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32、柏木沙羅の貞操の危機




 くっそ、調子に乗って無茶しちまった。

 ロックスターじゃあるまいし、人の上を歩くなんて馬鹿なことやるんじゃなかったぜ。


「大丈夫? サラ……」


 笑ってしまうほど深刻な表情で俺をのぞき込む友人たち。

 大丈夫じゃない、なんて言ったら彼らはずっとベッドサイドをうろつく羽目になってしまうだろう。

 せっかくの体育祭なのだ。いつまでも俺に付き合わせるわけにはいかない。


「大丈夫だよ。だから、みんなは戻ってて」

「いや、でも」


 眉間に皺を寄せるカズちゃんに、俺は笑顔を向ける。


「久しぶりに激しい運動して、ちょっと疲れただけ。少し寝たらすぐに戻るよ。風紀委員長にもお礼言わなきゃいけないしね」

「じゃ、じゃあみんなは戻ってて。私はサラのそばに残ってるから」

「カズちゃんもだよ。次の競技、綱引きでしょ? これ以上チームに迷惑かけるわけにいかないもん。それに、その、寝顔見られるの恥ずかしいから……」

「あっ! そ、そっか、ごめん」


 カズちゃんは慌てたような、少しガッカリしたような顔で俺を見下ろす。


「じゃあ、またあとで……」

「うん。私が行くころには白組に大差で勝ってることを期待してるよ」


 ひらひら手を振り、保健室を出ていく彼らの背中を見送る。

 扉が閉められ、足音が遠くなっていくのを確認し、俺は布団に潜り込んだ。


 窓の外から漏れてくる曇った歓声を除き、校舎の中は極めて静かだ。

 保健室の先生も救護テントで待機しているから、この部屋には俺一人。今、この広い校舎には俺以外誰もいないのではなかろうか。

 騎馬戦にくわえ、朝からずっと外の日差しに当てられていたこともあり、疲れはピーク。保健室の涼しさと柔らかな布団が俺をまどろみの中に引きずり込む。


「……ん」


 どれくらいそうしていただろう。

 わずかな物音と人の気配で、俺は薄く目を開ける。


 なんだアレは? キラキラ輝く……星? いや、蛍光灯?

 ……違う、刃物だ!


「ッうわ!?」


 冷や水を浴びせられたような気分になりながら、俺は慌てて飛び起きる。

 だが太い腕が俺の首を掴み、再びベッドに叩きつけられた。


「おはよう、柏木君」

「か……わた……せんせい……?」


 なに? なに?

 苦しい……なにこれ、体罰?

 え? 待って待って、俺が何したっていうの? 騎馬戦程度で倒れたから、怒られてるの?

 俺が軟弱なのは認めるけど、体育教師だからって厳しすぎない?


 いや、体罰どころの話じゃないよね。っていうかハサミまで持ってるし。

 ん? っていうか今、俺女の子っていう設定だよ?

 成人男性が未成年の女の子にこんなことしちゃだめでしょ。ここ保健室だし、誰かに見られて勘違いでもされたら……


 あれ?

 もしかして、勘違いじゃない?


「はぁはぁ、柏木くぅん」

「ひっ!?」


 やばいやばいやばいやばい!

 俺のっ、俺の貞操が!


 いや、待て、落ち着け。大丈夫、俺は女じゃないし。

 最悪、男だってバレたっていい。こいつが何を言おうと、学生に手を出そうとした変態教師の戯言としか思われないに違いないし――


「柏木君、知ってるよ。俺だけが知ってるんだ、君の秘密」

「は?」

「男の子だろう、君」


 え?

 待って待って、俺が男だって分かった上でこの状況?

 となると……ものすごくマズイ状況なのでは?


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い!


 なに? なに?

 俺が男だって分かってるのに、なんで息上がってるの?


「こんなに怯えて、可哀想に。大丈夫だよ。俺が君を本物の女の子にしてあげるから……」


 えっ、何言ってんのこのおっさん。

 どういう意味? どういう意味?

 いや、子供じゃないんだから、意味なんて決まってるよな……


「このハサミで、君の余計な部分を取り除いてあげるからさァ!」


 そっちの意味かーッ!


「誰か! 誰か助けて!」


 クソッ、こんなとこで……こんなとこで男としての人生終わらせてたまるか!

 まだ女の子とデートだってしたことないのに!


「こらこら暴れちゃダメだよ。大丈夫、俺の磨き上げたハサミなら最小限の痛みで切断できるからさ」

「離せクソやろ……うっ!?」

「ダメだよ。ほかの生徒ならともかく、これから女の子になろうという君がそんな汚い言葉使っちゃ」


 口元を鷲掴みにされ、ベッドに頭がめり込む。

 頭が痛い。息ができない。

 俺は唯一自由になる足をばたつかせる。その程度でヤツを剥がすのは無理だが、誰かが音を聞いて異変に気付いてくれたら……


「無駄だよ」

「ッ!?」


 すべてを見透かしたような、川田の嫌な笑み。


「今日は体育祭だよ? 綱引きも随分と盛り上がっているようだし、誰が保健室の異変に気付く? ほら、力を抜いて。そっちの方が痛みも少ないから」


 ……クソッ!

 カズちゃんに残ってもらえばよかった。

 いや、体型なんて気にせず筋トレとかすればよかった。もっと肉食っとけばよかった。

 いや、いや、いや……そもそも女子高になんて入るべきじゃなかったんだ。


 頼む、誰でもいい。この際、男でも女でも構わない。

 誰か俺を助けて――


「うわッ!?」


 刹那、体に圧し掛かる重みが取れ、呼吸が楽になる。

 俺はベッドから転がり落ち、床を這うようにして川田と距離を取る。


「ぐぞっ……がじわぎくぅん……」


 鼻からドバドバと血を流しながら、俺に手を伸ばす川田。

 その手を、タイツに包まれた細く長い脚が蹴飛ばした。


「いたああぁぁぁぁぁいッ!」

「無様ね。今まで見てきたどんな犬にも劣るわ」


 凛とした声、顔周りだけ短く切りそろえられた艶やかで長い黒髪。こんな綺麗な人は、この学校に二人といない。


「生徒会長……!?」

「あら、柏木さん。ごきげんよう。ダメですよ、保健室でサボりだなんて」


 いつものように人形のような固い笑みを浮かべる生徒会長。

 しかしなんだ、この違和感は。俺は床に座り込んだまま、彼女をジッと見上げる。なんだか首が痛いな……


 ああ、そうだ。今の彼女は犬に乗ってない。

 自分の脚で立っているんだ。

 脚長いな……っていうか、あれ? なんか、おっきくない?


「白森ぃ……お前はお呼びじゃねぇんだ。邪魔するなァ!」


 立ち上がり、振り下ろした川田の拳を生徒会長は難なく受け止める。

 川田の身長は……170、いや175だろうか。

 並んだ生徒会長の背は、川田より10センチは高い。


「こ、の……! いだだだだ!」


 川田の腕を片手で捻り上げる生徒会長。耐えきれず、川田はヘナヘナと地面に座り込む。

 技術とかじゃない。純粋な力で、川田に勝ったのだ。


「なんなんだ……なんなんだよお前!」

「なんだとは失礼じゃない。あなたこそなんなの? 学校で、生徒に乱暴だなんて。恥を知りなさいケダモノ」

「うっ……うあっ……」


 生徒会長ははるか高みから、川田を見下ろす。

 なんだか川田が酷く小さくて惨めに見えた。


「さぁ来なさい。学校の中だからって容赦はしないわ。出るとこ出て――」

「うらあああああああぁあああぁぁぁッ!」


 最後の悪あがき。

 川田は地面を蹴り、カエルのごとく大きく跳び上がる。伸ばした手には、輝くハサミが。


「生徒会長!」


 会長は素早く脚を引き、刃から逃れる。だが、僅かに足らなかった。

 川田の磨き上げられた刃が、会長のセーラー服を切り裂く。


「くっ……!」

「グフウゥッ!」


 がら空きになった川田の腹部に会長は腰の入ったボディブローをお見舞いする。内臓からこみあげるようなうめき声を上げながら倒れこむ川田を、会長は素早く床に組み伏せる。

 川田は情けない声を上げながら、地面に突っ伏して芋虫のごとく体をくねらせることしかできない。


「大丈夫ですか、会ちょ……」


 言い終わるより早く、俺は息と共に言葉を飲み込む。

 へその上を通り、胸にかけてまっすぐ切り裂かれたセーラー服。そこから覗く白い皮膚には薄く赤い線が滲んでいるが、それほど傷は深くなさそうだ。

 だが、俺の目が釘付けになったのはそこではない。

 彼女の胸――目を離すことができない。


 だがそれは、決して邪な気持ちからではない。


 貧乳……にしても、小さすぎる。というより、“無い”に等しい。

 胸というよりは、胸板といった方がしっくりくる。

 違和感はそれだけではない。

 いままで立ち上がった彼女を見たことがなかったから気付かなかったが……この身長、そして川田を圧倒する力。

 まさか、まさか、あなたまで――


「おと、こ……?」


 俺の言葉に目を見開き、振り返る生徒会長。


 その顔に、もはや人形の笑みは浮かんでいない。

 俺たちと同じ、どこまでも普通の女装男子の表情であった。




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