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23、柏木沙羅も、水着はさすがにキツイ




 川田の授業は嫌いじゃなかった。

 女装男子にとって、体育なんてものは悪影響しかない。日焼けも筋肉の発達も女装の天敵。

 その点、川田の無気力授業ではサボってダラダラ走ってても怒られないし、うまくドッジボールの許可をもらえればテキトーにボールに当たって外野でボーっとできる。


 だから、奴があんなことを言い出した時は驚いた。


『と、いう訳で先生テンション上がってプール作っちゃいました。来週までに水着を用意するように』


 もちろん最初は突拍子もない冗談だと思ったのだが。


「ほんとにあるね……プール……」


 目の前に広がるプールを見せつけられると、もう疑う余地がない。


「なにこれ、アイツが作ったの? っていうかプールって個人で作れるの? 金持ちなの?」


 滝のようにあふれる疑問。

 だが俺の隣でプールを眺めていた友人の頭には、また違う事が浮かんでいるようだった。


「ねぇサラ、水着買った?」

「へ?」


 妙にそわそわしているカズちゃんの姿を見て、俺は我に返る。

 そうだ。水泳の授業ということは、当然水着を着なくてはならない。


 ……やばいやばいやばいやばい。

 水着はヤバいって、さすがにキツイって!


「サラはどんな水着買うの? ビ、ビキニ……とか……?」


 何言ってんだテメーぶっ殺すぞ。


 なーんていう訳にはいかないので、俺はなんやかんやと理由をつけてカズちゃんと別れ、寮の自室へと戻った。

 やることはもちろん決まっている。


「イ、イケる……か? どうだ?」


 ネットで買ったワンピース型の水着を纏い、姿見の前でポーズをとってみる。

 下半身を覆うスカートのお陰で“もっこり”は隠せた。胸もシリコンパットでなんとか膨らみを出せた。

 だが……なんだろう、この違和感。 


「……やー、やっぱキツイってぇ」


 正直女装には自信がある。

 だが俺はどう頑張っても男だ。化粧で顔の印象を変えられても、髪を整えられても、骨格だけは変えられない。

 雑誌の中で笑う水着モデルたちに比べれば、そりゃあ色々と粗は見えてくる。


「どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうし」


 鏡の中の俺が頭を抱えて崩れ落ちる。

 やばいやばいやばい。


 もう後戻りできないんだ。

 もし、万一、男だってバレたりしたら……


『よくも騙したな糞野郎、焼きそばパン返せ! とりあえず謝料込で十万円持って来いよ、明日までな』

『あーあ、女だと思って手加減して損したぜ。次からドッジボール本気で行くから。顔面当てたくらいで泣いてんじゃねぇぞ、男なんだろ』

『お、男ならさ、ハァハァ、脚触ってもセクハラにならないよね? 同性なんだから、ハァハァ』


 ヤバイヤバイヤバイヤバイ!

 俺は筋力とか、そういう男としての強さを全部捨てて女装してんだ。

 今更男として奴らと同じ土俵に立ったら、俺には到底勝ち目なんてない。


「はは……今から筋トレでもすっか」


 俺はヤケクソになりながら床に手を付き、腕立て伏せに挑戦してみる。

 だが俺の細腕は自分の体を支えることすらままならず。


「あう……」


 ペタンという情けない音を立てて床に腹を打ち付けるという無様な結果に終わったのだった。



 そして焦る俺をよそに時間は無情にも流れ、運命の日を迎えた。



「いよいよ今日だね。水泳の授業!」

「私、制服の下に水着履いてきちゃった」


 どこかふわふわした雰囲気漂う教室で、俺の周りにだけどんよりした空気がまとわりついている気がする。


 浮かれやがって、頭お花畑共が!


 と叫びだしたいのを必死にこらえながらも、俺はまだこの危機を乗り越える策を考えていた。

 大丈夫。大丈夫だ。落ち着け俺。まだ奥の手が残っている。


 俺は休み時間に教室を抜け出し、川田の元へ走る。

 体育準備室にいた川田は、すでに水着だった。


「ん? どうした柏木」


 結構きわどい海パン一丁で俺を迎えるその神経に若干恐怖を覚えながらも、俺は川田に一縷の望みをかける。


「あ、あの、先生。実はその、体調が悪くて。今日のプール、見学してても良いですか……?」


 こんなのは一時しのぎにしかならないのは分かっている。一夏中“体調不良”を押し通すことは難しいだろう。いつかはプールに入らなくてはならない。

 だが、今この危機を乗り越えられるなら、俺は何だってやる覚悟だ!


 そして川田は、不服そうに口をとがらせながらも意外なほどあっさり頷いた。


「仕方ないな。じゃあ水着に着替えて見学してて」

「ほ、本当ですか! ……ん?」


 喜んだのも束の間、川田の言葉に妙な点があることに気付く。


「ええと……聞き間違いですかね。水着で見学ですか……? プールはいらないのに?」

「当然でしょ。こういうのは平等にしないと。水着にならないなら単位あげないから」


 このクソ雑魚セクハラクソクソ教師が!! くたばれ!

 なーんて言う訳には行かないので。


「あ、なんか体調治りました」


 俺はやっとの思いでそう絞り出し、体育準備室を後にする。

 水着で見学なんて何の意味もないどころかむしろマイナスだ。

 いっそ水の中に入ってしまった方が体を隠すことだってできる。水着で見学なんて良い晒し者じゃないか。


「ねぇサラ、着替えた? 早くしないと授業始まるよ?」


 結局何の策も出せないまま、体育の授業の時間を迎えてしまった。

 ご丁寧にプールの脇に設置された更衣室に押し込められ、俺はしぶしぶセーラー服を脱いだ。

 カーテンの向こうには、俺の醜態を見ようと集まったクラスメイト達がいっぱいだ。


 ああ、仕方がないのか。

 もうどうすることもできないのか。


 グッバイ、俺の平穏な生活。

 俺は断頭台に首を置くような気持ちでカーテンを開け、飛んでくるであろう石に備え、目をつむり歯を食いしばりながら一歩踏み出す。

 休み時間とは思えないほどに静まり返る更衣室。


 さぁ、これが俺の女装人生最後の衣装だ。

 ――笑いたければ笑うが良い。


 そして、誰かの興奮気味な声で沈黙は破られた。


「ヤダー、サラの水着超カワイイ!」

「さすが柏木さん……デュフッ、スタイル抜群ですね……」

「お、お肌スベスベだね……ハァハァ、触ってもいい? 女の子同士だからいいよね? ハァハァ」


 水着の俺に投げられたのは、石ではなく称賛の声。


 ……どういうことだ?

 俺は恐る恐る目を開ける。


 理由はすぐに分かった。


 ゴツゴツした岩のような太もも、丸太のような腕、日に焼けた浅黒い肌、風にそよぐすね毛、腋毛、腕毛……

 そしてそんな逞しい体を優しく包むのは、色とりどりの女性用水着たち。

 フリルのついたもの、花柄のもの、パステルカラーのもの――水着が可愛いだけに、彼らの体の異様さが浮き彫りになる。


 ああ、そうか。

 俺は更衣室の中の鏡に視線を向ける。


 確かに俺の体は雑誌に載っている水着モデルたちと比べるとどこか違和感がある。

 だが俺の周りで泳ぐのは水着モデルなんかじゃない。可愛い水着に身を包んだ、男子高校生たちである。

 彼らに比べれば、俺の体は疑う余地のない立派な“女の子”だ。


 ああ、良かった。

 相対的評価バンザイ。


 でも――


「プール最高だな!」

「ひゃー、冷てぇ!」


 泳ぐ女装男子たち。

 水中で、まるで海藻のように靡く剛毛。


 お前ら、頼むからこんな時くらいは毛の処理きちんとしてくれ!




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