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30、三峰アヤメは戦場に女神を見る




 馬の上で立ち上がり、脚に鉢巻きを巻く。

 たったそれだけの事で、彼女はいとも容易くグラウンドを支配してみせた。


 ちょっとばかし顔が可愛いだけの一年生だと思っていたが……どうやら俺は大きな見込み違いをしてしまっていたらしい。


 白く柔らかな太もも、血のように赤い鉢巻き、黒いハーフパンツ。

 なんてことだ、白雪姫の美しさを下半身だけで体現させやがった。

 死体となり棺に納められてなお、目の肥えた王子のハートを射止める美貌。恋愛偏差値三十五の飢えた女装男たちが目を離せるはずない。


 馬の動きが鈍ってる。

 周りの騎馬も、まるで時が止まってしまったように動かない。

 俺たちの視線は、文字通り彼女に釘付けだ。


 だが、良い。それで良い。

 無理に視線を逸らす必要なんてない。

 むしろ見ろ。もっと、もっと。見殺せ。


「みんな、何を狼狽えているの?」


 柏木沙羅、自身がライオンの檻に放り込まれたウサギだと知れ。


「私たち()()()()じゃないの。恥ずかしがることなんてないわ。多少体が触れ合うのも、競技の性質上仕方のない事よ」


 俺の言葉に、放心していた騎手たちの目の色が変わる。

 そうだ、やっと気付いたか。


 今なら、お前たちが逆立ちしたって関わり合いになれないような美少女が触り放題。それも合法的にだ。

 ボサボサするな、立ち上がれ。

 餌は目の前にぶら下がっている。


「止まるな! 行け! お前らの力を見せてみろッ!」


 まるで止まっていた時が動き出したようだった。

 雄叫びを上げ、駆けだす騎馬たち。……美しい少女に群がっていく男たち。


 この後柏木沙羅がどうなるのか、想像するのは容易い。

 そのおぞましさに、俺は思わず身震いする。自分で考えた策とはいえ――やはり直視するのは辛い。


「うおおおぉぉぉぉおおおおッ!」


 野太い男たちの声。

 もう見てはいられない。俺は思わず足元に視線を落とす。


「うらああああぁぁぁぁぁ!」

「こんのぉおおおおぉぉぉおおおおおッ!」

「クソがあああぁぁぁぁ!」


 どんどんと声が大きくなっていく。


「オラアアァァァァァァァッ!」

「させるかぁぁぁああああああぁぁぁ!」

「触るなああああぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ!」

「こらああああぁぁぁぁぁ!」

「やめろおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉ!」


 ……なんか、多くない?


 俺はゆっくり視線を上げる。

 その光景に、俺は思わず息を飲んだ。


「なっ……!?」


 俺の、白組の騎馬たちが、止まっている。

 阻まれて近付けないのだ。柏木沙羅を守る肉の壁に。

 だが騎馬の数ではこちらが圧倒的に優位のはず。なぜ我が組が押されている?


 いや、待て。

 柏木沙羅を守るあの騎馬隊――騎手がいない!?


「休んでる暇はないぞ。立て、立ち上がれ馬ども!」


 あれは、騎手を失った馬たち?

 それにしても数が多いじゃないか。


「行けェ! 柏木さんを守るのよッ!」


 聞き覚えのある声、紫の腕章。

 あれは、風紀委員長?

 ヤツめ、どこまでも生徒会の邪魔を。

 というか、そもそもヤツの名前など選手名簿にはなかったはず。

 ……待てよ?


 努めて冷静にあたりを観察し、俺はようやく今何が起きているのかを知る。

 白線の外、観客席から続々と選手ではない生徒たちが乱入し、柏木沙羅の周りを固めているのだ。


「な、なにやってるの……? ふざけないで! こんなの反則よ」

「反則、ね。それはどちらの組の反則?」


 柏木沙羅の馬がそう声を上げながらニヤリと笑う。


 一瞬その意味を理解することができなかったが、辺りを見回して分かった。

 柏木沙羅の壁になっているのは、赤組の連中ばかりではない。


「意味が分からない。どうして? どういう理由で敵チームの騎馬を守るのよ!?」

「決まってるでしょ。赤だの白だのなんて、この子の前では些細な違いでしかない」

「何を馬鹿なこと……あなたたち16年以上生きてきて、体育祭のルールも理解できないの!?」

「うるせーッ! 柏木沙羅には触れさせないぞ! お前らばっかりズル……じゃなくて、そんな卑劣な真似は許さん!」


 なんだこいつら。なんなんだ。言葉が全く通じない。

 ふざけるな。外部の奴らはなにやってる?

 体育祭実行委員は、放送席は――いない?


「すまん三峰!」

「来ちゃった……」


 柏木沙羅の足元でヘラヘラと笑いながら手を振る二人。

 二宮と一ノ瀬、お前らよりによって生徒会腕章をつけたまま仕事をほっぽり出したのか!


「……理解しがたい馬鹿の多いこと。でも良いのかしら、柏木さん? 騎手のいる騎馬の数はこちらの方が多い。守ってばかりでは勝てないのよ」


 俺は無理矢理に笑みを作り、柏木沙羅を誘い出す。

 なんとかして彼女を引っ張り出さないと。俺が欲しいのは勝利なんかじゃないのだから。


「来なさいよ。取り巻きに守ってもらうしか能がないわけ?」


 柏木沙羅の眉が微かに動く。

 乗ったな……来る!


「良いですよ。その勝負……受けて立ちます!」


 柏木沙羅はそう言って――翔んだ。


「なっ!?」


 あり得ない。

 騎馬戦で、騎手が走っている。

 彼女を守るために押しかけた馬を足場にして、走っている!


「あんなの……アリ?」


 呆然とする俺たちを嘲笑うように、柏木沙羅は華麗に舞う。

 そして。


「一人目!」


 その動きに魅せられて呆けていた騎手の一人から、彼女は難なく白い鉢巻きを奪った。


「みんな、柏木沙羅に続け! 俺らが道を作るんだよ!」


 手に持った鉢巻きをたなびかせ、戦場を駆ける柏木沙羅。それに続く男たち。

 まるでドラクロワの絵画、“民衆を導く自由の女神”をグラウンドに下ろしたような、そんな光景。


 ああ、馬鹿げてる。

 こんなの勝てるわけないじゃないか。


 鉢巻きを奪いながら、どんどんとこちらへ近付いてくる柏木沙羅。

 薔薇色の頬を伝う汗がまるで宝石のように彼女を飾っている。

 逃げることなどできない。抵抗することなどできない。彼女から目を逸らすことなど、できようはずもない。


「可愛い……」


 やっとの思いで絞り出したのは、彼女に対する罵詈雑言でも呪詛の言葉でもなく、笑ってしまうほど幼稚な、しかし彼女を形容するに最も相応しい言葉であった。

 すると彼女は驚いたように目を丸くし、そして小さく笑って――


「ありがとう」


 風のように駆け抜けていく彼女の手には、既に俺の鉢巻きが。

 だが彼女が奪ったのはそれだけではない。


「盗られちゃった……」


 俺は締め付けられる胸を押さえながら、甘く苦い敗北の味を噛みしめるのだった。


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