第十八話 赤い糸
「ただいま!」
「あら、おかえりなさい。今日は遅かったのね」
梃徒は才華の言葉を無視してすぐに自分の部屋に入った。
そして、すぐに財布の中にある小さなポケットから、一つのカギを取り出す。
梃徒はそれを急いで、引き出しの鍵穴に突き刺して右に回した。
ガチャという音がする。
梃徒は引き出しを引いた。
「よかった……、ある……」
そこには、男子高校生が普通なら、持っていない物が入っていた。
もしも、引き出しにこんなものがあれば、何か疑われてもおかしくない代物ばかりだ。
黒い上下の女性の下着に、髪留めや髪ゴム、その他にも数個入っていた。
そんな異様な中身を見て安堵している自分が、梃徒は少しおかしくて、その場で笑った。
そしてその場にへたり込む。
「梃徒! どうしたの?」
そのとき、ドアの外から梃徒を心配した才華の声が聞こえた。
梃徒は急いで今引かれている引き出しを戻し、カギを閉めた。
「な、何?」
そこで才華が入ってくる。
梃徒は彼女が入ってくるまでのタイムラグの間に、なんとか椅子に座った。
「急いでいたみたいだけど、何かあったの?」
「いや」
梃徒はそこで首を振る。
「そう……」
「ねえ、いきなり僕の同級生が尋ねてきたときのこと、覚えてる?」
「え?」
才華の表情が、そのとき動く。
「そんなことあったかしら?」
「うん、女の子なんだけど」
「ほんとに? そのとき私家にいた?」
「いたよ。一緒にご飯も食べた」
「え……、ごめんなさい。覚えてないわ」
「そっか」
梃徒はそこで才華に微笑む。
「全然いいんだ。だって嘘だしね」
「嘘なの?」
才華が首をかしげる。
梃徒がそんなことをする理由が、わからなかったのだろう。
「ちょっとしたイタズラみたいなもんだよ。父さんが彼女彼女、うるさいからさ」
「そう」
「うん」
「ご飯、もうすぐできるわよ」
才華は納得しているわけではないだろうが、納得したという顔をして部屋を出て行った。
(間違いない)
梃徒は、先ほどの才華との会話で確信した。
桿那のことをみな忘れている。
学校では桿那が出したはずのレポートは、梃徒が出していることになっていたし、今日梃徒と日直であったはずの桿那の名前を、梃徒は思い出せなかった。
才華は桿那が家を訪ねていたことを忘れていたし、何よりも梃徒自身も今日、あのレポートを読むまで彼女のことを忘れていた。
今考えれば、すべてがおかしかった。
クラスメイトたちは、いつのまにか桿那のことを話さなくなったし、普通なら花瓶などが置かれて花が添えられるはずの桿那の机が、撤去されていた。
(いったい、何がどうなって……)
学校で桿那のことを思い出した梃徒は、このことが怖くなった。
だから、カギの掛かっている引き出しの中身を確認した。
その中身についても、昨夜まではまるで覚えていなかったし、カギをどこにやったのかさへ忘れていた。
梃徒は再度カギを開けて、引き出しの中身を確認した。
まさか、ここまで強烈な物の存在を忘れるなんて、いや、それなら桿那の存在自体が、梃徒にとっては強烈だったはずだ。
梃徒の頭は混乱していた。
「ふう……」
梃徒はゆっくりと立ち上がり、伸びをする。
知らなければいけないことがある。
梃はそう思った。
リビングに入ると、才華が食事の準備をしていた。
「今日はお魚よ」
彼女の言う通り、机の上にはカツオのたたきが置かれていて、その他にも数種類の品がこれから置かれる様子だった。
梃徒はテレビを見ながらいつもの座席に着いた。
入り口に一番近い椅子のところだ。
梃徒はすべての品が置かれるまで、テレビを見て待った。
普通ならここで才華の手伝いをするのが良い息子なのだろが、この家ではそれは違う。
才華は家事については、誰にも手出しをさせなかった。
それは別に自分のテリトリーを守りたいとかではなく。主婦としての立場の考え方からなのだろうと梃徒は思っていた。
彼女はいつも、何か手伝おうとすると、そんなことよりも他に何かしなさい。と言う。
つまり、家での時間はしっかり自分のために使って欲しい、家ではリラックスして欲しい、それを家族に感じさせることが、主婦であるという考えを持っている。
よく言えば良妻賢母、悪く言えば頭が固いわけだ。
梃徒はそんな母のことを素直に尊敬していたし、彼女のおかげで、家ではどこよりも、どんな高級ホテルよりもリラックスできていた。
すべての品が机の上に並べられて食事が始まる。
今日もいつものように父、梃汰は残業だ。
二人での食事、これがこの家の通常だった。
「ねえ、母さん」
「何?」
「どうして父さんと結婚したの?」
「……、急な質問ね」
「世界はいつも唐突らしいからね」
「そうね」
才華は微笑んだ。
そして、少し間を空けて話を続ける。
「私たちはね。高校生のときに付き合ったの」
「そうなんだ」
それは初耳だった。
梃徒は両親の馴れ初めとしては、父が最終的に母に結婚を申し込んだことくらいしかしらない。要は何も知らないわけだ。
「そのときは私から告白したのよ」
「え! 母さんからだったの?!」
「ええ、そうよ」
梃徒は驚きのあまり、はしを一本手から落とした。
「お父さんはね。高校生のときモテモテだったから、彼に告白する人はたくさんいたわ。その全員を振っていたけどね」
梃徒は首をかしげた。
今の彼からは、想像もつかない姿だ。
彼がとんだプレイボーイだったとは……。
才華は、梃徒の考えていることがわかったかのように微笑んだ。
「私はその内の一人だった。私は特に目立つような人間じゃなかったら、高校二年の終わりに記念に告白して置こうって感じだったのよ」
「それで父さんがオーケーしたの?」
「ええ」
「でも、今まで全員断っていたんでしょ? 父さんも母さんのこと、好きだったってこと?」
「いえ」
才華は首を振る。
「私、そのときまでほとんど彼と話したことなかったら、多分存在自体知られてなかったと思うわ」
「それならどうして?」
「君の声が綺麗だから」
「え?」
「私が告白したときに、彼が返事をしてから言ったセリフよ。君の声が綺麗だから一目ぼれしたって」
「なにそれ?」
声で一目ぼれとは意味がわからない。と梃徒は思った。
「ふふふ、本当になにそれ? よね。私もそのときそう思ったわ」
才華の表情が、今まで、梃徒が見たことないと思えるほど緩んだ。
「だから私ね。すぐに別れるんだろうなって思っていたのよ。でも、それでもいいかって思っていた。彼がそれほど好きだったから」
「そうなんだ。それからどうなったの?」
「もう、彼が私にゾッコンね」
それは、今でもそうだ。
梃汰は、誰がみても才華の尻に敷かれている。
だが、それは悪い意味ではなくいい意味でだ。
だからこそ、才華のほうから梃汰に告白したと聞いて、梃汰は驚いた。
「放課後はいつも一緒に帰るようになったし、私が他の男子と一緒にいると負のオーラが伝わってきたわ。それに大学も私に合わせて、結局本来のランクよりも低い私と同じ大学に来たときには、流石に別れるかどうか悩んだわね」
才華が今までとは違い、その言葉を淡々と話す。
梃徒は大学受験をきっかけに、立場が逆転したんだろうなと思った。
「私が彼を駄目にしているんじゃないか、と悩んだ時期もあったわね」
「でも、別れなかったんだ」
「そうね」
「やっぱり好きだったから?」
梃徒は聞いた。
「……うん、そうね。好きだったからかしらね」
才華はやさしい表情になる。
「ところで、急にこんなこと聞いてくるなんて、どうしたの?」
「いや、恋ってなんなんだろうなって思って」
「恋?」
いつもの才華に戻った。
「恋というか、人を好きになるってことかな。何を持ってそうなるのかなって、母さんは父さんのどこが好きだったの?」
「私には持っていない所を、持っている所かしらね。彼の明るさは、多分私が一生掛けても手に入れることができない所だもの」
「持っていない所か」
自分にそんな部分があるだろうか? と梃徒は考えた。
特に彼女から見た自分に、そんなところがあるとは思えない。
「そんなところ僕にはないな」
梃徒は苦笑いを浮かべた。
「梃徒」
才華がやさしい声で言う。
「人を好きになるっていうのはね。誰の目にもわかるものじゃないのよ。だから、あなたが仮に誰かを好きだといっても、私はそれを否定することができる。そんなものは好きじゃない。ただの思い込みだってね。だって、恋の赤い糸は本人にしか見えないんだもの」
才華が梃徒を見つめる。
梃徒も彼女を見つめた。
(恋の赤い糸か……)
「確かに、赤い糸は本人にしか見えないね」
梃徒の表情は明るくなった。
二人は食事を再開する。
「もちろん今も父さんのこと好きなんだよね?」
食事が終わり、才華が食器などを片付けているとき、梃徒が彼女に思い切って聞いた。
「好きじゃないわ」
「え?」
「愛しているもの」
そういって才華は満面の笑みを見せた。
「はは、最高だね」
梃徒も満面の笑みを返した。
部屋に戻った梃徒は、決意を決めた。
記憶を失う前、梃徒たちは桿那は亡くなったと聞かされた。
しかし、今思えば、家族の対応が不自然であり、同級生に対する説明も不足している。
そして、それから起こった謎の彼女の記憶だけに関する記憶喪失。
しかもそれが、個人だけでなく大規模に起こっている。
ということは、もしかしたら彼女は生きているかもしれない。梃徒はその可能性に掛けることにした。
そうなればやることは一つしかない。
(灘さんにもう一度会う。そして自分の気持ちを伝える。例え、玉砕されたとしても後悔は残さない!)
そのためにも、直近の課題は、桿那の居場所の特定だ。
梃徒はスマホを取り出した。
そしてそこから写真を一つ取り出す。
Sixteen nb きみのことをしんじている。
Sixteen nb せかいを救うのは誰?
世界の中で、誰よりも二乗で呼ばれて愛を知っているのは?
Aから始まる世界の中で静止時間の間で揺れる君
on off off on 世界は無限大を直角に変える。
愛が世界を救う。
梃徒が見たのは、このメッセージをスマホで、スクリーンショットしているものだ。
これが桿那から来ていた最後のメッセージ、桿那とのメッセージボックスは残念ながら消去されていたが、なぜかこれだけ写真フォルダに残っていた。
(まだ意味はわからないけど、何かヒントがあるかもしれない)
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