□第六話□ 予期せぬ客
体を馴らすため、ティナはペンダントを外すことなく、一日過ごすことになっている。
そして、レスリーとして離宮を散歩して回るのも日課になっていた。
ルシオは、ティナから少し離れたところで、どうしようもないときだけフォローをする、と言う約束だ。
ペンダントをつけ続けているのも、ずっとレスリーとして過ごすのも、よくよく考えればきついことであったが、ティナは深く考えなかった。
何といっても、ルシオやリヒト以外の大勢の人とかかわり合えるのだ。
偶然廊下で行き会ったメイドと最初に話したのだが、中身のない会話だったにも関わらず、ティナは泣きそうなほどにうれしかった。嬉しさのあまり、饒舌になりすぎたくらいだ。
自分がどれほど会話に飢えていたのか、人との関わりに飢えていたのか、メイドの少女の笑顔を見て初めて気付いた。
メイドはティナよりも一つ下の十五歳、豊かなブルネットに碧眼が美しい少女だ。
「名前はなんて言うの?」
「わ、わた、私は……キャシーと申します。レスリー殿下」
「そう、可愛い名前だね。君の可愛らしい容姿にぴったりだ。今日みたいな明るい日差しがよく似合うね。これからどんどん温かくなってきたら、君のブルネットはますますきれいに輝くのだろうな」
キャシーは真っ赤になって、エプロンをもじもじと弄り出す。
ティナは女性の中では高い身長だ。さらに、身長を高く見せる靴を履いているから、キャシーを上から見下ろすことになる。
キャシーは上目遣いにティナを見上げ、目を潤ませた。
同性でも胸が高鳴りそうな可愛らしさに、ティナは相好を崩した。正体を隠しているとはいえ、これほど近しく笑顔を返してくれる存在など、今までベレン以外にはいなかったのだ。
「君みたいな若い子がこの宮に来てくれて、本当にうれしいよ。これからも頼むね」
「はい! 殿下!」
手を振って笑顔で別れると、廊下の柱の影にルシオが立っていた。
まるで凶兆のような黒尽くめの衣装は、漆黒の髪と相まって、主からはぐれた影のようだった。
相変わらずの渋面で、腕を組んで柱に寄りかかっている。
ティナが片手を上げると、ルシオは片眉を上げた。
顎をくいっとされて、着いてこい、ということなんだな、とティナは悟る。
無言でついて行くと、小部屋に連れ込まれた。
扉の鍵を閉められて、ティナはさらに悟った。
これから、説教タイム、だ。
「僕は君に、家人に軽く声をかけろ、とは言ったが、女に色目を使え、とは言っていない」
「色目!」
ティナは驚いて声を上げた。
何かを叱られるのだとは思ったが、よりにもよって「色目」とは!
「待ってよ、ルシオ。私もさっきのキャシーも女の子よ? 色目って!」
「素に戻るな、バカ。言葉遣いに気をつけろ。常に気を配れと言ってるだろう」
ルシオは不機嫌な顔で、ティナの額を強くつつく。背を高くする靴を履いていると、ティナとルシオはほぼ同じ背丈、顔の位置もほぼ一緒。
ティナは額を押さえながら、目前の近すぎる青い目を睨みつけて抗弁した。
「あなたの言ってることがびっくりすぎて、元に戻っちゃうのよ! 色目なんて、使うわけないでしょ!」
「端から見たら、君はあの少女に気があるようにしか見えなかった。それに、君がどう思うか、じゃない。相手がどう思って、周りがどう見るか、だ。
社交界であんな風に愛想を振りまいてみろ。翌日から見たこともない恋人とやらが山のように現れて、レスリー王子に認知を求めることになるだろう。
それとも、レスリー王太子は、後宮制度の復活をご希望なのかな」
知らない単語が出てきて、ティナは首をひねった。
「コウキュウって何?」
ルシオは至って冷たい目で見返す。
「辞書の使い方は教えただろう。部屋に戻って直ぐに調べろ。僕が常に一緒にいられるわけではない。自分で調べる力も身につけろ。それとも、王太子殿下は、従者がいないと何も出来ない、と?」
間近で薄く笑われても、美貌への免疫がついてきたティナは怯まない。
目に力を込めて睨み返す。
「じゃぁ、直ぐに調べに行くわよ! ルシオのアンポンタン!」
「アンポンタン、とはどういう意味だ?」
「辞書を調べれば!」
「君の使う低俗な言葉は辞書に載っていない。教えろ」
「偉そうに! 誰が教えて上げるもんですか!」
ティナは思い切りよく廊下に飛び出すと、駆けるようにして自室へと戻っていく。
その健脚は、とても底の高い靴を履いているようには見えず、追いかけるよりも感心して、ルシオはその後ろ姿を見送った。
「ルシオ様」
ティナが走り去った反対側から、穏やかな声をかけられる。聞き慣れた声に、ルシオは振り返ることもしない。
少年の視線は、ティナの行方を追うように、廊下の一方に向けられている。
老人は目を細めて、同じように廊下の向こうを見やった。
「あまり厳しくなさいますな。強くたわめすぎると、折れてしまうものです」
「折れる? あれが?」
ルシオが鼻で笑い、ようやくリヒトを振り返った。
無表情の中に、長いつきあいのある者にしか見つけられない感情の揺らめきがある。
「リヒト、おまえはまだ分かっていないようだな。あれは、これくらいで折れることはない。むしろ、もっと強く反発するタイプだ。厄介なことに、な」
「厄介でございますか?」
若き主人は苦悩するように、またティナの去った方を見やる。
「何と言って止めたものか。僕にはよくわからない。手綱を取れる自信がない」
大きく吐息する。
これは本当に珍しい、リヒトは心中で独りごち、表面上は動揺を表さずに首肯する。
「確かに、あの方とルシオ様は水と油、分かり合うにはかなりのお時間を必要となさるでしょう」
「分かり合う? そんなことは必要ない。僕が分かればそれでいい。
うまく誘導できれば、それで。……僕が努力するしかないか」
ルシオがもう一度ため息をつき、今度こそ、二人の部屋に向かって歩き出す。
「後ほど、お茶をお持ちしましょう。あまり怒らせないよう」
リヒトが釘を刺しても、ルシオは片手をなおざりに振って、去っていった。
老執事は苦笑しながら、二人の王子のために、今日は甘めの焼き菓子を用意しようと心に決めた。
宰相から示された一ヶ月まで後わずか。
基礎学力はついてきた。マナーや礼儀も何とかこなしている。
続いて課されたのは王家の歴史と、その政策の変遷について、だった。
ルシオの教え方は、シスターソフィアに比べれば、遙かに楽しくわかりやすかったが、如何せん、期間が短く名詞が多い。必然的に、丸暗記が必要な箇所が増えた。
ルシオなどは、「丸暗記ではなく、流れで覚えろ」と言うのだが、時間のない焦りと、馴染みのない名詞がそれを阻んでくる。
目の下に隈まで作ってテキストを睨みつけているティナに、ルシオの方が呆れた。
「短期間の暗記だけで何とかなる問題じゃない。考えないで詰め込んでも、忘れるだけだ」
「仕方ないじゃない! 覚えられないのよ! 淡々と聖書を読んでる感じ。ちっとも分かった気がしないから、ずっとぼやーっとしたままで。歴史とか、政策とか、何のために必要なのよ!」
怒りを抑えようとふーっふーっと唸っているティナは、毛を逆立てた猫のようだ。
ルシオは肩をすくめて、テキストを閉じた。
テーブルの上の真っ白い紙を手に取り、四角い筒を作り、端を糊で留めて、テーブルの上に立てる。
「これの上にテキストを乗せてみてくれ」
分厚い本をティナに渡してくる。
「何言ってるの? 潰れちゃうわよ。紙なんて弱いんだもの」
「試したことがあるのか?」
「……ないけど、これくらい、分かるでしょ?」
「まずは試してみたまえ」
目の前に突き出されたテキストを、ティナはそーっと筒の上に乗せた。
筒はあっけなく、斜めによれて、ぺしゃん、と潰れた。
分かっていた結果に、ティナは目を細めてルシオを見返す。彼が何をしようとしているのか、さっぱり分からない。
ルシオはティナの方を見ようとはせず、今度は二枚の紙を持ち出す。
それを丁寧に折り畳み、一枚を先ほどよりも小さい四角い筒に、もう一枚を蛇腹に折って先に作った筒の中に縦にはめ込む。
再度、ルシオは新しい筒を指さして見せた。
「もう一度、乗せろっての?」
ティナが胡乱な目でルシオを見返しても、ルシオは動じることなく見返してくる。
視線の強さに自信がなくなり、ティナは再度、テキストを筒の上に乗せた。
驚いたことに、筒は先ほどよりも細くなったのに、テキストの重さに耐え、びくともしない。
ティナは驚いて、筒の周りを見て回ったが、余計な支えはどこにもなかった。
「スゴいわ! 何、これ、魔法なの?」
「……君は本当にバカなんだな。僕はそういう力は使えないって言わなかったか?」
「じゃぁ、これは?」
驚きすぎて、バカにされたことも気付かずに、不思議な紙を見つめ続ける。
ルシオは丁寧にテキストを下ろし、筒の中の蛇腹の紙をとった。
三度、テキストを筒の上に乗せる。筒はあっさりと倒れて潰れた。
ティナが瞬きを繰り返して凝視していると、ルシオは本を取り戻し、ぺしゃんこに潰れた紙を丁寧にのばした。
「今の君は、最初の筒だ。中身が空っぽ。何を乗せても、あっという間に潰れてしまう。
歴史や政策を学ぶのは二つ目の筒だ。
人が過去に行ってきたことがあり、それから学んだことの上に新しいものを乗せていく。
過去には馬車だってなかった。車輪や車軸の働きを学び、今の形に進化したんだ。
過去に学ぶことは、よりよく生きるのに必要なことだ。計算、読み書きも、過去の歴史で学んだ積み重ねなんだ。
……分かったか」
ティナはまだルシオの手元にある紙を凝視しているから、ルシオは軽く笑って、紙をティナに渡した。
「何も特別な力は働いていない、確認してみろ」
ティナは息を飲んだ。
紙をもらったからではない、紙を渡してきたルシオが笑ったからだ。
嫌みのない、楽しそうな笑み。
美しい容姿には慣れてきたつもりだったが、それは無表情か不機嫌な顔か、嫌みな顔限定だったらしい。
心臓が不自然に高鳴り、息が苦しくなる。
「ゴメン、ちょっと用足し!」
途端に不機嫌になるルシオを見ると、返ってほっとする。
「走っていくな、品がない。常に余裕を持って行動しろと言ってるだろう」
「ほんと、ごめんなさい~」
珍しく素直に謝り、ティナは駆けていくのであった。
日に日に、太陽は力強さを増し、空気は緩んでゆく。
広大な庭にある池は、薄く張っていた氷が跡形もなくなり、元気に泳ぐ魚影が幾つも見受けられた。
離宮がある山も白さが少しずつ少なくなり、木々の先には可愛らしい芽がついている。
ティナは多くの使用人にも不自然なく接することが出来るようになっていて、散歩しながらも気さくに声をかけて回るので、使用人達もレスリーの姿を認めると足を止めて待っていてくれるようになった。
何気ない会話を、二、三言交わし、別れる。そんなことを繰り返す。
「お怪我なさる前の殿下に戻られましたね。やっぱり、レスリー殿下は少し元気すぎるくらいがいいのです」
老メイドは皺深い目を細め、枯れた手で涙を拭う。
「あら、セリスさんったら。またベッドにカエルをたっぷり入れられることになったら大変ですわ! 殿下は少しおとなしいくらいがよろしいのです」
老メイドの背中をなでながら、中年のメイドが悪戯っぽく笑う。
ティナは肩をすくめて、わざとらしく吐息してみせる。
「俺だってもう成人だよ? いつまでもそんな子供っぽいことはしないよ、安心して。次はキャンディでもベッドに入れておくから」
老メイドも中年メイドも、破顔一笑する。
この頃になると、使用人との会話内容にルシオが説教をすることも少なくなっていた。
それだけ、本物のレスリーに近づいたということなのだろうか。
ささやかな満足が、ティナの胸を満たす。
ルシオは勉強時間も含め、レスリーとして振る舞うことをティナに命じていた。
今や、就寝時もペンダントをつけっぱなしになっているティナは、一日中軽い倦怠感に悩まされていたものの、持ち前の負けん気と、徐々にその状態を受け入れていく若い体で、シビアな課題をこなし続けている。
幸いというべきか、レスリーは元々勉強嫌いだったそうで、ティナの学習速度でも何とかこなせるほどだった。
「ベルファスト王の治世に行われた改革は?」
「政治的には有能だけど、女狂いだった王様だよね。だったら、行った改革は紡績技術の改革だよ。
愛妾にかかる支出を抑えるために、当時輸入に頼っていた紡績業務を国内に切り替え、紡績技術の進歩にも巨費を投入したんだ。結果、今にも続く高度な紡績技術により、我が国はこの分野では他の追随を許さぬほどになっている。
王は結局、この改革の日の目を見ることなく、巨費を投じたことにより行われた重税への反発で暗殺された。息子のベルファスト二世が政策と王位を共に継ぎ、この二世の晩年に、ようやく政策が実を結ぶことになるんだ。
ちなみに、二世はベルファスト王がもっとも愛しお金をかけた愛妾の子だったよね」
「正解だ」
ルシオはうんざりしたように頷く。いかにも不満を隠さない様子に、ティナもむっとする。
「何だよ、その目」
「いや、覚え方に文句を言いたくはないのだが……。何故、ゴシップが紐付けられているのかと思って、な」
「だって、仕方ないじゃないか。覚えづらいのだから。
おもしろいエピソードと絡めて政策やら王の名前やらを覚えれば、エピソードのインパクトで忘れないからね」
どや、とばかりに胸を張っても、ルシオは冷たい目で見るばかり。だが、文句は言ってこない。
ティナがしっかりと覚えていたからだ。
この調子で、ティナは覚えづらい歴代の王とその政策について、エピソードというよりは明確なゴシップを意図的に紐付けて覚えていた。そうすると、今までよりも格段に覚えやすかった。シスターマデリンのこっそり隠してあるロマンス小説に似た味わい、と言えばいいだろうか。
このあたりのゴシップは、ルシオが嫌うため、リヒトに聞き出した。
離宮の生き字引、知識の宝庫とも言われるリヒトは、ルシオでさえ聞いたことがないゴシップをおもしろおかしく説明してくれたのだ。
また、ルシオから書庫の利用許可が下りたので、辞書を使いながら気が向いた本を読むことも出来ていた。
自分の成長度合いが目に見える状況の今、ティナは十六年の人生で一番「自分は頭がいいかもしれない」と自信を持っていた。鼻高々。調子に乗っている、と言い換えてもいいくらいだ。
「著しい成長に、俺としてはご褒美が欲しいくらいだけどね、ルシィ?」
わざと幼い頃の愛称で呼ぶと、ルシオの眉間のしわが深くなる。
「リヒトから余計なことまで聞き出したらしいな。
殿下、親しき仲にも礼儀あり、と申します。また、褒美と仰られましても、やって当然のことを行っているだけ。
日々、空気を吸うのに褒美が必要ありますか?」
すっと居住まいを正したルシオは、慇懃無礼を絵に描いたような態度でティナに頭を下げる。
青い瞳の挑発的な輝きに、ティナが大きく息を吸った時だ。
「お待ちください! ベルデン伯! お待ちをっ!」
リヒトの常にない大声が廊下に響く。
ルシオが直ぐに頭を上げ、ティナは王子を振り返って目線をあわせた。
「ベルデン伯、というのは?」
「ウィンベリー公の腰巾着の一人。敵情視察と言ったところか」
「敵情視察?」
「説明は後だ。これから来るのは、見破られるわけにはいかない絶対の敵だ。僕と君、どちらが『レスリー』となる?」
迷うことを許さない青い目は、冷たい炎が灯っているようだ。
ティナは深く頷いた。
「俺がレスリーだ」
自信があるわけではない。ただ、ルシオの疑う眼差しの前で、無様に膝を折りたくなかっただけだ。
「どういう人?」
「知らん」
「へっ?」
思わずルシオを二度見する。ルシオはティナの方はもう見ていなかった。廊下に続く扉を睨みつけている。
その間にも、リヒトの声と、高らかな複数の足音が近づいてきた。
「僕たちはこの離宮から出たことがない。会ったことがある人間はごく少数だ。ベルデン伯は初見」
「じゃぁ、何をしに?」
「君が王太子になるからだ……」
その一言で、ティナの背がぴっと伸びた。
まだ、その言葉の本当の意味も、立場も、分かっているとは言い難い。それでも、ルシオが覚悟を求めるから、「覚悟していなかった」とは決して言いたくなかった。
ドアが乱暴に開かれ、もつれるように、リヒトと衛士二名、そしてでっぷりと太った背の高い男が入ってきた。
仕立てのよい服の前ボタンを開けただらしない着こなしの男は、テーブルについていた二人に気付くと、瞬きを繰り返した。
どちらが「レスリー」なのか、分からないのだろう。
自分にはよくわからないが、他人からは、ティナの姿はルシオと同じに見えているはずなのだ。
ルシオが立ち上がる。ベルデン伯の目がルシオに向かう。
ティナは立ち上がらずに、テーブルの上で手を組んだ。
「先触れもなしに押し入るなど、無礼が過ぎるであろう、ベルデン伯」
ルシオが常にもまして冷淡に言い放つ。
ベルデン伯はまだ迷っているらしく、視線がルシオとティナを行ったり来たりしている。
ティナはにっこりと笑った。
「ようこそ、ベルデン伯。俺の顔を見に来たのでしょう?
ルシオ、伯爵に席の用意を。リヒトは客人にお茶の用意を」
ティナはまだ座ったままだ。じっと、ベルデン伯を見上げる。
男はティナに視線を固定し、表面上の笑みを浮かべ、探るように見つめてきた。
ルシオがその視線を遮った。
「いつまでその頭を高くしている気か。不敬であろう。それとも、ウィンベリー公は、レスリー王子への礼儀は無用、と仰っているのか?」
「ま、まさか! 滅相もございません。公爵はその様な方ではございません。
ましてや、ここに参りましたのは私の一存。殿下がご快復されたと聞き及び、近くにおりましたので、お祝い申し上げようと駆け参じたまで。他意はございません」
慌てたように片膝をつき、深く頭を垂れる伯爵。だが、その口は休むことなく、回り続けた。
「レスリー王太子殿下にお会いでき、恐悦至極に存じます。また、お体健やかなること、臣として、これ以上の僥倖はございません」
ティナはゆっくりと立ち上がる。下がりきっていない伯爵からの視線が、足下に絡みつく。一挙手一投足、目に焼き付けようとしているようだ。
「皆には心配をかけた。だが、皆が温かく見守ってくれたおかげで、このように快復することができた。
礼を言おう」
伯爵の肩に手をおいて、立ち上がるよう促す。
ベルデン伯は巨体を起こしたが、獲物を狙う蛇のように、ティナから一瞬たりと視線をはずそうとしない。笑いたくなるくらい不躾だ。だが、そう言うわけにもいかない。間近に立たれ、視界全部を伯爵が占めてしまい、圧迫感に胃が痛くなった。
それでもティナは、にこやかにルシオが座っていた席を指し示した。
「離宮への客人は非常に希だ。ご一緒にお茶でも?」
ルシオが、隣り合っていたイスをテーブルを挟んだ真向かいに移動させる。
「痛み入ります」
ベルデン伯は慇懃に腰を折って答えた。