□第十六話□ 騎士を得る
幸い、ルシオの傷はどれも浅く、大事には至らない。一晩寝ていれば、明日には体を起こすことができるだろう、というのが侍医の見立てであった。
血の量が多かったような気がしたが、気のせいだったようだ。
扉越しにリヒトの報告を聞いたティナは、ほっと胸をなでおろし、赤く輝くペンダントを額に当てる。何か暖かい力が流れ込んでくるような気がして、尚更ぎゅっと握りしめた。
そして、その暖かさに励まされるように、一歩踏み出す勇気を自分の中につくりあげようとしていた。
「ごめん、私、思ったよりもあなたのこと大事みたい」
独り言をこぼし、苦笑する。
自分はまだ、考えが浅かったのだ。
王太子になるということがどういうことか、レスリーが殺されたということがどういうことか、もっと突き詰めて考えるべきだったのだ。
王太子の地位は、ふわふわのベッドの上にあるかもしれない。しかし、そのベッドには猛毒を持つ蛇が幾匹も潜んでいる。
知らずにのんきに寝ていた頃には戻れない。
十分な輝きを取り戻したペンダントを見て、ティナは立ち上がった。
窓から見える空には、月が高く登っていた。
鍵を開けて廊下に出る。
扉両脇にいた近衛騎士が揃って頭を垂れた。
ティナはそれに鷹揚に手をふって応え、目前の部屋をノックする。
暗い室内にいたのはサウロのみ。
リヒトは奥の部屋でルシオの看病をしているのだろう。
「殿下、具合はもう?」
サウロが声を低めて問う。
ティナはこっくりと頷いた。
「こんな夜更けにすまないが、二人っきりで話をしたい。ついてきてくれるか?」
訝しげにしながらも、サウロは問い返すことなく立ち上がる。
他の護衛にはついてこないように命じ、ティナは無言のままサウロを先導していく。
たどり着いたところは、昼間にティナとロイドが戦ったドームだ。
中も外もしんと静まっている。周囲に人の気配はない。
サウロが破壊した扉の残骸を避けて踏み込む。
半壊した天井から、月の柔らかな光が降り注いで、サウロのつんつんとした銀髪を照らしていた。
ほう、と吐息して見つめていると、サウロが居心地悪そうに体を揺らした。
「いつ見ても綺麗だな、と思ってね。……悪かった」
ルシオに、安易に謝るな、と躾けられたせいで言葉に詰まりつつ、なんとなくそう付け加える。
サウロは目を細めて首を横に振った。
「いいえ、お気に召していただき、光栄です」
軽く下げた頭で銀糸が揺れる。
ルシオがサウロを嫌おうとする気持ちもわかるな、とティナは考えていた。
根っからの貴族で騎士。後ろ暗いことなど何もない人生を送ってきて、謙虚で爽やか。
どこを切り取っても、自分と重なる部分が見つからない。
宰相が彼をつけた理由もわかる。
サウロは真っ直ぐすぎて、信じないわけにいかない。そして、彼にひどいことをしたいとも思わない。裏切りたくない。誠実でありたい。
だからこそ、ティナはサウロをここに連れてきたのだ。
大切なものを守るために。
ティナの長い沈黙にも、サウロは静かに待ってくれる。
ティナは、唇を湿らせ、大きく呼吸を繰り返して、覚悟を決めた。
元より、ここまで連れてきた以上、後戻りはできない。しない。
「サウロ、君は俺に忠誠心を捧げてくれた。
それは、俺が王太子だからだ。
そうだろう?」
サウロはきょとんとティナを見下ろし、それから慌てて片膝をついてティナを見上げた。
「いいえ! 殿下、私は……いえ、俺はレスリー様にこそ忠誠を!」
「それは、俺が王太子ではなくなっても?」
慎重に言葉を選ぶ。
「俺は王太子と呼ばれているが、まだ正式じゃない。候補はあと二人。
今後、何かの理由で王太子にはなれない可能性がある」
「何を仰るのですか! その魔力、血筋、努力、気高さ! どれをとっても、あなたが劣るところはございません!」
唐突な話の流れに、サウロは混乱しつつも言い募る。
だが、ティナは苦笑するしかない。
ティナにあるのは魔力だけだ。たった一つ。
「そもそも、俺は魔力の強さで地位を決めるの反対だ。
あとの二人の候補に、俺は会ったことがない。
会って、俺よりも王にふさわしいと感じたら、俺は王太子を降りるかもしれない」
「魔力だけではございません! あなたの他のものに対する優しさ、過ちを見逃さない正義の心、自分の弱さを躊躇なく認め努力する姿勢。
俺は、あなたに接する度に、喜びに包まれます! これほどのお方が、近い将来、王になられる! この方にお仕えできる! これほどの喜びを、俺はこれまでの人生で知らなかった!」
ティナのレスリーを否定する言葉に、サウロは焦ったように言葉を重ねていく。
騎士の整った顔は悔しそうに歪んでいた。
「俺の忠誠心を試されているのでしょうか?
でしたら、それは杞憂です。
俺はあなたから離れない!」
断言する騎士を、ティナは冷然と見下ろした。
「俺が、王太子を追われれば、どうする?」
「そのようなことにさせません。
万一、あった場合には、殿下をお守りし、一緒に落ちのびましょう。
そして、必ずあなたの頭上に輝かしい冠を……」
「なるほど、その覚悟はよくわかった」
サウロの言葉を遮りそう言うと、サウロはホッとしたように肩の力を抜く。
ティナは可哀想に思った。これからが本番なのに、と。
服の中から鎖を引っ張りだす。赤い輝きが、周囲をほのかに染めた。
「殿下?」
「まず、謝っておこう。サウロ、すまない。
俺はあなたを傷つける。でも、それを躊躇ったりはしない。
俺はあなたを気に入っている。だからこそ、これは避けられないことなんだ」
ティナはペンダントを高く掲げた。
「抵抗してくれて構わない。何かがあっても、俺は恨みには思わない。
俺の言葉をよく考えて、自分の行動を決めてくれ」
何かを言おうとしたサウロを遮り、ティナはペンダントを外した。
「で、……殿下?」
サウロは目を見開いて、両膝をついたまま、ティナを見上げている。
ティナは外したペンダントをポケットに突っ込む。見えない束縛から放たれたように、体が軽くなったことを感じた。
「……初めまして、サウロ」
「……あなたは……いったい…………殿下をどこへやった!?」
愕然とティナを見上げていたサウロは、次第に気色ばみ、腰に手をかける。
ティナはじりじりと後ずさって、サウロから距離をとった。
「レスリーはここにはいない。どこにもいない」
「貴様が殺したのか!」
サウロが吠える。
殺気がビリビリと空気をふるわせ、ティナの足もそれにあわせて震えた。
明確な殺意を向けられたのは初めてだった。
昼間の襲撃だって、ルシオに庇われていたため、それには触れていない。
ティナは深呼吸して息を整え、左手に火球を作り出す。
周囲が途端に赤と黒に染めあがった。
「……レスリーという人物の幕を下ろしたのは、確かに俺だ」
「貴様!」
十分な距離があったと思ったが、長身の騎士は驚きのスピードと歩幅でティナの懐に入り込む。
鞘から抜かれた剣は、銀色の光を放ってティナの喉に滑ってきた。
後ろに飛び退くと、今し方までティナが立っていたところに、亜麻色の髪が数本飛んでいった。
昼間の戦いが児戯にも思えるほど、サウロの切っ先は鋭く素早い。
火球をぶつけようにも、サウロの攻撃をよけるのに精一杯で、放ることもできない。
サウロの踏み込みは深く、切っ先を見ていれば逃げ遅れ、足さばきを見ていれば剣が視界を薙ぐ。
これが本物の騎士の力か、と愕然とした。
甘く見すぎていたかもしれない。
魔力で押せばなんとかなると思っていた。
無言で鋭く突いてくるサウロは、普段の気のいい大型犬のような様子はかけらもなく、獲物を狙う狼のようだ。
隙を見て反撃しようにも、その隙がない。
何度目かの切っ先を避けようと後ろに飛ぶ。
衝撃は背中から来た。
いつの間にか、壁際まで追い詰められていたのだ。
ティナは壁に沿ってずり落ちる。
昼の疲労もあり、息が上がり、足に力が入らなくなっていた。
ガンッ!!
ティナの耳に触れそうなほど近くに、剣が突き立てられる。
恐る恐る正面を見ると、両手で柄を握るサウロの顔が間近にあった。底冷えのする青い瞳が、爛爛とと輝いている
「くっ……サウロ……」
「もう一度だけ問う。
殿下をどこへお連れした?」
ゾッとするほど低い声。息は少しも乱れていない。
ティナは覚悟を決めるしかなかった。
できれば逆転した状況で答えたかったのだが、そうもいかない。
シナリオは少し変わったが、流れを変える必要はない。
ティナは腹にぐっと力を込めて、サウロを睨みあげた。
サウロが驚いたように瞬きをする。ほんの少しだが、いつも通りの表情が戻って、ティナはホッとした。
「サウロ、話を聞いてほしい。
信じられないかもしれないけど、あなたに会っていたのは、最初から俺だ」
騎士はせわしなく瞬きを繰り返し、しんと静まった周囲を見渡す。
昼間にすっかり破壊しつくされたドームには瓦礫が散らかり、天井は今にも崩れそうな状況だ。
ティナも一緒になって周囲を見渡し、苦笑した。
「これだけ壊しているのに、ロイドが怖いとは一瞬も感じなかった。
でも……、先ほどのサウロには正直、殺されると思ったよ。
優しくて頼れる騎士だと思っていたけど、それだけじゃなかった。
サウロは…………敵に回すには怖すぎる」
それは、ティナの正直な心情だった。
ロイドと戦っていた最中は、多少の怪我をしたところで、負ける気はしなかったし、むしろ致命傷にならずにどうやって心を折ってやるか、で頭を悩ませたほどだ。
だが、サウロとの戦いは全く違う。
殆ど傷らしい傷もないまま、当たった瞬間に致命傷になるだろう、と確信した。
戦いの機微はわからずとも、命がかかっているかどうかの判断くらいは、孤児院育ちには朝飯前だ。
目の前の騎士は、先ほどまでの覇気が消え失せ、男らしい太い眉尻を下げている。
「レディ、あなたはいったい? もしかして、レスリー王子は最初からいなかったのでは?」
「いや、レスリーはいたよ。会ったことはないけど、確かに離宮にいたんだ。
でも、立太子式を延ばすことになったとある事件で、命を失った。
……俺は、宰相公認の影武者さ」
宰相という言葉に、サウロの肩が大きく揺れる。ティナは薄く笑った。
「だから、これが真実かどうかについては、宰相に聞いてくれてかまわない。
あなたは宰相がつけた騎士だから、……知っているかもと思っていた」
「俺は……何も……」
呻くようにサウロが答える。騎士はすっかり悄気げ両手で顔を覆ってしまっていた。
ティナは肩を竦めた。サウロが傷つくのはわかっていた。そして、そのサウロが「ティナに剣を向けた」ということを後悔するだろうことも。
他者に期待しない。善意の人間だって人を傷つける。それは、ティナに染み付いた考え方だった。
不幸な行き違いが起こっただけだと、さっさと頭を切り替える。
ティナは、レスリーが亡くなったこと、宰相が、自らの思惑で影武者を欲したこと、十分な魔力があるティナが選ばれたこと、王家に伝わるペンダントで姿を変えていること、それらをなるべく感情を交えずに説明していった。
俯いて聞いていたサウロはノロノロと両手を外し、真っ直ぐにティナを見つめる。
真剣な表情につられて、ティナもつばを飲み込んだ。
「……何故、私にそれを?」
長い沈黙の後、サウロはティナの目を覗きながら問う。
そらすことは許されない。
彼の信頼を勝ち取らねばならない。
「宰相は油断ならない相手だ。俺は確かに今は宰相の操り人形に過ぎない。
……でも、いつか俺は宰相と袂を分かつ時が来る。
そのときに、サウロには俺のそばにいてほしい……。
これ以上、サウロに嘘をついているのも苦しいし」
「剣を……何故、取り上げなかったのですか?」
「…………剣は騎士の命だ。それを取り上げることなんて、できないさ。
それに……言っただろう? 俺はあなたを気に入ってるんだ。
もし万一のことがあったとしても、その剣で突き刺されるのであれば、仕方ない、と思った」
にっこりと笑って手を差し出す。
汗とほこりにまみれていたので、手袋を取り去り、素手をサウロに向けた。
サウロは顔を赤らめ、ティナの目と手を交互に見つめる。
ティナは辛抱強く待った。
「……宰相につけられた私を、あなたは信じると仰るのか…………」
「育ちがいいもんでね、人の裏を感じ取るのは得意なんだ」
ほら、というように差し出していた手をサウロの面前まで突き出す。
サウロは暫しその手を凝視し、自らの剣を鞘に戻すと、片膝をついてティナの手に自らの額をつけた。
「殿下。数々のご無礼をお許しください。
終生、変わらぬ忠誠と我が心をあなたに……」
「あ、いや、忠誠とかじゃなくて、こう……同じ秘密を担う同志的な……」
グレードアップした騎士の赤面ものの宣誓に、ティナは思わず手を引っ込めたくなる。
サウロはいたずらっぽくティナの手を引き留めると、ティナの目をじっと見つめたまま、少女の白い手首に唇を寄せた。
「うひゃぁ!」
唇の熱い感触に、思わず悲鳴がこぼれる。
サウロは目を細めて満足そうに吐息した。
「同志ということは……俺とあなたは対等?」
「あ、いや……それはどうかな? 俺はやっぱり王太子候補だし? ボスはルシオだと思うし?」
迂闊に頷いたら、何かヤバいことに巻き込まれる。そんな予感に慄いたティナは、何故か熱い眼差しを向け始めたサウロから距離を置きつつ、喋り続ける。
よく考えてみれば、ここは壁際で、ティナは何故かまだサウロに追いつめられている状況だ。
これ以上、下がることもできず、ティナは困惑の限りであった。
そこに、怒鳴り声が割り込んでくる。
「君はどこまでバカなんだ! 僕に断りもなく!」
戸口を確認すると、リヒトに支えられたルシオが、肩で息をしながらこちらを睨みつけている。
サウロがすっと立ち上がり、頭を下げて一歩下がった。
よくわからないながらも、何らかの窮地を脱したことを悟り、ティナは胸をなで下ろした。
しかし、ルシオの怒りは絶賛継続中だ。
「ルシオ様、傷に障ります」
「うるさい!」
心配げなリヒトにも怒鳴り返し、ズンズンとティナの目の前までくる。
「さっさとペンダントをつけろ、バカ!」
「あ、ごめん」
ポケットにつっこんだままのペンダントをつける。体が重くなる。その感覚で、自分の姿が変わったのだとわかった。
「ルシオ、大丈夫なの? 少しは回復……」
「僕は……僕はそこまで頼りないのか? 僕一人が君の身を守るのは無理なのだと?」
まだ具合の悪そうなルシオに声をかけようとするが、遮られ、逆にルシオが言い募る。
「いや、その……独断なのはごめん。でも……その……ルシオはボロボロだったし……」
「それでそこの筋肉バカを招き入れたってわけか」
「筋肉バカって、ちょっとルシオ、その言い方は酷すぎるでしょ!」
ルシオの言いたいことが理解できない。
ティナは混乱したまま、ルシオの言葉を否定する。
少年は傷ついた顔で絶句した。
「わた……俺だって考えてるんだってば! 今日と同じことがある度にルシオがボロボロになって寝込むの?
その度に心配させられる身にもなってよ!
サウロは剣の腕も一流で、さっき戦った感触だと、魔術師相手でもフォローさえすれば戦える。
俺が動けなくなったとしても、サウロが俺を運んだ方が遙かに簡単なんだよ。
その間に、ルシオがあちこちに手を回せば……」
「それで? これからはそいつに守ってもらう、と? 僕はもういらない?」
「誰がそんなこと言ったのよ!」
暗い表情でルシオが言ったセリフにティナの方がショックを受けた。
そもそも、サウロを味方に付けようとしたのは、血塗れのルシオをこれ以上見たくなかったからだ。
ルシオが震える声で、ボロボロになった背中で、無傷のティナを見てホッと顔をゆるめる様を、見たくなかったからだ。
心臓が鷲掴みにされたようにぎゅっと痛くなる感覚。
そして、同時にルシオを失うかもしれない、という恐怖。
ずっと俯いて王太子棟に歩んでいく間、ルシオがそばにいることの意味を、起こりえる危機を、そして、自分の心の中で少年がどういう存在であったのかを、ずっと考えていた。
なくせない、それがティナの中の答えだった。
しかし、そんなことを口に出したくはない。
ティナの中で、ルシオがどういう位置にいるのかははっきりしている。でもまだ、その感情に名前を与えてはいなかった。
だから、口に出せない。
お互いに沈黙していると、サウロの太い声が割ってはいる。
「ルシオ殿、失礼ながら、殿下の御身をお守りするのであれば、今回の殿下の判断は正しかったと、私は思います。
そして、ルシオ殿が懸念されていることも、あり得ません。
私は、今の殿下に我が心を捧げました。
身命を賭して仕える所存です」
「なるほど、それでもう僕は用済み、だと?」
ルシオが皮肉げに顔をゆがめる。ティナはその表情を見ていられず、目を背けた。
「子供のように駄々をこねられるだけであれば、確かにあなたはもう用済みでいらっしゃる」
思いの外強い言葉をサウロが使ったため、ティナは思わず騎士を振り返った。
後ろに一歩下がっていた騎士は、何故か、怒りの表情でルシオを睨みつけていた。
「こうなったのは、そもそもあなたが傷ついて倒れられたからだ。
自らの非力を認められては如何か?
殿下の御身を、あなたがどこまでお守りできるか、しっかりと考えていらっしゃるのか?」
「僕は! 僕は殿下をお守りできている……今日だって、傷を負わせていない!」
「それで、その後は? 私が来なければ、さらに攻撃が続いていたかもしれない。そのときにあなたは……」
「もうやめて!」
サウロの胸にとりすがって見上げる。
サウロは息をのんで口をつぐみ、その後、大きく息を吐いた。
ルシオは悔しげに唇を噛みしめ、俯いている。
よかれと思って行ったことが、ルシオを深く傷つけている。
そのことに、ティナの胸が痛んだ。
「ルシオ、勝手なことをしたことは謝る。ごめん。
でも、俺は、サウロに打ち明けたことを、間違ったことだとは思っていないし、だからといって、ルシオが要らないわけでもない。
お願いだから、受け入れて……」
「わかっ……た。殿下のお考えを、僕は尊重する」
ルシオはティナと目を合わせないまま、のろのろと頷いた。
「サウロも、口を慎め。俺は、この身のすべてをあなたに託したわけではない」
「御意。一日も早く託していただけるよう、全力でお仕えいたしましょう」
一方のサウロは、ティナから一瞬たりとも目をそらしたくないと言いたげに、強い視線を向けて微笑んできた。
「周囲を警戒して参りましたが、怪しい気配はございませんでした。
お話も終えられたのでしたら、部屋に戻りましょう。
このあたりも、巡回の衛兵が全く来ないわけではございませんからね」
場違いに柔らかい声を響かせて、リヒトが三人を促す。
ティナは、ルシオのそばにも、サウロのそばにもいたくなくて、何となくリヒトと歩調を合わせて歩いた。
「リヒトは……驚かないんだな」
「何を、でございましょう?」
「いや、さっきの俺の姿……」
リヒトとルシオが入ってきたとき、ティナはペンダントを外していた。
当然、リヒトはティナの本当の姿を見ているはずだ。
間近にいた長身の老人を見上げると、老人は柔らかく微笑んでいた。
「何を驚くことがございましょう? 殿下は、どのようなお姿でも、私の可愛い王子でいらっしゃいます。
今後、何がございましても、殿下がどのような姿になられましても、じいにはすぐにわかりますとも」
胸に、温かい言葉がじんわりと広がっていく。
混乱し、苛立っていた心がすっと凪いでいくのを感じる。
ティナは思わずリヒトの腕に抱きついた。
「リヒト、大好き!」
その声は思いの外大きく響き、前を歩いていたルシオとサウロがぎょっとして振り返る。
リヒトは白い髭をしごきながら、「年の功ですね」と笑った。




