5、柏木沙羅と悪魔の邂逅
姫カット、と言うのだろうか。顔周りだけ短く切りそろえられたロングヘアー。崖から零れ落ちる滝のようにまっすぐ腰まで伸びた、世の中のあらゆる光を吸収してしまいそうな漆黒の髪。
それに反するように、彼女の肌は陶器のように白い。生き物らしい血の温かさが一切感じられない、まるで人工物のような完璧な白さ。
長い睫毛に縁どられた切れ長の目には、光が全く感じられない。だが“死んだ目”というにはあまりに美しすぎる。強いて言うなら“人形の目”。ガラスで作られた、完璧な眼球。
夢にまで見た女子高生。それも完璧な美少女。
なのに心が動かないのは、彼女があまりに完璧すぎて現実味がないからか。
――それとも、彼女が四つん這いになった女装男子の上で足を組んでいるからか。
はたまた、今にも彼女の靴を舐めようとしているびしょ濡れの女装男子があまりに強烈だったからか。
「なにやってるの!?」
思わず声を出していた。
刹那、教室中の視線がこちらへ集まる。
……怖い。
なんだこの異様な空気。
四つん這いになった人間に腰かけた美少女の生気のない目。
彼女を囲む三人の生徒たちの、悪意に満ちた目。
これだけなら、よくあるイジメの現場だ。
だが、この部屋に充満している異様な空気の正体はそれじゃない。
「あ、ああああ脚……あああ?」
犬のように地面に張り付いた男が、俺――いや、俺の脚と人形女の脚を交互に見比べている。
張り付いた髪の隙間から見える目は虚ろなのにギラギラと光っている。正気とは思えない。
男だらけの女子高という無法地帯とはいえ、やって良い事と悪い事がある。
「いったい彼――じゃなくて、彼女になにを? 先輩だからって、こんなこと許されませんよ。合法だろうが非合法だろうが、薬物は」
「や、薬物? そんなものやらせてないわよ、可愛い顔して人聞きの悪いこと言わないで! かわいい!」
「そうよ! あ、あんた一年でしょ? 生意気よ! かわいい!」
「くっ……どういうこと。語尾が“かわいい”になってしまう……!」
何言ってんだこの人たち。
だが取り乱す取り巻き三人とは対照的に、あの人形女は冷静さを崩さない。彼女は凍り付くような視線をこちらに向け、静かに口を開く。
「本当にかわいい子。そうね、あなたなら生徒会に入れてあげてもいいわ」
「生徒……会?」
なんで生徒会が出てくるんだ?
……この教室、生徒会室?
じゃあこの人たち、まさか
「生徒会ぐるみでこんなことをしているんですか? 信じられない」
男の純情をもてあそびやがって。
こいつらが……いや、俺らがどんな気持ちで学園生活を送っていると思ってんだ。
「うふふ、怒った顔も可愛いわね。いいわ。入学したばかりのひよっこちゃんに教えてあげる。この学園は美しさこそ唯一絶対の正義。校則にもあるでしょう? “白薔薇学園の生徒たるもの美しくあれ”と。それなのに。見てよ、この無様な姿!」
そう言って――彼女は笑った。
彼女に感情なんてもの無いと思っていたが、それは違ったみたいだ。
水に濡れて這いつくばる女装した男を、彼女は蔑み、嫌悪し、嘲り、そして……怒っている?
「これは立派な校則違反よ。生徒会が指導してしかるべきじゃないかしら?」
「……今、自分がどんな顔しているか分かっていないでしょう。酷く歪んだ、意地の悪い顔。醜いのはあなたよ。さぁ、行きましょう」
俺はそう吐き捨て、捨てられた子犬のように震えている男をなんとか立たせて彼女らに背を向ける。
「本当に可愛い娘。ますます欲しくなったわ。気が変わったらいつでも来なさい」
背後から投げられる凛とした声を無視し、俺は教室を後にした。