瀬戸川蒼空の思慮の話。
気づけば、事故から1ヶ月が経った。
2月も後半に差し掛かり、日差しには陽気が戻ってきた。
期末試験も無事終わり、今はほとんど自由登校期間だ。
「はぁ…どうすればいいんだろう」
にもかかわらず、私の心の中は冬柄のままだった。
あの事故以来、憂は一度も現れない。
現れようものなら胸ぐらを掴んで詰問しようなんて思っているせいかもしれない。
でもそんなことよりも。
由莉の様子がずっとおかしいのだ。
最初はただ、楽器が弾けないからだと思ってたけど、二週間経って事故の前と同じくらいに弾けるようになっても変わらない。
具体的に何が変わったかは説明が付かない。ただ…なんというか、覇気がない。
言葉や所作、表情。その端々に、これまで感じなかった違和感がある。
本人に聞いても、「そうかな?特に変わりはないと思うけど。お姉ちゃん、疲れてる?早めに寝た方がいいんじゃない?」と、逆に心配される始末。
これまで15年と11ヶ月をともに生活してきたのだ。ただの勘違いだとは思えない。
「うなー…」
呻いて、リビングのテーブルにぺたりと頬をつける。
冷たい木の感触が気持ちいい。
「お姉ちゃん、何やってるの?」
正面から声が聞こえた。
「うぇぁっ!?ゆ、ゆゆゆゆ由莉!?いつからそこにっ!?」
びっくりした…心臓止まるかと思った…。
「うーん、2分前くらい?どうしたの、そんなに考え込むなんて。珍しいじゃん?」
「私だって考えることくらいあるんですー」
大声を出した恥ずかしさを誤魔化すように、私は戯けてそう言った。
「ホント?例えば?」
「…き、今日の夕飯とか」
目を逸らしてしまった。
「あ、目逸らした」
バレてらぁ…。
「今日の由莉イジワルじゃない?」
ふてくされたフリをしてそう言うと、
「え、そうかな。まー、蒼空が嘘つくからなー。私寂しいなー。本当の事教えて欲しいなー」
などと棒読みで言い返してきた。
眉で悲しそうな表情を作ろうとしているが、目が笑っている。
宜しい、ならば戦争だ。
「…由莉の事だよ」
「え。うそだぁ」
少し意外そうな表情をした。よし、詰めよう。
「本当だよ。具体的には、由莉ってなんであんなに可愛いんだろう、って」
「え、あ…」
「長い睫毛と吊り目なのに可愛いらしさを感じさせてくれる目に、ツヤツヤの長くてまっすぐで綺麗な色の髪。それに…」
「じ、自分で言うのもなんだけど確かに私、顔は可愛いよね!」
続けようとした私の言葉を遮るように、由莉が言葉を差し込んでくる。
「だよね!でも私はこう思うの。由莉の可愛さって、由莉が由莉であるからこそだと」
「…?な、なに?哲学…?」
「由莉の顔って、可愛い系というよりかは綺麗系だと思うのね。だけど、こんなにも愛らしく見えるのって、由莉の表情のせいだと思うんだよね。それに、人格は表情に出るし。だから由莉が可愛いのは由莉だからだよ!それでね…」
「も、もういいよ、ごめん、私が悪かったから…」
由莉は言葉を遮って、真っ赤になって机に突っ伏してしまった。
褒められ慣れてるはずなのに、もうギブアップか。全く情けない妹だぜ。
そう言う意味を込めて、頭を撫でる。
なんか、ひなたぼっこ中の猫みたいだ。
「なーんーだーよー」
そのまま撫で続けてると、由莉が鳴いた。
「ふふ、いやぁ、猫みたいだなって思って」
「誰が猫だ誰が…」
シャー、と威嚇してくる様もまさに猫。かわえ…。
「ねえ由莉」
「なにー?」
私は、撫でながら続ける。
「どうしても我慢できなくなったらさ。苦しくて苦しくて、どうしようもなくなったらさ。その時は…頼りないかもしれないけど、私にも教えてね」
こんな事を言うつもりじゃなかった。するりと抜け出すように、口から出てきた言葉だ。
「変なお姉ちゃん」
くすり、と笑われてしまった。
続けて、
「でも…その時はよろしくね」
柔らかな表情でそう言った。
その笑顔には、一片の陰りも見えなかった。
布団の上に寝転がって、私は天井を見つめる。
やっぱり私の考えすぎだろうか。
でも、あの時病室で見たあの右目は、暗く沈んだ空色は、決して見間違いじゃない。目の錯覚なんかでも無い。
脳裏に焼き付いて離れないあの色と、柔らかで幸せそうな、紫陽花のような笑顔。
どちらを信じればいいだろう。いや、どちらも由莉の本心から来たもののはずだ。
由莉に、「考え込むなんて珍しい」なんて言われるくらいには、私は元々考え込むタイプじゃない。
考えるより先に、体が動くタイプだ。
それなのに今回に限ってウジウジと考え続けているのには理由がある。
一つは行動すれば解決するタイプの問題じゃないこと。
私は合理性に欠ける人間だけれど、できることとそうでない事の区別くらいはつく。
そしてもう一つ、由莉の様子がどう考えてもおかしい事。
おかしい、と言うよりは気持ち悪いと言う方が正確かもしれない。
どこかがズレているように感じるのだ。
例えるなら、マークシートの回答欄を間違えた時のような、あの感覚に近い。
だけど、それが何故かがわからない。
少なくとも表面上はいつもと変わらないのだ。でも、言葉の端の端、最下層の1番奥みたいなところが、どうしてもズレているように感じる。
この事については、迅くんや達くんにも聞いてみた。だけど、2人とも違和感は感じてないらしい。
うーん、どうすればいいんだろう。
二人が感じてないとなると、余計な心労を掛けるわけにもいかないし...。
「まあでも...もうちょっとは様子見だよね。表面化しないうちに何とかしてあげられたらいいんだけど...」
などと考えていると。
ぴこん、と携帯が鳴った。
「あれ、お母さん...なんだろ」
普段忙しくしてるお母さんから連絡が来ることはほぼない。
個人的には少し寂しかったりもするんだけど、忙しい分には仕方ない。
逆にお父さんは、結構マメに連絡してくれたりする。
そんな感じだから、お母さんから連絡が来るのは結構珍しい。
なにかあったんだろうか。
『はーい、蒼空、元気?お母さん今仕事でとある北の国に来てるの。詳細は機密情報だから言えないんだけど、仕事の過程で女の子を一人保護したのね。奴隷みたいな扱いをされてた子なんだけど』
奴隷。私たちの住んでる国ではめったにあることではない。というか違法だ。とはいえ、全くない訳ではなくて、多かれ少なかれ、そういう扱いをされている子も多くいる、と授業で習ったことがある。
実際、『能力』という概念がある以上、隠し通そうと思えば隠し通せるのだ。
それにしても奴隷...って、いったい何をどうしたらそんなことになるんだろう。
などと考えつつ、続きを読む。
『肉親もいないみたいでね、私の仕事に同行させるわけにもいかないし、どうしようかと思ったんだけど。あなたたちで面倒を見てあげてほしいわ。言葉の問題とかは心配しなくていいわ、ちゃんと喋れるから。ちょっと舌足らずだけど。戸籍登録とかその辺りの手続きもこっちでやっといたわ。24日の夕方くらいにそっちにつくと思うから、よろしくね。名前はー』
ん?24日?
カレンダーを見る。24日、日曜日。
時計に目を移す。机に置いてあるデジタル時計は、午後六時を指していた。
『ピーンポーン』
インターホンが鳴った。
嘘でしょ、お母さん...!!
また新キャラ増やそうとしてる、収拾つくんですか!?




