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35、柏木沙羅と卒業式





 今にも泣きだしそうな曇天の空、冷たい風が校庭を吹き抜け、咲きかけた桜の花を揺らす。

 どこか殺風景なその光景を眺めながら、俺たちは壁中紅白幕に覆われた体育館から教室へと向かう。


 今日は三年生の先輩たちの卒業式だ。


「いやぁ、やっぱり三年生はなんというか、面構えが違うね」


 カズちゃんの呟きに、俺も頷く。


「うん。この学校で三年間やってこれただけあるって感じだね。進学実績も凄いんでしょ?」

「そりゃあもう。有名大学目白押しだったよ。まぁこんな山奥じゃ勉強以外にやることもないしね」


 自嘲するようにカズちゃんは言った。


 三年生の先輩方がどんな名門大学へ進学を決めたのかももちろん気にはなるが、俺の興味をそそるのはもっと別のところにある。

 彼らは大学に女装したまま通う気なのか、受験の際はどうしたのか、まさかオープンキャンパスにセーラー服で行ったんじゃないか……


 ま、こんなめでたい日にそんな事を気にするのも無粋か。


「おっ? なんか人だかりが」

「うん?」


 見ると、確かに黒山の人だかりができている。

 まるで何かに集っているかのようだ。スカーフの色から察するに、集まっているのは一年と二年である。


「あれじゃない? 先輩から第二ボタン貰う、みたいな。私たちの場合スカーフになるのかな?」

「あー、なるほどね……でもなんか、こっちに近付いてきてない?」


 ……たしかに、黒山の人だかりがまるで一つの生物のように徐々にこちらへ近付いてきているような。


「な、なんか怖いな」

「逃げた方がいい?」


 得体のしれない何かの接近に俺たちが後退りをはじめると、突然人だかりが二つに割れた。

 出てきたのは、長い黒髪を靡かせた生徒。だが犬には乗っておらず、その身長はやはり見上げるほどに高い。


「……生徒会長」


 会長は人だかりを振り切るように駆け出し、俺の腕を掴む。


「えっ、えっ? どうしたんですか?」


 困惑する俺に、会長は満面の笑みを浮かべて言う。

 あの人形のような、仮面のような笑みじゃない。生き生きとした、希望に満ちた笑顔。


「お願い、柏木さん。少しだけ私に時間を頂戴」

「え? あ、あの」


 有無を言わさず、会長は俺の手を引いて駆けだす。


「ちょ、サラ――うああっ!?」

「カズちゃーんッ!?」


 迫りくる黒い波にカズちゃんが飲み込まれていく。

 走らなければ俺も飲まれてしまうに違いない。恐怖も手伝い、俺はいつも以上に速く足を動かした。



「ここまでくれば大丈夫ね」


 飛び込んだ生徒会室の扉を閉め、会長はふうと一息つく。

 対して、こちらは一息どころではない。

 吐き気すら感じながら、俺は壁に手を突き必死に酸素を取り込む。


「ぜえぜえ……一体どうしたんですか会長」

「私のスカーフを狙う輩が多くてね。別にスカーフくらいあげたっていいんだけれど、それで争いが起きても大変ですから。ああ、そういえば随分と久しぶりね柏木さん」

「そ、そうですね。お久しぶりです」


 三年生は受験のための特別カリキュラムを組まれ、他学年とは違うスケジュールで生活する。

 同じ校舎で勉強し、同じ寮で生活していたはずなのだが、顔を合わせるのは本当に久しぶりだ。

 会長のことである、きっと四月からは輝かしい新生活が待っているに違いない。

 だからこそ、彼は清々しい顔をしているのだろう。


「ほら、見て」


 彼はそう言って、誇らしげに卒業証書を掲げる。

 この地獄のような学校で三年間生き抜いた者のみが手にすることのできる“勲章”。

 俺は心の底から彼に賛辞を贈る。


「はい。ご卒業おめでとうございます」

「ようやくこの学校を卒業できた。もうセーラー服を着なくて済むと思うと清々する。卒業すれば、どんな格好をしようと自由ですからね」

「そうですね。会長ならきっと素敵な大学生になれると思います」

「ええ、当然よ」


 会長はそう言って、机の上にあったハサミを取り出す。


「か、会長? なにを」

「見ていて」


 なにをするのかと思うと、会長は自分の長く艶やかな髪を掴み、おもむろに刃を当てた。


「なにやってるんですか!?」

「良いのよ。もう不要だもの。スカーフと一緒」


 会長は平然と言うと、ザクザクと髪にハサミを入れていく。

 確かに、これから大学生になる彼に美しい長髪は不必要だろう。

 だが、彼が男だと分かっていても、やはり見た目はどう見ても女性なのだ。どんどん切り離されていく彼の髪に、俺はあわあわと右往左往することしかできない。


 やがて肩に付かないくらいに短くなった髪型で、会長は笑った。鎖を解かれたような、羨ましくなってしまうほどに、清々しい笑みだった。

 彼は茫然とする俺の前に歩み寄り、そして跪き、俺に百合の花束を差し出した。


「柏木沙羅、君は俺たちの女神だった」

「え……ええと、その……ありがとうございます……?」


 なんだろうこれは。俺はどうしたらいいんだろう。

 というかこれはなんだ? 告白? 男として? 女として?

 どうしていいか分からないながらも、俺は彼から花束を受け取る。

 すると彼は、少し寂しそうに笑いながら立ち上がった。


「……なんてね。柏木さんはみんなの光よ。これからも、あなたならこの学校を支えていける。ぜひ、次の生徒会長になってほしいわ」

「い、いえ、そんな……」

「あなたを独り占めするなんて、おこがましい話だったわね。ごめんなさい。さぁ、行ってあげて。みんなが待ってるわ」

「へ?」


 困惑する俺をよそに、会長は生徒会室の扉を開く。

 すると、まるでダムの放流のごとくセーラー服の男たちがなだれ込んでくる。


「柏木さぁん! 結婚してくれぇ!」

「やめろッ! 私が先だッ!」

「サラちゃんッ、サラちゃあん!」

「ひえっ!?」


 俺を囲み、次々と自分勝手なことを口にする女装男たち。

 卒業したからって、もうやりたい放題である。

 それでも俺の体に手を振れようとはしないから、やっぱり彼らはセーラー服を纏った紳士だ。


 あーあ、これがみんな本物の女子高生だったらな。

 っていうか、そのつもりで入学したんだけどなぁ。


 まぁ、それはそうとして。

 今は目の前にやらなければいけないことが山積みだ。


「すみませんッ! 結婚はできません!」


 俺は矢継ぎ早に浴びせられる愛の告白やらプロポーズやらを丁寧に丁寧に断っていく。

 ちらりと見ると、廊下には長い列ができていた。

 行列は行列を呼ぶ。気付けば三年生だけじゃなく、二年生、一年生まで。


「……なんだこれ」


 なにをやっているんだ俺は。

 そして何をやっているんだお前らは。

 お前らみんな、列まで作って男に告白しているんだぞ。


 ああ、俺の高校生活はこんな感じで続いて行くんだろうなぁ。

 残り二年間の生活が見えてくるようだ。

 だが、奴らの晴れやかな顔……あれを見るのは、まぁ、そんなに嫌でもない。


 それに四月になれば後輩も入ってくる。可愛い子……いいや贅沢は言わない。本物の女子高生がいることを願うばかりである。

 ……ま、あまり期待はしていないが。

 スカートから伸びる丸太のような脚で歩き、ゴツゴツした岩肌のような腕で握手を求めてくる先輩方を見ながら、俺は思わず苦笑したのだった。



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