24、川田武はローアングラー
目に痛いほど鮮やかな青空、降り注ぐ日差し、煌めく水面、岩肌の如き脚、ギロチンでも断ち切ることが難しそうな太い首、全身を覆う毛、毛、毛、毛、毛!
「オゴッ……」
俺はその強烈な光景に思わずえずきそうになる口を押さえ、視線をプール脇に咲くタンポポに移す。
酷い、なんて酷い絵面だ。
ここが地獄か……
早く! 早く清涼剤を!
「ねぇサラ、ほら早くぅ」
もともと野太い声に砂糖をぶっ掛けて無理矢理甘くしたような不自然な声が更衣室の方から響く。
その声自体に清涼感なんてものは微塵も感じられないが、更衣室の奥から出てきた生徒を見ると、そんな事はどうでも良くなった。
「あ、あの……恥ずかしいからあんま見ないで欲しいんだけど……」
大男……いや、大女装男の影に隠れ、恥ずかしそうにうつむきながら歩いてくる柏木沙羅。
纏っているのは肩の出た薄い水色のワンピースだ。
水着にしてみればかなり露出度は低い。
だが……それがまた良い!
多分人前に肌を晒すのが好きじゃないんだろう。お嬢様学校の生徒らしい考えだ。
でも授業だから、水着を着ないわけにはいかない。授業をサボることだってできるが、真面目なお嬢様である彼女にはそれもできない。
なんという美しいジレンマ。
そんな清純な彼女を悩ませたのは誰だ?
――俺だ!
これはもはや俺が彼女のセーラー服を脱がせたも同然!
ああああああ興奮するうううううウゥぅぅううッッ!
「……先生。あの、先生?」
「はっ!」
突き刺さるような視線で意識を取り戻し、俺は一つ咳払いをする。
「で、ではさっそく授業に取り掛かろう。みんな、プールの中に入りなさい」
「あの、準備運動とかは……」
「そんなの各自テキトーにやれ! チンタラすんな!」
俺は率先してプールに飛び込み、生徒たちを壁に沿うようにして並ばせる。
「まずは基礎の訓練から行くぞ。バタ足だ……おらバタ足だよ早くしろ!」
のろのろのろのろと、どんくさい奴らだ。
授業時間は50分。その短い時間で女子高生との水中遊戯を楽しむには創意と工夫、そして情熱が不可欠だ。
手っ取り早く。それでいて教師としての尊厳を保ちながら彼女との接触をはかるには――
「ん、ん~? 柏木さん、フォームが乱れてるなぁ。もっと足をまっすぐにしないと」
俺は誤解を招かぬよう周囲に聞こえるように声を上げながら柏木沙羅の元へ一歩踏み出す。
彼女は振り向いて俺の顔を見るなり、目と口をこれでもかと言うほど大きく開いた。
「アアアアアァァァァァアアアアアッッ!? 寄るなああああああああああああぁぁぁぁッ!」
「ひえっ……?」
信じられないほどの声量で悲鳴を上げる柏木沙羅に、思わず足が止まる。
えっ、まだなにもしてないのに。授業中なのに。そんな拒否らなくても……。
人知れず傷ついていると、彼女はハッとした表情をして慌てたように首を振る。
「あっ、違っ……ごめんなさい。男性恐怖症で。それにその、私敏感肌だから人に触られると跡が付いちゃったり、あの、えっと……」
「あ、ああいや、その、すまなかった」
そ、そうだ。大丈夫。“俺”が拒否られたのではない。
女子高に入学するくらいだ、男性が苦手なことくらいは想像できる。
それにあのふわふわな肌……う、うん。人に触られると跡が付くというのも、うん、分からないではない……かな? あの、マンボウとかも皮膚よわよわで触ると跡が付いたり最悪死ぬって聞いたことあるし。いや、あれはガセだって話だったか? ま、まぁ良い。そんなことを考えている時間すらもったいない。
「バ、バタ足はもういい!」
へこんだ心を隆起させるように俺は声を張り上げる。
あそこまで拒否られれば無理に接触することはできない。なにより、俺の心が持たない……
ならば、次の作戦に移るまで!
「まぁ今日は初回だし……ここからは自由に泳ぎなさい」
響き渡る歓声――いや、雄叫び。
奴らは鎖を解かれた犬のごとく嬉々として水しぶきを上げていく。
「はは、最近の子は元気がいいなぁ」
なんて適当なことを言いながら、横目でしっかり位置確認。脳内で柏木沙羅をロックオンする。
正当な指導を拒否されたのなら、もう事故を装うしかない。
名付けて『ラッキースケベ作戦』!
「あはは、先生も潜っちゃうぞぉ」
はやる気持ちを押さえ、肺に空気をため込み水底へと潜伏する。
喧騒がどこか遠くに聞こえる。みんなすぐそこにいるのに、まるで自分だけ別世界にいるようだ。
水の中に生えているたくさんの脚。まるで密林である。大木のような奴らの脚を避けながら、気付かれないよう柏木沙羅に接触するのだ。
目指すのは……そう、柏木沙羅のスカートの中!
陸ではなかなかできないことだ。しかし水中なら――縦横無尽に動き回ることのできるプールの中ならば!
『うっ……』
ダメだ、興奮すると息が!
抑えろ、酸素消費を抑えるんだ。
でも、もう、限界かも……
「わ、私やっぱり出てようかな。恥ずかしいし……」
水の上から聞こえてくる柏木沙羅のか細い声。俺の、あるいは他の生徒からの怪しい視線に怯えているのか。
マズい。今ここで息継ぎなんてしてる余裕はない。なにより、ここで変なことをしたら彼女の警戒心を高める。
「ええ、せっかくのプールなんだからもうちょっと遊ぼうよ!」
そうだ、いいぞ鬼頭。彼女を引き留めておくんだ!
今……今行くから!
ああ、でも、もう息が。
視界がぼやけてきた。世界がチカチカ光って見える。
も、もう少し。あと、少しだけ……
よし、ここだ!
俺は最後の力を振り絞って地面を蹴り、勢いよくワンピース水着の中へ頭を突っ込む。
こんにちは、天国!
刹那感じる、「もにゅっ」という妙な感触。
……なんだろう。柔らかいのは柔らかいんだけど、想像してたのと違うというか、妙に馴染みがあるというか……
「あっ、ヤダー! 誰よイタズラしてるのっ!」
頭上から響いてくる声。
野太い声を無理矢理甘くしたような。
薄らいでいく意識の中でも分かる。
それは柏木沙羅の声ではない。
ということは、この「もにゅっ」は――
絶望を胸に水底へ落ちる俺の目に映ったのは、紛うことなき“地獄”であった。