第九話 悲鳴
「うっぷ。もう無理」
梃徒が巨大パフェの三分の一ほどを食べて二十分が経過した。
それにより残念ながら、挑戦成功とはならず。すべてのパフェ代が無料とは、ならなかった。
「私に任せなさいな」
梃徒が挑戦した巨大パフェは、二十分で食べきればすべてのパフェが無料になる代わりに、それを帰るまでに残してしまうと、逆に罰金が取られるというものだった。
流石に梃徒も、パフェ代は出してもらったから、罰金代は自分で払おうと諦めていたが、最終的にその巨大パフェが残されることはなかった。
「うーん。おいしい!」
なぜかというと、それまでに、五つもの種類のパフェを平らげていた桿那が、梃徒が残したパフェもペロリと軽く平らげたからだ。
それには、お店中の人が驚きを隠せていなかった。
「君が巨大パフェの挑戦をすればよかったじゃないか。それだったら、全部無料になったのに」
「駄目駄目、私は梃徒君の残したパフェだから食べたの。それ以外だったら、お腹に入らなかったよ」
梃徒と桿那はパフェのお店を後にし、軽く歩いていた。
「ちょっと、喫茶店にでもよっていかない?」
「またお店に入るの?」
「だって、さっきのお店はゆっくりできなかったじゃん!」
パフェのお店は人気店であるから、回転率を気にして、基本的に座席の時間が決まっている。だから、梃徒たちは四十分ほどでお店を出た。
それでも梃徒からしたら十分だったのだが、桿那はそうではないらしい。
「僕は別に……」
「ええー、行きたいー!」
桿那は梃徒の横で体をねじって駄々をこねてきた。
周りの目が梃徒に突き刺さる。
「わ、わかったから、その変な動きをやめて」
「やった!」
(まったく、まるで子供だな)
「じゃあ、ちょうどあそこにスターがあるみたいだし、入ろう!」
桿那が指差した場所には全国的に有名なカフェ、スターがあった。
梃徒は走り出した桿那の後を、一息吐いてから付いて行く。
(まあ、いいか)
「梃徒君はさ、彼女とか作らないの?」
「唐突な質問だね」
梃徒と桿那の二人はスターに入り、それぞれが飲み物を頼んで窓際の座席に着いた。
ここでも桿那がお金を払うといってきたが、流石にそれは断った。
「世の中、なんでも突然起きるんだよ! 私だって、今日の帰りに悪魔に襲われて天に召されるかもしれないんだよ?」
「物騒なことを言うね。でも大丈夫だよ。天に召されるなら、悪魔じゃなくて、天使だ。よかったね」
「あ、ほんとだね。じゃないよ! 重要なのそこじゃないから!」
(いつも、論点をずらしてる君じゃないか)
「キャー!!」
そのとき、お店の入り口から叫び声がした。
梃徒はそちらに目をやる。
「大人しくしてろ!」
そこには中年の男が店員に向けて、ナイフを向けていた。
「ほらね。ああいうこともあるの!」
桿那はそちらを視ないでそう言い、にっこりと微笑んだ。
「早くレジから金を出せ!」
男の叫び声が、梃徒たちがいるところまで聞こえてくる。
おそらく、生活に困った中年男が、世の中の不条理に耐え切れなくなった末の犯行なのだろう。
まさか自分が、そんな現場に立ち会うとは思っていなかったが、意外にも梃徒は自分が冷静なのに気が付いた。もしかしたら距離が離れているからかもしれない。
「せっかくの梃徒君との楽しい時間なのになあ」
そういうと桿那は立ち上がった。
店内は誰もが静止している。
ここで変に動いて相手を刺激してはいけないと、無意識で感じているからだろう。野生の勘というやつかもしれない。
梃徒も例外ではないでの、桿那の行動には言葉が出なかった。
「ちょっと行ってくるね」
桿那は梃徒に微笑んで、男の元へと向かう。
「え、ちょ……!」
梃徒が声を出す頃にはすでに桿那は男のそばまで移動していた。
「な、なんだお前は!!」
「おじさん、ちょっと間が悪かったかな」
「は?」
桿那は容赦なく男との距離を詰める。
男は彼女の行動に気圧されて、一歩下がる。
「こ、この小娘が! お前なんて苦労したことないんだろう!」
しかし、そのまま上手くいくはずもなく、男は興奮して桿那に向かっていく。
「桿那!!」
梃徒はそれを見て桿那に向かって駆け出した。
だが、間に合わない。
男が、桿那にナイフを振り下ろした。
この状況なら、誰でも恐怖を覚えても不思議ではない。
恐怖といかなくても、少しは心拍数が上がるはずである。
しかし、梃徒が彼女に向かっていくときに垣間見た彼女の表情は、まるで何も感じていないようだった。
「キャー!!」
店内に再度悲鳴が起こる。
「心臓が止まるかと思ったよ」
「ねえ」
「え?」
「聞きたいことがあるんだけど」
「な、何かな?」
「私の名前を呼んでくれたよね!! しかも呼び捨てで!!」
桿那は目を輝かせて梃徒を上目遣いで覗き込むようにしてきた。
今、二人は帰路につている。
スターにて、男にナイフを振り下ろされた桿那は、それは見事にその男の手首を持って吹っ飛ばした。
それには飛ばされた男だけではなく、その場の全員が唖然となった。
そして、まさか桿那のようなか弱そうに見えるしかも女子高生に背中から落とされた男は、そこで戦意喪失。一件落着となったのだ。
それからは警察が来るまで待っていてくれとお店の人に桿那は引き止められていたが、彼女はそれを固辞して今に至るというわけである。
まさか、彼女に武器を持った暴漢を倒すだけの力があったとは、流石の梃徒もかなり驚いた。
見るところ合気道か何かみたいだったが、習っているのかもしれない。
(これからは、あまり気に障るようなことは言わないでおこう……)
「ねえってば!」
梃徒の腕が勢いよく下に引っ張れれる。
桿那の顔が梃徒の顔の肌に触れる距離まで近づいた。
二人の目が合う。
「呼んだよね?」
「…えっと、なんか興奮してたから覚えてないかな……」
梃徒は桿那と目を合わせたまま言った。
沈黙が二人の間に流れる。
その間二人は目を合わせたままだった。
梃徒は桿那の目を見て素直に綺麗な目をしているなと感じた。
その目はまるで、黒目が漆黒の闇であり、そこに反射している周りの景色が、その中で咲く一輪の花のようだと、梃徒は見とれていた。
彼女とは距離が近くなる機会は人生で出会った人の中でも多い。
でも、ここまでの距離で長時間見つめあうことなど流石になかった。
(こんなに綺麗だったんだ)
見つめていると、その闇に引き込まれそうになる。
「梃徒君」
そのとき、桿那がつぶやくようにしていった。
梃徒が闇から引き戻される。
「鼻毛、出てるよ」
「え?」
梃徒は桿那から顔を離し、鼻を隠す。
彼が再度桿那を見ると、そこには、いじわるい笑顔をした彼女がいた。
「もしかして、嘘?」
「えへへへえ、だって、君が本当のこと言わないからだよ」
「本当のことって、名前を呼んだかどうかってこと?」
「そう! 私はあのとき絶対に聞いたの! 桿那って、私の名前を情熱的に呼ぶ君の声が!!」
「もし、呼んでたとしても、情熱的ではないと思うけどね」
梃徒は冷静さを取り戻して突っ込んだ。
確かに、あのとき彼は彼女を名前で呼んだ。
無意識だった。
でも、その意識ははっきりと残っている。
「ねえ! 呼んだでしょ?!」
「あ、もうすぐ分かれ道だね」
梃徒はそこで素直に呼んだというのが、何か恥ずかしく、こそばゆい感じがしたので、はぐらかした。
「もう!」
桿那は横で膨れる。
「僕が君の名前を呼んだかどうかなんて重要でもなんでもないでしょ?」
「駄目、すごく重要なの!」
「どうして?」
「それは内緒なの」
梃徒は考えたが、特に彼女の中で重要となる要素は見当たらなかった。
「ねえ、一生のお願い! 私の名前を呼んで!!」
「なだ」
「ちがーう! そっちじゃないの! それは君の名前でもあるんだからね! って、もしかして、結婚しても苗字が変わらないよねっていうことを暗に伝えるという遠まわしなプロポーズ?!!」
「ものすごく強引な上に、ポジティブすぎて逆に心配になるよ」
「えへへへえ」
「褒めてないからね。さ、お別れだ」
梃徒たちはそれぞれの帰路に分かれる道へと来た。
梃徒は左へ、桿那は右に行く。
「ええ、最後に言ってくれないの?」
「じゃあな。灘さん」
梃徒は返事を聞かずに、左に曲がった。
「もう、天邪鬼なんだから、じゃあね! 梃徒君!!」
後ろからは桿那の明るい声が結構な時間聞こえてきた。
あまりにも、長いのでしかたなく梃徒が振り向くと、そのときにはもう彼女はいなかった。
そして、梃徒はその日、素直にならなかったことを後悔することとなる。
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