2、鬼頭和子の絶望と救済
なんでだ? なんでこんな事になった?
好きでもない勉強必死に頑張って、親元を離れて地元を出て、知り合いなんて一人もいない全寮制の学校に入って、こんな恥ずかしい格好までして……こんな恥ずかしい格好までして!
それもこれも、女子高生に囲まれた薔薇色の高校生活を送るためだった。
なのに、なのに。
青々した髭の剃り跡、うねった毛に覆われた太ってぇ脚、山みたいにでけぇゴツゴツした体。
なんだこの学校は。
女子校なのに女子高生が一人もいねぇ。
これじゃあ男子校じゃねぇか!
いや、男子校よりも酷い。男子校なら、少なくともスカートから伸びる男の生足を拝まなくて済んだだろうからな。
しかしそんな叫びを口に出すこともできない。
女子高に入学している以上、ここの生徒はみんな「女」なんだ。
どんなにバレバレの女装だったとしても、そういう風に扱わなきゃいけないし、そういう風に振舞わなきゃいけない。
もしも男だってバレたら、きっと退学だ。
でも、もう、限界かもしれない。
「お待ちなさい鬼頭さん!」
ヒステリックなババアの声が耳に突き刺さる。
「何ですかその格好は。白薔薇高校の生徒として相応しい姿ではありませんよ」
……相応しい姿? なんだそりゃ。
女子高に相応しい姿した生徒なんてここに存在すんのかよ。
「早くスカートの下に履いたジャージをお脱ぎなさい。それから、その下品なピアスも!」
ジャージを履いているのが問題なのか? ピアスをつけていることが問題なのか?
男がセーラー服を着ていることじゃなく?
「白薔薇学園に入学した以上、淑女としての身だしなみを――」
淑女?
ここにいんのは女子高生に囲まれたくて女装までした変態だけだぜ?
なんで? なんでこんなことになった?
俺は、俺はただ女子高生に囲まれたかっただけなのに。
「聞いているんですか、鬼頭さん!」
「……るせぇ」
女子高生のいないこの不毛地帯にしがみつかなきゃならない理由があるのか?
こんな格好をしてまで、こんな思いをしてまで、俺はこの学校に留まらなきゃならないのか?
「うるせぇ、うるせぇ……!」
ダメだ、込み上げてくる。
止められない。
……止める必要もないか。
「俺は……俺はおと――」
「待ってください」
俺の言葉を遮る、鈴を転がしたような美しい声。
俺と教師の間に割って入る、艶やかな黒髪の少女。
そう、少女だ。セーラー服を着た男なんかじゃない。髭の剃り跡なんかない白い肌、薔薇色の頬、ピンクの唇、長い睫毛。
俺は目をこすり、もう一度その少女を見る。
……女子高生だ。
空想上の生物なんじゃないかと疑い始めていた女子高生が、俺の目の前にいる。
え? なんで? なんでこんなとこに女子高生がいるんだ?
その子は俺に一瞬笑いかけ、しかしすぐに真面目な表情を作って教師と向き合う。
「鬼頭さん、なんだか今朝から具合が悪いみたいで」
「そんなのは関係ありません」
「……ああ、このピアスですか? これは風邪ひいたとき、元気になるおまじないみたいなものです。首にネギまくのと一緒です。ほら、彼女群馬出身だから」
「ああ、群馬ね」
群馬にそんな風習ねぇ!
と突っ込みを入れる暇もなく。
「じゃあ私、鬼頭さんを保健室に連れていきますので」
その子は早口でそう言うと、俺の手を引いて廊下をスタスタ歩いていく。
白くて細い指が俺の手に絡んでいる。少し冷たい。いや、俺の体温が上がっているのか。
「お、おい。どこ行くんだ」
やっとの思いで尋ねる。
突然のことに混乱しているとはいえ、彼女が保健室に向かっていない事は分かった。
彼女は階段を上りながら、こちらを見下ろしてイタズラっぽく笑う。
「なに? 保健室行きたい?」
「あ、いや……」
眩しくて直視できないのは、きっと窓から射し込む光のせいだ。
脈が早くなっていくのは、きっと階段を駆け上がっているからだ。
「知ってた? ここの扉、一応鍵はかかってるんだけど古くなってるから……ほら、開いた!」
少女は錆びついた扉をやや強引に開く。
埃っぽい淀んだ空間に清らかな風が入り込み、彼女の髪を揺らす。
……心なしか、いい匂いがする。
ああ、天国って案外近くにあったんだな。
「ごめんね。こんなにいい天気だから、授業を受ける気になれなくて。鬼頭さんに便乗させてもらっちゃった」
「あ、そ、そう……かよ……え、なんで俺……じゃなくてえっと、あたしの名前」
俺は慌てて一人称を正す。
退学を恐れてではない。目の前の彼女に、俺の正体を知られたくないからだ。
……俺が女装して女子高に潜入した変態だなんて、知られるわけにはいかない。
「うふふ。だって同じクラスだもん。私、柏木沙羅。よろしくね」
「えっ……」
こんな可愛い子がいるのに気づかなかったなんて、俺の目は節穴か!
いや、俺の目が悪いんじゃない。周りのヤツがでかすぎるんだ。彼女が埋もれてしまうのも仕方のないこと。あの体格でよくもまぁ女装しようだなんて思ったもんだよ本当に。
……まぁ、俺だってそんな褒められた姿じゃねぇけど。
「ねぇ、お化粧してみていい?」
「えっ!?」
「鬼頭さんって小物とかアクセサリーとかおしゃれなのに、ほとんどすっぴんなんだもん。ね? いいでしょ。女の子同士なんだし」
「い、いや……」
「大丈夫大丈夫。目つぶってて」
断るより早く、柏木さんの手が伸びてくる。
俺は慌てて目をつむった。直後に感じる、目蓋をくすぐる筆の感触。
どのくらいそうしていただろう。
「……ん、我ながら上出来!」
その声を合図に、俺はゆっくり目を開く。
飛び込んできたのは、いつもより少し目がパッチリした俺の顔。
「ね? 可愛いでしょ?」
「あー……うん、ありがとう」
鏡の中の俺が顔を引き攣らせながら笑っている。
可愛いか、というとそりゃあもちろん可愛くはない。だって男だし。
だが、柏木さんが頑張ってくれたと思うと、この顔もそんなに悪くないように思えてくる。
「あ、でも……」
柏木さんが急に表情を変え、ぐっと俺の方に顔を近付ける。
「ッ……!? な、なに?」
「ガーリーなメイクにこのピアスはちょっと似合わないかもなぁ」
そう言って、柏木さんは絹のような白い腕を俺の方に伸ばす。
ち、近い。近すぎる。
それになんて……なんて可愛いんだ。
見とれて、拒むことができない。目を逸らせない。
柏木さんの大きな目に腑抜けた俺の顔が映る。なんて情けない表情。心臓がはちきれそうだ。
「うん、やっぱりこっちの方が良い。かわいいよ」
自分の心臓の鼓動がうるさくて、柏木さんの声がどこか遠くに聞こえた。
*****
「ちょっと鬼頭さ――」
背後から飛んでくるヒステリックな声に振り向くと、あのババア教師は目を丸くする。
「い、いえ。なんでもありません」
そりゃそうだろうよ。
スカートの下にジャージだって履いてねぇし、ピアスだって外してる。
「……あなたもこの学校に相応しい生徒になりつつあるみたいですね」
俺は笑顔を作って頭を下げる。
このババア、とんでもねぇ勘違いをしてるみたいだ。
学園に相応しい? とんでもない、そんなもん糞くらえだ。
俺はただ、あの子の側にいたいだけ。
……サラの近くにいるのに、相応しい“女の子”にならないとな。