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25、川田武お手製更衣室へようこそ




 ――あれ、ここはどこだ?


 ああ、なんだか息が苦しいな。どうしてこうなったんだっけ。

 ここは学校で、俺は大学生で……いや、違う。教師になったんだっけ。

 そう、そうだ。念願の白薔薇女子高等学校の教員に採用されたんだった。


 で、どうしてこうなったんだっけ?


 ああ、なんだこの感触。

 唇に触れる、柔らかくて温かい感触。

 頭に浮かぶのは、黒髪の美しい少女。

 名前は、そう、柏木……柏木沙羅。背中に翼が生えていても不思議じゃないくらいの、とびきりの美少女。


 そうだ、俺は溺れて……あの娘が、助けてくれた?

 なら、この柔らかいのは。唇に触れているのは――


 俺はゆっくりと目を開く。

 飛び込んできたのは、ゴツゴツしたベースボール型の輪郭。


「ウゲッ……おえっ……うええぇぇぇぇぇッ!」

「息を吹き返したぞ!」

「先生、大丈夫ですかーッ!」

「おえっ、うえっ、ぺっぺっ」


 男! 男男男! 男じゃんふざけんな!

 俺は覆いかぶさる女性用水着に身を包んだ男を押しのけるようにして起き上がる。


「はぁ良かった。死んだかと思いましたよ」

「体育教師が溺れるってどういうことですか」

「やっぱり準備運動はちゃんとしないとね」

「受けててよかった、救命救急講習!」


 俺を囲む女装男たち。

 ああ、そうだ、そうだった。全部思い出した。最悪の目覚めだ。

 これが“本物の女子校”だったなら、体育会系の女子か正義感強めの学級委員長系女子に人工呼吸してもらえたかもしれないが、俺を囲む現実は……

 うっ、思い出すとなんだか酸っぱい物がこみあげてくる。


 そんなことより柏木沙羅は? 柏木沙羅はいずこに?


 俺は慌てて辺りを見回す。くそっ、貴重な時間を無駄にしてしまった。

 プールサイドには見当たらない。

 とすると、まだ水中にいるのか!


「カズちゃん、もう良いよ。私そろそろ上がるから……」


 プールの角に柏木沙羅の姿を見つける。

 だが彼女の横には厄介なボディーガードが付いていた。


「大丈夫大丈夫、せっかくのプールなんだから、サラも楽しんでよ!」

「いや、でも……」

「人が近づいて来ないよう、ちゃんと私が見張ってるからさ! ぶつかったりしたら危ないもんね!」

「あ、ありがとう……でも早く離してあげないとその人死んじゃうよ……?」


 ボディーガードは今も彼女に近付いたらしい不埒な生徒の髪を引っ掴み、頭を水に沈めている。

 柏木沙羅に気を使っているのか、その表情は笑顔である。しかし目から出る殺気は惜しむことなく周囲に振りまかれていた。


 俺のせいで警戒レベルが上がってしまったのか……いや、俺が気を失っている間に柏木沙羅に手を出そうとした生徒がいたとしても不思議ではない。

 どうあれ、あんな状況ではもはや柏木沙羅に近付くことすら容易ではなくなってしまった。


 ああ、終わった。

 終わりだよ。

 もうなにもかもおしまいだ。


「くく……くくく……フーハハハハ!!」

「先生? どうしました?」

「……AED持ってくる?」

「ダメダメ、悪いのは心臓じゃなく頭だもの」


 終わりだ! 終わりだぜ柏木沙羅!


 俺だって本当はこんなことしたくなかった。こんな教師としても成人男性としてもアウトなこと、したくなかった!

 できることなら、どさくさセクハラかラッキースケベ作戦で発散したかった。

 だがそれすら叶わないというのなら……もう、こうするより他ない。


 君が悪いんだぞ、柏木さん。

 君が可愛すぎるのが悪いんだ。


 授業の終了を告げるチャイムが鳴り響く。

 だが俺にとってこのチャイムは新たな戦いの始まりを告げるゴングそのもの。

 生徒たちが更衣室へと吸い込まれていくのを確認し、俺は更衣室の裏へと回る。


 巨大な試着室のように小さな個室が一列に並び、それぞれの部屋には一枚板の鏡が設置されている。学校の更衣室のクオリティをはるかに凌駕した更衣室。

 金をかけてそのような更衣室を作ったのには理由がある。

 一つは“本物”の女子高生をほかの男たちの下劣な視線に晒さないようにするため。

 そしてもう一つは――俺だけが彼女に下劣な視線を向けられるようにするため。


「……ふー、ふーっ」


 上がっていく呼吸を何とか治めながら、俺はそろりそろりと秘密の通路をすり抜ける。

 壁一枚隔てた向こう側から聞こえてくる衣擦れの音が俺の興奮を高めていく。


 更衣室にわざわざ設置した大きな姿見。

 向こうから見ればこれは何の変哲もない鏡だ。しかし裏へ回ると、何の変哲もない鏡は更衣室を見通す“窓”へとその姿を変える。

 そう、マジックミラーだ。

 取り付けるのは大変だったが、間に合ってよかった。

 まだ片づけきっていない工具を横目に、俺は通路を進んでいく。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 自然と鼓動が高鳴る。

 俺はこれ以上激しく心臓が飛び跳ねるのを抑えるため、ゆっくりとその窓を覗く。


 俺の目に飛び込む肌色。

 岩肌のような腕、盛り上がった大胸筋、丸太のような太もも。

 あられもない姿をした、一糸まとわぬ――男。


「おえっ!? おっ……ゴホッゴホッ」

「ちょっとぉ、誰よ変な声だしたのぉ?」


 タオルで脇の下を擦りながら、おどけたように声を上げる男。

 想像していた光景と現実のそれがあまりに乖離しすぎていて思わずむせてしまったが、なんとか怪しまれずに済んだらしい。


 そうだった。このクラスの生徒のほとんどがハズレ

 俺はアタリを引くまで、ハズレの裸体を見続けなければならないのだ。

 ……できるだけ手早く済ませよう。


 俺は通路をカニ歩きしながら、一つ一つ窓をチェックしていく。


 ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ。

 ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、おえっ、ハズレ。

 ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ……

 ハズ――ん!?


 俺はスルーしそうになった大きな窓をもう一度覗き込む。

 白い肌、ほっそりした体、華奢な手足、つるんとした可愛らしい顔、やや上気した頬、水の滴る艶やかな黒髪――

 柏木沙羅、柏木沙羅だ。

 誰もが見たがり、しかし誰もが見る事の叶わない彼女のあられもない姿を、俺だけが目にすることができる!

 なんという優越感。

 だが……なんだこの違和感。

 先ほどまで腹の中で暴れていた興奮が潮のように引いていくのを感じる。

 代わりに心を満たすのは、腰の力が抜けていくような絶望。


 ――付いてる。


 俺は目を擦る。


 ――付いてる。


 もう一度、願うようにして目をつむる。

 悪夢なら覚めてくれ。そう祈りながら目を開ける。


 ――付いてる。


 そんな。

 そんな。

 そんな馬鹿な。


 彼女もなのか。彼女もまた“本物”ではなかったのか。

 あんなに可愛い彼女が……?

 もう何も信じられない。あんな可愛い女の子が男なら、もうこの世に女なんて存在しないのでは?

 すました顔で街を歩いている女全員、股間に俺と同じものをぶら下げているのでは?


 信じたくない。信じたくない。

 だがこうも直接現実を突きつけられた以上、疑う余地はない。


 じゃあ。

 じゃあ俺はこれから何を心の支えにしていけばいい?

 せっかく苦労してこの学園に入ったのに。

 一体、どうすれば。


 ……いや、そうか。

 ははは、そうだ、その手があるじゃないか。

 見ろ、彼女の姿を。完璧な少女だ。ただ一つ、人より多い部分があるだけ。

 なら、それを取り除いてさえしまえばいい。ないものを足すのは難しいが多いものを取り除くのは容易い。


「くく……くくく」


 俺は散らばっていた工具たちを手に取る。

 のこぎり、キリ、トンカチ、釘……ハサミ。

 うん、これが良い。手にもよくなじむ。ポケットに入れていても不自然ではない。


 俺が。俺こそが彼女を完璧にできるんだ。

 完璧な――少女に!


 俺は裏口から更衣室を後にする。

 手の中でハサミをクルリと回し、俺は眼前に広がる青々した山を見上げる。

 ここではダメだ。騒ぎになる。

 これは神聖な儀式だ。できれば誰にも邪魔されない場所で、ロマンティックに事を運びたい。

 ハサミも、こんな潰れた刃ではダメだ。もっとよく研がれた、美しいものでないと。


「……ん?」


 俺は手元の刃に向けていた視線を再び頭上の山へ上げる。

 今、視界の端で何か光ったような。


 いや、そんなことはどうだって良い。

 今すべきことは、このハサミの刃を鏡のように磨き上げる事。そして。


「……ブエックショイ!」


 風邪をひく前に服を着ることだ。


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