13、不動灯と雄っパブ教室
俺は昔からまっすぐな男だった。
自分の信じた道を、脇目も振らずひたすらに突き進む。どんなに道が悪かろうと、そこに障害物があろうと、俺にそんな物は見えない。
だがそんな俺の生き方は決して要領が良いとは言えないものだ。
「急がば周れ」なんて言葉の意味を痛いほどに感じた経験は何度もある。
女子と接する時などが最たる例だ。
女子というのは駆け引きが好きだ。時には甘えてみたり、時にはそっけなく突き放してみたりして、彼女たちは実に上手く男を惑わせる。
そういった駆け引きが一切できない俺は、女子が苦手だった。
だが同時に、俺は女子が大好きでもあるのだ。
その相反する二つの気持ちがいつも俺を苦しめていた。
だから俺は考えた。
女子に囲まれて、俺自身も女子になれば、彼女たちの気持ちが分かるのではないか。
親にはめちゃくちゃ泣かれたが、そんな事は些細な問題である。
だが……蓋を開けてみればどうだ。
こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった。
どうしてこんなことになったんだ。
放課後が来るたびに憂鬱になる。
俺はただ柏木沙羅の笑顔が見たいだけだったのに。
手元に残ったのは持ち主のいないアクセサリーと悪魔との契約の対価だけ。
放課後、この人気の少ない北校舎の空き教室で行われているのはまさに悪魔の饗宴。
多種多様なイラストや写真がプリントされた抱き枕に入った男の胸を、セーラー服を纏った男が揉むのである。
こんな地獄が他にあるだろうか?
女装して女子高に入ったのに、どうして俺は女装した男に胸を揉まれているんだ?
どうして奴らは女装して女子校に入った挙げ句、千円も払って抱き枕カバーに覆われた男の胸を揉んでいるんだ?
そんな疑問が吹っ飛ぶような衝撃。
「不動……さん……」
鈴を転がすような声。いつも教室で聞いていた声。夢にまで出てきた声。ウォークマンに録音して聞き続けている声。
俺がこの声を聞き間違うはずない。
――どうして、彼女がここに?
マズイマズイマズイマズイ。
よりによって一番知られたくない人に……!
いや、待てよ。
じゃあさっき俺の胸を揉んだのは。
……マズイ。ちょ、ちょっと興奮してきた。
けどそんな場合じゃない!
「ガサ入れだぞ! 逃げろ!」
響き渡る受付の声。
ほぼ同時になぎ倒されていくパーティション。
逃げる暇もなく乱入する男たち、そして拘束される男たち。
瞬く間に「生徒会運営抱き枕おっパブ」が物々しい空気に飲まれていく。
奴らが腕に付けているのは、風紀委員の腕章だ。
「オラッ! 大人しくしろや!」
奴らの魔の手が俺にも迫る。
そしてもちろん、彼女にも。
やめろ。ほかのヤツは良い。俺を縛り上げるのも構わない。
でも、彼女にそれをするのは我慢ができない。
やめろやめろやめろやめろ
お前らの汚い手で彼女に触るな!
だが彼女を助けようにも、この人数では……くそっ、全然格好付かないじゃないか
いや、こんなバイトしている時点で格好もクソもない。どんな顔をしていいかもわからない。あの子を助けに行きたいが、俺にはその資格すらない。情けない、情けない。
「なんで!」
彼女が怒りと悲しみの滲んだ声を上げる。
そのかわいらしい声に、周囲が静かになる。男臭い空間で、彼女の存在はまさに異質。まるでスポットライトを浴びているみたいに、自然に視線が集まる。
彼女の小さな肩が、桃色の唇が、固く握りしめた拳が、小刻みに震えてる。
「同じなのにっ……みんな同じ、お――」
今にも泣きそうな、震える声。
一呼吸置き、彼女は一層可愛らしい声で言う。
「みんな同じ、女の子なのに!」
――忘れかけていた“前提”
そうだ、我々は全員女子生徒。事実はどうあれ、そういう事になっている。
しかし、まさかそれを本気で信じているなんて。こんなバレバレの雑女装男を女の子扱いしている生徒が存在していたなんて。
なんて……なんて可愛いんだ!
「なんで君みたいな子がこんなとこに……」
茫然と呟く風紀委員に、柏木沙羅は恥ずかしそうに視線を落とす。
「え? な、なんでってその、同年代の子と自分のを比べてみたくて……でも顔が見えちゃうと恥ずかしいから。みんなもそうでしょう?」
頬を染めて目を泳がせる柏木沙羅。
何度でも言おう。
――なんて可愛いんだッ!
この純粋な子に、男臭い現実を突きつけるわけにはいかない!
そう考えたのは俺だけではなかったようだ。
教室中の男たちが互いに目配せをする。
まず声を上げたのは、生徒会運営抱き枕おっパブの従業員である。
妙に体をくねらせながら、上ずった声で言う。
「そ、そうですよ! 女の子同士なのに、どうしてこんな乱暴なことされなきゃならないんですか?」
「ちょっとした戯れじゃないですか!」
「き、貴様らよくもそんな白々しいことを……」
己の唇を噛みながら、悔しそうに呟く風紀委員。
「確かにその、こういった布を学校に持ち込むことは良くないことだったかもしれません。ごめんなさい。こういった綺麗な女性に憧れてしまって」
柏木沙羅はそう言って恥ずかしそうに俯く。
可愛い。
“可愛い成分”の枯渇したこの学校で、彼女の可愛さはもはや毒に近い。可愛さの過剰摂取で急性中毒になってもおかしくない。
毎日彼女を見続けてある程度の耐性を持っている俺すら足腰が立たなくなってきている。
こんな場所に来ている飢えた男たちに、彼女の可愛さは眩しすぎるに違いない。
あまりの可愛さに体がついていけず教室を右往左往するもの、膝から崩れ落ちるもの、茹でダコのごとく顔を赤くさせる者、形容しがたい奇妙な声を上げるもの――これらの言動が“可愛い中毒”の初期症状であることは明らかである。
「あ、あわ……あわわ」
「可愛い」
「あ、いや、その……ど、どうします?」
「と、とにかくそんなもの見ちゃダメだ! 没収没収!」
風紀委員の一人が、彼女の目から隠すように抱き枕カバーを丸める。
それを皮切りに、風紀委員たちは従業員たちの拘束を解いて、それぞれいかがわしいイラストのプリントされた抱き枕カバーの回収を始める。
「す、すみません……あの、あまりにも恥ずかしすぎるので先生には内緒でお願いできませんか?」
柏木沙羅の上目遣いのお願い。
これを突っぱねられる男などこの世に存在するはずもない。
「可愛い」
「あ、あわわ、で、でも……委員長が……ごにょごにょ」
「仕方ないなぁ! 今回だけだよぉ?」
教室に充満するほんわかした雰囲気。
彼女に悲しい顔をさせたくなくて、みんなそういう雰囲気を演出しているのだ
従業員も客も風紀委員も、考えていることは一つ。この場を平和に収めたい。この子の顔を嫌悪に歪ませたくない。
カバーの回収が終わると、みんな妙にクネクネした動きで外へ出ていく。
……すごい。
この場を、この絶望的な状況を、瞬く間にひっくり返してしまった。
彼女は、彼女はまさに。
「ちょっと不動さん! なんでこんな事――」
体が勝手に動く。
俺は彼女の前に跪き、彼女を見上げる。
今までとはまた違う感情が俺の胸を満たしていた。
柏木沙羅を彼女にしたいとか、もうそんな恐れ多い考えは無い
彼女はそういうステージにいる人間ではないのだ。
いや、もしかしたら人間ですらないのかも。そう、いうなれば彼女は――
「……女神様」
「へ?」
きょとんとした表情で俺を見下ろす彼女からは、確かに後光が差していた。




