行きたい場所ならどこでもいいよ」


 落ち着いた雰囲気の喫茶店。向かいの席に座るたっくんに私は笑顔でそう答える。たっくんはまじまじと私の目を見て、そしてゆっくりと私の右頬に視線を移し、少しだけ迷いながら私に提案してくる。


「じゃあ、久々にディズニーシーにでも行く?」

「本当!? 行く行く! ちょうど私も行きたいと思ってたの!」


 きちんと私が連れて行って欲しい場所をチョイスしてくれたことに私は素直に嬉しくなる。たっくんは私の反応を見て、ほっと胸をなでおろし、少しだけ残っていたコーヒーに口をつけた。


「すごいね、たっくん。よくわかったね」

「だって……顔に書いてあるじゃん……」


 連休のデートプランについて二言三言話し合った後、私は席を立ち、お手洗いへと向かう。鏡の前に立ち、自分の顔に書いておいた『ディズニーシーに行きたい』という言葉をゴシゴシとクレンジングシートで落とす。そして、ポーチから取り出したペンで、別の言葉を右頬に書いていく。鏡で仕上がりをチェックし終えてから席に戻り、そろそろ出よっかとたっくんに提案する。たっくんは顔をあげ、私の右頬に書かれた言葉をじーっと見つめた。


「この後どうしよっか?」

「えっーと……パルコに買い物に行く?」


 恐る恐る尋ねてくるたっくんに、私は満面の笑顔で頷いてみせる。


「うん! 行く!」


*****


 口に出さずとも自分のして欲しいことを察してくれる。これほど自分が大事にされていると実感できるものはない。欲しい物を顔に書いておけば、たっくんは私の欲しい物を誕生日にプレゼントしてくれるし、『寂しい』とか『構って』とかって顔に書いておくと、たっくんはいつもよりずっと優しくしてくれる。私からみっともなくお願いする必要もなく。あざとい女みたいに甘い声でねだる必要もなく。


 それからというもの、たっくんとの時間はずっとずっと楽しくなったし、たっくんとずっとずっと一緒にいたいという気持ちはどんどんどんどん強くなっていった。だから私は、交際三年目の記念日デートに、少しだけお高い香水をつけ、たっくんが気に入るようなお化粧をして、そしてそれから『結婚したい』という言葉を右頬に書いて出かけた。夜景の見えるフレンチレストランで私達は乾杯をし、上品なコース料理を嗜み、二人の思い出について話に花を咲かせた。食後の紅茶をテーブルに置き、たっくんが腕時計を見る。


 そろそろお会計にしようか。少しだけ顔をうつむかせながらたっくんがつぶやく。私はたっくんの顔を下から覗き込み、何か大事な話とかない? とお膳立てをしてあげる。たっくんの視線が、テーブルから私の右頬へと移っていく。右のこめかみからひとしずくの汗が滴り落ちていくのが見える。たっくんの口がゆっくりと『け』の形へと変わっていく。その時だった。


「ねぇ、あんたいい加減にしなよ! たっくんが困ってるじゃない!」


 突然現れた女性がバンっとテーブルを叩き、机の上のカップが揺れた。身体を縮こませながら顔を上げると、同じくらいの年齢の女性がするどい目つきで私を見下ろしていた。


「言いたいことも言わずに、相手を自分の思い通りにしたがるなんて子供のやり方よ。あんたみたいにプライドが高くて、自己中な女が一番キライなの! たっくんもねぇ、あなたと一緒にいると気が休まらないっていっつも言ってるわ!」

「な、なんなんですか、あなた!」


 私がたっくんの方へと振り向くと、たっくんがさっと顔を下げる。その反応だけで、私は彼女とたっくんがどのような関係なのかを悟った。


「自分から別れを切り出すって言ってたから陰で見るだけだったけどさ、あんたのその卑怯なやり方見てらんないわ。たっくんの代わりに私が言うわ。もうこれ以上たっくんと関わらないで頂戴」

「そんなの……絶対に嫌です! なんで私がたっくんと別れないといけないんですか!」

「私ね、妊娠してるの。もちろんたっくんの子よ」


 妊娠。その言葉に頭が真っ白になる。浮気相手の女性が勝ち誇ったような表情を浮かべる。気がつけばレストランの客が好機のまなざしで私達を見ていて、まるで私の敗北をあざ笑っているかのようだった。


「どうして……どうして、浮気なんかしたの!? たっくん! 信じられない!!」


 私はたっくんの方に顔を向け、涙ながらにそう罵声を浴びせた。それから両手で顔を覆い、声をあげて泣いた。涙が流れ、右頬に書かれた言葉の上を伝っていくのを感じた。


「どうしてって言われても……」


 嗚咽に交じって、たっくんの声が聞こえてくる。私が顔を上げ、たっくんの顔を見る。たっくんは困惑したような表情を浮かべ、私の右頬に視線を移し、そして言い訳がましい口調でこう言ってのけた。


「だってさ、『浮気しないで』とは顔に書いてなかったじゃないか」

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