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王子殿下は従者様  作者: 東風
第五章 お披露目
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□第二七話□ 掴みかけたもの

 建物の中に入り、公爵はようやくティナを廊下におろしてくれた。

 ただならぬ悲鳴が聞こえる庭園に、何人もの衛兵が走っていく。公爵はその中の一人を捕まえ、短く的確に指示を出した。

 ティナはそれを行儀よく待った。

 テキパキと仕切る様は、先日のサウロを思い出し、今日はあの時よりは余裕があるから、と耳をそばだてた。

 庭園で何があったのか、転がっているのが三人でどういった身分の者たちか、だが宰相には触れずに説明し、背後関係のみをしっかり調べるよう指示する。

 一度の言いよどみもなく、人々も当たり前のように指示通りに動く様には、ウィンベリー公爵の能力の高さと、衛兵たちとの間にある信頼関係が見えるようで、ティナはまた、公爵の力量に圧倒された。


 ようやく元の二人きりに戻ったところで、ティナが感謝の言葉を伝えようと顔を上げた。折悪く、公爵の端正な顔が降りてきたタイミングは重なりすぎていた。

 あまりのニアミスに、互いに言葉を失って固まる。

 文武両道の公爵はしかし、男らしくありつつも繊細な面立ちの美丈夫だった。

 鼻先にある美貌を息をのんで見上げていると、ティナの緊張を見て取ったのか、公爵は表情を崩した。

 「先ほどは助かった。…………このように痛々しい傷を負わせてしまい、申し訳ない」

 王族に次ぐ地位を持つ公爵が、眉根を寄せて、謝罪をしている。

 そうすると、広間で会ったときよりも、公爵は優しく柔和な顔をしているように見えた。


 あぁ、そうか、とティナは苦笑した。

 自分は今、ティナなのだ。

 公爵は、目の前にいるのがティナだから、優しい。


 「ううん、助かったのは私だわ。結局、公の足を引っ張るようなことをして、ごめんなさい」

 ティナはマントを押さえながら、頭を下げた。

 「いや、簡易な結界とはいえ、あのままで三人と戦うのは難しい。私こそ助けられた身だ。

 だが、あのように男を挑発するようなことは二度とするな。肝が冷えた」

 ティナの啖呵を思い出したのか、厳しい表情に戻ると、近寄りづらさも戻ってくる。


 確かに、あの瞬間のティナは、ティナ自身でもどうかと思うほどだ。王子教育が身にしみて、頭の中まで傲慢になったんじゃないか、と不安になる。

 孤児院にいた頃のティナなら、嵐が通りすぎるのを、例えば屈辱のもとであろうとも、黙って待っていたはずだ。しかし、今のティナの体は、ティナのものであって、ティナのものではない。

 宰相のものであり、そしてルシオ(・・・)のものだ。

 そこからの連想で、うっかりルシオの静かに怒りを秘めた顔まで思い出し、ティナの背筋を悪寒が走った。

 両頬を腫らし、唇は切れて血が流れ、服は破かれて、腕にはきつく握られた痕があり……。

 これはもしかして、非常にまずい状況なのではないだろうか。

 いや、ペンダントをつければ、ルシオの目だってごまかせるのでは?

 急いでペンダントを!

 だめだ、そのペンダントを手に入れるまでに、ルシオに会わないはずがない!


 黙り込んだティナを、叱られて意気消沈したとでも思ったのだろう、公爵がのぞき込んでくる。

 「す、すまない。あ、いや、やめた方がよいのは確かだが、責めたいわけではなくて……」

 おたおたとする様がどこかユーモラスで可愛らしい。

 ティナは思わず笑ってしまった。

 「やだ、小さい男の子みたい! 公ってば、面白すぎ!」

  近くを通りかかった衛兵の一人が、ティナの言葉遣いにぎょっと目を剥いていたが、ティナは気づかない。

 公爵も一瞬目を瞠ったが、クスクスと笑い続けるティナに、彼自身も笑み崩れた。

 それは、死地を一緒に超え、安全を確認したための笑いだったのかもしれない。

 一頻り笑い続けたあと、どちらともなく目線を合わせて、目尻に浮かんだ涙を同時に拭いた。

 「本当に、気にしないで。私が勝手にしたことだから。

 私も、公が助けてくれたこと、忘れないけど、気にしないことにする。

 だって、公が勝手にしたことだから」

 公爵は、ティナの随分と勝手な言い分にも怒らず、目を細め片膝をついた。

 「……すでに知っているのだろうが……。

 私はウィンベリー公クラレンスという。君の名を教えてくれないか? 王太子のメイドと言うことしか知らない。

 是非、君の恩義に報いさせてくれ」

 騎士然としたサウロとはまた違った風格が、公爵クラレンスにはあった。

 ここで断ることは簡単だろうが、ティナにはどうしても知りたいことが、クラレンスという人に尋ねたいことが、あった。

 「あの、名前は勘弁してほしいんだけど。

 ……恩とか言うなら、一つだけ教えてほしいことがあって」

 名前を言えないと言った時に、クラレンスは凛々しい眉を心持ち下げたが、ティナの言葉をじっと最後まで待った。

 恩人であるとはいえ、たかだかメイドに敬意を払ってくれる様に、ティナはますます好感を持つ。

 「私に答えられることならば」

 はっきりと頷いてくれたことに後押しされ、ティナは思い切って悩みを口にした。

 「ど、どうやったら自分に自信が持てますか?」

 クラレンスの眉が跳ね上がる。

 思っていた以上に表情豊かな人物のようだ。

 「自分に自信? ……君は、自分に自信がないのか?」

 訝しげに問われ、ティナは慌てた。

 「あ、あの、わた、いや、レスリーが! いつもルシオに叱られてて! でも、皆、レスリーはそのままで良いって言うし、好きって言ってくれるんだけど、やっぱり叱られて失敗ばかりで……」

 何を言いたかったのか、自分でもわからなくなり、ティナは肩を落とした。

 クラレンスの赤い瞳が、ずっとティナに落とされている。

 黙っていることの気まずさに、ティナは矢継ぎ早に言葉をつなげた。

 「王太子になって、よかったのかなって。

 魔力は確かに高いけど、だからって人がついてきてくれるわけじゃない」

 広間にいた人々の、レスリー(ティナ)を見る目は、決して好意的なものではなかった。

 畏怖、嫌悪、諦め、疑い。

 ティナはぎゅっと自分の体を抱きしめる。

 「言われるままに居たけど、じゃぁ、これからも言われるままで在ればいいのかなって。

 そうしたら、じゃあ、わ、レスリー自身ってどうなるんだろう?

 今の自分が受け入れられれば、このままでいられるのかなって!

 今のままでいいよって、自分で自分が認められるような、何かがあればって!」


 思いつくままに言い募ると、ふわっと大きな手がティナの頭に乗せられた。

 ふと、物心つく前の大人の手を思い出す。温かく大きな手。

 見上げると、やさしい眼差しの大人(クラレンス)がいた。

 「君は王太子をとても想っているのだな。

 離宮にも一緒に?」

 逡巡した後、ティナはこっくりと頷いた。

 今更、ティナと王太子が浅い付き合いだと言っても、返って嘘くさい。それに、離宮にいた頃から一緒というのは、まるっきり嘘というわけではない。

 「その、幼馴染……みたいなもので……」

 王太子とメイドが幼馴染というのがありえるのかどうか、ティナには判断がつかなかったが、他に表現のしようがない。

 クラレンスは、なるほど、と呟き、ティナの頭から手を離した。

 「一つヒントをさし上げるとしたら」

 「上げるとしたら?」

 考えこむクラレンスに、ティナは縋り付くように見上げる。

 「殿下が何も知らず、何も成していないからだ」

 「え? だってあんなに勉強してるのに!」

 まだ足りないのか、とティナは悲鳴を上げた。

 その拍子にマントが滑り落ちそうになり、クラレンスの方が慌ててマントの合わせ目を掴んだ。

 「気をつけろ!」

 「あ、ごめんな……」

 ティナが謝罪の言葉を言い終わる前に、聞き覚えのある声が廊下に響いた。


 「ティナからその手を離せ!」


 目の前からクラレンスの端正な顔が消え、代わりに見慣れた艷やかな黒髪が揺れる。

 「ルシオ!」

 慌てて少年の背を避けると、クラレンスが手の甲で口を拭っているのが見えた。

 ランタンの明かりが揺れてはっきりしないが、口の端に赤い色がついているようだ。

 「ルシオ!」

 ティナはもう一度叫んでルシオを追いやると、背の高いクラレンスの口元に背伸びをして目を寄せる。

 確かに腫れて、唇の端が切れている。

 ティナはクラレンスを背にかばうように両手を広げ、ルシオを睨みつけた。

 「ルシオのバカ! 公は……」

 「ティナ、それは……そいつがやったのか?!」

 広げていた両手を慌てて閉じる。忘れていたが、ティナの服は縦に裂かれていて肌まで見えているし、両頬は腫れている。

 ルシオに見せる際には、何かいいわけを用意しておこうと思っていたのに!

 ティナは慌てたが、怒りに燃えたルシオの目は、もうティナを写してはいなかった。

 「ウィンベリー公!」

 名を呼ばれたクラレンスは、兄王子の勢いに眉をひそめ、咄嗟に魔方陣を呼び出す。小さくても緻密なそれから、赤く煌めく盾が生まれた。

 それにかまわず、ルシオはティナを強引に避けると、右手を伸ばしてその魔法の盾(・・・・)に触れた。

 炎で作られた盾によって、ルシオの手が炎に包まれることを想像し、ティナは息を飲んだ。


 だが、そうはならなかった。

 ティナとクラレンスが見る前で、赤い盾が消えた(・・・)のだ。


 「貴様、ティナに何をした!」

 ルシオの拳は、再度クラレンスにぶつかる前に、我に返った公爵が手のひらで受け止めた。

 ふーっふーっと肩で息をして、怒り止まない風情のルシオを、クラレンスは簡単に腕を捻って拘束すると、ティナに頷きかけた。

 「ここは人目が多い。移動する」

 確かに、ここは廊下で、中庭で拘束された暴漢達をつれて、いつ衛兵たちが戻ってくるのかわからない。

 「ルシオ、落ち着いて。説明するから」

 武人でもあるクラレンスの拘束は容易に解けないと観念したのか、クラレンスとティナの様子に「襲われた」とは違う空気を感じたのか、ルシオはそれ以上は喋ることなく頷いた。


 近くの小部屋をのぞき、誰もいないことを確認して、ティナは二人に合図する。

 中は窓一つない真っ暗な狭い部屋だったが、クラレンスが指先に小さな魔方陣を作り、周囲を明るく照らしてくれた。

 気まずい顔をするルシオの拘束を解き、クラレンスが少年から体を離す。

 腹をくくったティナは、包み隠さず状況を説明した。

 「そんなふうで。だから、その……公を助けに行って、逆に助けられたって感じなんだけど……ごめんなさい」

 長々と説明する間ずっと無言のままティナを睨み続けるルシオに、ティナはそれ以上言うべき言葉を持たず、最後に深々と頭を垂れる。

 「メイド殿に救われたのは確かです。彼女が来てくれなければ、私はあやつらの結界を崩すこともできなかった。

 私からも礼を申し上げます。必要とあれば、王太子にも私から釈明しましょう」

 クラレンスも助け船を出してくれるが、そういう彼の顔にはルシオに殴られた傷がある。

 ルシオは何も言わない。

 ティナをじっと暗く蒼い瞳で見つめている。

 「その……本当に反省しています。もう二度と、こんなことはしません。ごめんなさい」

 「……何が悪かったのか、本当にわかっているのか?」

 長い長い沈黙の後、ようやくルシオが大きな吐息とともに、そんなことをティナに聞いてくる。

 ティナは勢い込んで頷いた。

 「わかってる! 反省してる! ごめん、宰相派だからって油断したの。……私だけの体じゃなかったのに」

 しゅんとして落ち込んでいると、温かい手がまた頭に乗せられた。

 「殿下、私に免じて許してやってはくれませんか?」

 ルシオは忌々しそうにクラレンスを見上げると、改めてティナを見つめた、

 そっと伸ばされた白い指がティナの頬をそっと撫でる。

 ぴりっとした痛みが走り思わず身をすくめると、指先もびくっと引っ込められた。

 恐る恐る見ると、ルシオも痛みを感じたように眉間にしわを刻んでいる。

 大丈夫、と伝えたくて微笑むと、ルシオはびっくりしたように目を大きくしてから、視線を背けた。

 両頬を大きく腫らした顔で微笑まれても不気味なだけだったか、とティナは反省して、神妙な顔に戻した。


 「その、……うちのメイド(・・・)を助けてもらったのに、申し訳なかった。

 ウィンベリー公、本当に感謝する」

 珍しくもルシオが深く頭を下げているので、ティナも恐る恐る一緒に頭を下げた。

 「メイド殿にお叱りなきよう、王太子にもお伝えいただきたい」

 「…………彼女は元々無謀で後先考えない性格でね。必要な教育はなされるべきだ。叱らない、という選択肢はない」

 腕を組んでティナを睨んで来るものだから、ティナは背を丸めて小さくなった。

 「だが、公を助けられたのは、殿下の望みにかなうことだろう。王太子は公正な判断をなされる」

 叱られるのか、叱られないのか、よくわからなくてティナは首を傾げた。

 だが、クラレンスはルシオのその言葉で、ホッと力を抜いた。

 「それで十分です。……君は、ティナというのか?」

 「え? あ……はい…………」

 そういえば、ルシオが何度かティナの名を呼んでいたような気がする。

 ルシオが、サウロやロイド、リヒトにでさえティナの名を伝えないようにしていたようだから、ティナもそういうものだと思っていたのだが。

 ティナが困惑してルシオを見ると、ルシオは不機嫌な顔ですっと視線を逸らした。

 他人の失敗にはあれだけ厳しいのに、自分の失敗はごまかす気なのかと、思わずムッとして睨みつける。

 すると、

 「随分と大切にされているのだね?」

 クラレンスが目を細めてそんなことを言う。

 弱り切ったティナは視線をあげられなくなり、借りているマントの下で指をもじもじと動かした。

 レスリーとしての受け答えならば日々こなしてきたが、ティナとしての受け答えなど考えたこともない。

 「どちらかの貴族のご令嬢なのか?」

 優しい声音なのに、何かを捕まえようとするかのような圧力を感じる。

 「えぇと、私は……なんて言うか……さっきも言ったとおり幼なじみというか……」

 俯いたままもじもじとしていると、いきなり衝撃を感じてバランスを崩した。

 自分と同じ程度の背丈の、だけど堅い胸板、細いのに強い腕に抱き込まれる。

 「ウィンベリー公、恩義を感じているなら、今後一切、こいつに関わるな。

 こいつ(・・・)は僕のだ!」

 頭を抱え込まれるという無理な体勢のまま、ティナは強引に歩かされた。

 クラレンスがどういう顔をして見送っているのかわからないが、もう引き留める気はないようだ。

 異様な緊張感から解放され、ティナは体をルシオに預けるようにして歩いた。


 「ティナ!」

 廊下にでたところで、クラレンスの豊かな声が響いた。

 思わず振り返ると、ランタンに照らされていつもよりオレンジがかった髪のクラレンスが、柔らかく微笑んでいた。

 「王太子に伝言を! ティナの依頼を承った、一度、あなたにお会いしよう、と」

 返事を口にすることはできなかった。

 ルシオがティナの肩を痛いほどの力で抱き、異様な早足でその場を離れたのだ。

 半ば引きずられるようにしてティナは歩き、せめてもと、クラレンスに目礼だけ返した。

 赤髪の公爵は、あっという間に廊下の向こうに消えた。


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