□第八話□ かくれんぼ
「殿下、登城する日取りが決まりました」
ルシオが手元にある書状に目をおろしながら、はっきりと告げる。
ティナはつばを飲み込み、手をぎゅっと握り込んだ。
「そうか。いつ、ここを出発する?」
震えそうになる声を抑え、窓の外を見下ろす。
雪はすっかり消え、あちこちに美しい緑が見え隠れしている。山の方では春の鳥が、求愛の歌をさえずっていた。
「三日後には出発いたします」
具体的な日数で示され、言葉に詰まる。
「陛下の許可が下りれば、殿下は王太子として、王城に部屋を与えられることとなります。
ここに戻ってくることも、そうそうないでしょう」
国王と宰相。この二名に目通りするのが、最後の試験となる。
立ちすくんでいると、柔らかい声が二人の間に割って入ってきた。
「左様でございますか。では、最後の夜にはささやかながらパーティを行いましょう。
両殿下の門出を祝し、皆で腕を奮います故」
リヒトはごく自然にティナをイスに座らせると、お茶の用意を始める。
殆ど、音と言う音を立てることなく、老人がカップやお皿を並べていく。コック長が作ってくれたスフレが、皿の上からティナを熱烈に誘っていた。
自然とわいてでたつばを飲み込んでいると、ルシオが軽蔑するような目で見つめてくる。
唇をとがらせると、リヒトが笑った。
「ルシオ様もどうぞ。お好きだったではないですか。レスリー様のお皿から半分奪うくらいには」
「なっ、リヒト!」
リヒトはのどの奥で笑いながら、ルシオの分もお茶を用意する。
「何だ。随分子供っぽいことをするんだね」
ティナが早速スフレにフォークを刺しながら言うと、ルシオはそっぽを向いてぼそっと答えた。
「子供の時の話だ」
「ふぅん」
生クリームをたっぷりとつけて頬張る。ほのかな酸味と共に、口の中にすっと溶けていった。
まるで春先の雪のようだ。
ご満悦で口に運んでいると、あっという間になくなった。
ふと、視線の先に、まだ手つかずのスフレを見つける。
ティナはにんまりと笑った。
「もう大人になったルシオには、これは甘すぎるだろうね。仕方ない、俺がもらおう」
皿に手をかけると、それまでそっぽを向いていたルシオが慌てたように、皿を引き留める。
「これは僕の分だ! 意地汚いぞ!」
「俺の門出を祝して、プレゼントってことでいいよ。親愛なる兄さん」
「マナーというものをまだ理解していないようだな。いいか、人のものをとるな。君は意地汚い上に物覚えも悪いバカなのか?」
嫌みをこぼしながら、自分の皿を持ち上げ、ティナから遠ざける。
その様が余りにも子供っぽくて、ティナは吹き出した。ルシオの白い頬が赤く染まる。
ますます笑いが止まらなくなる。
そんな二人の様を、リヒトは少し離れたところから、目を細めて眺めていた。
「リヒト、話がある」
和やかなお茶の時間が終わり食器を下げているところで、声をかけられた。
振り返ると、他の部屋へ移動したはずのレスリーが立っていた。
黒髪を揺らして小首を傾げる様は以前にはなかった「癖」だが、笑顔はレスリーのままだ。
リヒトは恭しく体を折った。
「何でございましょう、殿下」
「ちょっと耳を貸してくれ」
にやりと笑う様は、以前のまま。やんちゃな少年のままだ。
だが、耳元にかかる息はほのかに甘い。もう、違和感も感じなくなったが、「以前」とは明確に異なっている。
そのことが、リヒトの胸を僅かに軋ませる。
「根回し、頼めるかな?」
「……かしこまりました。仰せの通りに」
「……迷惑じゃない?」
垣間見せる自信のない表情も、かつてとは違う。
リヒトは苦笑した。
「迷惑などと、とんでもないことでございます。皆、喜びます。宮の最低限の警備と、給仕を残すことにはなりますが」
「無理強いはするなよ。希望者のみ、だ。強制参加はただ一人」
「ルシオ様でございますね?」
共犯者っぽい笑みで答えると、レスリーは嬉しそうに笑った。
同じ色、同じ顔を持ちながら、昔からレスリーが笑うと周りが華やいだ。離宮の誰もがレスリーを愛した。
月のようなルシオと、太陽のようなレスリー。
「そう、ルシオには内緒だ」
人差し指を立て目を細める姿は、どこか艶っぽく、太陽とはまた違う華やかさを持っていた。
「仰せのままに」
目の前にいる三人目の王子にリヒトは恭しく頭を下げた。
慌ただしく出発の準備が進められる。
ティナ自身の持ち物は殆どないが、レスリーとしての持ち物は大量にあった。
だが、残していくもの、持って行かねばならないものなど区別が付くはずもなく、すべてをリヒトとルシオに任せっきりだ。
必然的に、ルシオは二人分の荷造りの陣頭指揮を執ることになり、とても多忙になる。
一方、暇を持て余したティナは、離宮とその庭園の中をぶらぶらと歩き回っていた。
池に架かる橋で一度立ち止まり、レスリーが倒れていたとおぼしき岸辺を見つめる。
枯れて地面に倒れ臥した黄色い葉の間から、若々しい緑の芽が顔をのぞかせていた。
同じ花を咲かせるのだろうな、と意味もなく考える。
去年とは違う、「同じ花」。
ティナは空を見上げた。
上空で春告げ鳥が旋回している。空気は緩み、日差しは温かい。
時というものが、これほど早く進みゆくものだと、ティナは知らなかった。
孤児院での時間は、狂おしいほどにゆっくりと進んだ。その日が、永遠にこないのではないか、と錯覚するくらい。
それが今や、時間は足りないほど。
「……このまま、止まればいいのに……」
唇からこぼれた言葉に、ティナは苦笑した。
「今」と言う時間が、とても「幸せ」であったことに、気づいたからだ。
胸一杯に春の空気を吸い込む。
「今」の「幸せ」。そして、「明日」からの「不安」。
深く深く、体中に空気を詰め込むように、呼吸を繰り返す。
「おい! バカ!」
唐突な暴言にも驚かなくなった。
ティナはうんざりした顔で、橋のたもとを見やる。
そこにはルシオが顔を真っ赤にして、握り拳を震わせていた。
「ご挨拶だな。もっと春の雰囲気を壊さない優雅な挨拶を……」
「一人になるな! 何度言ってもわからないなんて、底抜けのバカだ!」
離宮中を探し回ったのだろうか。吐く息は荒く、肩で息をしている状態だ。
ティナはうっかり笑い出してしまう。
先ほどの、切ないほどの多幸感が、胸一杯の喜びになって広がった気がした。
一方、ルシオは身を折って笑い出したティナを、呆然と見上げていた。
「君、大丈夫なのか? 空気が緩んだからって、君の頭の中まで緩んだんじゃないだろうな。頼むから、これまでの僕の努力の成果を忘れてしまったりしないでくれよ」
「忘れないよ、大丈夫。これは……単に……えぇと……」
胸に浮かんだ言葉を、素直にルシオに伝えるのが癪で言いよどむ。
ルシオは軽蔑しきった眼差しのまま、ティナのそばまで歩み寄り、がっちりとその手首を握ってきた。
「語彙数の少ないバカの説明に付き合ってる暇はないんだ。頼むから、部屋でおとなしくしていてくれ」
温かい手はきつすぎず、かといって緩すぎず、ティナの手首を握りしめる。
その手が少し震えていたから、ティナはそれ以上何も言わず、ルシオに引かれるまま、自室に向かった。
午後のお茶の時間。
ティナは大広間の階段上で、グラスを片手に、大勢の人々を前にしていた。
踊り場に立つティナの横には、澄まし顔のルシオ。
そのさらに後ろにリヒト。
空いている方の手で一度ペンダントを握りしめ、深呼吸した。
大丈夫、見知った顔ばかりだ……と自分に言い聞かせる。
事実、広間に集まっているのは知った顔、つまりこの離宮に勤める大勢の人々だった。
「皆、集まってくれてありがとう。明日、俺達はこの離宮を出て、王城に行くことになる。
世話になった皆に、いや、心配をかけた皆に礼を言いたくて、この場を設けさせてもらった」
震える足を叱咤し、何とか声は震えないように気をつけ、広間に響くように声を張り上げる。
ティナにはわからないが、この声だってペンダントのおかげで「レスリーの声」として皆に届いているはずなのだ。
無様なまねは出来ない。
集まってくれた皆の顔を見るようなゆとりはなく、見ているフリをしつつ視線を滑らせる。
「王宮から疎まれ、栄達からも遠ざかった、と言われたこの離宮に、皆、よく尽くしてくれた」
ルシオが作ってくれた原稿を暗記し、ゆったりと、急ぎすぎずに皆に語りかける。
不遇の双子王子を温かく見守ってくれた人々への感謝の念と、この離宮を離れる寂しさ、そして彼らのおかげでつかみ取った栄達について。
ティナが語るに連れ、年配の者の目には涙が浮かび、年若いものは誇らしさに顔をほころばせる。
誰もが、レスリーを愛している。期待している。
それが嬉しくもあり、切なくもあった。
ティナは最後に、ルシオを視線の先に据える。
「俺達はこれからも、この離宮で得た優しさを糧に生きていこう。
俺達がこれまで二人でここに有り、ここを旅立つ時もまた二人であったことを嬉しく思う。
二人分の感謝を皆に!」
高くグラスを掲げると、眼下の全員が歓声を上げ、同じようにグラスを上げる。
あちこちでグラスの奏でる澄んだ音が聞こえた。
ティナも振り返り、苦い顔のルシオとグラスを合わせる。
「随分と余裕があるんだな。アドリブを入れてくるとは、良い度胸だ」
「素直な気持ちを言葉にしてみた」
楽しそうな家人達を見下ろしながら、果実酒を口に含む。ルシオもまた、家人達を見ていた。
「大変よい演説でございました」
いつの間にかそばにいたリヒトも一緒になって微笑んでいる。
ティナはリヒトともグラスを合わせ、耳に涼しい音を楽しんだ。そして、ルシオの視線が自分にないことを確認し、リヒトに目で尋ねる。
老執事は目を細めて、微かに頷いた。
用意が調った。
ティナは大きく頷いて、グラスをリヒトに返す。
急ににこやかになったティナに、ルシオは不穏なものを感じたのだろう、訝しげに睨みつけてくる。
その視線がまた、気持ちいい。
今のティナは、ルシオを出し抜いた快感でいっぱいだ。先ほどの演説で感じていた緊張もどこかに行ってしまっている。
ティナは、舞台上の役者のように、大仰に腕を振って皆の注目を集める。
リヒトは大きめの呼び鈴をカラン、と鳴らし、広間はその一瞬で静まりかえった。
ルシオが驚きのあまり、ぎょっとしている。
「皆、祭りの時間だ! 用意はできているか?」
ティナは大声を張り上げた。
応、と言う返事が広間全体を揺るがせる。
「制限時間は夕刻の鐘がなるまで! 賞品は金貨十枚と年代物の果実酒! リヒトにあわせて百、数えるように!」
ルシオは表情を失って、ティナとその後ろに立つリヒトを見比べていた。
いつもティナをバカにする少年が茫然自失している。
ティナは満足のあまり、満面の笑みを浮かべた。
「チームでもいい、個人でもいい。事前に出してあった参加申し込みさえしていれば、どういう風にしてもいい!
この本館の中限定!
夕刻までに俺達を捕まえれば勝ちだ!」
わぁっと場が沸いた。
ティナはリヒトにウィンクして見せ、まだ立ち直れないでいるルシオの腕をつかむ。
「ご武運を。此度は私も敵となります故、勝利は祈りません」
リヒトが不適に笑う。老執事が背中をしゃんとのばしそんな風に言うと、驚くほどダンディだ。
若いときはかなりもてたんじゃなかろうか、と不意に思う。
佇まいも、仕草も、よくよくみると訓練された兵士のようだ。
実は一番の強敵はこのリヒトなのではないか、と思いつき、ティナはルシオの手を引き寄せる。
「二人いれば大丈夫だから! リヒトにだって負けないんだからな!」
「ちょ、おい、コラ!」
バランスを崩したルシオを抱き留めて支え、間近にある少年をのぞき込む。
「行くぞ、ルシオ! まずは、逃げるんだ!」
「後で覚えてろよ、バカ! 僕が参戦する以上、負けは許さない!」
「それでこそ、俺のルシオだ」
二人は揃って階段を盛大に駆け上った。
「見つけたか?」
「いや、まだだ」
「どうするの? バラバラに探してても、全然見つからないわ」
「殿下達ほど、この離宮を知り尽くしている人はいないだろうよ。あぁあ、負けかな」
頭を寄せ合って相談する一団に、壮年の男が一人、歩み寄る。
「ここなら暫くは見つからないかな」
厨房の奥にある倉庫には、たくさんのワゴンが仕舞われている。
その中の一角に、ティナとルシオは身を隠していた。
「そろそろ理由を教えてもらおうか」
倉庫には二つの出入り口がある。片方を押さえられても、もう片方から逃げられる寸法だ。
厨房に面している方の出入り口を油断なく見やりながら、ルシオが押し殺した声で呟く。ティナは肩をすくめた。
「レスリーが……いや、俺が倒れてから、離宮は火が消えたように静かだったってリヒトが言ってた。
ここは余興も少なく、双子がする悪戯だけが、皆の楽しみだったって。
……だから、最後に皆にちょっとした恩返しを、ね」
実際、レスリーがする悪戯は、皆を驚かせつつも笑顔にしていた、と聞いて、ティナには閉じこめられた王子の悪戯好きの真相に触れた気がした。
同時に、悔しくもあった。
今のレスリーであるティナは、皆を笑顔にできているのだろうか、と。
ティナは、この離宮にいる人たちが大好きになっていた。皆、温かい笑みを浮かべ、気遣ってくれる。
そんな中、追憶のレスリーだけが愛されているのは、妬ましいことだった。
盛大な悪戯を仕掛けて、皆の心の中に、ティナも一緒に住まわせてほしかった。
ついでに言うと、実はティナは、かくれんぼや鬼ごっこを一回も遊んだことがない。遊びの輪に入れてもらったことがないのだ。
皆の心の片隅にひょっこり住まわせてもらいつつ、自分の願望を叶える。さらにルシオの鼻をあかす。
いくつものお得感がある今回の作戦は、リヒトの協力なくては語れないものであった。
「恩返しねぇ」
ルシオが嫌そうに呟いた直後、厨房とは反対側、地下貯蔵庫と水場につながる出入り口が大きな音を立てて開けられた。
驚きすぎて、ティナが近くのワゴンを倒してしまう。
「見つけたぞ!」
入ってきた複数名が大きな声を出した。
舌打ちして、ルシオがティナの手を引き、厨房に向かって走り出す。
厨房に入ったところで、廊下に出る扉に人の気配を察知した。
ルシオは、ティナの手を強引に引っ張って、ワゴンごと二階に運ぶための手動エレベーターに入り込む。
本来はこれは、二階にいる人物が紐を引き下ろし、ワゴンの乗った箱を引き上げると言う代物だ。当然、エレベーターの中からこの箱を上げることはできない。
どうするのかと見ていると、入ったままになっていたワゴンを台に、ルシオは天井の板を外してしまう。
「こっちだ!」
天井の上に上がり込んだルシオが伸ばした手を掴むと、意外に力強く引き上げられた。
時折突きつけられる男女の違いに、どうにも胸が鳴る。
うるさい鼓動を押さえつけていると、ルシオが人差し指を唇の前にかざし、そっと立ち上がった。それにならって、ティナも立ち上がる。
天井にあがってしまうと、二階の床は目の高さくらいの場所にあり、そこにあった扉を二人で両脇にスライドさせる。
「いないぞ?」
厨房に入ってきた人たちのいぶかしむ声が聞こえた。
時間はないらしい。
再びルシオが先に行くかと思われたが、ルシオは驚くティナを抱き上げ、上に押しやる。
ティナは何とか二階の床に乗り上げ、ルシオに手をさしのべた。
「おい、こっちのエレベーター、天井が外されて……あ、殿下!」
男の手が伸びる前に、ティナの手を取ったルシオが二階に飛び上がる。
「二人とも二階だ!」
「行くぞ!」
人が集まってくる気配がして、ルシオはまたティナを連れて走り出した。
その後も、二人は、あっちだ、こっちだ、と人に追い回され、走り続ける。
「なんか皆、勘が良くなったみたいだ。随分早くに見つかるね」
息を切らせながらティナが言うと、ルシオは窓から外を見つつ、鼻を鳴らした。
「皆、結託している。多分、リヒトが陣頭指揮を執ってる」
「えぇ! そんなことしたら、皆で金貨十枚を分けることになるよ。分け前、減っちゃう」
「逃げ切られるよりはまし、ってことだろう」
ルシオが外を示すと、日がだいぶん落ちてきていた。
夕刻の鐘が鳴るのにそれほど時間はかからないだろう。
「リヒトはおそらく、僕たちを誘導している。逃げる方向を限定しているんだ」
「そんなことできるの?」
「僕は追い詰められるのを嫌って、常に複数の出入り口がある場所に隠れてきた。その場合、全部の出入り口を一気にふさぐのではなく、任意の一カ所のみ無防備にして、他に複数名を殺到させるんだ。
そうすれば、リヒトの望んだルートを通って逃げることになる」
「なるほど~」
感心していると、また追っ手が現れる。言われてみれば確かに、四つある出入り口のうち、二方を塞がれた。
残り二方は同じ廊下に続いているから、実質、逃げ口は一カ所に等しい。
廊下に飛び出たところで、誰かにぶつかる。
ティナは何とか踏みとどまったが、倒れてしまった人物は強かに腰を打ったようだ。
「あ、あいたたた……」
その声に、倒れた人物が誰なのかを知り、ティナは思わず歩みを止めた。
「セリス、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ、殿下。ちょっと転げただけで」
立ち上がろうとした老メイドは、中腰になっただけでまた、座り込んでしまう。
「だ、大丈夫なのか? ほら、手に掴まって」
ティナが手を差し出すと、セリスはにんまりと笑った。
「さすがレスリー様。昔から優しい悪戯っ子でしたわね」
思いの外、力強くがっちりと掴まれる。
ティナは罠にはまったことを悟った。
「ルシオ、罠だ! 君だけでも逃げろ!」
あきれた顔のルシオに、悲壮な覚悟で叫ぶ。
だが、ルシオはすたすたと二人に歩み寄り、今まさに皆を呼ぼうとしていた老女の前に、ポケットから何かを取り出して見せた。
「ひぇぇぇぇぇ!」
鋭い悲鳴と共に、セリスの手がティナからはずれる。
ぎょっとしてルシオの手の中をのぞき込むと、そこには緑色の小さな蛇がとぐろを巻いていた。
「何でそんなものをポケットに!」
ティナも驚いて叫ぶが、ルシオはかまわずにティナをつかんで走り出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 蛇って、王子様は常備しているものなの?」
息も絶え絶えになりながら問うと、ルシオは蛇をまたポケットに仕舞う。
「レスリーからの誕生日プレゼントだ。おもちゃだよ。
……荷造りの時に見つけて、捨てようかどうしようか迷って、ポケットに入れたままだった」
王子から王子に渡される誕生日プレゼントが、精巧な蛇のおもちゃ。
衝撃の事実に愕然としている間に、今度はキャシーが立ちふさがる。
「レスリー様、わた、私に、掴まってくださいぃぃ!」
目を閉じて突っ込んで来るものだから、よけるのは簡単だ。
だが、よけてしまえば、キャシーは壁に勢いよくぶつかることだろう。
「バカ! 放っておけ!」
「無理!」
目でルシオに謝罪を伝えつつ、華奢なキャシーを抱き留める。
キャシーは感激に目を潤ませつつも、ティナの腰をがっちりホールド。
孤児院でもそうだったが、少女というのは夢見がちでいつつ、必ず現実もしっかり見据えているものだ。痛感しつつも、後悔はしない。
直向きな愛情を向けられて、それを無視することはティナには難しい。
「ゴメン、ルシオ。一人で逃げて」
キャシーの頭をぽんぽん撫でながら、悄げるティナに、ルシオは皮肉に笑うだけで逃げようとしない。
「こんなバカげたことに一人で真剣になってたら、まるで僕がこんなバカげたことをやりたかったみたいじゃないか。
僕達二人の弱点は常に君だよ、レスリー。
リヒトはよくわかってる」
「では、私たちの勝ち、ということで」
いつの間にきたのか、それとも、ここが誘導されてきた到達点だったのか。
リヒトがお茶の用意をしながら待っていた。
「のどが渇きましたでしょう? 夕餉の前の一杯をどうぞ」
その直後、夕刻の鐘が鳴らされた。