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無題

作者: こてつ

まるで空が泣いているかのように雨が降っていた。

まだ夏の蒸し暑さが残っていたその日、私は姉の告別式の場にいた。

姉は三年もの間闘病生活を送り、まだ幼い子供たちを残して旅立ってしまった。私はそんな現実を受け入れられず、ただ何かの行事のように葬儀に身を置いていた。お香が満たされた室内にお経とすすり泣く声が響く。

やがて棺が中央に置かれ、姉の表情を見ることができるのも最後となった。親族が棺の中に交代で花を入れ最後の言葉を送っている。闘病中と違い姉は穏やかな表情をしていた。いや、辛い表情を見てきた私にはそう思えただけなのかも知れない。

私は最後の言葉を掛けられないでいた。

「ママ、天国から結菜を見ててね」

棺の高さから少し顔が出るくらいの身長の少女、結菜が母親の顔の横にいくつもの花を添えながら言った。その後、長男の涼は何も話さないで花だけを添えると祖母に抱きついて泣き始めた。そして、その泣声は周囲の人々に感染していった。

「お姉ちゃん、安らかに眠ってね・・・、さよなら」

入院中に多くの話をしてきたせいか、特別な言葉が見つからなかった。そして、多くの人に見送られて姉の告別式は終わった。

すべてが終わると姉の子供たちとも別れることになった。

「涼くん、結菜ちゃん、お母さんはずっと二人のことを見守っているからね。・・・頑張ってね」

「うん!」

結菜は答えたが涼はうなずくだけだった。

「あっ、そうだ。何か困ったことがあったらいつでもお姉ちゃんに連絡してね。お姉ちゃん、ずっと二人の味方だからね」

私は微笑んで伝えた。

「うん、ありがとう」

元気のない声だったが、今度は涼が答えた。結菜より成長している分、悲しみが深いように思えた。

「朋美さん、いろいろありがとうございました」

 子供たちの父親、私にとっては義兄が来て言った。細身で背が高く、インテリ風の眼鏡を掛けていた。高学歴で高収入と聞いていたが、私は何故か好きになれなかった。神経質な性格というだけでなく、優しそうな笑顔の向こうに冷たさを感じていたからだ。それに闘病中の姉からもあまりいい話は聞かされていなかった。

「いえ、お義兄さんこそ大変でしたよね。お疲れでしょう」

「えぇ、でも大丈夫です。これからはこの子達と三人で頑張って生きて行きますから。朋美さんも頑張ってください」

「はい!」

「ではこれで失礼します。ほら、お前たちも挨拶して」

 そう促されて子供たちは小さく頭を下げた。

「じゃぁ、ね」

私はそう言って手を振ると、涼も結奈も手を振りながら父親と一緒に歩き始めた。

 この時、私は遠ざかる三人を見ながら違和感を覚えたが、疲れのせいだろうと気にすることをやめた。

 月日は流れ涼は五年生、結奈は二年生になっていた。父親は涼たちの母親が亡くなるとすぐに再婚して新しい生活を始めていた。

「涼!そこにあるものを適当に食べて早く学校に行きなさい」

強く早い口調で継母は話しかけた。テーブルの上には竹で編まれた籠が置いてあり、その中にはお菓子や菓子パンが乱雑に入っていた。

「お兄ちゃん」

 まだ眠そうな顔をした結菜が少し遅れてやってきた。

「行こ!」

 涼はそう言って籠の中からパンを二つ取ると結奈の手を握り部屋を出て行った。

「まったく愛想のない子達、それにくらべて。ねぇ」

 涼たちの行動を見ていた継母は呟いた。言葉と裏腹に表情を緩めて話す相手はゆっくりと離乳食を食べていた。

 涼と結奈は持ってきたパンを食べながら学校への道を歩いていた。

「涼!おはよ!」

 同級生たちが走りながら追い抜きざまに声を掛けていったが涼は返事を返さない。パンを口に入れていたこともあったが、元気に挨拶交わす気になれなかったのだ。母親を亡くした悲しみの中、突然に訪れた継母との生活、環境の変化に戸惑い苦しんでいることが本来の子供の姿を失わせてしまった。

「お兄ちゃん…、私もう嫌だよう…」

 少し後ろを歩いていた結菜が小さな声で言った。

「仕方ないだろ」

 母親のように愛情を注いではくれないが、身の周りの事をしてくれている継母に不満はあっても我慢するしかないと思っていた。子供ながら二人とも十分に理解していたが、愛情を感じない毎日に行き場のない感情を押し殺していた。

 やがて学校の門をくぐると結菜の表情が硬くなり足取りが重くなった。涼との距離が少しずつ開いてゆく。そのことに気にもしない涼は足早に校舎の中に入って行った。登校はしたが校舎に入りたくない理由が結菜にはあったのだ。それは突然始まった結菜へのいじめだった。最初はからかわれる程度から始まり、それに対する反応からだろう、やがて嫌がらせに変わりエスカレートしていった。結菜にとってはいじめられる理由もなく心当たりもない。いじめる側は優越感を満たしたいのか、困った姿や反応を見たいのか、どちらにしろ一方的で不条理な事実が結菜を苦しめていた。

 恐る恐る靴箱を開ける結菜、以前あったように上履きが落書きされていたり無くなっていたりしていないか不安だったのだ。

(良かった)

二足揃っていることに安堵する結菜であったが、本来は当たり前のことである。学校生活が上履きの確認から始まるなんて、いじめる側にとっては想像もつかないであろうし、もし結菜の気持ちが想像できるくらいなら、このようなことは起きてないだろう。

 教室へ入るといつもと変わらない風景だ。気の合う者どうしのおしゃべりやバタバタとふざけ合う男子の姿が目に入る。

 席に着き教科書とノートを机の中から取り出そうした時、結奈は違和感を覚えた。クシャクシャに丸められたプリントやゴミが一緒に出てきたのだ。そして下に重なっていたノートの表紙に書かれた落書きも見つけた。

 そして、すべてをそっと机の上に置いた。

 結奈は悔しさと悲しさで今にも泣きそうな気持ちになった。

 嫌がらせをした者たちであろう、ヒソヒソと話す声や小さく笑う声が結奈の耳に入ってきた。思わず立ち上がったが、その声に立ち向かうことができるわけもなく静かに出てきたゴミを片付けるのが精一杯だった。反撃する勇気がないわけではない。相手が傷ついたり嫌な思いはしないか、自分自身がいじめられているにもかかわらず、相手の気持ちになって考えることができる結奈は優しい少女だった。

なぜ自分がこんな辛い思いをしなければならないのか…。そんな思いが授業中でも結菜の頭を満たす。

(誰か助けて…)

 どうすれば苦しみから逃れることができるのか、心が叫ぶ。嫌がらせを受けたことばかりを考えて一日の学校生活が終わってしまう。

 「ただいま~」

 何の返事もない。聞こえてくるのは微かなテレビの音声だった。赤ちゃんと母親が静かに寝ていることは結菜にも想像することは簡単だった。足音に気を使いながら階段を登り涼と共有する部屋へと入った。そして、ランドセルを机の上に置くと椅子に座り大きくため息をついた。倒れこむようにランドセルに額を付けた。

 結奈は家にも学校にも自分が落ち着いて居られる場所がないと感じていた。

 「ママ…」

 その言葉を発すると同時に涙が頬を伝い始める。抱えきれない悲しみを押し出すように涙が溢れる。結菜の脳裏には母との最後の別れであった告別式、棺に眠る優しい母の顔が思い浮かんだ。

 その後、次のシーンを思い起こした。

(あ!そうだ。何か困ったことがあったらいつでもお姉ちゃんに連絡してね。お姉ちゃんはずっと二人の味方だからね)

 「そうだ!あの時…」

結菜は朋美と別れ際に連絡先の書かれたメモをもらったことを思い出した。

 「えっと~、どこだっけ」

 失くしてない事だけは分かっていたがどこにしまったのか思い出せない。結菜の性格であろう順番に引き出しの中を丁寧に探し始めた。

 机の右下にある一番深い引出しの中にピンクの箱を見つけた。それは結菜が幼い頃母親が買ってくれたおもちゃの宝石箱だ。子供向けであったが細やかな装飾がされていて開閉する金具は金色に光っていた。 結菜はそれを机の上に置いた。

 少しの間、開けることをためらった。中に朋美からのメモが入っているのかはわからなかったが、母親を思い出す大切なものが入っていることは分かっていた。結菜はそっと金具に指先を触れた。

 (パチン!)

 音をたて金具が上がった。そして静かに蓋を開けた。開けるとすぐに目に入ってきたのは母親との写真だった。父親が撮ったのだろう、結菜と母親がこれ以上ないくらい幸せな笑顔で写っていた。結菜は数枚の写真を取り出して一枚ずつ思い出すように見ていった。

全てではなかったが写真を撮った時の事を覚えていた。

 「ママ…」

 その時に交わした言葉や母の表情が結菜の心を通り過ぎると涙が頬を伝い始めた。一度流れ始めた涙を止めることはできなかった。母との思い出、学校や家庭での出来事、我慢してきただけ涙が溢れてきた。顔を両手で覆い肩を上下に揺らして泣き続けた。机の上に置いた写真に一つ、二つと涙が落ちていく。

 やがて耐えてきた事を涙と一緒に流しきると、今やるべきこと、再び箱の中を探し始めた。そして箱の底の方から水色に縁どられたメモ用紙を見つけた。見覚えがあった。

 葬式のあの日、結菜が朋美から受け取った連絡先を記したメモ用紙だった。

 「あった!」

 思わず言葉に出した。

 そして、メモを握りしめると一階にある電話機へと向かった。階段まで来ると結菜の足はゆっくりと静かに変わっていった。居間を覗くと継母の姿はなく赤ちゃんの姿だけ目に入った。結菜はチャンスと思い少し足を早めて隣のダイニングに置いてある電話機の前に立った。そっと受話器を外し、メモを見ながらプッシュボタンを押した。

 (トゥルルルル…)

 数回呼び出し音が鳴った時、トイレの扉が開いた事に気づいた。結菜は慌てて受話器を戻すと、部屋へと戻り始めた。途中、水の流れる音のするトイレの前の継母が立っていた。

 「あら、どうしたの?」

 「別に…」

 硬い表情で結菜は答えて通り過ぎた。

 その言い方を不快に思うと同時に結菜の行動を不審に思った継母はダイニングに行き辺りを見回した。電話をかけただけなのだから特に変化はない。

 「ふん!」

 結菜の態度は気に入らなかったが、それ以上追求することはなかった。   



 「いらっしゃいませ!」

 少し高い女性の声が店内に響く。朋美は生活費を稼ぐためにコンビニでアルバイトをしていた。就職をして生活する方法もあったが朋美には小説家になりたいという夢があったのだ。そのため物語を書くことを優先とした生活をしていた。コンビニでのアルバイトは楽ではなかったが、良くも悪くも多くの人間観察ができた。この幅の広い客層の人間ドラマも朋美にとっては魅力的だった。

 (もう少し…)

 時計を見ながら終業時間を待った。

 「お先に失礼します」

 17時になったことを確認するとレジにいる同僚に声をかけてバックヤードへと入って行った。そして事務所に入ると自分のタイムカードを押した。

 「お疲れ様」

 背中の方から低い男性の声が聞こえた。白髪が少し混じった男は温厚な表情で朋美を見ていた。

 「お先に失礼します!」

 振り向き様にそう言うと頭を下げた。

 「気をつけて帰るのだよ」

 店長でもあるその男はまるで自分の娘にでも言うように優しく言った。

 「はい、ありがとうございます」

 朋美はそう答えて店を出た。店から少し離れたところで立ち止まると肩から下げたバッグの中からスマホを取り出した。特に理由はないのだが店内や関係者がいるところではスマホは見ないようにしていた。スマホは個人の連絡ツールであり、職務で使用しない限り職場では不適切であるという少し融通の利かない性格を朋美は持っていた。

 「あれ?誰だろう」

 スマホの画面には着信が電話番号と一緒に表示されていた。

 見慣れない番号にどう対応しようかと考えた。闇雲にかけ直して面倒なことになることを恐れた。

 「ま、いいか」

 重要な電話ならまたかかってくると思った。結論が出ると気持ちも楽になって、家路を急いだ。職場のコンビニから歩いて15分くらいのところに朋美の暮らすアパートがあった。車や人通りの多い道から少し入ったところにある二階建てのどこにでもあるアパートである。大通りに面していない分、夜は集中して小説を書くことができたし、静かに眠ることができた。朋美の部屋は二階の一番奥、簡単に言えば階段登って突き当りの角部屋ということだ。家賃と関係があるのかはわからないが二階への階段は足音が聞こえる造りになっていて深夜に帰宅する時は気を遣って登るほどだった。

 その階段を登り部屋へと入る。

 「ただいまー」

 返事などないのに口癖になっていた。

 部屋の明かりをつけ荷物を置くと洗面所に入った。部屋の中は女性らしく片付いている。必要なものしかないので掃除も必要なだけで済む。朋美の合理的な部分が表されていた。メイクを落とすと部屋の中央に置かれている座椅子に座りテレビの電源を入れた。自分が発する音以外になかった部屋に音声が響き始めた。スマホを手に取ると仕事中に送られてきた友人からのメールに返事を書き始めた。数人に返事を書くのに時間はかからなかった。最後に電話の着歴に目を通した。夕方に入っていた着信が気になった。と言うより朋美にかかってくる電話のほとんどが携帯からの電話で、その着歴が固定電話だったから余計に気になる。固定電話からかかってくるのは実家を含めて身内がほとんどなのだ。しかし着歴の番号は朋美の知る身内の番号ではなかった。

 「さてと!」

 電話番号が気になったがお風呂と夕食の支度を始めた。

 

 




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