第十七話 打ち上げ
梃徒が変だと思い始めたのは、矢場居の職員室での会話を聞いたときだった。
一学期最後のテストが終わり、学生が一番気楽な学校生活を送っている中、最後の英語の授業で、その日、日直だった梃徒が提出ノートを職員室に持って行くことになった。
梃徒の他にいたもう一人の日直は休んでしまったので、彼一人で、クラス全員のノートを持ってくことになる。
三十五人分ものノートを、一人で持たせるとは鬼畜な野郎だと、そのとき英語の先生を心の中で思っていた。
「そう言えば、矢場居先生のところに、おもしろい課題を出した生徒がいたでしょ?」
梃徒が職員室に入ると、矢場居が教頭と話しているところだった。
「ああ、いましたね。今まで論点がずれて出す生徒は居ましたけど、まさかあそこまで飛躍した内容を書く生徒はいなかったので驚きでしたよ。しかも二枚ですよ」
それを聞いて、梃徒は自分の話をされているなと思った。
おそらく、春休みの課題レポートの件を言っているのだろう。
最近知ったのだが、あれはこの高校での伝統課題であったらしく、生徒のレポートは担任以外にも教頭と校長が見ることになっていたらしい。
「しかも一人で二枚も出すなんて、これまたおかしいでしょ?」
「私も読みましたよ。二枚ともね。どちらもいい目の付け所でしたよ。まあ課題としてはゼロ点ですけどね」
そのとき梃徒は矢場居と目が合った。
矢場居はバツが悪そうな顔をして、そこで教頭との会話は終了したようだった。
梃徒も何か気まずさを感じたので、提出のノートを英語教師の机の上に置いて、すぐに一礼して職員室を出る。
(僕が気まずさを抱える意味がわからない)
矢場居は間違った情報を教頭に与えていたので、それも含めてふつふつと怒りがこみ上げてきたが、それは一過性のもので、少ししたらすぐに収まった。
「後で訂正しないとな」
梃徒はそうつぶやいて、教室に戻った。
「おう灘! お前テストの打ち上げ来るよな?」
「打ち合げ? いつやるの?」
「今週の土曜日だ。一応朝から夜までやって、随時参加、随時退散だな。クラス全員の参加を目指してるわけだ。だから、何時ごろから何時まで参加するか、今聞いてる」
「また連絡してもいい?」
「おう、わかった。詳細は後ろの黒板に書いてるから見といてくれ」
「わかった」
梃徒はクラスメイトが指差した黒板を見に行く。
そこには朝の九時からの予定が、事細かに書かれていた。
(モーニングを食べに行ってからの映画に行った後、昼食、それからスポーツ施設で3時間パックからの夜は焼肉か)
これは最初から最後まで参加のメンバーは、ものすごい出費になるな。と梃徒は思った。
それに書いてはいないが、焼肉からの最後のカラオケが待っているに違いない。
梃徒は自分の席に戻った。
それから、日直のノートを取り出し、今日の報告書を書き始める。
(あれ?)
そのとき、ある場所で手が止まったが、まあいいかと思い、そこは空欄にしておいた。
(後で名簿でもみればいいか)
自宅に帰ると、まだ誰も家には帰っていなかった。
梃徒が、今日は午前授業であったこともあるのだろう。
梃徒はまず自分の部屋に入った。
そこで、ポストに入っていた自分宛の封筒を開ける。
あの封筒だ。
宛名しか書かれていない封筒。
つまり、これは直接投函している。
ということは相手は梃徒の知っている人物の可能性が高い。
もしかしたら一方的に、相手が梃徒を知っているということもありうるが、そういう類のものではないと、便箋の内容から梃徒は思っていた。
今回も内容は同じ。21の文字の後に謎の横棒、そして最後に6だ。
おそらく、これは何かの法則によって繋げられているのだということは、わかっていた。
IQ診断などで使われる問題と、同形式のもの。
やり方さえわかれば、すぐに解ける問題だ。
しかし、その肝心なやり方がまったく梃徒にはわからなかった。
そもそもこういった数学的な問題は、あまり得意じゃない。
どちらかといえば、頭は固いほうだと梃徒は、自己を分析していた。
梃徒はいつも通り便箋の中身を見て、それを再度封筒に直し、机の引き出しにしまう。
そのとき、梃徒の視線は、封筒をしまった引き出しの真下にある、引き出しに向いた。
その引き出しにはカギが掛かっており、最近開けた覚えがない。
梃徒はその引き出しに手を伸ばして、引く。
しかし、その引き出しはガという音を立てて、梃徒の手の動きに逆らうだけだった。
「まあいっか」
翌日、梃徒は学校の図書室に残って本を読んでいた。
理由は自らの知識の壁を乗り越えようとしている。
わけではなく至極簡単。
図書室で本を読むふりをして、時間を潰しているのは家のカギを忘れたため、母である才華が帰ってくる夕方まで家に入れないからだった。
(やべ、眠くなってきた……)
梃徒は窓際の席で暖かな日差しに当てられ、そこで眠ってしまった。
そのとき梃徒は夢を見た。
ある廃墟に攫われたお姫様を、救いに行く夢だ。
自分の武器はなぜかペン一本であり、それをなんとか駆使して戦っていく。
仲間は誰もいなくて、なんとか最後の部屋にたどり着いた梃徒は、やっとお姫様との再会を果たす。
しかし、自分が救おうとしていたお姫様は実は偽者であり、本物はお姫様を攫ったと思われていた人物だった。
梃徒はそこで選択を迫れられる。
悪である本物を選ぶのか。
それとも、善である偽者を選ぶのか。
そこで梃徒が選らんだ選択は……。
「ねえ、梃徒君、ねえってば!」
「え?」
梃徒は自分が選択をしたところで目が覚めた。
彼は勢いよく頭を上げる。
「イタ」
「イテ」
すると、その頭が何かにぶつかった。
「お前何しやがんだ!」
「え? ああ先生か……」
「先生か、じゃねえだろ」
「イテ!」
矢場居は、あごを擦りながら竹刀で梃徒の頭を小突く。
彼が梃徒を起こそうとして屈んだときに、見事に起き上がった梃徒の頭が、あごにぶつかったわけだ。
「もう下校の時刻だ」
「え? もうそんな時間ですか?!」
梃徒は図書室の時計を見た。
時刻は午後6時、一般生徒はこの時間には、下校しなければいけない決まりである。
梃徒は軽く四時間以上爆睡していたことになる。
座りながらほぼ同じ体勢で寝ていた梃徒は、体中がきしむのを感じた。
「イテテテ、体が固まっている」
「テストが終わったからって気を抜きすぎだ。そんなんじゃ、夏休みぐーたらして宿題できんぞ?」
「先生だって、気が抜けてるじゃないですか」
「は?」
梃徒は背伸びをしながら矢場居を見る。
「この前教頭先生と話してる会話、聞こえてきましたけど、俺が出したレポートは一枚なはずなのに、二枚出したって言ってましたよね?」
「何言ってんだ。お前は二枚出しただろ?」
「は?」
「二枚も無駄に出したけど、どちらも内容が駄目だって4月辺りに俺が叱っただろう? なんだあの、人間は所詮一人みたいなのと、植民地社会? みたいなやつだ。俺はあれを見てほんとお前のことが心配になったぞ」
梃徒は、首をかしげていた。
「先生」
「なんだ?」
「俺本当に二枚も出してましたっけ?」
「だからそう言ってるだろう」
「そう、ですか……。先生、俺の苗字は?」
「灘だ」
「灘ってもう一人いましたよね?」
「ん? そうなのか? 他のクラスのやつのことまでは、正直知らんな」
梃徒はそこで勢いよく立ち上がった。
「先生さようなら!」
「あ? ああ。って走るな!」
梃徒は急いで図書室を出る。
(なんでだ! どうして!?)
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