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「新月学園高等部2年に転校生が来る」
それは4月の後半のこと。新しい学年にも少しずつ慣れていき、もうすぐ5月頭の大型連休が来るかとワクワクしているという奇妙な時期、どこからともなく舞い込んできたその噂は瞬く間に学園内を駆け巡り、生徒に伝わった。
そして、姫花は生徒会長という自身の立場から、普通の学生より一足先にその情報が真実であるということを教師から聞かされていた。
と言っても、姫花自身もその話題についてあまり深く突っ込まなかったため、「4月末に転校生が来る」という事実以外、特に掴んでいなかったが。
しかしそんな話題でもお昼時の話の種くらいにはなるだろうと、いつもの場所――あまり人気のない中庭の一角のベンチにてお弁当をつつきながら話をする。
しかし彼――、龍登はそういった世間で話される話題というのにさして興味がないらしく、「そうなのか」と短い返事をしただけだった。
「そうなのかって、もうちょっと食いついてもいいんじゃない? せっかく学園内で話題になってる話なんだから」
「そうは言ってもオレは姫花以外に率先して話をするような奴なんて特にいないからな。それに姫花ですら『もうすぐ転校生が来る』ことが事実であることしか知らないんだろ? だったらこれ以上オレが広げられる内容なんてないだろ」
「まぁ、そうなんだけどね……」
話題云々は特に関係なく、単純に龍登と話していたい姫花はそっけない態度に可愛らしく頬を膨らます。
その視線の先には姫花お手製の三段重ねの豪華なお重のお弁当を膝にのせて黙々と食べる龍登の姿があった。
最初は一緒におしゃべりしてくれなくて不機嫌そうにしていた姫花だがそれも一瞬、黙々とだがおいしそうにお弁当を食べてくれる龍登に「まぁいっか」と思い直し、自身も食事を再開する。
実は龍登は龍登で頬を膨らました姫花が普段の「綺麗」という印象に反した、ギャップから来る可愛さに照れてそっぽを向いてしまったというのもあるのだが、まあそれを姫花が知る由もない。
事実、姫花の作る料理はおいしい。いつからか始まった姫花がお弁当を作ってくれる習慣はそれなりの月日が経つにも関わらず、まったく飽きが来ないのだ。
しかも三段重ねのお重ということもあり、結構なボリュームがある。体格的にどちらかと言えば小柄な部類に入る龍登だが、その見た目に反しそれなりの量を食べる。そんな龍登も満足できる程の量のお弁当をほぼ毎日作ってきてくれる姫花に、龍登も申し訳なさを感じない訳がなく、何度かそれとなく「もういい」と断ったことがある。しかし笑顔で「好きでやってることだから」と言われ、それ以上強く出ると泣きそうな顔をしてしまうため、龍登は引き下がらずを得なかった。いちおう言っとくと、今では妥協案として材料費を龍登がバイトで稼いだ金で負担している。
しばらくして食事が済み、食後のお茶を2人で楽しむさなか、姫花は前々から気になっていた事を龍登に伝えた。
「龍登、その前髪邪魔じゃないの? 絶対切った方がいいよ」
龍登の前髪をいじくる姫花。その時の二人の距離感は他の生徒が見たら悲鳴を上げそうなレベルで近かったが幸い周りには誰もいなかった。
「目元とかちゃんと出せばいいのに。……その…………そうすればもっとカッコ良くなるんだから…………」
最後に姫花が小声で呟いたセリフは距離的に龍登も聞こえてしまったのだが、下手すると照れて余計なことを口走ってしまいそうになるので少しの間黙っておく。
「…………まぁ、今はいいよ。もう少ししたらちゃんと切るから。さすがにうっとうしいと思ってたしな」
「うん、その方が絶対いいよ」
「あぁ」
* * *
放課後、姫花は生徒会室にて生徒会の仕事を処理していた。傍らには生徒会役員にして姫花の親友でもある九重連愛が手伝っている。彼女は同時に新聞部にも所属しており、そこで培った抜群の情報収集能力で生徒会の仕事を補佐してくれるのだ。
「ふぅ~、姫花、こっちの分の書類の整理終わったよ。まったく、どこの部も部費増やせってうるさいわね。まー、気持ちは分からなくもないけど」
「学園が使う予算だって限りがあるんだから我慢しないと、――こっちも一段落ついたわよ」
「それじゃ、休憩しよっか」
それからお茶の準備をする2人。
「そういや、聞いたよ姫花。転校生が来るって噂、あれ本当なんだってね」
「うん、まぁそれ以上のことは私も分からないんだけどね」
「あたしが掴んだ情報によると転校先はアンタのクラス、転校生は男子みたいよ」
「なんでそんな事知ってんのよ……」
「先生たちが話してるの聞いた」
相変わらず連愛の情報網は凄まじいな、と思う姫花。たまたまといった体で連愛は話すが、過去幾度となくそのように情報を拾ってきているので姫花は連愛の情報網を運によるものだとは思っていない。
「それで、どうするの?」
「え? どうするって?」
「新しくクラスに仲間が入るんだよ? それも男。出会いを期待して胸を膨らませるのが乙女ってもんじゃないの」
「ん~~~、私はあまりそういうの思わないかも」
「はっはっは、やっぱ既に運命の相手をロックオンして二重の意味で胸を膨らましているアンタには関係ないか。羨ましいねぇこのこのぉ」
「!? へっ、変なこと言わないでよ、連愛っ! ――ってキャアッ!!?」
気魄師養成学校の生徒、それも生徒会長を務める学園内でもトップクラスの実力者としてそれなりの反応速度を持つはずの姫花が咄嗟に反応できないほどの素早い動きで姫花のその豊かに発育した胸に手を置き揉みしだき、その感触を存分に楽しむ連愛。
「いや~この感触たまんないわ~~~……………………………………………………………………」
「ヤ・メ・ナ・サ・イ!」
何故か途中から黙りこくり動かなくなった連愛の手を姫花ははたいて無理やりに外させた。
(まったく、この親友は。普段は空気の読めるいい子なのだが、たまにオヤジ化するんだから)
「――って連愛?」
親友の欠点に対してため息をついていると、はたかれた腕をだらんとぶらさげたまま連愛が微動だにしないことに姫花は気づく。
「連愛? もしかして痛かった? ゴメン、強くし過ぎたかも――」
「……92のG?」
「!?!?!?!?!?」
突如ボソリと呟いた数値にビクッとする姫花。それが何を指しているのか明らかでないが、つい最近の測定した誰にも教えていないとあるデータと一致していることに恐怖した。
「……どういうこと?」
「え?」
「いったいどーいうことよ!? アンタ去年は89だったでしょ! ただでさえ大きかったのにさらに成長したっていうの!?? あたしなんて80のビ―」
「何今年だけじゃなく去年のまで把握してんのよ、バカーーー!!!」
バッチーーーン!!!
突如爆発したかのように怒鳴りだした連愛に顔を真っ赤に染めながらビンタをかます姫花。その威力は先ほど姫花が謝った、胸を揉む連愛の腕をはたいたものよりもはるかに上だったのだが、それを指摘することもできぬまま連愛の意識は闇へと落ちていった。
――数分後。
「はぁ~、痛かった。さすが聖獣ペガサスを型に持つ生徒会長様の気魄の乗ったビンタは効くわね。まだヒリヒリするわよ」
「自業自得よ、まったくもう」
「いいじゃない別に。どーせ愛しの彼には毎晩ふにょんふにょんって揉みしだかれてんでしょ」
「そんなわけないでしょっ!!!」
「うわっ、危ない。どうどう、悪かったからその拳下ろしなさい。…………今の反応、どうやら本当みたいね、揉まれてないの。だったらどうやって――」
「え? 何か言った?」
「いーえなーんにも。ところで件の転校生、名前は聞いてるの?」
「いいえ。何も知らないって言ったでしょ。名前だって聞かされてないわよ」
「あたし、先生たちが話してるのチラッと聞いたわよ。なんか変わった名字だった。確か『友達』とか……」
「ぷっ、何それ。ホントに聞いたの?」
「言ったでしょ、『チラッと聞いた』って。正確に聞き取ることが出来なかったのよ」
連愛でも情報を掴み損ねることがあるんだ、と心の中で小さく驚く姫花。
――しかしそれとは別に、連愛の言った「友達」という変わった名字に、なんだか既視感のようなものを感じるのであった。
* * *
――翌朝。
辺りが闇に包まれている。
何も見ることができない。叶わない。
しかし、まるで光でも発しているかのように自分の姿だけは認識することができる。
いや、自分だけではない。自分の腕の中に何かがある。まだ目をソレに向けた訳ではないが、認識できる。
ゆっくりと自らの目線が、自分の意思に関係なくソレに向かって降りてゆく。
(あぁ、これは夢だ)
オレはこの腕の中にあるのが何なのか知っている。
(嫌だ。見たくない。覚めてくれ)
いくら願っても夢は覚めてくれず、ついに目線はソレに到達してしまった――。
「はぁっ!」
ガバッ。
龍登は跳ね起きた。寮の部屋のカーテン越しから見える外の景色はまだ暗い。
時計を見ると、どうやら目覚ましが鳴るよりも早くに目が覚めてしまったようだ。
それにしても嫌な夢を見た。起きたばかりだが汗だくだ。
やはり、人が死ぬ場面というのはいつになっても慣れることが出来ない。
このまま二度寝する気にもなれず、龍登はいつもの日課のためジャージに着替え、ランニングに出かけた。
(あ、今日はいつもより早いんだ)
姫花は毎朝、早朝のランニングに出かける龍登を部屋から見送ることを日課としていた。
龍登の早朝ランニングの時刻は正直いって結構な時間なのだが、姫花はそれを毎日欠かすことなく見送っている。むしろコレをすることで1日が始まると思っているほどだ。
そうして姫花は今日の分のお弁当を作り出す。毎日頑張っている彼の姿を頭に思い浮かべると、料理しようと腕が勝手に動いてしまうから不思議だ。
こうして、姫花の―、そして龍登の、いつも通りの1日が始まる――。
この時はまだ、2人はそう思っていた。
この日、2人にとって驚くべき出来事が起こるのだが、当の本人たちはそれを知る由もなかった。
* * *
「初めまして。今日からこのクラスに転校することになりました、智立大介といいます。皆さんと仲良くしていただけると嬉しいです。よろしくお願いします」
――キャァッ!
淀むことなくサラサラと流れるように出てくるそのセリフに、女子の中で黄色い声が上がる。それは決して大声とは言えない音量であったが、歓声と言って差し支えない声音だった。
無理もないだろう。その新しくクラスにやってきたその智立大介と名乗る少年の容姿はとにかく整っていた。イケメン、王子顔、彼の容姿はどのように形容すればいいのか迷うほどだ。正直どれも合っている気がする。もはや卑怯だと叫びたくなるような顔立ちだった。
次いで背だ。
高い。
非常に高い。
見た感じだが、おそらく180cmは超えている。身長が170cmに満たない龍登とは頭一つ分くらいは違うだろう。
これらの時点で男子からヘイトを買うのに十分な見た目をしており、彼に対するクラスからの視線は女子からの熱烈なものと男子からの嫉妬によるものに二分していた。
しかし2名ほど、まったく違う表情で彼を見つめるものがいた。彼らの顔に浮かんでいた表情は、『驚愕』―龍登と姫花は、端正に整いながらもかつての面影を残しているその顔を驚きの目で見つめていた。
「かねてより話題になっていたみたいだからお前らに今更語るまでもないだろうが、転校生の智立だ。お前ら、仲良くしてやってくれよ。さて、席は――豊盾の隣が空席だな、そこにするか」
「はい、ありがとうございます!」
何故か立ち上がりお礼を言う豊盾と呼ばれた女子生徒。大介に「よろしくね」と会釈するだけで彼女は顔を赤くして、目眩で軽くふらつく。
「大丈夫?」
「は、はいぃっ?!」
それをさっと抱き留める大介。そこから自然な動作でストンと席へと座らせた。対して豊盾は小声で「あんなイケメンを間近で……、私もう死んでもいいですわ」と頬を染めながら呟いたが、大介はそんな事など露知らず―、
「あ、姫花。この学校にいたんだ、久しぶり」
「「「!!!????」」」
すぐ近くに座っていた姫花を見つけ、爽やかな声でクラスメイトに爆弾発言を落としていった。
「え、えぇ。久しぶりね大介。少し変わった時期に編入してきたけど、何かあったの?」
「あぁ、ちょっと両親の仕事の都合で日本を離れてて……、ホントは進級のタイミングで編入する予定だったんだけど向こうでちょっとしたゴタゴタにあって帰るのが遅くなっちゃったんだよ」
少し驚きが声に含まれていたものの、すぐに普段通りの調子を取り戻し、会話に応じる姫花。たいして長いわけではないが、口ぶりから二人はそれなりに親しい間柄であることがクラスメイト達は見て取れた。
「なんだ、美桜を知っているのか」
「あ、はい」
「そうか、彼女は本校の生徒会長をしている。何かあったら頼りにするといい」
そう担任教師に言われ、大介は自らの席へと座る。そして新たなクラスメートとなる顔ぶれを見るため、軽くあたりの席を見渡し――、
「そうか、お前もいたのか。髪型や雰囲気が変わっているせいで気づかなかったよ。久しぶり、龍登」
「「「「「!!!!?????」」」」」
自身の斜め後ろを振り返り、次いで少し驚いた表情を浮かべた後穏やかな笑顔で、さらなる爆弾を落っことしていった。
* * *
場所は変わり――、
「そこを何とか」
「ダメダメ、事前に何の連絡も入れてない部外者をそんな簡単に学園内には入れられないよ」
眼鏡をかけ、神をワックスで固めた男が、新月学園内に入れないかと警備員に頼み込んでいた。
「イイじゃないですか、ただちょっと学内に入れてくれればいいんですよ。別に変なことはしませんから」
「そんなこと言う人を『はいそうですか』と学内に入れられる訳ないでしょ。ほら、帰った帰った」
いくら言っても学内に入れて貰えない眼鏡の男。しかしそれも当然だろう。
この男、自分が「矢馬」という名であること以外、自分の職業が何なのかもなぜ学園に入りたいのかも語らず、しかも頼みごとをするにはいささか高圧的な言葉を使うのだ。加えて事前の連絡もなし。常識的に考えて警備員がこんな怪しい人物を入れる訳がなかった。こんな人物の侵入を許してしまったら警備員としての名が泣くだろう。
そんな訳で、2人いる新月学園警備員は目の前にいる男を酔っ払いもしくは頭のおかしい狂人辺りだと判断し―その割には身なりがやたらきっちりしているが―適当にあしらって帰ってもらおうと思っていた。
――が、
「面倒ですね……」
「「え?」」
いくら丁寧に頼み込んでも(少なくとも本人はそのつもりである)要望通り中に入れてもらえない矢馬は業を煮やしたのか身にまとう雰囲気を一変させ――、
ゴウッ!!!
次の瞬間、二人の警備員を突風が襲う。
いや、斬撃のような鋭さを持ったその風はもはや突風と呼べる物ではなく、例えるなら妖怪「鎌鼬」のようなものであった。
「まったく、素直に従っていれば痛い目に合わなかったものを」
そう言って堂々と学園の敷地内へと入っていく眼鏡の男――矢馬――を、警備員達は体から血を流し、倒れたまま目で追うことしかできず、そのまま意識を手放した。
「さて、では始めますか。『音測』――」