□第二一話□ 力が招く
華麗なショーは、いつの間にか終わっていた。
天球にあった火球は消え、辺りはしんと静まってはいた。しかし、どこか浮ついた雰囲気の中、押し殺したような興奮が満ちている。
ティナの心臓も、まだ、全力疾走したかのように早い鼓動を打っていた。
視界の端にある黒いマントから、視線をはずそうとしてもできないままだ。
何もかもが敵わない。心臓に刃を突き立てられたかのような、焦燥感と居たたまれなさ。
宰相の小細工でつかの間の人気を得た第三王子は、あっという間に凋落している。俄仕込みの鍍金は剥がれるのも早い。
本来の素養も違えば、培ってきた時間も違う。
ティナは自分が愚鈍だとは思わないが凡庸だという自覚はあった。
ここに来るまでの短い期間はすべて仮初のものに過ぎない。表層的に応えられる、もしくは仮面を繕える程度の知識と経験。
他者より秀でているのは魔力のみだ。
付け焼き刃でも生半可な知識があるからこそ、その差を感じられて辛い。
叫んで走り去ってしまいたい。
死刑執行を待つ死刑囚とは、こういう心持ちなのだろうか。
ティナは忙しなく視線を移動させながらも、最後は黒いマントに吸い寄せられるように目を向け、絶望のため息をつくしかなかった。
「第三王子、レスリー!」
ティナはのろのろと腰を上げる。
「……殿下、大丈夫です」
ルシオの控えめな声が聞こえるが、今はそれすら煩わしい。
何が大丈夫だというのか。
アレほどのものを見せられた今、人々が求めているのはウィンベリー公ただ一人のはずだ。
いまここで、「すみません、偽物なんです」と告白して、何とか許してもらうことはできないだろうか?
そんな考えまでが脳裏を過ぎったが、「レスリー?」という囁くような声に我に返った。
運命共同体を、自分の投げやりに巻き込むことは許されない。
どちらかというと、ルシオの運命にティナが巻き込まれたはずであるのだが、ティナはどこまでも前向きで、かつ自分本位であったのだ。
ティナは悲壮感をたたえたまま、たった一人で、石の前に立つしかなかった。
唇を噛みしめ、恐怖に震える指先をそっと冷たい告知の石の上に置いた。
恐らく、石は触れた人の魔力を増幅するのだ。
だから当然、ティナが触れた瞬間に溢れたのは、クラレンスと同じ炎だった。
しかし、違ったのは、石から溢れ出た炎がティナを覆い包み、空へ持ち上げたことだった。
炎の巨大な柱が、身も心も焼き尽くそうとするかのようにティナを囲み、上へ上へと押し上げていく。
先ほどまで感じていた怯えとは違う、もっと根源的な恐怖がティナを襲う。
「いや、助けて!」
叫んだのか囁いたのかそれすら分からない。
声は炎が立ち上る轟音に消され、視界はその炎によって暴力的に塗り替えられている。
唯一開けている空に目を向けると、そこには巨大な顔があった。
瞼のない無機質な目を真円にし、ただひたすらティナを見下ろす巨大な一対の目。
空を覆い尽くそうとでも言うような白い顔は、神なのか悪魔なのか。
陶器で出来たようなつるりとした眼球には、炎とティナが写り込んでいる。
「誰? あなた、何?」
何とか遠ざかりたいと願っても、体は炎によって押し上げられている。
瞬き一つしない目は、人間と同じように配置されてるからこそ、非人間的で恐ろしかった。
「いや、行きたくないの。助けて、お願い、助けて!」
ティナは懇願した。
天空に現れた人面の口がゆっくりと開く。
漆黒の闇がその中には広がり、その虚ろを恐怖とともに見上げていると、そこから割れた石を打ち合わせたように聞き取りづらい、でもはっきりとした声が聞こえた。
『人の世にあり、人の身であり、人の幸せなき我が子よ。すべてを望め』
その声は、記憶を揺さぶる声だった。
目を見開いているのに、すでにその姿も忘れた母の姿が脳裏に浮かぶ。
母の面影と、人面が重なる。
母の声を覚えているわけではなかったが、こんな変な声ではなかったし、朧気なシルエットは柔らかかったような記憶もある。なのに、一度、母を重ねて感じると、もう母との違いがわからない。
『汝、すべてを望め。我が子……レイシアの末よ……汝、深淵の向こうにある力のすべてを望むのだ。力を受け入れよ』
母……なのかもしれない。
人面のそばには、やはり陶器で出来たような巨大な腕が現れ、ゆるゆると空の雲を割って降りてくる。
ティナを包むように、捕らえようとするように。
巨大な真円を見ていると、何故かそこに懐かしさを感じ始める。
感情の揺らぎ一つない目の奥に、ティナの中の何かが根こそぎ吸い込まれている感じがする。
『深淵に身を委ね、叡智と力を手に入れよ。愛しき我が子よ、不幸になることは許さぬ』
炎ではなく、白い手がティナを包み、人面の口の中へと運ぼうとする。
そこは暗く温かで何の心配もいらない場所に思えた。
胎の中のように。
いつの間にか、恐怖は消えていた。
塗り替えられていた、といっても良いかもしれない。
ティナの望みはそこに至りそこに在ること。
それこそが幸せであり、望むことなのだと、精神の深い部分が訴える。
ティナは初めて、自発的に、人面に向かって手を伸ばす。
巨大な人面が僅かに口角を持ち上げたように見えた。
微笑んでいる。喜んでいる。
母が、望んでいる……。
ティナは嬉しくなった。
そこに在ることで、母は喜んでくれるのだ。
優しく微笑み、手を伸ばしてくれている。
ティナを望んでくれる唯一の存在……。
苦しいばかりの世界から、救ってくれる存在……。
その時、僅かな痛みが額に蘇った。
ティナが告知の石に触れると同時に、幾筋もの稲光が空から下った柱のように地に降り注ぎ、僅かな隙間もないような豪雨が大地に落ちた。
王族を始めとする主要人物が座すバルコニーには屋根があるが、それでも少なくない人数がずぶ濡れになる。
宰相や法王はいち早く屋根の深いところに逃げたようだが、ルシオは石のそばにいるティナから目が離せなかった。頭から濡れることはなかったが、床から跳ね返ったおびただしい水滴が、腰から下を重く濡らす。
それでも構わず、許される近くまで身を乗り出し、目を凝らした。
螺旋状の炎が、雨の中でティナを守るように包み込む。
そこだけポッカリと、晴天の空がのぞいていた。
豪雨を風がなぎ払い、強風に煽られた雫がいくつもの氷になって砕け散る。稲光の柱は未だに健在で、幾千もの氷のかけらが美しくきらめいた。
「あ、あれは?!」
誰かが空を指差した。
そこにはいつの間に現れたのか、美しい女性と思われる巨大な顔が浮かび上がり、柔らかく微笑みながら白くたおやかな腕を下界に伸ばしていた。
「聖女様だ! 聖女様が現れた!」
「奇跡だ! 聖女様万歳! レスリー殿下、万歳!」
俄に人々が活気づく。
だが、ルシオは視線を凝らして、目に入るすべてを記憶に焼き付けようとしていた。
伸ばされた巨大な腕の先に、凍ったように動かないティナがいた。
ティナの周りから、緑に輝く木が幾本も生え、空に伸び上がっていく。天上からの白い腕を迎え入れようとするように。そこにティナがいると教えるように。
ティナは動かない。沈黙のまま、血の気が引いた顔で空を見上げていた。そこにはどんな表情も浮かんではいなかった。
チリチリと首の後ろを炙られているような、焦燥感が湧き上がる。
王太子候補者達は呆然とし、聖職者達は膝をおり、宰相は喜色を浮かべ踊り出しそうにしていた。
そんな中で、ルシオは自分だけが皆と異なる感覚を感じていることに気づいていた。
第一王子、そして公爵の時とは明らかに違う、不快感がルシオにはあったのだ。
聖女と呼ばれるアレにあるのは、祝福ではなく暴力じみた圧倒的な力であり、人智が及ばぬ何かであった。
落ち着かなくティナを見守っていると、くぐもった笑い声が隣の椅子から聞こえた。
視線だけ向けると、父であり国王である男は、皮肉な笑みを浮かべて石とティナを見つめていた。
「なるほどな。山の娘を引き当てたか。
宰相は随分と強運なようだ」
耳慣れない単語に眉をしかめると、王はルシオを無感動に見た。
「よいのか? 人形が壊れるぞ? アレは貪欲だ」
アレが何で、山の娘とは何なのか、尋ねたいことは山のようにあったが、それどころではなかった。
国王の狂気をはらんだ笑い声が響く。
「そうだ! 何もかも壊してしまえばいい! そうすれば何も考えずに済む!
皆が頭を失えば、平等にバカというものだ!」
ギョッとした人々が国王を振り返っている間に、ルシオは式典参加者を押し退けティナの元に走った。
内から光を滲ませる木々に囲まれ、炎を身に纏い、ティナは限界まで目を見開いたまま、誘われるように両手を空に伸ばしていた。
瞬間、新たな稲光と轟音が周囲を埋め尽くす。
バリバリと鼓膜を揺るがす中で、ルシオは手を伸ばし、呼んだ。
「ティナー!」
辺りをつんざく稲妻に混ざり、確かに名を呼ばれた気がした。
懸命な努力で視線を地上に戻すと、天から降りてくるものとは異なる、黒い袖を纏った骨張った手が目の前にあった。
ティナは何も考えず、その手を握った。
石を打ち付けたような耳障りな声が、低く軋む。
『我が子よ、何故、我が手を取らぬ? 我が元へ戻れ、愛しき娘よ。深淵の叡智と力を、我を、得よ。娘よ、娘よ』
何故、この声を母に重ねていたのかわからないほど、恐怖が身のうちから湧き上がってくる。
ティナは温かい手に両手で縋りながら、天上にある顔を睨み上げた。
「違う! 私はあなたなんか要らない! あなたなんか知らない! 私の幸せはここにあるわ!」
人面は、感情のこもらぬ目のまま、ティナを見下ろしている。
ティナは、目をそらさずに見上げ続けた。
そらせば負けだと、ティナは感じていた。そして、ティナは負けたくなかった。
力で負けるのも、頭の良さで負けるのも、ティナ自身の自力でどうしょうもない部分で負けるのは受け入れられた。幸運の差で負けるのも、甘受できた。
しかし、視線で負けることは、許せなかった。
ティナがティナであるために。
ティナの心の奥にある、一番大事な何かを守るために。
沈黙の末、白き人面はやはり、感情を伴わない、しかしどこか楽しそうに感じられる表情で、口を開いた。
『ならば、それを我は見届けよう。
そなたの内が我を欲するまで、我は待とう』
勝った!
ティナは歓喜のままに、握っていた手を腕ごと胸に抱きしめた。
何故だが、腕が少々暴れたが気にしなかった。
白き顔がしゅるしゅると縮み、一本の白い糸のようになって降りてくる。
胸に隠してあったペンダントが赤く輝き、糸はその輝きめがけて突っ込んできた。
目を閉じて衝撃に備えたが、予測していたものは何もなく、薄っすらと目を開けてみると、白い糸は赤い輝きの中に吸い込まれていくのが見えた。
すべての糸が吸い込まれてしまうと、周囲は元の景色に戻り、皆がティナを驚愕の目で遠巻きに見つめていた。
「あ、あれ? ルシオ?」
「ここだ」
返答は思いもよらないほど近くから聞こえてきた。
ゆっくりと視線を移動すると、いつの間にか、面前にルシオがいた。息が触れ合うほどに近い。
「なんで、こんなそばに?」
白皙の美貌を間近に見て、ティナは久々に動揺していた。
囁くように問う。
ルシオは渋面のまま、視線をティナの胸元に下ろす。誘われるように、ティナも視線を下ろした。
そこには、ティナが両手で握りしめ、しっかりと胸に抱えた腕があった。押し潰してはあっても、ささやかに主張する柔らかな膨らみに、その手はいささか居心地悪そうに固い拳を作っていた。
瞬きしながら、腕が繋がる肩へ、スタンドカラーから覗く喉仏へ、ほのかに赤く染まった頬へ、最後に自分を睨みつけるルシオの瞳へ、視線を移動させた。
顔中が火を吹いたように熱くなる。慌てて腕を解放すると、ルシオは厳しい表情のまま俯いた。
「もう、大丈夫なのか?」
問いかける少年の耳は真っ赤に染まっていた。
ティナは立っている気力もなく、ルシオに寄りかかる。
「うん、大丈夫。ありがと」
「よかった……」
ルシオの手がしっかりとティナを抱きしめ、背中を撫でてくれる。
帰ってきた、と感じた。
「災いだ! 神の怒りだ!」
野太い叫び声に驚いて見やると、床に座り込んだ法王が、震える指をティナに向けていた。
「双子の王子は、神の使いを拒否し、その存在を消した! なんと恐ろしい!」
身を堅くしたティナを、ルシオは腕の中に囲い込む。
「どうも解釈が異なるようだ。猊下、聖女の手がレスリー殿下に祝福をお与えになったのをご覧になったでしょう?
レスリー殿下は天上からも認められた、立派な王太子殿下です」
「だが、儂は見た! 天から伸びた手が王子に届かんとした先に、レスリー殿下とルシオ殿下が手を握りあい、発した光が使者の腕を消してしまった!
神を否定する力、それは呪われた悪魔の力じゃ!」
法王の発した言葉が、確かにティナの心に突き刺さった。
王宮に来て、王太子候補として、人々に望まれてきた力が、今また、過去と同じように自分を弾劾する。
「悪魔の……力……」
ここにいれば、望まれたとおりにしていれば、二度とそう呼ばれることはない、と思いこんでいたのに……。
老法王は豪奢で真っ青な衣装が雨に汚れ、額冠もずれてしまっている。
目は大きく見開かれ、ティナをさす指はいくつもの指輪とともにわなわなと揺れていた。
そんな法王のそばには、同じ聖職者達が肩を寄せ合い、ティナを睨みつけていた。
「双子は呪われておる! 今すぐ火炙りにせよ! さもなくば、大きな災いに見舞われるであろう!」
断罪するかのように、法王の声が耳朶を打つ。
ティナは身をすくませ、うずくまりたい衝動をこらえた。
「猊下は祝福を与えにきたのでしょうか? それとも、猊下ご自身が災いを呼び込みに参られたのでしょうか?」
凛とした声が鳴り響く。
おずおずと顔を上げると、ルシオは深く頷いてティナの頭をぎゅっと抱きしめた。
そうだ、ルシオが助けてくれる。
ルシオの服を握りしめると、少年はティナの頭を柔らかく撫で、立ち上がった。
そして、ティナを背に隠し、堂々と法王に異を唱える。
「王太子の選定方法は我が国の決めごと。
猊下が現世に声を大きくされるのは、いかがなものでしょうか?」
神秘的な青い瞳に怒りを宿し、法王を見下ろす。
「告知の石は、レスリー殿下の力を認め、神の御使いを招いた。
御使いはそのお姿を光に変え、殿下と我が国を祝福なさった。
……違いますか?」
静かながらも、その声に込められた怒りは露わで、法王が震え上がる。
教会組織は国を越えた組織であり、近隣諸国すべてに信者を持つ故に、その頂点に立つ法王の力は非常に大きい。
だからこそ、その地位に至るまでの権謀術数をかいくぐってきた法王とても、凡人とは言い難い存在だ。
にもかかわらず、成人したての少年王子の前で、法王は言葉を無くしていた。
法王の面が屈辱に赤く染まる。
ルシオは憎々しげな視線を悠然と受け止めつつ、宰相を振り返った。
次はおまえの番だ、と言わんばかりの傲岸不遜な態度に、宰相エドムンドは苦笑した。
「猊下は奇跡の規模の大きさに動揺しておいでだ。
儂とて、三度目の王太子選定で、このような現象は初めてじゃ、無理もない。
今しばし、静かにお過ごしいただき、事の真実をお考えあそばされるがよろしかろう」
宰相はそれほど大きくない、しかし異を唱えることを許さない口調でそういうと、杖をカツンと打ち鳴らした。
従者達がわらわらと集まり、口を開閉しているばかりの法王と取り巻きを王宮の中に運び入れていく。
法王が強制退出させられると、宰相は沈黙して事の成り行きを見守っていた魔術師達に合図し、花火を打ち上げさせる。
固唾を飲み込んで見守る群衆に向かい、宰相は拡声の魔法で自らの声を届けた。
「力の大きさは歴然である。
聖女の奇跡をももたらしたレスリー王子こそ、次代の王に相応しい!
王太子レスリー殿下に栄光あれ!」
レスリーを称える声は徐々に大きくなっていく。
「王太子殿下に栄光あれ!」
こうして立太子式は終了したのであった。




