3ー4
「何じゃ、獅丸か。…………おう!? 分離しとる!!」
獅丸によって起こされた白い猫ショウは叫んだ。
……が、特に暴れるそぶりもせず獅丸と普通に会話している。
「で、『シロガネ』でよかったんだっけ? お前の名前」
「ん? あぁ、いかにも。私はシロガネ。高位のネコ妖怪じゃ」
見ている限り普通に会話している獅丸とシロガネと名乗るネコ妖怪。
普通、人に憑りつく妖怪というのは恨みだったり憎しみだったりと何かしら負の感情を持っており、宿主と穏便に会話しているというのはまずあり得ない。
「え、えっと……」
「あ、そうだシロガネ。こいつらがオレがお前に襲われた時のことを知りたがってるんだ。話すの手伝ってくれねぇか?」
「別に構わんが、……そもそもうぬら誰じゃ?」
自己紹介をしつつ簡易的に状況を説明した龍登たち。その間、シロガネは一切攻撃せず大人しくしており、警戒していた龍登たちは拍子抜けする結果となった。
「で、私が獅丸にとり憑いた経緯が知りたいという訳じゃな? ……まぁうぬらが予想している通り、最初私は怒りに任せ獅丸にとり憑いた」
今回のように妖怪が自身の肉体ごと人間にとり憑く場合、意識を乗っ取るのが常だ。
体に入り込んだ後、怒り・憎しみといった“負の感情”で宿主の意識を塗りつぶし、体の主導権を奪い取る。乗っ取られた人間の意識は負の感情の闇へと沈みこまされ、表に出ることなく、乗っ取った妖怪の人格が肉体を使って自身の怒りのまま暴れるのだ。
「こやつの肉体に入ってすぐ、精神世界で対峙した。私は人間を憎んでいたからその思いで意識を刈り取ってやろうと、そう思ったのじゃが、存外こやつの精神力が強くてな、……いや、私が未熟だったというのもあるか」
「未熟……? 猫ショウって、猫又の中でも上位種、厳しい修行を耐え抜いた猛者のみがたどり着ける境地だろ、それが未熟なんてあり得るのか?」
「私はもともとただのネコじゃったが、妖怪化してすぐ修行し、猫ショウへ至った例外じゃ。早い話修行ばかりに時間を割いて実戦経験を全く積まなかったんじゃ」
「うーん、練習ばかりたくさん重ねたはいいけど試合には全然出させてもらえなくて、決勝戦でいきなり出場させられた甲子園球児みたいなものなのかな? 実際にそんなのあるわけないだろうけど」
龍登の感じた疑問にシロガネが答え、大介がその例を用意する。
「まぁそういう訳で、獅丸の意識を沈めようとした私が逆に沈められたということじゃな」
言いながらクックックと静かに笑うシロガネ。しかしその態度に龍登たちは警戒を覚える。
「ん? 何じゃ身構えて」
「いや、人を沈めるほど憎しみに溺れていたっていう割には、今大人しいなって思ってな」
「あぁ~これは……。私の恥なのであまり語りたくないんじゃが…………」
そう言うとシロガネは前足で顔をぬぐっていた。それはまるで、人が照れ隠しに頬を搔いているようだった。
「そういや、何で人間のことを憎んでいたのかオレも詳しく聞いてなかったな。ちょうどいいから今ここで聞かせてくれないか?」
「いや、以前うぬに話した内容以上に語ることはないぞ。まぁこやつらに語るのは構わないが……」
こうして語ったシロガネの内容は、要約するとまだ子ネコだった自身が人間の子供たちに暴行を受け、最後信じてた人間の少女にも裏切られた、というものだった。
途中獅丸は気になる点があったのか話と直接関係ない質問をしていた。
「ま、あとは単純じゃな。己を鍛えるための動機となった私の憎しみだが、存外軽かったらしくてな。精神世界でそやつと殴り合いになったんじゃが、知っての通り精神世界でのケンカは腕っぷしの強さよりも心の強さがものをいう。私の憎しみはヤツの言葉で簡単に揺らぎ、殴り負けそのまま意識の闇に沈んだ、という訳じゃ。我ながら恥ずかしい話じゃからこれ以上は語らんぞ」
まとめると、実戦経験のないシロガネが初戦で運悪く精神力の高い獅丸と当たってしまい、肉体にとり憑いた際、精神面では逆に沈められ、意識を失ってとり憑き状態から元に戻れなくなった、ということだそうだ。そんな偶然があるかと問いたいところだが、実際に起こったことなのだからしょうがない。
「さて、じゃあ八影君家に連絡を入れようか。迎えに来てもらわないとな」
事態が収束に向かったことを感じた初利が携帯を取り出す。
「あ、ちょっと待ってくれ。それオレにやらせてくれ」
そう言って初利から携帯を借りた獅丸は(行方不明になった際、獅丸は自身の携帯を手放している。そもそも機械類の苦手な獅丸は携帯を携帯しないことが多かったが)初利から操作法を聞きながら実家に連絡――自身の無事を伝えたうえで迎えに来てもらうこととなった。
* * *
「よかった…………!! 獅丸、無事だったのね」
息子と再会できた獅丸の母、美九理は人目も憚らず獅丸を抱きしめる。高校生の獅丸は母に抱きしめられることが恥ずかしがっていたが、行方をくらませ心配をかけた手前、強く出れず抵抗しなかった。
「心配かけてごめんな、母さん……。ところで頼んだことはちゃんとやってくれたか?」
「え? えぇ、もちろん。……獅丸、あなた変わった?」
そんな会話の中、1人の女性が入室してくる。
彼女は、獅丸の母よりさらに一回り年老いており、老婆と呼んで差し支えないような外見をしていた。
「ばーちゃん、無理言ってごめんな。来てくれてありがとう」
「行方不明の孫が見つかったんですもの……。言われなくても来るわ」
やはりと言うべきか、その女性は獅丸の祖母だった。
彼女は母から解放された獅丸にゆっくりと歩いて近づくと、優しく包容した。獅丸も今回は、祖母の体をいたわるように優しく包容し返している。
「本当に、良かった……」
「ありがとう、ばーちゃん。……ところで」
祖母から離れた獅丸は、その顔をシロガネへと向ける。釣られ、獅丸の祖母もその方向を見て、
「………………え?」
何かに気づいたのか、小さく、しかし確かな驚きの声をあげた。
シロガネも含め、その場にいる者は皆、頭に「?」マークが浮かんだ。ただ1人、獅丸だけは何かを察したような表情だった。
「…………シロちゃん?」
「!? 何故その名を…………、まさか!!!」
瞬間、シロガネに凄まじい敵意が渦巻いた。今までそんな素振りは一切見せなかったのに、だ。その場にいた者は皆、思わず警戒体勢をとる。
「やめてください」
しかしそれを止めたのは、他ならぬ獅丸の祖母その人だった。彼女の視線はシロガネを射ぬいたままだったが、その言葉が自分たちに向けてのものだというのが龍登たちには自然と分かった。
「シロガネの話を聞いてから、まさかとは思ってたんだが……。やっぱり話に出てた少女ってばーちゃんのことだったんだな」
「えぇ、だから――」
そう言うと彼女は一拍置いて、
「あなたの怒りは当然のものだわ。私を殺すのは構わないから他の人たちには手を出さないでちょうだい」
なんてことを言い出した。
「な、何を言ってるんだばーちゃん!? そんなことさせられる訳ないだろっ!!」
「いいえ、これは私とあの子の問題。だから他の方々――何より孫であるあなたを巻き込む訳にはいかない。シロちゃん、用があるのは私でしょ?」
「よい覚悟だ。だが他の者――特にうぬの孫、獅丸には別に用が出来たのでな。片が付いた後で話をしようと思うておる。――そう、うぬを殺めた後でな!!!」
先端が3つに分かれた尻尾を揺らめかせ、怒りを露わにしていたシロガネだが、突如として獅丸の祖母に襲いかかる。あまりに動き出しが速く、一瞬反応が遅れる龍登たちだったが、それを防いだのは誰であろう獅丸その人だった。いつの間にやら掃除用のモップを手にしており、それでシロガネの動きを止めていた。
「やはりか。以前対峙した時も私を止めたな、獅丸。なぜ私の動きを見切れる?」
「言わなかったか? オレ剣道やってるんだ、この辺りじゃ結構有名なんだぜ? それに――」
「小癪な! 『踊火』」
一旦距離をとったシロガネだが、今度は複数の火の玉を生み出した。
名前の由来となっているのか、火の玉はそれぞれ踊るように動き、不規則に獅丸に襲い掛かる。
しかし獅丸はそのすべてを丁寧にモップで叩き落とし、かき消した。
「さっき言いかけたけど、怒りのせいかお前の攻撃が単調なんだよ。いや、それ以前の問題か――」
確かに獅丸の言う通り、シロガネの攻撃は外から見ても単調なものだった。あれなら剣道の実力者である獅丸なら捌けるだろう。
「そもそもお前の“怒り”自体に揺らぎが見える。――お前、本当にばーちゃんを殺したいのか?」
「!? 何を言ってるの獅丸、そんなの当然のことよ。だって……」
「その女の言う通りじゃ、獅丸。私は――」
「あー、昔人間の男の子たちにいじめられた挙句、最後ばーちゃんに裏切られ捨てられたって話だっけか。でもさ、何てゆーかお前、怒りがブレてるんだよな。うまく言えないけど」
「……お前に何がわかる、獅丸」
「わかるさ。これでも何だかんだ一心同体だったんだぜ。……復讐のため修行を積んだとか言ってたけど、それは本当なのか? オレからすればお前は心の奥底では別のことを望んでたはずだ」
「何を根拠に――」
「もし本気でばーちゃんを殺そうと修行してたら、オレなんかとても太刀打ちできない強さだったはずだ。でも現実はどうだ? お前の攻撃はオレでも捌ける。それはお前自身の中に何らかの迷いがあるからだ。少なくともオレは今のお前の攻撃だけからでもお前の心の迷いを感じたぞ」
「何を……言って……」
「自分自身に聞いてみろ。お前は本当は何を望んでいる? お前自身の気持ちをお前自身に聞いてみろ!」
「わ、私は――」
「私は、チカちゃんを許せなくて、憎くて、でもそれと同じくらいチカちゃんを信じたくて――」
「シロちゃん……」
顔をクシャクシャにしながら、絞り出すように声を発するシロガネ。それを獅丸の祖母は目に涙を溜めながら見ていた。
「チカちゃん、教えて……。何であの日から来なくなったの? 私、ずっと待ち続けたのに……」
そう言うシロガネの声は幼さを感じた。もしかしたら、子ネコだった頃はこんな声だったのかもしれない。
「……言い訳がましいんだけどね、突然両親の引っ越しが決まったの。小さかった私は、それについて行くことしかできなかった。……皮肉よね、約束1つ守れないくせにこんな名前なんて」
「ちょっと待てばーちゃん。それっていつぞや聞いた、ばーちゃんが初めて親に反抗した話じゃねぇか?」
「えぇ。そうよ」
「シロガネ、聞いてくれ。これは当時自分勝手に動いたばーちゃんの親がばーちゃんの意志に関係なく勝手に物事を進めた話だ。ばーちゃんは悪くない」
「そんなのその子からしたら関係ないわよ。結局私は傷ついたシロちゃんの元へ駆けつけることが出来なかった。いわば追い打ちをかけたようなものね。恨むのも頷けるわ」
「………………」
この間、シロガネは身動き一つせず静かに獅丸の祖母の話を聞いていた。
「だからシロちゃん、殺したいなら来なさい。ただし他の人までは巻き込まないで。悪いのは私でしょ。あなたの怒りは私が全部受け止める。私にはその義務があるわ」
「やめろ、シロガネ! そんな、ばーちゃんが――」
「怖くて親に逆らえなかったばーちゃんが、『子ネコごときに時間を割かれてたまるか!』って言われて生まれて初めて親にビンタかましたばーちゃんが、お前を裏切った訳ねーだろ!!!」
「!!!」
獅丸の祖母を守る必死の叫びに、シロガネがピクッと反応を見せる。
「その後ばーちゃんは強硬な引っ越しまでの短い期間実の親から監禁されたそうだ。オレからしてもなんんでそんなことしたかさっぱりわからんが、ばーちゃんの親は何らかの利益を追っていたと考えてる。少なくともばーちゃんのせいじゃない――」
「もう……、よい……」
そうこぼしたシロガネの声は、泣いていた。
「よくわかった。うぬを信じたかった私の心は、間違っていなかったのだな……。チカちゃんも、大変だったんだね……、それなのに私、ゴメン……」
「ううん。シロちゃんのせいじゃない。シロちゃんは謝らなくていいの。全部、私のせいだから」
「いいや、チカちゃんが悪くないのは十分わかった。それなのに、勝手に勘違いしてごめんなさい……」
「シロちゃん……」
そう言って獅丸の祖母はシロガネに近づき、抱きしめる。その表情は涙を流していたが、同時に笑っていた。傍からは見えないが、おそらくシロガネも同じ表情だろう。
こうして、数十年越しの仲直りがなされた。