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王子殿下は従者様  作者: 東風
第五章 お披露目
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□第二四話□ 誓約とは誓い約束すること

 きらびやかな礼装の向こうに正妃が去っていくのを見る。

 ストロベリーブロンドの最後の輝きが消えたと同時に深く息をつくと、膝から力が抜けた。

 「殿下」

 すかさず脇の下にサウロの腕が差し込まれ、ティナは床に座り込まずにすんだ。

 「顔色が悪い。一度、戻ろう」

 ルシオがティナの頬に手を当て、顔をのぞき込んでくる。

 「ルシオは? それ、つけていて大丈夫なの?」

 ティナが弱々しく言うと、ルシオは胸に垂れている太陽石を持ち上げ、ふらふらと振り回した。

 「君は魔力があるからこそ、これが効くのさ。多分、ロイドにつければ一瞬で昏倒だな」

 「おまえ、欠片も魔力ないのか。王族として、いっそすごいな」

 ロイドがペンダントをいやそうに見ながら、奇妙な感心をしてみせる。

 ルシオはそれを一睨みで黙らせ、ティナの腕をとった。

 「歩けるか?」

 ティナがのろのろと周囲を見渡すと、好奇の眼差しが一行に集中していた。

 幸い、長身のサウロがティナを庇うように立っていて、多くの視界を遮ることには成功しているが、それでも注目を集めているのは確かだ。ここで無様な真似は到底出来ない。

 ティナが頷くと、ルシオはサウロとロイドに視線を走らせ、周りを固めさせる。

 自分は先導として、一歩先をゆるゆると歩き出した。

 ルシオの周囲を拒む雰囲気に、誰も声をかけることは出来ないようだ。

 「人嫌いの引きこもりオーラもたまには役に立つのな」

 ロイドの軽口にも何も返せず、ティナはただひたすら転ばないことにだけ意識を集中したのだった。


 

 王太子が二度の衣装替えをすることは告知されている。

 誰にも呼び止められることなく、一行は控え室に滑り込んだ。

 「殿下、失礼を」

 後ろで扉が締まったと同時に、崩れそうになったティナの膝裏にしっかりとした腕が入り込み、体ごとすくい上げられる。

 「ルシオ様、これはいったい?」

 驚いたリヒトが、奥の部屋にあるベッドルームを慌てて整え、ティナはサウロによってそこに横たえられた。

 「正妃に仕掛けられた。魔力を失っている」

 月光石と太陽石のペンダントを、ルシオが雑に丸テーブルに放り投げる。

 「うへぇ、本当にこれえげつないな。よく立ってられたな」

 太陽石のペンダントを指先でつつきながら、ロイドが顔をしかめた。

 その間も、ティナは上衣のボタンをゆるめ、靴を脱がされ、リヒトが差し出す水を何とか飲み干そうとして、むせてこぼしていた。

 体中が重くて言うことを聞いてくれない。

 ルシオはティナのもう一つのペンダント(リアスフィア)の鎖に手を触れ、逡巡する。

 「大丈夫、俺は平気……少し休めば……大丈夫」

 急激に無理矢理奪われた魔力に、精神力がついて行っていないだけだ。

 ゆるゆるとでも、最低限の魔力が回復すれば、ティナはまた動けるようになる。

 だが、ルシオはまだ何かを迷っていた。

 じっと残されたペンダントを見てしばし後、意を決したように頭を一振りすると、ルシオは怪訝そうにするロイドの前まで歩み寄った。


 「ど、どうしたんだよ?」

 いつにない兄王子(ルシオ)の様子に、いつもキャンキャンとうるさい天才少年も言葉に詰まる。

 「誓約を」

 「は? 誓約? 何の?」

 ロイドは本当に面食らって、ルシオを見上げた。

 「こいつを裏切らず、こいつに尽くすことを、誓約しろ」

 ルシオはベッドを親指で指し示し、視線はロイドからはなさない。

 「魔術師の誓約を。今、この場で出来るか? もし迷うのなら、すぐにここを出て行け。二度と戻ってくるな。

 それがおまえのためだ」

 リヒトとサウロの動きが止まる。

 二人は、ルシオの意図を悟り、ルシオ達から離れ、ベッドの脇に控える。

 「どういうことだよ……それ……?」

 「こいつは王太子になった。これまでも命を狙われたことがある。

 命だけじゃない、様々な妨害がこれから考えられる。

 今回の正妃のプレゼントもその一環だ。

 遊びでくっついてこられても迷惑だ。僕達に、おまえまで守ってやる余裕はない。

 ついでに言うと……」

 ルシオは苦しげに目を閉じているティナ(レスリー)を見て、呟くように付け足した。

 「信じられない輩を飼っておけるほど、余裕のある僕らでもない」

 「魔術師の誓約……それをすれば、俺が信じられるってことか?」

 ロイドは低く唸るように言う。言葉には怒気が混ざっていたが、いつものように食ってかかる様子はない。

 リヒトとサウロが静かに見守る中、兄王子(ルシオ)天才魔術師(ロイド)は再びにらみ合った。

 「僕はこいつ(レスリー)ほどお人好しにはなれない。目に見える担保が必要だ」

 「ルシオ……。大丈夫だってば。ロイドも、無理しないで。俺は……平気だから……」

 「「黙ってろ」」

 普段、言い合いしかしていないルシオとロイドはぴったりと声をそろえてティナを怒鳴りつける。

 具合の悪さよりもそのことに驚いて、ティナは口をつぐんだ。


 ロイドは太陽石のペンダントと、自分をじっと見つめるルシオを見比べるように視線を動かし、ダンと音をさせて一歩を踏み込んだ。

 ロイドは間近からルシオを睨み上げ、息が触れるほどの距離で怒鳴る。

 「わかったよ、誓ってやるよ! おい、レスリー!」

 「違う、おまえが誓うのは僕だ」

 「は?」

 ロイドだけでなく、ティナやリヒト、サウロもまた動きを止めた。

 「何で俺が、おまえなんかに、誓わなくちゃならないんだよ!」

 誰もが聞きたかったことを、ロイド自身が叫ぶ。

 顔を真っ赤にして、榛色の目に涙を溜めている様は、可愛らしい少女にしか見えない。

 しかし、少年の表情はどこまでも真剣で、それを指摘するのは憚られた。

 ティナ達三人が押し黙って見守る中、ルシオはロイドの胸ぐらを乱暴につかみ、噛みつかんばかりに顔を寄せる。

 普段の王子らしからぬ様子に、ティナは目を奪われた。

 「おまえをバカにして、ここから追い出したいだけなら、もっと他のことをする。

 僕がこんなバカバカしいことを言っているのは、おまえの能力がこいつの役に立つことがわかっているからだ」

 先ほどのロイドに負けずに険しい顔をしたルシオは、悔しげに眉をひそめ、必死に感情を押し殺そうとしているように見えた。

 ティナの心臓がドキドキする。いつの間にか、胸で両手を握ってルシオを見つめていた。

 「こいつはお人好しだからな。万一おまえが裏切っても、理由次第で許してしまう。

 それが悪いこととは言わない。こいつはそういうやつだ。

 だったら、僕がおまえを監視するしかないだろう? それともおまえは……」

 ルシオはロイドの胸を突き飛ばすようにして離し、体制を崩したロイドは床に尻餅をつき、それでも兄王子が何を言うのかと黙って待っている。

 「僕に誓約するくらいなら、ここを去るか?」

 ルシオの深い青い瞳が鋭く細められる。ロイドは勢い良く立ち上がった。

 「してやるよ、魔術師の誓約! 俺がここにいるためなら、不出来な兄王子にだって、誓約してやるさ!」

 子供のように喚くさまは、ただ癇癪を起こしているようにも見えたが、食いしばった歯から、血の気を失うほどに握りしめられた拳から、ロイドの本気が伝わってくる。

 ロイドは、ティナが言葉をかける間もなく、ロイドとルシオを中央に、部屋いっぱいに広がる緑柱石色の魔方陣を描き出した。

 陣全体が均一の輝きを宿し、描かれた式も、注がれた魔力量も完璧なそれは、ロイドの才能を改めてティナに感じさせた。

 ロイドの口から、歌うように、美しい旋律がこぼれ落ちていく。


 「魔術師の誓約って?」

 二人の邪魔をしないように、ティナが小声で問うと、案の定、そばにいたリヒトがティナに耳打ちしてくれる。

 「何かありました際に、国家の大事となりうる力量を持つ魔術師のみに課された義務です。稀に、王族相手でなくとも、主従の誓いとして行われることもあります。

 どのような無茶な命令にも背くことは許されません。

 ……レスリー様も近い内に陛下に誓約なされるでしょう」

 胸の底がひやりとする。

 自分が近い将来、それをあの国王にすることに。

 それをルシオがロイドに強いていることに。


 歌い終わったらしいロイドは、目前の厳しい顔のルシオを殺さんばかりに睨みつけて、それでもルシオの前で両膝を折り、ルシオの差し伸べた手を両手で自らの額に押し付ける。

 「右手に太陽、左手に月、額に星を持つ神王フォロスと、我が主ルシオ・ペルーデンにこの宣誓を捧ぐ。

 背かず、能わずとも怠らず、抗わず、最後の一息までを我が主に」

 「ロイド・コルボーンの宣誓を、神王フォロスとともに我ルシオ・ペルーデンが受け取る。

 背かず、能わずとも怠らず、抗わず、最後の一息まで神と我のために励むように」

 いつの間に用意したのか、ルシオの手には小さなナイフが握られていて、王子は肘までまくり上げた腕に僅かに傷をつける。跪いていたロイドは、滑り落ちてきた一滴の血を可愛らしい唇で受け止めた。

 すると緑の輝きがひときわ強くなり、直後に跡形もなく消えて、部屋は元の静けさを取り戻した。

 部屋の中央で睨み合っている二人の左手首には、黒いレースのような模様が浮かび上がっている。それが、誓約の証なのだろう。ロイドは忌々しそうに手首をこすり、ルシオは軽く触れただけですぐに顔を上げた。

 「誓約はなった。ロイド、宰相に問われたら、宣誓はルシオに捧げたと答えるように」

 誓約は一人にしか捧げられない。

 リヒトが小声で補足するのを聞きながら、ティナは奇妙な苛立ちを感じていた。

 「よかったね、ルシオ。お揃いですごく似合ってる」

 大きく吐息しながら枕に戻り、ティナはそんなふうにこぼす。

 「いいわけない! お揃いなんて、ゾッとする!

 誓約を結ぶなら、殿下がよかった!」

 涙目になっているロイドは、ティナ(女性)の目から見ても、抱きしめたくなるほど可愛い。

 それこそ、性別を考えないなら、美貌の少年(ルシオ)絶世の美少女(ロイド)は、物語から飛び出てきたように大変お似合いの二人だ。

 「その言葉、そっくりお返ししよう。

 僕ははっきり言ってお前が嫌いだ。喜んでこんなことをしたと思われるのは、甚だ不快だ」

 喚くロイドを他所に、至っていつもの不機嫌面のルシオは、ベッドの脇に歩み寄るとリヒトに視線で合図する。リヒトも心得たもので、一言「失礼いたします」とティナの背中に手を差し込み、ゆっくりと助け起こした。

 「誓約はこのために必要だった」

 ルシオが徐ろにティナの首から残っていたペンダント(リアスフィア)を抜き取った。

 ティナの体が少し楽になった直後に、ロイドの場違いに大きな叫び声が部屋いっぱいに響いた。

 「あぁぁぁぁ! お、おまえ……?」

 ティナが驚いてベッドから飛び出そうとするのをリヒトが抑える。皺深い目は、ルシオに任せるように、と言っているようだった。


 「時間がない。質問は許さない。だが、こいつが、おまえが仕えようとするレスリーで間違いない」

 ルシオはそういうが、ロイドがどんな表情をしているのか、裏切られたと思っているのではないかと、ティナは頭を上げられずにいた。

 子犬のように懐いてくれていた少年から、憎しみの眼差しをぶつけられることは辛く感じられた。

 だから、ロイドの力の抜けたような声が聞こえた時には、その意味がさっぱりわからず、つい頭を上げてしまった。

 「やっぱ、あれは夢じゃなかったんだ」

 「へ?」

 いつの間にかベッドに乗り上がっていたロイドは、ありえない近距離でマジマジとティナを覗き込んでいた。

 「ロイ……ド?」

 「うん。やっぱあんただ。……俺の戦女神」

 「怒ってないの?」

 「怒る? 何でだよ。だって、あの時、俺を負かしたのは、確かにあんただった」

 それはつまり、あの戦いの最後の瞬間、ティナの姿を見られていた、と言うことだ。

 ティナは気まずくなり視線を外すと、「ほら、見ろ」と言わんばかりに睨みつけているルシオと今度は視線がかち合い、もうどこも見ることが出来ずにベッドの上の毛布をじっと見下ろした。


 「言っただろう? 時間がない。ロイド、おまえがこれをつけろ。身長や背格好からしても、おまえが適任だ。

 魔力はこいつが補充した分があるから、それほど必要ないはずだ」

 ルシオはティナには何も言わずに、ペンダントをロイドに押しつける。

 ロイドは渋面を浮かべていたが、周囲の沈黙を前に、特に反論せずにチェーンを首に掛けた。

 目の前に、レスリー王子が立っている。

 その状況に一番混乱したのはティナだ。ティナは、レスリーを第三者としてみたことがなかった。

 「確かに、そんなに魔力は吸われないけどさ。何だよ、これ。おまえらには、俺がレスリーに見えてんの?」

 「大丈夫です、レスリー殿下に見えておりますよ」

 リヒトがロイドを労るように告げ、ベッドの脇を離れる。そして、用意してあった三着目の衣装をロイド(レスリー)に渡した。

 「いいか、ロイド、おまえが今夜はレスリーを演じろ。僕とサウロがフォローに入る」

 「ルシオ殿! 私は殿下のおそばに!」

 サウロが抗議の声を上げるが、ルシオはそれを睨みつけて封じた。

 「僕とサウロが側にいない王太子ほど疑わしいものはない。

 反対に言えば、僕ら二人がいれば、王太子の行動が些かおかしくても、王太子として疑われることはない。

 リヒト、ここは任せた」

 「かしこまりました」

 リヒトが恭しく頭を垂れる。

 ロイドはため息をついて、用意されていた王太子の衣装に袖を通していた。

 「今夜は正念場だ。魔力の高さに疑いを抱くものはないが、王太子としての資質を見極めようとするものは大勢いる。ロイド、レスリーを演じろ。難しい話ははぐらかして僕にふれ。話題を引き取る。

 サウロ、誰もロイドに触れさせるな。王太子は王に次ぐ地位だ。王以外のすべてを威嚇しろ」

 随分と乱暴な指示に、騎士は呆れ、魔術師は吹き出したが、王子(ルシオ)は至って真剣だった。

 「君はしっかりと休め。あと、その王子の衣装は今は脱いでおけ。万一誰かに見られると、言い訳がきかない」

 ティナがこっくりと頷いたのを見て、ルシオはため息をついて彼女の頭を乱暴に小突く。

 「そんな顔をするな。大丈夫、君はちゃんと守ってみせるさ」

 自分がどんな顔をしているのか、ティナにはわからない。ただ、あまりいい表情ができていないのは確かだろう。

 心の中は焦燥と苛立ちと、不快感に塗りつぶされそうになっていた。

 それでも、時間がないというルシオの言葉に誤りはないし、ここでわがままを言って彼を引き留める意味もない。

 「ごめんなさい。……私のせいで」

 「あれは誰であっても避けようがない。気にしないで、今は寝ていろ」

 白い手が、ティナの肩を優しく押してベッドに倒す。ティナはあらがわず、体を横たえた。

 重い気持ちに引きずられるように、体が重い。


 「出来たぜ」

 ティナ用に用意されていたレスリーの衣装は、わずかに背が低いだけの華奢な少年にはぴったりだった。

 厚底の靴も足のサイズが一緒だったようで、出来上がったレスリーはティナのいつものそれと寸分の違いもない。

 リヒトにマントを整えられ、斜め上から自慢そうにほくそ笑むレスリー。

 「もう少し邪気のない顔が出来ないのか、おまえは」

 「……私の殿下になりすますのであれば、より清純な雰囲気でお願いします。うっかり剣を抜きそうです」

 「くっそバカやろうども、この完璧な変装の前でよくそこまで言ったな。誓約がなければ、草どもの肥やしにしてやるところだ」

 低く唸るロイドに、後の二人も険悪な雰囲気を隠そうともしない。

 そこに、パン! と高らかな音が響く。三人が一斉に振り返ると、リヒトが打ち合わせた手を胸の前に置きながら、静かに笑っていた。

 「お三方、どうぞ、お時間でございます。殿下の経歴にわずかでも傷を付けるようであれば、私も黙ってはおりませんよ?」

 三人は慌てて居住まいを正した。ルシオはティナの頭を軽く撫でる。

 「そうだな。行ってくる」

 「ん。行ってらっしゃい」

 顔を上げられないまま、ティナは三人を送り出した。

 「殿下、お心安らかにお待ちください。すぐに戻って参ります故」

 「ばぁか、すぐになんて戻ってこられるわけねぇじゃん。……帰ってきたら、全部、あんたの口から話してもらうからな。覚悟してろよ」

 彼らの気遣いがわからないわけではない。

 こう言うときこそ、広い心が必要なのだろうな、と思う。

 本物のレスリーなら、どうしていたのだろうか。何もやましいところのない王太子であれば、あっさりと三人を送り出せたのではないか。

 そもそも、本物のレスリーなら、このような茶番は何も必要なかったはずなのだ。

 「殿下、代わりのお召し物を用意いたします。少々お待ちください」

 リヒトも部屋を下がっていくと、ティナはこぼれてくる涙をどうしようも出来ず、枕に顔を埋めた。


 パタン、と扉の音がして、ティナは背を震わせたが、姿勢を変えることはしなかった。

 リヒトだと思ったからだ。彼ならば、ティナのこの姿を見れば、そのまま部屋を出てくれるだろうと思ったのだ。

 だが、意に添わず、足音はわずか数歩でベッドに近づくと、温かい手がティナの後頭部に触れた。

 「ごめん。リヒト、何でもないから……」

 「何でもないわけ、あるか。バカ」

 「え!?」

 ティナは驚いて顔を上げた。

 困ったように眉間にシワを寄せているルシオが、ベッドの脇に腰を下ろしていた。

 「ルシオ! 何で?」

 「忘れ物だ」

 「え? 何?」

 慌てて周囲を見回すが特に何も落ちていない。困惑するティナをよそに、ルシオは優しく微笑んだ。ティナは驚きのあまり、体が固まってしまう。予期せず止まってしまった息が苦しいのか、はやる鼓動に胸が苦しいのか、わからなくなる。

 「レスリーは君だ。ロイドは代役は出来るかも知れないが、それだけだ。

 君がレスリーだ。だから、自分が不要なんじゃないかとか、無駄なことは考えるな」

 ティナの大きく見開いた柔らかい焦げ茶の瞳から、透明な光が盛り上がった。

 「なん……何で……? わ、わかった……の?」

 ルシオはそれを親指で拭い、少女の頭を優しく胸に抱きしめた。

 「ティナ、僕のすべては君に捧げている。

 思い出せ。僕はもう、君に誓っていただろう?

 幸せも、不幸も、手を携え、分かち合い、共にあらんことを……」

 息を飲んだティナの頭をぽんぽんと優しく叩き、ルシオはティナの体をはなした。

 「機嫌は直ったか?」

 ぽかんとするティナは訳が分からず、「忘れ物は……?」と呟くのが精一杯だ。

 先ほどまでベッドを突き破って沈み込みそうだった体は、いまやふわふわとしていて、ささやかな風でどこまでも飛んでいけそうなほどだ。

 「主の気分をもり立てるのも、従者の大切な仕事だからな。

 君の笑顔を回収出来れば、忘れ物はもうない。

 ……行ってくる」

 「行ってらっしゃい……ルシオ……ありがとう」

 ルシオの優しいキスが額に落とされる。

 ティナが願ってやまないキスとハグが、胸の中にあまやかな蜂蜜となってトロリと溶けた。

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