12、柏木沙羅はおっぱいが好き
……なんだここは。
扉に目隠しするように取り付けられた暗幕をくぐって踏み入れた先にあったのは、目が痛くなるようなショッキングピンクの空間。
どうやら蛍光灯にピンクのセロハンが貼ってあるみたいだ。
辺りを見回そうにも、教室はパーティションによって区切られており、その全貌を窺い知るのは難しい。
近所の高校の文化祭で入ったお化け屋敷に似ているが、それよりもっと怪しくて、そしてあちこちから妙な熱気を感じる。
「ん」
困惑していると、扉のすぐわきに立った生徒が俺に向けて手を差し出した。
祭りで売っているような女児アニメの面を被っているためその顔は分からない。
しかしセーラー服から伸びたゴツゴツした太い脚から、彼が生徒会長でないことは間違いなさそうだ。
「えっと……?」
「ん!」
男は少々苛ついたように扉を指差す。
よく見ると、こんな張り紙がしてあった。
「入場料千円……」
「ん」
男は再び、俺に手を伸ばす。
払えってか。貧乏学生の俺に。
……分かった、分かったよ!
ここまで来て引き下がるわけには行かないからな。
俺は涙を飲んで財布からしわしわの千円札を取り出し、男の手のひらに乗せる。
千円といったら、地元の遊園地のジェットコースターに乗るより高い。
この先に待っている“なにか”はジェットコースターより楽しめるんだろうな?
「ん」
女児アニメ面の男は、千円札と引き換えに一枚の紙を差し出す。
紙面いっぱいに並んでいる、小さな四角い枠。その一つ一つに女性の顔が並んでいる。まるで対戦ゲームのキャラクター選択画面みたいだが、一つ違うのはその女性の多様性だろう。
四角い枠に収まっている美少女たちにこれといった共通点は見当たらない。グラビアアイドルらしき女性や、今を時めく人気アイドルもいれば、甲冑らしき者を纏った赤髪の少女や金髪のエルフ、果ては全身ふわふわの毛に覆われた獣人、ランドセルを背負った幼女まで。人種、年齢、存在する次元すら違う美少女たちが混在しているのだ。
「え……っと、選べってこと?」
「ん!」
急かされ、俺は慌てて枠の中ではにかむ二次元の女子高生を選択。
知らないキャラだし、別に特別好みの顔というわけでもない。
それでも無意識のうちに彼女を選択したのは、俺の中で未だ衰えない女子高生への執着があるからか。それともブレザーのボタンを弾き飛ばしそうなほどの豊満な胸に心を奪われたからか。
うん、そうだな。
おっぱいだな。
分かりやすい女体のシンボル。おっぱい。
イラストとはいえ女体欠乏症に陥っている俺に、このおっぱいは眩しすぎる。
いくら着飾ろうと、いくらメイクで顔を作ろうと、俺におっぱいはない。当然だ、いくら偽装しようと俺は男。
……この“ほぼ男子校の女子高”にも、もちろんおっぱいなんてない。
この学校の数少ない女子である生徒会長も、スレンダーで良い体をしているがどうも人間らしい肉感に欠けるというか。
正直に、かつ端的に言うと、彼女は権力的な意味では豊かかもしれないが胸的には貧しいのだ。
だから俺は彼女にときめかないのかもしれない。
なぜ男は単なる脂肪の塊にここまで心を奪われるのか。
おっぱい、嗚呼おっぱい。
おっぱ……
「おっぱい!?」
修行僧のような生活を送ってきた俺に、その光景はあまりに刺激的過ぎた。
おっぱいだ。
おっぱい。
女子高生のおっぱい。
圧倒的おっぱい。
おっぱ……
いや、待て。
落ち着け、だまされるな。
受付で見せられたそれと全く同じはにかみ顔。零れ落ちそうなおっぱい。……の絵。
これは、これは抱き枕だ。
「え、なにこれ」
女児面男に案内されたのは、パーティションで作られた小さなブース。壁に沿うように抱き枕が立っている以外には何もない。
……で、ここで俺にどうしろと?
抱き枕貸し出し所……にしては布団が引いてあるわけでもないし。だいたい、人が横になれるだけのスペースはない。
誰かに聞こうにも、いつの間にいなくなったのか、女児アニメ男の姿は影も形もない。
だがパーティションの向こうから人の気配がする。おそらくここと同じようなブースがいくつも並んでいるのだろう。
俺はパーティションを少しずらし、隣の部屋を覗き見る。
「…………」
見なきゃよかった。
俺は静かにパーティションの隙間から離れる。
パーティションの向こうの空間には、予想通りここと同じようなブースが広がっていた。
立てられた抱き枕、そしてそこに佇むセーラー服姿の男。
違うところと言えば、抱き枕に描かれたイラストくらいか。隣の部屋の抱き枕には、頬を赤らめた半裸の少女が描かれている。
彼は呼吸を荒げながら、抱き枕を揉んでいたのだ。
――抱き枕に描かれた少女の、おっぱい部分を。
俺は改めて自分の部屋の抱き枕を見る。
よくよく見るとただの抱き枕ではない。
胸の部分が、微妙に膨らんでいるのだ。中にシリコンでも入れているのか?
だが、抱き枕の胸を揉むために千円払うヤツがこんなにいるとは。
女に飢えているのは分かるが、こんな悲しい商売が他にあるか。
……まぁでも、金は払ってるしな。うん。
こんな恥ずかしい真似、ほんとはしたくないけど。これも調査の一環だし。仕方ないよ、うん。
俺はゆっくり、少し躊躇いながらも抱き枕の膨らんだ胸部に手を伸ばす。繊細な飴細工でも触るように、その膨らみを包み込む。
「ッ!?」
柔らかい。そして、温かい?
よーく手に神経を集中させると、胸が一定のリズムで脈打っているのも感じる。これは、心音?
幻聴だろうか。耳を澄ますと、呼吸音すら聞こえてくる気がする。
なんだこの抱き枕。生きてるのか?
いや、そんなはずない。
これはただの抱き枕カバー。中にクッションを入れて抱くための布に過ぎない。
しかしなかに入っているのは、おそらくクッションじゃない。
俺は素早くしゃがみ込み、シーツをめくりあげる。
ゴツゴツした、木の幹みたいな脚が露わになる。とともに、頭上から聞きなれた低い声が降ってきた。
「ちょっとお客さん! 何してるんですか!」
「不動……さん……」
シーツの下の人影の体がこわばるのを感じる。
『それにしても残念だったわねポチ。あんな恥ずかしい思いまでして手に入れたプレゼントだったのにね』
食堂での会長の言葉を思い出す。
ああ、そうか。
不動さんはこんな方法で、あのブランドネックレスを手に入れたのか。
……なんて、なんて馬鹿なことを。
と、その時だった。
「ガサ入れだぞ! 逃げろ!」
「風紀委員だッ、神妙にしろ!」
にわかに教室が騒がしくなる。
俺が行動を起こすより、パーティションがなぎ倒されて、教室があらわになるほうが早かった。
シーツから引きずり出されていく男たち。
逃げ惑う客の男たち。
女装していることを忘れているような雄叫びを上げ、捕縛していく男たち。
男、男、男、みんな男。
ここは地獄か?
どうして。みんな同じじゃないか。
ここにいるのは女の子に囲まれたくて、血反吐吐きながら勉強して、女装までして女子高に入った馬鹿野郎たちじゃないか。
その結果がこれか?
なんで? なんでこんなことに。
「オラッ! 大人しくしろや!」
紫の腕章を付けたセーラー服の男が、野太い声を上げながらシーツにくるまれた不動さんに襲い掛かる。
恵まれた体格を持つ不動さんだが、多勢に無勢。シーツは引っぺがされ、茫然とした表情の不動さんが現れる。
そして、奴らの腕は俺にも。
シーツを剥がされた不動さんが喚く。
腕章の男たちの腕は俺の体を拘束し、そして俺のかぶっていたフードを取った。
「っ……!?」
「な、なんで君みたいな子が」
腕章の男たちの顔に驚愕の表情が浮かび、俺を拘束する手が緩む。
その隙をついて俺は奴らの腕から逃れる。
だが教室から逃れるには、奴らの数が多すぎる。
……そもそも、俺だけが逃れても仕方がない。
逃げる生徒、追いかける生徒。
みんな同じセーラー服を纏ってる。そして多分、みんな男だ。
やりきれない気持ちに、俺は口を開かずにはいられない。
「なんで! 同じなのにっ……みんな同じ、お――」