8 心のブランク
木佐西都について8
♪♬・・・!
あ、つっかかった。もう一度
ブランクってこわいなあ。随分なまっている。練習4日目にして改めて壁の高さを実感している。
うおーーー!
「百合ちゃんなにしてんの?」
「あれ、木佐」
「近頃、昼休みすぐいなくなるし、朝もぎりぎりにクラス駆け込んで来るから・・・こんなところにいたんだ」
「うん、ちょっと」
木佐にはなんか言い難いな。
隣に立って楽譜を見詰めながら、
「百合ちゃん、こんなの弾くの。大変なんじゃない?」
音符を指でつつかれた。
あはは、そうだよね。
「それに試験勉強してるの?」
はう!?
「余裕だね〜」
いかん! すっぽぬけてた!!
「ごめん! ありがとう木佐」
「何したいか知らないけど、学生の本分優先した方がいいんじゃない?」
学生の本分。そうだよね。
「数学、みたげよっか?」
「マジありがとう〜〜」
急いで、片付けなきゃ。
ばっささあさ
「あ、ありがと。木佐」
木佐が楽譜を拾って揃えてくれた。
「はい、百合ちゃん」
両手に乗せてくれた、楽譜をそのままかばんに入れて、教室へ。
「また、グループ勉強しよ」
「そうだね。はかどるもんね」
まずはこっちの勉強します! すいません!!
あれ? 木佐にピアノのこと言ったっけ? 何も聞かれなかったなあ。
試験期間は2週間前から部活はないので、放課後はグループ勉強に当てられる。昼休みもみんなと勉強。帰ってもピアノはないし、部屋だともやもやしそうだから、居間で勉強。
でも、朝は、音楽室つかわせてもらお。月城さんたちに早くレベルみてもらわないと・・・・
(やっぱり、駄目だねえ)とか言われるかもしれないし、期待させたまま待たせているのも不味いし。貸してもらった楽譜は思ったよりも難しいし。
ああ。早く試験終われ!!
グループ学習の成果か、(正直、ひとりの勉強は捗らなかった)赤点は免れた。木佐は相変わらず上位者に名を連ねていた。(うちのがっこは50位以内があいうえお順で張り出される)
グループ学習のおかげで普段話さないクラスメイトとも沢山話せたし、楽しかったなあ。その分厳しかったけど(人に由っては)。木佐は教えるの本当に上手かったな。なんだかいつもより自然な優しい感じで。いつもこうだったらいいんだけどな。
だだだだだだだ
久しぶりの昼休み。さあ、弾くぞ!!
鍵を差し込む。誰もいない音楽室、日の光の真ん中にピアノが光っている。
ピアノの蓋開けて、楽譜を並べる。
《#054 ロワゾ(toマドカ)》”toマドカ”は手描き。ピアノの部分に◯がしてある。
楽譜のコピー。
あのピアノの人、マドカさんっていうのかな?
両手で握手して、くるくるまわす。ぎゅーっと指を伸ばす。
よし!!
弾き始めは優しく、ゆっくりと。
鳥が大空を羽ばたいて、故郷へ帰って行く。初めての旅で親とも逸れて、疲れ果てて、もう翼を動かすのを止めてしまいたい。でも、行かないと行けない。気持ちだけが小さな体を突き動かす。
知らない筈の懐かしい景色。
空しさも寂しさも苦しさも全て忘れて、訪れた新天地。
ああ、今、帰って来た。
パチパチパチパチ!!!!
「え!?」
絵梨、里緒菜、夏樹・・・木佐!?
「すっごい、すっぐぉい! びっくりした!」
「うまーいい。なんで黙ってたの?」
「昼休み、食べてすぐいなくなっちゃうから、どうしたんだろう?って心配してたんだよ」
「朝もぎりぎりだしさぁ。試験勉強で一人で集中したいのかと思ってたんだけど」
「百合にこんな特技があったんだねえ」
友人達に囲まれて、しどろもどろ。
これは聴かせられるレベルじゃないんだよ。まだ、音の切り方汚いし、運指間違えてるし。
「音楽室、なんでわかったの?」
「試験終わったもんね。つけてきちゃった♥」
「全然きがつかないんだもん。百合」
「ねえ」
顔を見合わせて頷く友人達。
「木佐は?」
「尾行してたら、何してるのって?」
「ついてきちゃった♥」
木佐はこの間、ここで会ったことなんてなかったように、にこにこ笑っている。
「へえ?”ロワゾ”っていうんだ。この曲」
楽譜を覗き込む友人たち。ピアノの椅子から逃げられないわたし。
「う、うん」
「どういう意味?」
「確か・・・鳥だったかな。空飛ぶ鳥」
「素敵だねえ」
「ここの”マドカ”って何?」
「よくわかんない。これ貸してもらった奴だし」
これ以上突っ込まれたら、どう説明?
「でもさあ、こんなにうまいんなら、陸部じゃなくてピアノやれば良いのに。百合」
え? 夏樹、何言って?
「そうだよね。なんか、じーんとするっていうか、よかったよ。百合」
「すっごくうまい。もったいないよ。初めてきいたし」
「音楽の先生にコンクールとか訊いてみよっか」
コンクール・・・
「そうだよ、きっと良い線行くって!」
やめて!
「駄目っ! 全然、わたしなんか駄目だよっ!!」
はあ、はあ、はあ。
「ゆ、百合?」
どうしよう。みんなびっくりしてる。
「ええっとね。ともだちでさ。わたしよりもずっと上手い子いたんだけど、その子コンクール全然だめだったんだって。わたしよりもずっと上手い子でもむずいんだから、私むりだよ。こうみえてチキンだしさ。わたし」
「ピアノは習ってたんじゃないの?」
「その子に教わってたの」
「その子、教えるの。上手だったんだねえ」
「うん、でもその子も大変だったし。もう教わってないし」
「その子は今どうしてるの?」
「わかんない。別のがっこ行ったから」
キーーーンコーーーン
「やば、もどろ」
「うん」
あ楽譜、しまわなきゃ
「ごめん、先戻ってて」
「あ、百合」
音楽室の前で夏樹が振り向いた。
「また、良かったら聴かせて。私難しいこと分かんないけど、それ、好きだから」
胸が詰まる。
「・・・ありがと」
アレ、木佐?
木佐は気付いたら、いなかった。
帰り道。
おなじみ木佐との帰り道。
「ばかなの!? それ?」
「まったくだよねえ」
あ、そうだ。
「昼休み、何時いなくなったの?」
「うん。長くなりそうだったんで、先戻ったよ」
「そうなんだ」
「百合ちゃんにあんな特技があるなんて知らなかったなあ」
「ま、昔のことだし」
「そだね。昔のことだもんね」
「うん」
そうそう、昔のこと。
駅についた。
定期片手に改札を通る。
あれ?
「木佐、いかないの?」
「トイレ、よってく」
「あ、そうなんだ。またね」
「またね。百合ちゃん」
手を振る。
見えなくなるまで。
見えなくなったら、少年は踵を返して夜の街へ。
トン、トン、トン。階段を下りる音。
「風見?」
”O'v Soul.”は水曜休み。この日の夜は・・・
「こんばんは、月城さん」
「君は・・・」
「彼女がお世話になってます」
契約している”se soumettre le son音に隷属”の月城がよく個人練習している時間。
「ああ、コンサートに野辺山さんと一緒に来てた・・・。よく、ここが、オレの名前わかったね」
「名刺に書いてあったんで」
「酷い彼氏だね。名刺盗っただろ?」
「ピアノ、なんで彼女に頼んだんですか?」
階段を下り切って、少年は青年と対峙する。
「野辺山さんから聴いたんだ?」
「はい」
「ふうん」
「彼女、ピアノに良い思い出無いみたいで、辛いって良く言ってます。頼まれたけど断りたいって」
古めかしいアンティーク調のテーブルは指で叩くとコツコツ良い音が出る。しばらく考え込むように焦らすように、月城はリズムを刻むテーブルを見ていた。
「いいよ。断っても。でもいいのかな? 君がそんなことして」
「どういう意味ですか?」
「野辺山さん、くるよ。必ず」
音が止まる。月城は視線を上げる。
「嘘、ばれちゃうよ」
木佐の視線はぶれない。
「君は知らないかもしれないけど、嫌で嫌でしょうがなくても離れられないものもあるんだよ」
テーブルに軽く腰掛け、木佐の目を射抜く。
「それを奪っちゃ行けない。君が奪おうとしても無駄なんだ」
「彼女がそれで泣いて悲しんでも?」
「フォローは君の役目だろ。彼氏さん?」
木佐は冷たい視線で、月城はそれを悠然と受け止める。
「木佐です。木佐西都」
「木佐くんだね。よろしく」
「よろしく。月城雄策さん。百合をよろしくおねがいします」
「まかせて」腕を組んで手をかるく振る。
ぎり、少年は俯いて歯を噛む。
くるっと踵を返して階段を少年はのぼる。
地下室は静かになる。
バイオリンの音が聞こえ始める。
「どうかな?」
運指はオッケー、つっかえたのは1回だけ、強弱も大丈夫だと思う。
「うん、前に聴いたのより、良いと思うよ」
「でも、なんか前のほうがのびのびしてたというか、固くなった様な」
「正確な感じでいいんじゃない?」
「全然だめだね!百合ちゃん♥」
うおーーー、きさああ!
分かってるけどさ分かってるけど、そんなはっきりいわんくても!
「う〜〜〜」鍵盤につっぷす。
「百合、根詰めない」
「はげるよ、百合」
「百合ちゃん、尼さんになれるね」
「木佐あああ」
なんなんだよ。
「ちょっと、木佐、からかい過ぎ。ああ〜百合、よしよし」
「りおな〜〜」
腕っ節の強い癒しの女神にすがりつく。
慰めてもらっている場合じゃないな。
どうにかしないと。
ブランクありまくりでスランプとか言ってる場合じゃない。
「ごめんなさいっ。もっと上手にできるようになってから来るつもりだったんですけど」
来て良いよ♬と言われた曜日に早速行った。待たせっ放しで申し訳ない。頭下げまくり。
「なんか、全然思った通りにいかなくて。どうしたらいいのかも全然わかんなくてですね!」
もう、今の状態で判断してもらうしか!!
「彼氏は一緒じゃないの?」
「へ?」
「コンサートに一緒に来てたの、そうだろ?」
月城さんが不思議そうな顔している。
「ええ、まあ」
木佐は・・・
「委員会があって。わたしは部活でお互いどのくらい時間が掛かるか分からないから、今日は別に」
「そう」
「なんでですか?」
月城さんは笑って、
「夜に、他の男とあってるなんて。悪いかなって思ってね」
「ええ〜? 問題ないですよ。別に」
他の男って言ったって、相手は大人だし、
「わたしは一緒に弾くだけだし、わたしはこどもだし、あはは」
「じゃあ、さっそく弾いてもらおうか」
うお!? 来たああああ
おそるおそるグランドピアノの前に。
「癖があるかもしれないから、軽く鳴らしてくれていいよ」
ポーーーーーン
鍵盤はちょっと重いかな。でも、行ける。譜面並べて、
「良いですか?」
「どうぞ」
えい!!
「固いね」
「うん固い」
「ガチガチ」
ですよねーーー・・・はああ。
「ピアノだけだからね」
月城さんが立ち上がる。
バイオリンを構えて、
「聴きながら弾いて」
え?
月城さんがゆっくり弓を引く。
すーっと水平線の向こうへ、雲を引きながら鳥がとんでいく。
そう、こんな感じ。
気付くと、月城さんははじめのフレーズを繰り返し弾いている。ということは、
ここだあ!
半テンポ遅れたけど、無理矢理合わせる。必死でついていく。
こう、すっとすーっと、鳥が・・・・
「いいんじゃない」
「そうそう」
風見さんと内藤さんがなんか言ってる。
月城さんはそのまま次のフレーズに入る。ついていく。
そのままそのまま・・・・
最後まで弾き切ってしまった。
「分かった? イメージ」月城さんに肩をポンと叩かれた。
「は、はい」
ドキドキが止まらない。
やばい。
「すごいな、いきなり月城についてくなんて」
「月城の目は確かだったな」
いや、もういっぱいいっぱい。
「じゃあ、皆でやろうか」月城さん
えええ。
「え、いや、あの、もう」
「感覚を思えているうちにもう一回。これ基本!」風見さん
「月城とだけなんて酷いな。オレも混ぜてくれよ」内藤さん
「いえ、そんな」
風見さん、内藤さんも立ち位置にスタンバイ。
「はい、はじめっから行くよ」月城さん
もう、頭ん中まっしろ!!
「百合ちゃん。どうしたの。寝不足?」
「うん、眠れなくて」
あの後、3回合わせて、ライブ始まるからって、わたしも家に帰らないとで帰って、ご飯食べたけど、あんまり入らなくって、お風呂入って、布団入って、ゴロゴロして、全然眠くならなくて・・・
朝方やっと寝れて
今、眠い・・・・。
あれで、良かったのかな?
「百合ちゃん、根詰めないで、体壊しちゃうよ」
この間と変わって、気遣う言葉。
そんなに体調悪そうかな?
「ううん、ピアノは大丈夫なんだ。ただ、興奮したというか」
「興奮?」
「いや、なんでもない」
下手なこというとまた、からかわれそう。
机に突っ伏す。
「百合ちゃん。なんか、僕に・・・」
「百合、大丈夫。保健室行く?」里緒菜が黙ってみていられないって感じで声を掛けて来た。
里緒菜は保健委員。「ありがと、でも大丈夫。授業始まるまで寝てる」
「そう、大変だったら言いな」
「うん」
寝た。
昼休みに木佐たちに聞いて貰って、週一でオブソールに通って、どうにかこうにか。
今日も合わせ。
「いいんじゃない?」
「うん,ハーモニーになってるね」
でも、あいかわらず、いっぱいいっぱい。
「そ・・・ですか?」
自信ありますなんて、天地がひっくり返っても言えないわ。
「どうよ。月城?」
内藤さんが月城さんに投げかける。
テーブルに軽く腰掛けて、手を顎にかけて、考え込んでる。
腕が悪くてごめんなさーいい。
「いこっか。これで」
え?
閃いたって感じで顔を上げた。
いこっかって。
何を?
「ライブ」
はうお!?
「了解。風見!」内藤さん
「ああ、桑原さんに次の空き予定、打診するわ」風見さん
「おう、よろしく」内藤さん
ら、らいぶ。
「ちょっと、待って!」
一斉こっちを向かれた。またおっきなこえでちゃった。
「ライブって、わたしまだ此れ練習中だし、これ一曲しかまだ」
きょとっとした顔の皆さん。
「ライブはじめてでしょ? 何曲も持たないって。トリにやるからこれ」
「そうそう、のべっちは1曲だけでいいんだよ?」
のべっちって内藤さん・・・。
「トリ・・・って」ラストの、終わりの曲ってこと?
「これ、鳥の曲だから、トリ」
ダジャレですかああああ?!
「オレたちと弾きたいから、やってきたんだろ。腹くくれよ」
月城さん・・・
「やったもん勝ちだよ」
「来週、日時教えるから、来ないと酷いよ」
嘘・・・ライブ・・・
「待ってるよ」
頭真っ白アゲイン・・・
「逃げちゃえば?」
木佐?
「やなんでしょ?」
「いやっていうか・・・」
「百合ちゃん、本当は辛いんじゃないの。百合ちゃんが泣くのは嫌だよ」
月城さんに会ったことがあるのは木佐だけだし、月城さんに言われたこともあって、木佐にライブのことを相談した。
「何で僕に黙ってたの?」
「ごめん。なんだか言えなくて」
「あれさ、百合ちゃんのことでしょ? ピアノのともだちってさ」
あは、ばれてる。
「うん」
「コンクールだめだったんでしょ?」
「うん」
「辛いから苦しいから、やめたんでしょ?」
「うん」
「百合ちゃん。もう傷つかなくていいんだよ。百合ちゃんいま、ピアノじゃなくて陸上やってるって言うのは、そういうことなんじゃないのかなあ?」
「そうかな?」
「そうだよ」
そうなのかな?
木佐が軽く手を握って来た。
帰り道見ている人がいるかもしれないのに
なぜだか振りほどく気にはなれなかった。