7、柏木沙羅の内なる欲望
「不動さん、大丈夫かなぁ……」
できるだけ穏便に振ったつもりだったのだが、教室を飛び出していったまま不動さんは帰ってこなかった。
チャイムが鳴って授業が始まっても、帰りのホームルームが始まっても。そして次の日の朝も、不動さんは登校してこなかった。
「まぁ仕方がないよ。サラが気に病むことじゃない」
「うーん、でも……」
カズちゃんの言う通りだとは思うが、なんとなく後味が悪い。
女の子ならともかく、男に告白して玉砕、退学のコンボなんか決められたら目も当てられない。
「ほら、そんな顔しないで! そうだ、たまには学食行こうよ。サラってばいっつも葉っぱばっかり食べてんだもん」
「葉っぱって……サラダって言ってよ」
女子高生らしからぬカズちゃんの言葉に、思わず苦笑する。
女子っぽいほっそりした体型を維持するため、俺の昼食はほぼ毎日サラダとサラダチキンである。カロリーは女装男子の大敵。
……食生活に気を使っている女装男子は多くないようで、昼休みのたびに漂ってくる揚げ物の匂いに苦労させられているが。
「ねぇサラ。購買の焼きそばパンって食べたことある?」
「や、焼きそばパン……?」
「そうそう。焼きたてパンに鉄板で焼いた焼きそばを挟んでるから、ソースの香ばしい香りとパンのモチモチがたまらないんだって」
「うっ……や、焼きそばパン……頭がッ……」
焼きそばパン――炭水化物に炭水化物を挟んだ、世界で最も愚かな食べ物の一つ。しかし男子高校生はこれに目がない。
かくいう俺もそうだが、今の俺は女子高生。あんなカロリーの塊を食べるわけにはいかない!
だが体型維持のため食欲に蓋をしてサラダとサラダチキンばかり食べていた俺の体は、「焼きそばパン」というワードに正直な反応をみせる。
「ねぇ食べたくなーい?」
にこやかにそう言い放つカズちゃん。その言葉はまさに悪魔の囁き。
もちろん拒否しなくちゃいけない。でも、でも……
気付くと、俺は本能のまま首を縦に振っていた。
「……た、食べたい」
「だよねー。でも限定二十個で、昼休みには速攻売り切れちゃうよ。食堂に近い教室の生徒が集団で買い占めて、三倍の値段で売り払ったなんて事件もあったんだって」
「そんな転売屋みたいなこと……っていうかこんな話しておいて、食べられないってどういうことよ!」
「あはは。焼きそばパンなんて、購買と教室が近い三年生しか食べられないよ。ま、あと二年もすればチャンスが巡ってくるかも――」
その時だった。
教室に足を踏み入れた巨大な山に、教室中の視線が集まる。
「ふ……不動さん!」
思わず声を上げて立ち上がった。
だが不動さんは返事もせず、わき目も降らずにこちらへ歩いてくる。
どういうわけか、体育もないのにジャージを着ている。まさか振られた腹いせに来たんじゃ……セーラー服じゃ俺をタコ殴りにしにくいから、わざわざジャージを着こんできたのでは?
まさか、と思いつつもべたべたした汗が頬を伝うのを感じる。
「はぁ、はぁ……柏木沙羅……」
廊下を走りでもしたのだろうか?
俺の名前を呼びながらまっすぐこちらへ向かってくる不動さんは酷く息が上がっていて、激しく肩を上下させている。
彼の異様な様子に、教室がにわかに静まり返る。
「ええと……どうしたの?」
困惑しながらもそう尋ねる。
すると不動さんは血走った目で俺をジッと見下ろしながら、おもむろに自分のジャージのチャックに手を伸ばした。
「おまっ……!?」
カズちゃんは悲鳴にも似た声を上げながら立ち上がる。
しかし彼が手を伸ばすよりも早く、不動さんはチャックを一気に下ろし、観音開きの要領でジャージを広げた。
翼を広げたコウモリのような格好で仁王立ちする不動さん。
なんとなく見覚えのある光景。
ああ、あれだ。たまに通学路に出没しては己の全てをさらけ出し、女子学生の悲鳴をリスニングするのが趣味のおじさんにそっくりなのだ。
だが不動さんのジャージの中から飛び出すようにして現れたのは、力強くそそり立つ立派な――
「……焼きそばパン?」
自爆テロの犯人が体に爆弾を巻きつけるがごとく、不動さんはその体中に焼きそばパンを巻き付けていた。
「こ、これ……冷めないうちに……!」
ハァハァと犬のように息を荒げながら、不動さんは体に巻き付けた焼きそばパンを次々俺に押し付けていく。
「ちょ、ちょっと待って! 不動さん!?」
抱えきれないほどの焼きそばパンに埋もれながら、俺は必死に不動さんを制止する。
だが彼はジャージの中に仕込んだ焼きそばパンを放出するなり、逃げるように教室を出てしまった。
「ふん、物で女を釣ろうってのか。不動のヤツ、振られたくせに女々しい奴」
吐き捨てるように言うカズちゃん。
だが俺の意識は、すでに教室にいない不動さんではなく、腕の中でソースの香りを立ち昇らせている悪魔の食べ物に吸い寄せられていた。
ビニール袋越しからでもほのかに温かいのが分かる。パンには指を押し返してくるほどの弾力があり、零れ落ちそうなほどに盛られた焼きそばはたっぷりの油でコーティングされてテカテカと輝いている。
「あ、いやその、女の子だから女々しくても問題ないかぁ。ははは」
「……ねぇカズちゃん。これって」
「ん……? そ、それは幻の焼きそばパン!? アイツ、どうやってこれを」
「やっぱり。コンビニの焼きそばパンとは明らかにクオリティが違うもん」
「三年生すら一個手に入れるだけでも大変なのに、一年のアイツがどうやってこんなにたくさん……って、それ食べる気!?」
カズちゃんは素っ頓狂な声を上げながら信じられないとばかりに目を丸くする。
どうやら俺は無意識のうちに焼きそばパンの袋を破っていたらしい。焼きそばパンのソースの香りが、俺の鼻腔を通り脳を刺激する。
サラダとサラダチキンで空腹を紛らわしていた俺に、この刺激はあまりに強烈だ。脳汁が滲み出てくるのを感じる。
明らかに怪しい焼きそばパンではある。密売等の裏ルートで手に入れた焼きそばパンかもしれない。
でも……もう我慢できない!
「いただきます!」
最後に残った理性を振り絞って食前の挨拶を済ませ、本能のまま焼きそばパンに噛り付く。
刹那、脳汁が噴水のごとく噴き出した。
「こ、これは……! 美味いッ!」
もっちりしたパンの食感、口の中に広がるソースのジャンクな味!
申し訳程度に入ったキャベツの食感も最高だ。噛むとシャキッとした食感と共に広がるほのかな甘み。
気付くと、手の中にあったはずの焼きそばパンはあっという間に消えていた。
でも、男子高校生の腹を満たすには全然足りないぜ。
ヤバイ……あと五個は食えそうだ。
「お、おい。ちょっと……」
「ッ!?」
しまった。忘れていた。
今の俺は男子高校生なんかじゃない、女子高生なのだ。女子高生は焼きそばパン丸かじりなんてしない!
クラス中から視線を感じる。
ヤバイヤバイヤバイヤバイ……バレたか!?
「だ、大丈夫だった?」
「へ? ななななにが?」
「あー、その……変な味しなかった? ほら、不動から貰ったものだし、なんというか、変なもの入ってるんじゃないかって」
カズちゃんの言葉に、こみ上げていた食欲がスーッと消えていくのを感じる。
「……嫌なこと言わないでよ」