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王子殿下は従者様  作者: 東風
第一章 回り始めた歯車
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□第二話□ 本気ですか?

 我慢が限界に達した七日目、馬車は、今まで想像したこともない大きな館の前でティナを降ろした。

 鎖はつけられたままだったが、上からすっぽりマントをかぶせられたので、ティナが両手を犯罪者のようにつながれていることは、行き交う使用人の誰にも分からなかっただろう。

 ふかふかの絨毯に、高価なガラスが張り巡らされた壁、部屋側と思しき側の壁には、両手を広げたティナが三人くらい必要なほど大きな絵が掛けられている。

 時折現れる装飾過多の花瓶には、季節はずれの花々が飾られていた。

 きょろきょろと見回しながらも肩を掴まれて、先へ先へと誘導される。

 いつの間にか、先頭を歩いていた老人はいなくなっていた。

 いくつも階段を上がって、とある一室で男が立ち止まる。

 ノックの後、中から中年の女が一人でてきた。


 「鎖は必ず片手だけでもつけているように気をつけろ」

 男は小さな鍵とともに、ティナを女に預ける。

 「あの、わ、私、……、ここ、何処なんでしょう?」

 部屋の中に入るなり、女はティナの鎖を片手だけ外し、ワンピースを脱がし出す。ティナの疑問に答えるつもりはいっさいないようだ。元からの女の性格なのか、それとも上から何かを言われているのか……。

 たぶん、両方なのだろう。

 また風呂に入れられるのだろう。この馬車の旅で、ティナはすっかり風呂に入ることになれていた。

 孤児院にいた頃は、十日に一度、水浴びが義務づけられていた。伝染病を招かぬように、というお題目で。

 真夏ならともかく、真冬の最中の水浴びは最悪だった。体の弱い子供の中には、それがもとで帰らぬ人となったものもいたくらいだ。

 感慨深い風呂へ思いを馳せていると、女は一言も喋らないまま、それでも魔法のような手際の良さで、ティナを真っ裸にし、バスタブにつっこむ。暖かいお湯ではあったが、ティナの気分は泥付きの根菜だった。

 ゴシゴシ体中を洗われ、髪も石鹸で洗われる。

 風呂から上がると、丁寧に体中を拭われ、真新しい下着と何故か男物の服に着替えさせられた。

 「え? あの、これ……間違いじゃないんですか? 私、何でこんな格好……」

 まだ未熟な体に、男物の服は妙に着心地が良かった。胸を押さえなくても、胸部に膨らみは出ない。

 鏡に映った姿を見ながら、ひっそりと落ち込む。

 ベレンが見たら、指を指して笑うのだろうな、とますます落ち込む。

 言葉も失い、落ち込んでいる間に、女はティナの両手に鎖をつけ直し、さっさと部屋を出て行ってしまっていた。

 ドアには、外から鍵をかけられたようで、開かない。

 待て、と言うことなのだろう。

 ティナにも薄々わかってきていた。

 ティナは何かとんでもないことに巻き込まれている。

 巻き込んだ者たちは、ティナを体のいい道具としか思っていない。だから、何も説明しないし、言葉を返されることもない。

 弱った野良犬か何かがキャンキャン吠えているくらいにしか、感じていないのだろう。

 だが、どこかのタイミングで、必要最低限の説明はされるはずだ。

 親玉と思しき老人が言っていたではないか。

 館につけば、教えてやる、と。

 こここそが、その館だ、とティナの直感が告げていた。

 ならば、与えられた食事を取り、気持ちを切らさず、時を待つしかない。

 どのみち、ティナに与えられた選択肢は他にありはしない。それなら、気持ちだけでもしっかり持とう、と自分に言い聞かせる。

 「なすべきことをなしなさい。そのために、自分で考え、決めるのです。自己憐憫に浸ったところで、何にもならないのですから」

 ソフィアの叱責が耳によみがえる。その言葉を何度も繰り返し、ティナはふかふかのベッドの上で眠りについた。


 幸い、孤児院を連れだされてから、三食食べさせてもらっている。量もバランスも申し分なく、見たこともない食材も入っていた。美味しすぎておかわりを要求しても、持ってきて貰えたことはなく、それだけが不満と言えば不満だ。


 さらに二日間、ティナはあの無口な女に世話されつつ、部屋に監禁され続けた。

 ティナのいる部屋は四階と思われる高さにある小部屋だ。

 こんな使用人用の部屋まで窓にガラスがはめられていて、びっくりする。あの老人は、ティナが想像もつかないほどのお金持ちなのだ。意味もなく何度もガラスを触って、ぺたぺたと手の跡を付けてしまった。

 出来れば、こんなお屋敷で働いてみたかったが……。

 「三食昼寝付きなんて、すっごい贅沢なんだろうなぁ」

 ティナはだんだん癖になりつつある独り言を呟きながら、スプリングの効いたベッドに寝転がっていた。

 何もすることがないので、気がつくとうとうとしてしまっている。

 「起きて身支度を整えろ」

 低く感情を感じさせない声に驚き、頭を跳ね上げる。

 目の前には、馬車でずっと一緒だった痩身の男が、目を細めてティナを見下ろしている。

 「ほえ?」

 「身支度を整えろ。用意でき次第、行くぞ」

 男はそれだけを言うと、さっさと部屋から出て行ってしまう。

 ティナは無意識に口を拭って、自分の口元が涎で汚れていることに気づいた。

 慌てて、袖で口を拭いているところに女が現れて、女は袖で口を拭いているティナに嫌悪感を露わにすると、風呂の用意をし出す。いつもなら夕方頃に入れられる風呂だが、今日は昼食後すぐ。

 それを眺めている間に、頭がはっきりとしてきた。

 あの老人に、やっと会えるのだな、と考える。

 頬を両手でパシンと挟み、気合いを入れた。


 いつも通り、泥付き根菜のようにゴシゴシ体を洗われ、髪は丁寧にブラッシングされ、しかしいつもとは違い、今日は髪に香油を塗られる。

 自分ではないにおいが身近にあることに、何となく落ち着かなくなったが、髪はしっとり艶々になって、気分は上々だ。

 相変わらず、用意されるのは質素な男物の衣装。質素と言っても、孤児院の常識から比べると、遙かに上質な衣装であるのだが。

 着るのも慣れてきた。

 着終わると、女がティナの頭からつま先までを睨みつけ、細かいところを丁寧になおしていく。

 やる気に満ちたティナだったが、女の「身支度」はそれだけではなかった。

 ティナをドレッサーの前に座らせると、背中までの長さになっていた髪をぐいっと一掴みし、大きなハサミで一気に切り落としたのだ。

 「ちょ、な、何をするのよ!」

 「暴れないでください。刃があたりますよ」

 女は、ティナの怒声にもかまわず、短くなった髪を丁寧に切りそろえていく。

 少し癖のある、ふんわりとした亜麻色の髪。

 目の前に無情に落ちていく髪は、母に似ているといわれ、大切にしていた、ティナの唯一の「母の形見」だった。

 「ひどい!」

 叫んで腕を振り回すと、女は眉をしかめて、腕を縛っていた鎖の余っていた部分で、ティナをイスに縛り付ける。驚きの早業だった。

 抵抗する間もなく、ティナの体全体を倦怠感が包んだ。血が流れ続けているような、虚脱感が体中を覆う。

 「……許さないから」

 霞む意識の中から、それだけを絞り出す。

 「絶対に、許さないから……」

 女は軽く肩を竦めただけで、作業を続けた。

 全部終わったところで、女がドアを開けると、先ほどの男が廊下で待っていた。

 「来い」

 ティナはフラフラになりながら何とか立ち上がると、意を決して、部屋から一歩踏み出した。


 広い館の中をひっそりと歩く。

 これほど広いところなのに、誰とも行きあわない不思議。

 人の気配はするから、皆、あえて二人を避けているのだ。

 そのように命じられているのだろう。

 ティナのことはそれほどに「触れてはならないこと」なのだろうか。

 ティナは増えるばかりの疑問が、頭からあふれ出しそうな気がした。早く質問しなくては、端から忘れていきそうなくらいだ。じりじりし過ぎて、うっかりすると小走りになってしまう。

 その度に、男が鎖を引っ張って、ティナを引き留めるのだった。


 二階まで降り、両開きの豪華な扉の前に来ると、男は立ち止まってノックする。

 「御館おやかた様、連れて参りました」

 「入れ」

 あの老人の声が聞こえる。

 男が音もなく扉を開き、ティナの鎖を引っ張って中に入れる。


 あまりにも豪華絢爛な部屋に、ティナは言葉を失って、先ほどまでの意気込みもすべて忘れ、ぽかんと口を開けた。

 大きな暖炉は、三方を複雑な彫刻で飾られ、暖炉の上には大きな肖像画があった。

 肖像画は、白い毛並みに黒い斑点といった名も知らない獣の毛皮のマントを身にまとい、赤いクッションがついた肘掛けイスに座った老人が描かれている。部屋に入ってくるすべての者を睨みつけ、怯えさせようとするような表情だ。

 その手前には、絵にあるイスと全く同じイスに、マントがないだけでやはり豪華な衣装を身にまとった老人が座っていた。白い石で出来た丸テーブルに片肘をつき、視線の位置が違うばかりで、絵と同じ目つきでティナを眺めている。

 天井にはガラスをあしらった照明器具。それは、蝋燭もないのに目映い光で部屋中を照らしていた。

 二枚ある窓と思わしきところには、高い天井から床まで流れ落ちるような厚手のカーテンがかかっていて、床にはツタの模様をあしらった毛足の長い絨毯が敷かれている。


 どれほど呆然としていただろうか。

 誰かの咳払いが聞こえて、我に返る。

 音がした方を見ると、部屋に圧倒されて気づかなかったが、もう一人、少年が暖炉の脇にひっそりと立っていた。

 顔をうつむけて、背中を暖炉にもたれさせて。

 短めの癖のない漆黒の髪に、血の気を感じないほどに白い肌。身長はティナよりもわずかに高いくらいだろうか。

 ティナが自分を注視していることに気づいたのだろう、少年は長めの前髪を払ってティナの方に顔を向ける。


 ティナは再び、言葉を失った。

 見たこともないほど、美しい少年が目の前に立っていたのだ。

 すっと整った鼻筋。

 薄い唇は僅かに口角が持ち上がっているが、笑みというほどではない。

 細く均整のとれた体は、僅かに見える肌が病的に白いにも関わらず、不健康には見えず、しなやかで危険な獣を思わせた。

 だが、何よりもティナの目を奪ったのは、その目だった。

 切れ長の目は深い深い青。見ているだけで吸い込まれそうな、深い山奥にある底知れない湖のような青。

 じっと見ていると、その奥にきらめく宝石が一つだけあるような気がしてくる。


 少年が再び咳払いをした。

 ティナは驚いて身を堅くする。

 いつの間にか、少年の彫像でも見ている気分になっていたらしく、少年が動くとは思わなかったのだ。

 瞬きを繰り返してから、何となくへらっと笑い返してみる。

 少年から返ってきたのは、冷たいまなざしと、ふっ、という鼻を鳴らした音だけだった。

 その仕草に、ティナはカチン、と来た。

 神話から抜け出てきたような美少年だが、中身は人格者ではないらしい。

 「感じ悪い」

 ティナは小声で呟いた。


 「君に好かれるつもりはまったくないからね。印象が悪くて何よりだ」

 少年は声まで良かったが、言っている内容が最悪だった。

 「ちょっと、あんた、何様よ! 初対面相手に、失礼じゃない?」

 「その言葉は、そっくりお返しするよ。それに……何様?」

 少年はティナの質問に薄く笑い、考え込む素振りを見せる。だが、彼が考え込んでいないことは、ティナから外さない鋭い視線で明らかだった。

 「何様かと聞かれれば、答えるしかないね。僕は王子様だよ」

 「王子様!?」

 少年の持つ雰囲気も、その容姿も、その言葉を疑わせる要素は何もなかった。

 ティナが三度目、口をぽかんとあけているところで、くっくっくっ、と喉に絡む笑い声がした。

 ずっと黙っていた老人が、笑っていたのだ。

 「よいよい。この容姿に誑かされない、強気の態度。よいぞ。なれ合わないのもよい。

 意外な拾いものをしたのかもしれんな」

 「彼女が?」

 一方、少年は眉根を寄せ、難色を示す。

 「どうも直情的ですね。向いているとは思えない」

 「確かに、腹芸は難しそうだが、気性はレスリーに似ているではないか」

 ここで初めて、ティナは知っている名前に出会った。

 「レスリーって、レスリー王子? 次期国王様の?」

 さすがに、自分の住んでいる国のこと。特に、昨今のレスリー王子の人気は鰻登りで、ティナでも知っているほどだった。

 噂では、見目麗しく、文武両道に優れ、誰にでも優しく接すると言う。

 三年前に王位継承の能力を認められ、成人と同時に立太子するはずであった。確か、ティナより半年ほど年上だったか。

 国中がお祭りになるのを楽しみにしていたが、突然の事故で立太子式は延期。お祭りも延期になった。

 その日にあわせてバザーを予定していた孤児院は、当てにしていた収入がなくなり意気消沈し、お祭りには領主が孤児院におやつや食事を差し入れするのが慣例になっていたから、それがなくなった子供達も大変がっかりした。

 皆で、王子の早い回復を神に祈ったことまで思い出す。

 「王子様はお元気なの? 順調に回復してるって聞いたけど、いつ、お祭りになるの?」

 思わず身を乗り出しそうになるのを、すっかり忘れていたが鎖を握っていた男が引き留める。

 老人と少年は思わせぶりな視線を合わせ、少年はティナから顔を背け、老人はまた好きになれない笑い声を響かせた。

 「何よ……。具合が悪いの?」

 笑い続けていた老人は、唐突に笑みを引っ込めると、皺深い落ち窪んだ目で、ティナを睨みつける。

 ティナはたじろいだ。

 「亡くなられた」

 「へ? な、なくなられた……って?」

 「そなたにもわかる簡単な言葉で言うと、死んだ、ということだ」

 さすがに「亡くなる」という言葉の意味くらい、ティナだって知っている。何と言っても、教会にいたのだ。司祭様のお説教でも、お金持ちのお葬式でも、そういう言葉はいくらでも使っていたのだ。

 バカにされていることはわかったが、それどころではない。

 「え? なんで? 死んだって……容態が悪化して?」

 童話の中にしかいないような王子様らしい王子様。皆の憧れのレスリー王子が死んだという情報を唐突に与えられ、ティナは混乱した。どこか遠いような、現実感のない衝撃の事実。

 心の中の何かはショックを受けているのだが、その情報の何がティナの何処に衝撃を与えているのか、はっきりとしない。

 回復しているという情報は何処に行ったのだろうか?

 いや、それよりも、その話題はいま、ここですべきことなんだろうか?

 何か、イヤな予感がする。

 ティナは鎖の許す範囲で後ずさり、少年と老人から距離をとった。


 「そうさな。容態は悪化のしようがなかった。何故なら、亡くなられたのは半年ほども前だったからな」

 ことさらゆっくりと、老人は言った。ティナからいっさい目を離さず、瞬きすら許さないように。

 「……は? 何言ってるの、王子様は……療養を……え?」

 「半年前、王子は亡くなられた。そして……」

 「頭の回りも悪い。理解も遅い。この少女はやはり、使うべきではない。寧ろ、容態が悪化したことにしてレスリーが亡くなったことを公表し、この少女はさっさと帰すべきだ」

 いきなり、少年が会話に割って入ってくる。

 少年はティナをつぶれた毛虫を見るような目で見つめ、老人を振り返ると、丸テーブルを強く叩く。

 この少年は、何があってもティナを認めたくないらしい。

 「びっくりしすぎただけでしょう! 普段はもっと頭、動いてるわよ! 本当に失礼ね!」

 先ほどまでの悪い予感をかなぐり捨て、少年に食ってかかる。

 「ほら、君はバカだ。これから自分がどうなるのか、考えているのか? こんなところに連れてこられて、茶飲み話程度で解放されるとでも思っているのか?」

 宗教画の天使のような美しい顔をしかめてしみじみ言われると、自分でも一瞬、そうかな、と思ってしまいそうになる。だが、ここで頷けばすべてが負けな気がして、ティナはお腹に力を入れると、少年をしっかりと睨みつけた。

 「バカはあなたよ。こんなふうにここまで連れてこられて、無事に帰して貰えると信じてるの?

 ここの屋敷にはいるときだって、すっぽりマントを被せられて、誰も私の顔なんて見ていない。

 貧乏人がこんなところで一人消えたって、何も問題はないのよ。

 違う? それでもあなたはまだ、私に帰る道があるって言うつもり?」

 孤児院でいじめられる以上に、街で何度つらい思いをしたか。

 孤児院にいると言うだけで、妙な力を持っているティナばかりではなく、ベレンや、ほかの子達まで迫害され、もっと悪い場合には浚われ、殺されることもある。孤児院が何を言ったところで、誰も犯人を捜そうともしなければ、助けてくれることもなかった。

 「私は買われてきた。家畜のように。役に立たなければ、家畜のような最期になる。そうでしょ?」

 唇をかみしめ、悔しそうな顔をしている少年から視線を離し、老人を睨みつける。

 問いかけではなく、確認。

 老人は目を細め、愉快そうにテーブルを叩いた。大きな指輪がテーブルに当たって、何度もかちかちと耳障りな音を立てる。

 「言ったであろう? 拾いものをした、と。これはいい! ルシオ殿が言い負かされるなど、滅多にないことだ」

 老人が両手を打って喜ぶ様は、どこか歪で奇怪な印象を与えたが、ティナはそれどころではなかった。

 「ルシオ? あなた……じゃぁ、レスリー王子の」

 「あぁ、双子の兄だ」

 王位継承能力なしとして王家から爪弾きにされているという、厚顔無比、性格冷徹、無慈悲で尊大極まりない人格破綻者と噂される王子様は、長めの前髪を目元から払い、ティナを花についた害虫でも見るような目で見下ろしてきた。

 「ほんとに…………王子様……」

 「そうだ、と先ほど言っただろう? この短時間で、もう忘れたのか? 記憶障害まである」

 呆れたようにため息をつかれる。噂は少なくとも、一部の真実を伝えていたようだ。性格が悪すぎる。


 そして、目の前の少年がルシオ王子であるならば、この老人は何者なのか?

 自分が巻き込まれたことが、予想以上に規模が大きいだろうことに、ティナは愕然とした。

 老人はようやく笑いを引っ込め、酷薄な表情を浮かべる。

 「儂は宰相のエドムンド。そしてそなたは、これからレスリー王子として生きていくのだ」


 体中の力が抜けてふにゃふにゃと床に座り込む。

 鎖を引っ張られたが、どうしようもなかった。

 許されるなら、ふかふかの絨毯の上に一度寝ころび、しっかりと睡眠をとりたいほどだった。無理だったが。


 「む、無茶でしょ。わ、私これでも、お、女なんですけど? 本気?」

 辛うじて、最後の気力を振り絞り、言い募ってみる。

 ティナの性別を勘違いしているとか、一縷の希望にすがって。


 老人・エドムンドは、ふん、と鼻を鳴らした。

 「そなた自身も先ほど、後戻りは出来ないと、よく分かっていたであろう。

 それに万一逃げ出せば、そうじゃな、地の果てまでそなたを追いつめ、そなたの見ている前で孤児院を焼き払い、そなたをそこにくべてやろうか……。

 何、外見は便利なものがあるのでな。後は中身じゃ。

 ルシオ殿、一ヶ月じゃ。育ちの悪さを何とか取り繕うように。

 なに、最低限でよい。その後は、ルシオ殿が従者としてレスリー殿下におつきいただければ、問題はなくなるじゃろう」

 「……仰せのままに、閣下」

 ルシオは一片の温もりもない氷像のように、宰相に向かって深々と頭を垂れた。


 こうして、ティナの王子としての生活が幕を開けたのであった。

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