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王子殿下は従者様  作者: 東風
第二章 春遠からじ
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□第七話□ 火と油

 ベルデン伯は予想外に話術巧みな男だった。

 王都の流行りものから、他国の国情までを、飽きさせずに聞かせる。

 ティナも面白くなっていろいろ質問するものだから、ベルデン伯の口はますます滑らかになった。

 ルシオは従者として、ティナの一歩後ろに立って控える。

 特に何も言葉を挟んでこないところを見ると、今のところ、ティナの言動に注意すべき点はない、ということなのだろう。

 マナーも完璧。

 敵と言われたベルデン伯の好意的な態度にも後押しされ、レスリーとしての成果に手応えを感じる。

 「随分、日が傾いて参りましたな。長居をしてしまったようで、大変申し訳ない」

 中庭に面したテラスにも、そっと冷たい風が吹き始めていた。

 気持ちが高揚しているせいか、風を心地よく感じる。

 「殿下とのお話が大変楽しく、時が経つのを忘れてしまいました」

 立ち上がったベルデン伯は、空を仰ぎ見て言う。

 ティナも会わせて立ち上がった。

 「いや、俺こそ、初めて聞く話もあれば、懐かしい話もあって……。祭りの影絵など、あんなに退屈なものをこれほど楽しそうに説明されると、もう一度見たくなって仕方ない」


 祭りで出される影絵は、大体が聖書を題材にとっている。大がかりな影絵になると、舞台を設置し、専門の興行師が様々な仕掛けを駆使して行うという。

 だが、ティナが知っている影絵は、小さな木枠の中で、たった一人の流浪の民が行うものだ。

 幼い頃は飽かずに眺めていたが、大きくなってくると、同じ話ばかりが続いて、とてもおとなしく見ていられなかった。

 聖女が祈り、その命を神に捧げ、神から英雄が遣わされる。英雄は、炎や水、風を操り、悪鬼のような敵軍を一掃し、平和をとり戻す。

 同じ力が自分にもあったなんて……。


 「退屈になるほど、何度もご覧になられましたので?」

 ベルデン伯が問う。

 記憶に沈み込んでいたティナは、深く考えずに頷いた。

 「そりゃぁ、なん……」

 「レスリー殿下、お時間です」

 ルシオがぴしゃりと割ってはいる。

 「伯、我らが幼き頃、お忍びでバーナビーに出ていたことは他言無用に願います。三人だけの秘密、ということで」

 「あ、あぁ。ルシオ殿がそう仰られるなら。そうですな。両王子殿下の秘密、しっかりお守りいたしましょう。

 三人の秘密、とは、……何とも艶めいて甘美だ」

 ベルデン伯はふくよかな頬で目が隠れるほど微笑んで、もったいぶって頷いた。

 蒼白になっていたティナは、辛うじて、ぎこちない笑みを返す。

 「すまない、ルシオ。ベルデン伯も」

 ルシオはティナを振り返らず、近くのベルを鳴らした。

 「殿下、顔色が優れないようですぞ」

 いつの間にか間近にいたベルデン伯が、ティナの顔をのぞき込んでくる。

 ふくよかな手が伸びてティナに触れようとした。


 その手を払うべきか、とっさに迷う。

 ルシオの言ったとおりだった。そう言う状況を作ってはダメなのだ。

 触れれば、わかる。わかってしまう。

 もう、遅い。


 「ベルデン伯、殿下は長く臥せってらして、まだ体力が十分とは言えません。

 殿下を速やかに休ませて差し上げてください」


 いつの間にかしっかりと閉じていた目をそっと開くと、目前に黒い後頭部がある。

 その向こうに、ベルデン伯の体があった。


 「確かに、確かに。私はすぐにも退散することといたしましょう。

 殿下がまた賦せられでもして、それがベルデンの長話のせいだ、などと言われてはたまりませんからな」

 礼をしたベルデンの姿は、ルシオに遮られて見えない。

 ティナは立っているのがやっとで、返事もままならない。

 リヒトとルシオが伯を部屋から連れ出すと、糸の切れた人形のように床に座り込んだ。


 ベルデン伯を見送ったルシオは、常にない早足で廊下を歩いていた。

 「ルシオ様、レスリー様に何か?」

 リヒトが問いかけるのも無視する。

 猛烈に腹が立っていたのだ。

 危ないところだった。

 あのまま、会話を続けていれば、どこまで話したことか!

 今日のティナが妙に浮ついているのは気付いていた。どこかでしっかり手綱を締め直さなければ、と思っていたのも確かだ。

 だが、それが危うく致命傷になるところだったのだ。

 「ルシオ様!」

 「うるさいぞ、リヒト!」

 正面に回り込み、ルシオの進路を妨害する老人に、ルシオは怒鳴った。

 「怒っておいでですか?」

 「あぁ、当たり前だろう。よもやこんな簡単なところでボロを出すなんて!」

 リヒトを脇に追いやろうとするが、老人はびくともしない。

 返って、ルシオを正面から睨みつけてくる。

 「何を怒っているのですか?」

 「わからないのか? あいつが……」

 「そばにつき従い、主を守る。それがあなたの役割では?」

 「だからっ!」

 「レスリー様がミスをしたのなら、それはあなたのミスです。

 ……あなたは、何に対して怒っているのですか?」

 リヒトに両肩を掴まれる。

 ルシオは瞬きを繰り返した。リヒトの手が、痛いほど肩に食い込んでいた。

 途端に、燃え上がっていた感情が沈静化する。

 「私は一つ、言い間違いをしていました」

 「言い間違い?」

 脈絡なく話が変わって、ルシオは面食らう。

 その様を面白そうにリヒトは笑い、少年の肩から手をはずした。

 「私は、ルシオ様とレスリー様は、水と油だ、と申しました」

 「交わらない、全く違うもの、と言うことだろう?」

 リヒトは悪戯っぽく笑い、首を振る。

 「そこが間違いだったのですよ。

 今のレスリー様は水ではない。火です。

 だから、レスリー様とあなたは火と油なのです。レスリー様を燃え上がらせ、押さえを利かなくしたのは、あなたなのですよ、ルシオ様」

 背の高い老人は厳しい顔でルシオを見下ろしていた。

 「あの方は、あなたではない。今までのレスリー様でもない。

 もっと、あの方ご自身をご覧になってください」

 穏やかな言い方にも関わらず、ルシオはむち打たれたような衝撃を感じ、リヒトから視線をはずす。

 リヒトは少年の肩を掴み直すと、くるりと向きを変えてやり、その背を軽く押す。前へ、レスリーの待つ部屋へ向かうように。


 ルシオはのろのろと足を進め、テラスのある部屋へと向かった。

 リヒトはついてこない。「あの」レスリーに、一人で向き合え、と言うことなのだろう。

 冷静になって考えてみると、自分の言葉が自分に突き刺さった。

 「そう言う状況にならないように、頭を働かせろ、か」

 確かに、リヒトの指摘通りだ。従者としてそばにいたルシオこそが、あの会話の流れを変えるべきであったのだ。

 そのために、ルシオがいるのだから。

 だとすれば、先ほどの怒りはルシオ自身に向くべきものだ。

 反省を促すことは必要だが、そこに怒りは必要ない。あの少女に向けられるものでもない。

 気付いてしまった自分の未熟さに苛立ちを抱え、ルシオはおざなりなノックをして、返事を待たずに開けた。

 「先ほどだが……おい! 大丈夫か!」

 話し出そうとして、床に倒れているティナを見つける。

 辺りに人の気配はない。

 慌てて駆け寄り抱き上げると、ティナは顔を真っ赤にして、荒い息を吐いていた。

 額に手を当てると、驚くほど熱い。

 「バカか、君は! 具合が悪いなら悪いと……」

 「ルシオ……さっきはゴメン。本当、バカだ、私……」

 「わかったなら、さっさとベッドに入……」

 「殺されちゃうかな」

 「…………何?」

 呼び鈴を鳴らそうとして、手が止まる。

 ルシオは目を見開いて、腕の中の少女を見下ろした。

 「私、失敗したから、……殺されるのかな。やだな……死にたくないよ……」

 少女は潤む焦げ茶色の瞳を、ルシオに合わせる。

 力ない手がルシオの服をつかみ、目尻から透明な滴が、頬を伝ってルシオの胸に落ちた。

 服の上からなのに、とても、熱い。

 ルシオは言い返そうとしたが、何も言葉がでない。ただ、ティナの手をぎゅっと握りしめた。

 同じような体格だと思っていたが、ティナの手は思っていたよりも小さく、すがりつくように、弱々しく握り返してくる。心持ち、少女の表情が緩んだように見えた。

 ティナが気を失ったところで、今度こそルシオは呼び鈴を鳴らし、家人を呼ぶ。

 真っ先に駆けつけたリヒトに寝室の用意を言いつけ、ティナを抱き上げる。

 予想以上に柔らかい感触によろめきかけるのをぐっと堪えた。

 「私がお運びいたしましょうか?」

 指示を出した後、戻ってきたリヒトは心配顔で問いかけてきたが、ルシオは断った。

 「僕の責務だ。かまうな」

 それほど違いがない体格の少女を運ぶのに、かなり腕が震えてしまう。

 結局ルシオは、心配のあまり心臓が止まりそうなリヒトを目にして、横抱きを断念。リヒトに手伝ってもらって背中に負い、ベッドまで運ぶのであった。


 「侍医を呼んで参りますか?」

 「いや……、もう少し様子を見よう。リヒトも席を外してくれ。

 僕が呼ぶまでは、誰もこの部屋に入れてはならない」

 「……後ほど、ルシオ様のお部屋に食事と氷をお持ちいたします」

 リヒトは心配そうな一瞥をベッドに向け、深く腰を折って出て行った。

 足音が遠ざかり、ルシオの部屋の扉が閉じる音も確認する。

 しんと静まった部屋には、ティナの荒い呼吸だけが響いていた。

 誰の気配も近くにないことを確認し、ルシオはベッドに近づいた。

 亜麻色の髪は汗に塗れて額や頬に張り付き、眉間には深いしわが寄っている。

 ルシオは自分の胸ポケットからハンカチを取り出すと、ティナの額や頬をそっと拭った。

 続いて、詰め襟のボタンをはずし、喉元を露わにする。盛んに上下する白い胸元に息をのみ、視線をはずした。

 震える指先を、細い首に沿わせる。見ることに罪悪感を覚えてしまったから、指先で探るしかない。

 熱い肌に触れるか触れないかで指を沿わせ、それ、を見つけた。

 そっと奥から引っ張り出し、ルシオはほっと息をついた。


 体中が熱い。

 風邪を引いているのだと、頭のどこかで理解する。

 同時に、死が身近にいることにも気付く。

 もうすぐ春なのに……。

 涙がこぼれて頬をぬらした。

 昔から、冬は嫌いだ。特に、熱で火照った体を抱えて、一人で眠る冬が……。

 冬を越せない子は大勢いた。

 多くは体力がない、幼い子供達だ。

 他の子にうつると大変だということで、体調を崩した子はいつも屋根裏に隔離される。

 ティナも、体調を崩す度に屋根裏に放り込まれた。

 嫌われていたから、シスター達が見に来ることも滅多にない。ベレンも屋根裏に近づかないよう見張られている。

 熱いか寒いかわからない自分を持て余し、薄い布団にひたすらくるまる。

 小さな棺をみる度に、次は自分の番かもしれない、と苦しくなる。

 小さい小さい棺。あれは赤ん坊用の棺だろうか。

 あぁ、泣き声が聞こえる。

 ダメ、その子はまだ生きている。埋めないで。出してあげて。

 棺の蓋を叩いて何とかそれを開く。

 そこにいたのは!

 体を小さく折り畳み、窮屈な棺の中に詰め込まれたティナの姿。

 眠っているようなのに、後頭部がぐしゃぐしゃで。

 悲鳴すら喉を通らず、後ずさる。すると、棺の中のティナの目が開いた。

 茶色い瞳でじっと「こちら」を見る。

 「あなたは何故、そこにいるの? 死ぬんじゃないの? 死んだんじゃないの? こちらに来て? だってここは、あなたの場所だから」

 ティナは首を振り、さらに後ずさる。だが、棺から伸びた手がティナを掴み、じりじりと棺に引き寄せていく。

 「ここはあなたの場所。あなたの棺。さぁ、入れ替わろう。そこは俺の場所だ!」

 間近に寄せられた顔は、いつの間にかいつも見ている顔で、でも表情が違って……。


 「おい、しっかりしろ! ティナ!」

 夢から覚めても同じ顔が目の前にあり、ティナは今度こそ悲鳴を上げた。

 「いやぁ!」

 「落ち着け。ほら、深呼吸をするんだ。大丈夫、大丈夫だ。僕がいる」

 ひんやりした手で頬を挟まれ、俯こうとする顔を強引に上げられる。

 「僕を見るんだ、ティナ。僕は誰だ?」

 強引な手の割に、声はとても優しい。青いはずの瞳は、炎に照らされてオレンジ色に煌めいていた。

 「僕は誰だ?」

 「……ルシオ?」

 「そう、ルシオだ。ティナ、周りが見えるか?」

 「え?」

 ルシオが手を離し、ティナは周囲をゆっくりと見回した。オレンジ色の明かりがあちこちに灯っている。随分と蝋燭の本数が多い、と思ったところで、違うことに気付く。

 宙のあちこちに大小さまざまな火が浮かんでいたのだ。

 「ルシオ、これ!」

 「大丈夫だ。ティナ、心を落ち着けて。元の静かな部屋を思い出すんだ」

 またパニックに陥りそうになったティナの頭を強く胸に抱き、ルシオは小さい子供をあやすように、ティナの背中をぽんぽんと叩く。

 「額の真ん中に力が集まっているのがわかるか? まずはそこに集中して。額に角があると思って、その先を見る、感じる。そんな風に。うん、上手だ。大丈夫。そこまで出来たら、次も出来る。深く深く息を吐いて。

 角が溶けていく。吐く息と一緒に、角がどんどん小さくなる。どんどん、どんどん……」

 不思議なことに、ルシオが触れているところからじんわりと温かさが体に入り込み、額に集っていくようだった。そして、少年の言葉と同時に、ルシオの温かさがティナの炎を溶かしていく。

 周り中に感じていた熱さが、ルシオの言葉と共に消えていく。


 気がつくと、ルシオはティナを抱く腕をゆるめ、顔をのぞき込んでいた。いつになく心配そうな表情に驚く。

 ティナが首を傾げると、ルシオはふるふると首を振って、額をこつんとティナのそれにぶつけてきた。

 「僕が悪かった。……君がそれほどに思い詰めているとは思わなかったんだ」

 「ん? 何の話?」

 伯爵と話している途中辺りからの記憶が曖昧だ。自分が失言したこと、ルシオがフォローしてくれたことは覚えていたが、ベルデン伯を見送ったのが現実だったのか、夢だったのか、判然としない。

 「君は、自分が殺されるのではないか、と怯えていた」

 ルシオの声は囁きのようで、よく耳を傾けなければ聞こえなかった。

 ティナはその元気のない様を不思議に思いつつ、答える。

 「あぁ、そっか。そうだね。……要らなくなったら、捨てられるか、殺されるかの二択だと思ったから」

 おぼろげだが記憶がよみがえり、思わず乾いた笑いを響かせる。こうして元気にベッドの上に座っていると、「殺される」と怯えていたことがバカみたいだった。

 「笑い事じゃないだろう!」

 かなり強い反応が返ってきて面食らう。黙り込んでいると、ルシオは気まずそうにティナから離れ、ベッドから足を下ろした。

 「いや、すまない。僕が怒るようなことじゃない。そう思わせていたのは僕だ」

 「ちょ、ちょっと待って! ルシオが悪い訳じゃないでしょ? ……孤児で生きていくのって、いろいろ覚悟を重ねていくことなんだよ。ちゃんとわかってるから」

 「そういうことじゃないんだ」

 体だけをもう一度ティナに向け、今度はもっと穏やかに言葉を紡ぎ出す。

 いつもは冷たい青い瞳が、何故かとても温かくティナに向けられている。胸がざわめき、いたたまれない。

 「僕は君の従者だ。従者とは、君を助け、ともにあるもの、だ。

 僕は全力で君を助ける。

 僕を頼れ。僕を利用しろ」

 ティナは戸惑い、胸元に手をやる。

 あるはずのペンダントがそこにはない。周囲を見回すと、ベッド脇のサイドボードに置いてあった。

 「君の負担になると思ったから外した」

 視線の意味に気づき、ルシオが説明してくれる。

 すごくすごく、いたたまれない。そわそわしながら、指先で髪を引っ張る。

 「なんか、起きたらすごく優しいとか、ルシオ、変。あ、あれ! 死刑になる前に出される最後の晩餐的な!」

 「バカ」

 勢いよく額を小突かれる。痛い。夢ではないようだ。

 ジト目で見返すと、ルシオは苦笑した。

 「君が精一杯、生きることが出来るように、フォローすることも従者としての僕の役目だ。

 僕らは運命共同体なんだ」

 「ウンメイキョウドウタイ……って何?」

 またバカにされるかと思いつつ、今のルシオながら答えてくれるのかもしれない、と思って問いかける。

 ルシオは眉間にしわを寄せ、少し考え込んだ。

 「何というのが一番いいのか……そうだな、共にあり、共に苦難に立ち向かい、……倒れるときは一緒……と言うことかな」

 考えつつ捻りだされた言葉に、うっかり笑ってしまう。

 「いいね、それ。幸せも、不幸も、手を携え、分かち合い、共にあらんことを」

 途端に、ルシオがぎょっとした顔で振り返った。

 「そ、それは、結婚の誓約だろう!」

 「だって、似たようなものでしょ? そっか……ルシオと私は家族になったんだね。知らなかった。血がつながってなくても、結婚しなくても、家族になれるんだ」

 ティナは噛みしめるように呟き、慌てるルシオから離れて、ベッドに倒れ込む。

 その顔は、まだ疲労の色が濃かったものの、どこかこれまでよりも力が抜けて、幸せそうだった。

 だから、だろう。

 ルシオは何も言えなくなる。

 代わりに、引っ張り上げた毛布をティナにかぶせ、ベッドに押さえつけた。

 「ひどい、何するのよ!」

 「いいから、寝ろ。僕の仕事を増やすな、バカ」

 乱暴な言葉遣いで、優しさが注がれる。

 ティナは毛布の端から目を覗かせる。ルシオが上からのぞき込んでいた。

 「おやすみなさい、ルシオ」

 「はいはい、休め休め。もう少し残ってるけど、大丈夫そうなら、僕も部屋に戻るからな」

 「うん。……ありがとう。ねぇ、ルシオ?」

 「何だよ、うるさいな」

 いちいち律儀に応えてくれる。トゲトゲした言葉に隠された、少年の優しさがくすぐったい。

 「おやすみなさい、のハグとキスは?」

 幼い頃のうっすらと残る記憶の中で、母の優しい眼差しが蘇るから、うっかり調子に乗ってみる。

 「いいから、寝ろ。バカ」

 案の定、温度のない台詞が返ってきて、ティナは笑いながら毛布の中に潜り込んだ。


 程なくして、健やかな寝息が聞こえ出す。

 「苦しくないのか?」

 ルシオが毛布を顔まで下げてやると、ティナはもにょもにょ唇を動かしながら、寝返りを打った。

 だらしない口からは涎が垂れている。

 うっかり吹き出しそうになって、何とかこらえると、自然とため息がでた。

 「ハグとキスねぇ」

 呟きながら、亜麻色の髪を撫でつける。

 「つけあがるな、バカ」

 ルシオは小声で呟き、えへへ、と笑いながら寝ているティナの額に、そっと唇を落とした。

 「おやすみ、ティナ。よい夢を」

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