□第29話□ 安息日
チチチチッ。
妙に近い鳥の鳴き声にティナは重いまぶたを開けた。
窓際にかかるカーテンから差し込む細い陽光は眩しいほどで、ティナの視界を白と黒、真っ二つに切り裂いている。
しばし瞬きを繰り返して視界をなじませ、改めて部屋を見回した。
アイボリーの柔らかい色合いの壁に、白いレースのカーテン。
淡いブルーの寝具がティナを包んでいる。
ベッドは窓際にあり、鳥の声もそこから聞こえた。窓は大きく開け放たれている。
思い切って、ベッドの上から窓辺に身を乗り出すと、そばに立派な木があり、ティナに驚いた小鳥たちが一斉に飛び立った。
茶色に赤を纏う小鳥たちは、チチチチチッと鳴き交わし、雲ひとつない空を飛び回る。
夏を感じさせる強烈な日差しが、広い庭と、その向こうに広がる大きな都市を照らし出していた。
一際高い塔は、聖女の塔であろう。
ちょうど街を挟んで真向かいにある塔は、いつもと違ってティナに圧迫感を与えない。
小指ほどの大きさだからだろうか。
どこがおもちゃのように、感じられた。
「まぁ! 起きたのね!」
窓の真下から声がした。
驚いて見下ろすと、淡い銀髪を綺麗に結い上げた妙齢の女性が、目を細めてティナを見上げていた。
「ねぇ、ルシオ、あの人、誰だかわかる?」
問いながら振り返ったところで、ここが王宮ではなかったことを思い出した。
見知らぬ部屋、見知らぬ景色。あるべきものがない喪失感。
ティナは苦い思いを噛み殺して、窓の桟をギュッと握った。
「思ったより顔色もいいみたい。食事になさる?」
ぐっと近づいた声に顔を上げると、窓の下にいたはずの女性がいつの間にか目前にいた。
「え? あ? え? う、うわぁぁっ!」
ティナはベッドの上で腰を抜かした。
妙齢の女性は、いつの間にか木をするすると登って、ティナの目前にいたのだ。
「あらあら、大丈夫? よっと! ちょっと、そこを退いてくださる?」
女性は脱いだ靴を片手に持ち、空いたもう片方で桟を掴むと、身軽にベッドに飛び乗ってくる。
呆然と見ていて、はっと気づいた。
「こ、ここ、二階でしょ! 危ないじゃない!」
「そうなのよ。あなたがさっさと避けてくれて、助かったわ」
ベッドに腰を落としてニパッと笑う姿は、とても大人には見えない。
しかし、美しくも穏やかな顔立ち、豊かな体つき、包み込むような眼差しからは、ティナと十歳以上離れているのではないかと思わせた。
「ところで、あなたのお名前は? 私はエレクトラというのだけれど」
「ティナ」
ごく自然に問いかけられて、自然に返して。
「そう、可愛らしいお名前ね。よろしくね、ティナ」
ティナはうっかり名乗ってしまったことに青ざめた。
ここがどこなのかも、ティナはわかっていないのだ。
悲壮な表情になったティナとは対象的に、エレクトラと名乗った女性は鼻歌を歌いながらベッドから滑り降り、淡いグリーンのワンピースを翻してくるりと回った。
踊るような姿に目を奪われていると、エレクトラは両手を差し出してくる。
「さぁ、ティナ! こんな素敵な天気の日に、いつまでベッドにいるつもりなの?
バスケットにサンドイッチを用意してるのよ。
さっさと、着替えてちょうだい!」
強引な態度なのに、夏空を思わせる瞳は笑みを讃えてティナの返事を待っている。
ティナはおずおずと頷くのであった。
随分と広い庭だ。庭園といってもよい。
もちろん、城の敷地の広さとは比べものにならないのだろうが、城の場合、あちこちに庭園が分散していて、一カ所あたりの広さはそれほどない。
しかし、ここは法外な敷地を一つの庭園でまとめているようだ。
それも、ほぼ自然の姿で。
なだらかな丘があり、小川があり、広い平地がある。
護衛の一人もつけず、エレクトラとティナの二人っきりでこの広大な庭をひたすら歩いて進む。
汗ばむほどの陽気に喉の渇きを覚えたところで、エレクトラが立ち止まった。
「朝から何も飲んでいないでしょう?
ほら、ここに座って足を川に入れるといいわ。
ちょっと待ってね」
三歩で渡れそうな小さな川にかかったおもちゃのような橋に座るよう促され、ティナはおとなしく従った。
なんだか、ずっと夢でも見ているようなふわふわした心地がする。
エレクトラはいつの間に仕込んでいたのか、川に浸してあった篭から果実を拾い上げ、一つ、ティナに放り投げてきた。
慌てて受け取ると、「お上手ね」とエレクトラが笑う。
こんなささやかなことで褒められて、なんだか幼い頃に戻ったようだ。
ティナは頬を赤らめたが、同時に胸の奥がほっこりと温まった気もする。
不思議な女性だな、とティナは思った。
エレクトラも同じ果物を手にして、ティナの横に座った。
「あなたは皮を剥く主義? 私は剥かないのよ。皮と実の間の酸っぱいところが大好きなの。実は、甘いだけでしょ?」
大きな口を開いてがぶりとかじり付き、いたずらっぽく笑う。
ティナは、貴族だろうと思われる女性が、口を大きく開いている姿も、果実に皮ごとかじり付いている様も見たことがなくて、唖然とした。
だが、すぐに思い直す。
そういえば、つい数ヶ月前まで、自分はそういう世界で生きていたんだ、と。
「私も、皮のままかじるのが好き!」
ティナは元気よく答えて、がぶりとかじった。
柔らかな酸味が口いっぱいに広がり、しゃくしゃくとした歯ごたえが楽しい。甘い果汁がじゅわっとしみだし、腕を伝ってスカートの上に落ちる。
シンプルながらも高そうな仕立てのよいワンピースだったが、エレクトラが笑ったので、ティナも気にしないことにした。
よく見ると、エレクトラが身にまとっているワンピースにも、あちこち染みやらかぎ裂きがある。
ほっとすると言うより、むしろ親しみを感じた。
視線が合うと、エレクトラが微笑み返してくれる。
そして、渇きを癒やすため、二人はしばし沈黙したまま甘酸っぱい果汁をすすった。
お腹もいっぱいになり、乾きも癒え、ティナは橋の上にごろんと寝転んだ。
さんさんと降り注ぐ陽光が痛いくらいだ。
夏が近い。
腕で日差しを防ぐと、優しい眼差しで見下ろすエレクトラと目が合った。
「あの…………ありがとうございます」
「……何が?」
「えと、その……なんか、全部」
昨日の夜、自分が取り乱していることは自覚していた。
立太子の儀式、お披露目、その後の公爵にまつわる様々。
完全にティナの許容量をオーバーしている。
そこに来て、ルシオに否定され、ティナは何もかもを自制できなくなった。
積もり積もっていた感情が、一気に口からこぼれ落ちていく。
それを聞いたルシオが部屋を飛び出し、追ってロイドがいなくなり、ティナの記憶はそのあたりから曖昧だ。
あんな風に、ルシオがいなくなってしまうとは思わなかった。
だって、ルシオなのに。
彼だけは、何があってもティナのそばにいてくれるはずなのに。
いや、ルシオの言っていたこともわかる気がする。
ここ最近にティナは、自分の制御がうまくできていない気がした。
以前はもっと、危険なことに鼻が利いたはずだ。
なのに、危険なことに首を突っ込み暴走する。これでは確かに、ルシオが怒るのも無理はない。
結局全部、ルシオがなんとかしてくれると思って……。
思考がぐるぐる回って煮詰まってくる。
ティナは頭を振り、余計な考えを止めた。
心配そうに自分をのぞき込んでくるエレクトラに、今一番気にしなければならないだろうことを尋ねた。
「サウロはどこにいるんですか?
ここ、サウロが連れてきてくれたんでしょう?」
あたりをキョロキョロ見回しても、どこにもサウロの影はない。
あの騎士であれば、どこかでティナを見守っていると思ったのだが。
「ごめんなさい。あの子はお父様のところに行っていて。昼過ぎには戻るわ」
まるで小さい子供のことのようにサウロを言うので、ティナは言葉を失ってエレクトラを見た。
サウロは、ティナ達の仲間の中で、リヒトに次いで大人な存在だ。
ルシオでさえ、背伸びしてもかなわない、大人っぽさがある。
そんなサウロとこの女性との接点が見えない。いや、もしかして?
「あの…………もしかして、サウロの奥さん?」
「はぁ? ……ぷっ、くっ、あ、あははははは!」
誰もいない庭に、エレクトラの爆笑が響き渡る。
爆笑する貴婦人も初めて見た。
戸惑って黙っていると、笑いすぎて呼吸困難に陥ったエレクトラが、ばんばんと橋桁をたたき始めたので、慌ててエレクトラの背中をさすった。
「ご、ごめんなさいね。
だって、あの子の大事な人だって言うから……なのに、私のこと奥さんって、不憫だわ、不憫すぎるわ!」
意味不明なことを咳き込みながら言うものだから、半分以上聞き取れない。
ティナはまたエレクトラの背中をさすりつつ、途方に暮れた。
たっぷりと時間をかけてエレクトラの息が整うのを待ち、ついでにもう一つ果実を頬張った。
一個丸々食べ終わる頃、エレクトラはようやく真顔に戻り、ゴロゴロと転がったまま遠ざかっていた場所からいそいそと橋の上に戻ってきた。
豹変の仕方がすごい。
気まずい思いで待っていると、エレクトラは一緒に橋に座り、遠くにそびえる聖女の塔を見た。
「何度もごめんなさい。もう一度、ちゃんと自己紹介するわね」
エレクトラはスカートをパンパンと払って、すまし顔で橋の上に立つと、裾をつまんで淑女の礼をする。
「初めまして、ティナ。
私はエレクトラ・オーウェル。辺境伯の長女でサウロの姉なの。
ここは、辺境伯の王都にある屋敷の一つ。軍の演習にも使うから、こんなにだだっ広いのよ」
ティナは瞬きを繰り返して、エレクトラを凝視した。
言われてみれば確かに、銀の艶やかな髪と顔立ちがどこかサウロに似ている。目はサウロの方が黒っぽい青で、エレクトラは夏空のように澄んだ濃い青だ。
なるほど辺境伯は、男性なら男っぷりのよい美男子、女性ならボンキュボンの豊かな曲線を持つ美女を排出する、なんともうらやましい家系らしい。
凡庸な色、かつすとんな体型のティナは思わず遠い目をした。
だが、エレクトラはかまわず話し続ける。あまり細かいことに気を払わない性格なのだろう。
「サウロはさっきも言ったとおり、父のところに行っていてね。
父は王都内の別の家にいるから、そっちに向かったわ。
その間、私があなたのお相手を買って出たのよ」
王都内に何件もある辺境伯の邸宅。
財力が違う。
まさに別世界だ。
王子役を仰せつかっても、基本、一つの部屋を与えられるだけであったし、つい先日まではその部屋でさえルシオと分け合って使っていた身である。
真の貴族というものを、初めて目の当たりにした気分になっていた。
言葉もなく目を丸くしているティナにも、エレクトラは頓着しない。
「あなたのことを、とても気遣っていたわ。
あの唐変木がいっそ面白いくらい!
ようやくレディの扱い方がわかってきたのだとしたら、私も厳しくしごいた甲斐があったというものよ」
姉弟らしい遠慮のなさが、台詞の端々から伝わってきて、ティナは笑いそうになった。
この雰囲気からして、サウロは姉に頭が上がらなかったのではなかろうか。
ティナの頭の中を、小さいサウロとお姉さんぶるエレクトラがちょこまかと動き出し、思わず吹き出す。
それを見て、エレクトラは大きく息を吐いた。
「よかったわ、笑ってくれて」
きょとんとエレクトラを見返すと、エレクトラは苦笑いを返してきた。
「ずっと思い詰めたような暗い表情ばかりだったわよ……」
だから、ことさらに明るい雰囲気にしようとしてくれていたのか。ティナはまっすぐな青い目を見返すのがつらくなり、うつむいた。
そこに、エレクトラがずずいと体を寄せてくる。
恐る恐る見やると、先ほどとは打って変わって深刻な顔のエレクトラがいる。
「……ところで、ティナ、言いにくいことだとは思うのだけど、一つだけ、聞いておきたくて……。もちろん、言いたくなかったら言わなくてもいいのよ?」
ティナは挙動不審になったエレクトラに視線を戻した。
あれだけ笑い転げておきながら、今度は真剣な顔で何度も言い淀んでいる。
「えと、私に答えられることなら、何でも答えます。何?」
「ティナ……」
エレクトラは、ティナが逃げるのを阻止するかのように、ティナの両肩に手を置き、心配げにこう言った。
「昨日のあなたの惨状、あれは…………サウロがやったのかしら?」
「……………………………………………………はぁ?」
たっぷり間を開けて、今度はティナが間抜けな声を出す番だった。
「あの、惨状ってあれ? 服破かれて……」
痛ましそうに顔をゆがめて、エレクトラが頷く。
確かに、惨状と言われれば惨状だ。
年頃の少女があのような格好になっていたら、ティナだって驚くと同時に青ざめたことだろう。
だが、エレクトラは決定的な思い違いをしている。
「サウロはいつも私を守ってくれます。
……あれはサウロではありません。なんとか……何事もなく……」
じゃぁ、誰がやったのか、といった細かいところを説明するわけにはいかないが、重要なのはサウロなのかどうか、だろう。
そう思って言うと、エレクトラは目に見えてほっとして、肩の力を抜いた。
「怖い目に遭ったでしょうに、ごめんなさいね。
……夜中にサウロが女の子を連れて屋敷に帰ってきたのも驚いたけど、その女の子が服はビリビリ、殴られた痕やらきつく捕まれた痕があって、でしょう?
もしあの子がやったのなら、私の全身全霊をかけて人生を考え直させなければならないところだったわ。
あ、大丈夫よ? あなたの服を取り替えたのは私。あの子は部屋の外に追い出したわ」
腕の捕まれた痕はかなり薄くなっているが、殴られた頬は果実を食べているときも少し痛かった。汁がしみたから、多分、口の中も切っている。
確かに、意識のない女の子のそんな惨状を見たら、家族としては万一を考えるものなのかもしれない。いや、でも、サウロならそんなことあり得ないだろう、とティナは考え直した。
「そう、サウロはあなたを助けたのね。あなたも王宮で働いているの?」
「はい、まぁ」
嘘ではない。働いている。
少し胸が痛んだが、サウロの姉だからと言って、何もかもを話していいわけではない。それでも、与えられた親切に真心を返せないのはつらかった。
口ごもっていると、エレクトラは優しくティナの頭を撫でてくれる。
「とてもきれいな亜麻色の髪ね。フワフワでお日様の優しい光を集めたいみたい。
それに、短い髪も似合っているわ。
あなた、私と同じお転婆でしょう?
これくらいの髪の方が、枝に絡まらなくていいかもしれないわ」
ふ、と、母の手を思い出す。
すっかり忘れていたと思ったのに。
ティナの髪を何度も何度も撫でてくれて、「ティナは私に似てお転婆ね」といつも笑っていた母。
その容姿を思い出すことはないけど、目の前のエレクトラとは全く違う、もっと平凡な女性だったような気がする。
なのに、愛情に満ちた笑みを含んだ声が、温かい手のひらが、母と重なった。
「ごめんなさい。どこか痛かったかしら?」
エレクトラが目を見開き、慌てたようにハンカチを取り出す。
そう言われても、ティナには、エレクトラが何に驚いているのかわからなかった。
ただ、喉が詰まって声が出ない。
体が震えて、動かない。
寒いわけでもなく、きゅっと体が縮こまる。
孤児院にいたときと同じように、自分の体を自分で抱きしめようとして、ふわっとした柔らかい胸に抱き込まれた。
甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
咄嗟に仰ぎ見ると、逆光の中で、笑う女性がいた。
「……お母さん…………」
「ティナ」
思い出せない声。
顔だってよくわからない。
自分と同じ、亜麻色の髪をしていた、というのがティナの唯一の母の思い出だ。
この人は違う。
そう思うのに、ティナは溢れるものを止められなかった。
「あの……ごめんなさい。いきなり泣いちゃって」
お日様の匂いのするエプロンに顔を埋めてひとしきり泣いた後、ティナはすんすんと鼻を鳴らしながら照れくさくなってうつむいた。
柔らかな手のひらが、そっと頭を撫でる。
「いいのよ、いろいろあったのでしょう?
サウロも、あなたが落ち着くようにって、ここに連れてきたのだと思うわ」
エレクトラはもう一度ぎゅっとティナを抱きしめると、遠い東の空を眺めた。
「それに、サウロは多分、私のことも考えてくれたのね。
私ね、辺境に子供たちを残してきたのよ」
ぱっと頭を上げると、切なく目を細めるエレクトラがティナを見下ろしていた。
「あなたよりもずっと小さい子なんだけど、二人の子持ちなのよ、私。
でも、どちらも魔力がなくてね……。離縁されちゃった」
ペロッと舌を出していたずらめかすものの、目が潤んでいる。
ティナは心臓のあたりにぎゅっとした痛みを感じて、エレクトラをじっと見上げていた。
「私にとっては、とてもかわいい子どもたちなんだけど。夫と義父母にとってはそうでもなかったみたい」
魔力があったために、親に捨てられたティナ。
魔力がない子どもを生んだために、婚家から捨てられたエレクトラ。
ティナは返す言葉を持たず、ただ、エレクトラの白い手をぎゅっと握りしめた。
エレクトラは驚いたようにティナの手とまっすぐに見つめてくる瞳を見比べ、ほっと息を吐く。
二人は数瞬視線を合わせると、どちらともなく笑みをこぼした。
それから暫く、二人は他愛のない話を続けた。
主にエレクトラが、幼い頃のサウロや、故郷に残してきた二人の子どもについて、止めどなく喋り、ティナがたまに相づちを打ったり、孤児院での出来事を教えたりする。
ティナがあえて最近の出来事に触れないことに、エレクトラは気づいたようであったが、追求することはなかった。
木陰で持ってきたサンドイッチを食べ、果実水で喉を潤す。
太陽が天頂を過ぎた頃、エレクトラは立ち上がった。
「夕方頃にサウロが迎えに来るはずなの。
それまで、街にでも行かない?」
「え? でも……」
城を出たことがないティナは戸惑った。
本来の自分は、忌むべき存在であり、王太子としての自分は、時間を惜しんで学ぶ必要があった。自由という言葉を知っていても、自分には関係がない。
そして、街という言葉に心躍る響きを感じたが、不機嫌そうな青い瞳が脳裏をよぎる。
「勝手に出たら、怒られるから……」
弾んだ心が何故か後ろめたくて俯く。
「誰に怒られるの? サウロ?」
エレクトラの無邪気な問いかけが痛い。
ティナは、沈黙したまま、首を横に振った。
頭頂部に、夏の日差しとエレクトラの視線が突き刺さる。言いたいことはたくさんあったが、言うわけにもいかない。ティナはぐっと堪えた。
エレクトラはしばしその様を見つめていたが、ふん、と鼻息も荒くティナの腕をつかむと、猛然と歩き出した。
「え? あの……エレクトラ?」
「ねぇ、ティナ。あなた、おいくつ?」
振り返ることなく、前を行くエレクトラが問いかけてくる。
半ば引きずられるように歩きながら、ティナは噛みそうな舌をなんとか動かして、「十六」と答えた。
ピクッと肩が震えて。エレクトラが歩みを止める。
ゆっくりと振り返ったエレクトラの顔は、蝋人形のように表情が落ちていた。
震え上がるティナ。
「ごめ、ごめんなさい!」
なんだかよくわからないが、謝ってみる。
エレクトラの目がつり上がった。
「謝らない! ティナ、あなたはもう大人よ! 自分の行動にも発言にも、きちんと責任が持てる年齢だわ!」
「はい!」
勢いに押されて頷く。
「だから、あなたがやりたいことは、あなたが決めていいのよ!」
「はい! ……え?」
「街に行きたいの? 行きたくないの? ティナ自身はどう思ってるの?」
両肩をつかまれてガクガクと揺すられる。
目の前には真剣な顔のエレクトラ。
「夕方までの時間、お姉さんが全力でもてなしてあげるわ。
だから、正直に言って。
ティナはどうしたい?」
虚を突かれた質問に、ティナの頭がうまく回らない。
ティナはしばし、エレクトラの言葉を反芻し、何度も何度も繰り返した。
その間、再び歩き出したエレクトラは、昼寝もいいし、スイーツ食べ放題ならシェフにすぐにお願いするから、といった「ティナが思いつかないできること」を列挙している。
一本ずつ指を折っているエレクトラを見ながら、ティナはいつの間にか大声で笑い出していた。
やりたいこと、したいこと。
考えたこともなかった。
ずっとずっと、やらなきゃいけないことを頑張ってきた。
ティナ自身で選択してきたはずなのに、それらは全部、「ティナがやりたいこと」ではなかった。
……辛いときは頼ってください……いつかの、サウロの言葉がよみがえる。
あぁ、本当に。
サウロは、ティナ以上に、ティナの欲しいものを理解している。
「エレクトラ、私……」
ティナはにじんだ涙を拭って言った。
「街を見てみたい」
エレクトラが笑って答える。
「任せて! 田舎者でも知っている有名どころを紹介するわ」




